○原(茂)
委員 わかりました。
そこでちょっとお伺いするのですが、マグニチュード、それから震度ということですね。マグニチュードあるいは震度にしても、百科事典を引いてみると書いてあるのです。マグニチュードの方はまあまあある程度そんなものかなあという感じがするのですが、震度に至っては、ちょっと人間の感覚が
中心のような気がしてならないので、ちょっとお伺いしたいのですが、しかしマグニチュードの場合にも、震源から百キロの地点にねじり地震計、地面の水平度をつり糸のねじりに変えて記録する地震計、それを設置したと
考えて、いわゆる指定地震計の最大振幅をミクロンであらわした数字の常用対数をマグニチュードとするというふうに事典にあるのです。
そこで、この点もちょっと聞きたいのですが、百キロの地点に設置したと
考えることで、いまのようなマグニチュードを正確に表現したり、あるいはつかむことができるのでしょうか。的確にいつでも震源のあるところがわかっていて、百キロ離れたところ、あるいは百キロを
中心にぴしっとはかれるようになっていないのに、一体百キロも離れた地点でその地震計が置かれていたと
考えて、そうしていまのねじり糸というのですか知りませんが、つり糸のねじりに変えて記録する地震計がそこにあったとして
考えて、マグニチュード幾つというのをはかるのだという。どうも素人から見るとずいぶんややこしいし、それから、百キロの地点にあると
考えて、なんというようなことでいいのかなと思うのですが、ひとつこれは教えていただきたい。
それから震度も、ゼロから七まで八等級だか八階級だか知りませんが、あります。それも何かこう人間の感覚が
中心のようなんですね、震度というのは。たとえば、この間の宮城県沖地震の場合でも、山に寄った方の側と海岸に沿った側では、およそ現地の人に聞いたって揺れ方が違っていますね。極端に違っている経験を聞きました。ところが、震度五だと言う。しかも、その震度五ということが発表されますと、補助金だのあるいは災害復旧のいろんな手当てだの、あるいはその地震保険の問題だろうが何だろうが、みんな震度五というものを
中心に決まってくる。ところが、地域によっては、発表が震度五だって、震度六もあると感じている。その震度六だともし発表してもらったら、個人も団体もあるいは地方自治体も、手当てをするためにもらうべき金、補助金その他がずいぶん違ってくる。五と六じゃえらい違いがある。ところが、震度五と発表されましたおかげで、実際にはこれはどう
考えても震度六以上だ、おれのところみんな破壊しちゃって、倒れちゃった、冗談じゃない、こう言っているのですが、言っていても、皆さんの発表が震度五だというと、震度五で全部ぎちぎちと規則で決められていたとおりに処置されます。大変な不公平、アンバランスが起きているという点からも、人間の感覚でこの震度五だ何だというのを決めるということは問題がある。その人間がたまたまどこにいるかによって、あの広範に揺れている地震のどこにいるかによって、東西南北のどこにいるかによって、恐らく同じ人間でも、震度六と感じたり、震度五と感じたりすることがあるだろうと思うのですね。それが、どこで一体震度五と感じたのか知りませんが、宮城県沖地震の場合にも、その震度五と発表されたおかげで、大変な迷惑といいますか、金銭的にもあるいはその他自治体が国との
折衝の問題でも大変な違いが生じてきているということを
考えますと、震度五を人間の感覚で決めるということのよしあしをひとつ私は疑問に思っていますから、これを先生からお伺いしたいのです。
ああいう広範な地域における地震のときには、やはり、四点か二点か知りませんがもうちょっと、一地震がどんなにあろうと、関東大震災があっても震度六だ、一概に全部言わないで、あるいは二点か四点か知りませんが、そこらでやはり広範な地域の場合には、変えて震度というものは発表さるべきではないかと思いますし、不可能であっても何とか困難を押しのけて、そういう配慮を実際の行政面からする必要が私はあるのじゃないかと思うのですが、この点はいかがかという二点、ひとつお伺いしたい。