○森山(信)
政府委員 まず最初に、機電法七年間の成果につきましてお答えを申し上げたいと存じます。
先ほど
先生から御
指摘のございましたように、
昭和四十六年に機電法という法律をつくらしていただいたわけでございますが、それ以前には、
昭和三十一年にいわゆる機振法、それから三十二年に電振法というものが制定されまして、それを受けた法律であることは御
指摘のとおりでございます。七年間たったわけでございますが、まず、この七年間の
わが国の機械工業の発展という観点からとらまえてみますと、
昭和五十一年におきます機械工業の生産額が大体四十二兆
程度になっておりまして、これは機電法制定当時に比べまして約二倍の成長を遂げたわけでございます。それから、輸出の方は
昭和五十一年に約十二兆に達したわけでございまして、機電法制定当時に比べまして、約三・七倍になったわけでございます。こういった工業生産額あるいは輸出額が大幅に伸びたことが果たして機電法の成果であるかどうか、ダイレクトな評価はできないと思いますけれ
ども、私
どもは私
どもなりに、こういった機電法というものが、こういった工業生産の増大あるいは輸出の発展に寄与できたのではないかというふうに
考えておるところでございます。
次に、機械工業が発展した理由の
一つといたしまして、いわゆる老朽設備の廃棄といいましょうか、設備がスクラップ・アンド・ビルドされたということが、
日本の機械工業の発展の大きな原因ではなかろうかと思っておるわけでございますけれ
ども、こういった設備のいわゆるスクラップ・アンド・ビルドに果たしました機電法の
役割りというものは大変大きいと私
どもは思っておるわけでございまして、特に
開発銀行あるいは中小企業金融公庫等からの設備投資融資、こういうものが呼び水になりまして、いま申し上げました
日本の機械工業の設備のスクラップ・アンド・ビルドができたのではないか、こういうふうに思うわけでございます。
それから、もう
一つの成果といたしまして私
どもが
考えたいことは、機電法といいますものは、先ほ
ども申し上げましたように、従来の機械工業振興法と電子工業振興法を合わせたものでございまして、私
どもの
考え方といたしましては、当時は機電一体という
考え方がございました。従来は、機械工業あるいは電子工業それぞれの立場で振興していったわけでございますけれ
ども、そういうものを組み合わせをすることによって新しいタイプの商品というのが生まれていくべきではないか、こういう価値観のもとに、いわゆる機電一体ということを理念といたしまして機電法をつくらしていただいたわけでございまして、その最も端的な例を申し上げますと、金属工作機械があろうかと思います。金属工作機械それ自身はいわゆる機械そのものでございますけれ
ども、最近の金属工作機械と申しますものは、多くのもので電子のいわゆるNC数値制御装置つきというものが、工作機械の大変高いレベルの工作機械ということになっておりまして、これは私
どもが機電一体という精神のもとに
政策を推進してまいりました結果、そういった機械と電子の組み合わせというものが生まれてくるようになったということでございます。卑近な例で申し上げますと、時計な
どもその例ではないかと思いますし、それから最近はテレビ等におきましてもかなりICが取り入れられまして、装置が非常に簡単になってきた、そういったふうに、従来の機械と電子の組み合わせということが今度のこれまでの機電法の
一つの成果ではないかというふうに
考えておるわけでございます。
さらに、もう
一つの観点で申し上げますと、
わが国の機械工業の
一つの特性といたしまして、多品種少量生産形態というものがあったわけでございます。それを機電法によりまして規格の統一ということを大いに努めてまいりまして、場合によりまして共同行為等の指示もしたわけでございますが、そういったふうに規格の統一というものがだんだんと図られてまいりますと、いわゆる多品種少量生産の形態から大量生産の形態へ移り変わりができたのではないか、こういうものが、言ってみますと、私
どものとりました過去の
政策、その
政策のバックボーンになりました機電法の一応の成果ではないかというふうに、私
どもは私
どもなりに評価をしてみたい、こう思っておる次第でございます。