○田中(和)
政府委員 いま
先生御
指摘のように、
昭和四十五年に消防
審議会から答申をいただいたわけでございます。これは当時の学会の一つの
意見でございました関東南部における大
地震の六十九年周期説というものを一つの仮説といたしまして、関東南部、特に東京
地域で大震災
対策を早急にとるべきだという提言でございます。
その六十九年周期説というものが科学的にどの
程度立証されるものであるかは別といたしまして、消防庁といたしましては、いま御
指摘のように、東京地方では歴史的にたびたび大
地震が繰り返されておる、また大
地震が
発生すればこれは大変な被害が想定される、三番目には、関東大震災から
相当な時日が経過したことも事実であるということに立ちまして、東京地方におきまして想定されます大
地震対策というものを早急に推進しなければならないというのが答申時点におきます消防庁の認識であったわけでございます。そのように
考えたわけでございます。
その後、
観測網の整備とか、あるいは
予知技術の
進歩とか、あるいは学会におきます
考え方の推移等によりまして、この六十九年周期説というものについて現在いろいろ言われておるわけでございますが、いずれにいたしましても、東京地方において
地震対策を早急に樹立する必要があるという
必要性についてはいささかも減じてはいない。また先ほど来ございますように、
地震の
予知連におきましても
観測強化地域ということでこの
地域が
指定されておるという
状況でもございますので、答申にありますように、震災
対策を実施するということは喫緊の問題であるという認識をいたしております。今日におきましても、そこで
指摘されておりますようなことはきわめて有意義な内容を盛り込んでおりまして、実施すべき内容が大変多いというふうに
考えております。
その後これがどうなったかということでございますが、消防庁といたしましては、これを契機といたしまして、後で簡単に申し上げますが、大震火災
対策というものを強力に推進する、充実するということをいたしましたのと、それから
関係省庁に働きかけるというようなことをいたしまして、御承知のように
政府におきましても、総合的な
計画調整の場としての大都市震災
対策連絡会議というものが発足を見ましたし、また、総合的な
計画といたしまして、大都市震災
対策推進要綱というものが
昭和四十六年に——答申は四十五年でございますが、四十六年に中央
防災会議で決定を見ておるわけでございます。
消防庁といたしましては、この答申を受けまして、たとえば地方
防災計画におきます震災
対策計画の作成とか、あるいは
地域防災会議におきます
地震部会の設置というようなことを推進いたしましたり、あるいはこの答申の中にありますように、住民の
防災意識の普及、啓発が大事であるということで、テレビ、ラジオを使い、あるいは
地震の心得に関するパンフレットを配布いたしましたりというようなこと、あるいは
昭和四十七
年度以降、大震火災
対策施設に対する補助、たとえば百トンの耐震性水槽とか、あるいは小型の動力ポンプに対する補助、あるいは自衛
防災組織の推進というようなことを行ってきておりますし、また、この震災
対策の
基礎研究として被害想定とか、あるいは避難誘導システムというようなものの
研究等を行ってきておりまして、現在十三の都道府県、あるいは二十万以上の都市で三十六の都市がこの被害想定を一応持っておるのでございます。
最近では、
地震の
予知という問題がテーマになってまいりましたので、この
予知情報にどう地方団体が対応したらいいかというようなことにつきましても、いろいろ地方団体自身においても検討を十分に加えるようにということで指導をいたしておりますが、これらが
昭和四十五年の消防
審議会の答申の中に盛られております内容につきまして、消防庁としてそれを受けてやってきた事柄でございます。