○工藤(晃)委員(共) では、いまのあれで言うと、このパンフにある表現はいささか的確でないというふうに考えていいととりますが、それを
前提としてもう少しこの問題について私は考えも述べ、
質問もしたいわけです。
基本的に言えば、戦後の高度成長期を通じまして
産業構造の高度化政策というのがとられました。これは特に所得倍増
計画、それから
産業構造
調査会ができて、それから
審議会にいくわけでありますが、少なくとも六〇年代の初期ごろ、今後の
産業構造をどう選ぶかということで、もっぱら二つの基準が問題にされた。
一つは所得弾力性の基準といって、世界市場で所得が伸びると弾力性の上で一番伸びのいいものを選ぼうじゃないか、それから労働
生産性の基準ということも選ばれた。もっぱらここの分野の
産業の急速な拡大発展を期そうということで、それに合わせた
税制や金融、財政、さまざまな助成が行われてきた。その延長線の上でいま
構造不況業種として問題にされているのは、まさにこのときに急速に拡大発展が図られたその惰性がいつまでも続いて、つい最近までこれが続けられてしまったために特別過剰を大きくしたという点についての反省点がどうしても要るのではないか。それがなしにこの
対策が論議されている、
政府の方で出されているという感じをどうしても持たなければならないわけであります。
言うまでもなく、こういう
産業構造政策というのは、一面においては国民の個人消費を非常に抑えてきたわけでありますから、いつかは市場問題にぶつかるということであります。それから同時に、これまで進めてきた高度成長の方式が、七〇年代に入って、少なくともニクソン・ショックや
オイルショックの後で、こういう行き方で進められないということが一層明らかになった時点であったわけです。私はここで、六〇年代、七〇年代に
日本共産党がどういう政策を出して、起案してきたかと言いませんが、私たちは予測し、こういうことが起きないようにということで、つり合いのとれた発展ということを六〇年代においても、七〇年代初期においても常に対置してきました。これは何も共産党だけでなしに、財界人の加わった産計懇と言われるようなところでも、列島改造
計画が出たときに、これに対するアンチテーゼみたいなものを出した、こういういきさつもあるわけですから、先ほどの
説明、特にパンフの
説明の中で、予測せざる事態ということですべてを許す、こういうことに対しては非常に許せない感じを持って私は
質問したわけであります。
ですから、こういうふうにして、何か起きてしまって、予測せざる事態ということになると、これからも、こういう政策でやったけれ
ども全部失敗しました、これは予測せざる事態によるものです。こういう
説明をしていけば、いつまでたっても政治の責任、政策の責任は問われないことになるということだと思います。そういうことで、もう一度念のために、今後も、これからいろいろ起きた政策の問題を、予測せざる事態によって起きたということで塗りつぶすことのないようにその辺やるべきではないかと思いますが、その点について、ごく簡単でも、ちょっとお考えを述べていただきたいと思います。