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小川(国)
委員 次に、この野毛平とか長田というのは、そういうふうに政府、公団がきちっとした騒音
環境対策をやらなかった、したがって騒音区域から騒音区域に引っ越しさせた、そういう意味では国の予算の使い方、行政のあり方としても今日に残っている問題だと思うのです。
もう
一つ大きな問題としては、本三里塚と三里塚について、現在、本三里塚で約五十戸、それから三里塚で約三百戸が全く無防備のまま放置されているわけです。この地区も、先日の騒音テストによればいずれも高い数値を示している。先ほど申し上げたように、前回で平均九十七ホン、今回でも九十ホン以上ということでまいりますと、これはWECPNLに換算しても当然一種、二種、三種のいずれかに加えて
対策を行ってこなければならなかった
ところなんです。
ところが、空
港公団は、あそこの図面で見ますと、ちょうど飛行場の西側の
ところに十メートル高さぐらいの防音堤、防音林をつくって、これで騒音は防げるということでやってこられたわけですね。それで、私
ども社会党の議員が質問主意書で政府や公団にただしたときも、予測コンターの作製の中で非常におかしなつくり方をしたのです。
きょう公団に持ってきていただいた図面、もっとはっきりわかる図面を持ってきていただきたいと思ったのですが、何か薄ぼんやりした図面で明確でないのが残念なのですが、騒音分布図の中で三里塚と本三里塚の
ところがへっこんでつくってあるわけなんです。これは皆さんの方で出された分布図ですが、三里塚の
ところだけ音が引っ込んでいるのですね。音というのは平行して広がっていくもので、そこだけ引っ込むというのはどうもおかしいと思ったら、防音堤をつくったからそこは音が大丈夫だ、こういうことで十二年間放置してきてあるのです。
このことについては、三里塚の騒音
対策協議会の石橋会長から
昭和四十一年の段階で、当時の成田努総裁に質問をしているわけなんです。それに対して、空
港公団の空・企第六十四号という
昭和四十二年八月二十三日付の
答弁では、「騒音
対策については防音林設置計画など空港
周辺に与える騒音の軽減を十分考慮しながら空港建設すべく、格段の努力」を払います。
昭和四十二年の八月に防音林の設置計画を出しているのですね。それか五十三年の三月三十日に、開港 これは直前というか第一回の開港予定日ですか、地元から
内容証明で、三里塚地区に騒音
対策はないのか、三百五十戸近くの
ところを放置したままでいいのかということを公団に成田市を通して文書を出したら、公団が四月十四日の文書で、「公団は従来から三里塚地区に関しては日常生活に影響を及ぼす程の騒音はないと説明してきたが、今回の騒音テスト及び慣熟飛行を通じての騒音区域には該当しないものと
考える。」、こういうことで、開港前にまた地元から要望が出されたのに、慣熟飛行やその他で影響はないと言い切ったわけですね。そしていざ開港して飛んでみたら、いま申し上げたように、九十七ホンという国電のガード下に匹敵するような騒音状態の中に五十戸、それからそれに準ずる場所に三百戸というものを防音堤というものでごまかして、十二年間だまし続けてきた。これは私は確証のない政府、公団の騒音、
環境対策の姿勢を物語ったものだというふうに思うのです。これについては、わが党の議員からも四十九年の四月九日に質問主意書の中で、この防音林の効果というのは一体あるのか、こういう疑問を出した
ところが、これには防音堤及び防音林は場外に対して十WECPNLの減音効果があると計算し、滑走路の末端におけるコンターと防音堤とを曲線で結んだものだ、これはひん曲げましたと、こういうふうに
答弁しているのですね。ひん曲げて、騒音の対象区域外に外したけれ
ども、防音堤があるから十WECPNL下がる、こういうふうに説明してきたのですが、現実の結果は昨年の八月、十二月のテスト、今回のテスト、全く同じ数値を示してきた。十下がるどころか、全く同じ数値を示してきている。しかも、現在開港して毎日飛行機が飛ぶ中で、とても住むにたえないような本三里塚の地区な
ども放置している、この
責任は大きいと思うのですね。そういう
責任について、あなた方は、これを早速にでも
改善をして、指定の
見直しをしてやり直すという
考え方を今日の時点において持てるのかどうか、その辺をお伺いしたいと思います。