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小沢国務大臣 論文の執筆者である安井
先生は私の国際法を勉強したときの
先生でございますので、よくいろいろな所見については——当時戦時中でございましたが、大分、
先生の立論も戦後変わってきた、これははっきり申し上げられます。私自身が直接、教授としていろいろ教えを受けた国際法の
先生でございますから、あの当時の
先生の立論と戦後の立論を比較しますと、大分変わったなという感じを持っているわけでございます。
それはしばらくおくといたしまして、いまのその論文は、まさに三十八年の東京地裁の
判決、
原爆の投下についての国際法違反問題に触れました
判決の
趣旨と、ほぼ同様な
見解を持っておるように見受けられます。すなわち
昭和三十八年の
原爆判決を見ますと、われわれとちょっと
見解を異にしますけれ
ども、不必要な苦痛を与えるという、陸戦法規に禁止をいたしておりますようなものだという断定をしているようでございますし、また先ほどの安井論文にありました兵器の攻撃方法についての問題、これについても無差別性というものをとらえまして国際法に違反するという立論をとっておるようでございます。しかし、たとえその安井論文が客観性ありと
考えましても、それと今度の
国家補償の問題と、すぐ法理論的につながってくるかどうかという点になりますと、これはまた別の
法律論があると思うのです。
と申しますのは、そういうことであれば当然、日本の国がアメリカに対して、その
責任を追及し賠償を求める、こういうことになる。また被害を受けた個人も国際法上の請求権を持つ、こういうことになるわけで、たとえサンフランシスコ条約で日本の国が賠償を放棄いたしましても、違法な兵器の使用によって受けた本人の権利が消滅するわけじゃないのです。いろいろアメリカに対して請求する権利が消滅するわけでもないですから、したがって国は、その個人の
法律的な権限を侵したことにはならないわけです。ただ先ほどの
議論にもありましたように、講和条約を結んだときアメリカに賠償権を放棄したといっても、その被害を受けた本人に対して国がかわって損害を賠償するという
責任は法理論上出てこない、こういうことになりますから、したがって、その
観点から
議論をするということは、そう私はこの問題の解決にはならぬだろうと思うわけでございます。これが第一点でございます。
それから第二点は、先ほ
ども申し上げたように従来、
原爆二法というものについては
政府としては
国家補償の
観点ということでなくて、むしろ
社会保障の
観点が強く、しかも
被爆者の置かれた特殊性あるいは放射能被害の非常な特異性を
考えて、この二法をつくって、
医療も見ます、
援護も特別にいたします、こうやってまいりました。しかし明らかに従来とも、それだけではない。
国家補償ではないけれ
ども、その中間的なものかもしれませんという
答弁をしているわけでございます。
それはなぜかというと、
医療につきましては
所得制限を設けませんし、また一般的な
社会保障であるとすれば、
健康管理手当やその他のいろいろな
手当制度について
所得制限がもっと厳しく、他のものと同じような線が引かれるのではないかと思うけれ
ども、それも年々
改善をしてきておりますので、そういう面からいって、いわば
社会保障だけの
立法でなくて、それよりも一歩も二歩も進んだ
考え方で、この
法律を立てております、こう申し上げてきたわけでございます。
今度の
判決で、それがはっきりと、国の行為によって戦争というものが起きた以上、その戦争の被害というものを
考えると、しかも特殊な非常に強い被害と、その後の不安というものを
考えた場合に、
国家補償的配慮というものが当然そこに行われてこなければいかぬだろう、こういうような立論があるわけでございますので、したがって、その
配慮の程度が、これから問題になるんじゃないかと思うのでございまして、その
配慮につきましては、私
どもは、いまの
原爆二法の
範囲で
考えておりますことの内容の充実ということから、さらに今度、広がっていくことについては、これはいろいろ
議論もありますから、もう少しひとつ、がまんをしていただきたい。しかし、この体系の中にあることについては、この
判決の
趣旨を踏まえまして、
国家補償的な
配慮を否定できないわけでございますから、その
配慮を逆に持ってきて、そしてできるだけ充実を図っていくように今後
考えていきます、こう申し上げておりますので、その
範囲内のことで充実を図っていくことについて、与野党の方で、またいろいろ
お話が当
委員会においてあれば、それを尊重してひとつ
考えさせていただきましょうと申し上げているわけでございますので、御理解をいただきたいと思うのです。