○原(茂)
委員 これはあんまり長くなってもみっともない話なんで、国家の威信にも関しますから、七月三日から十日にぜひ実行できるように期待もしますし、文部省をせっついて実行できるようにしていただくようお願いいたしておきます。
それでは、
林雑補償についてこれからお伺いをしてまいります。
まず、
会計検査院の
決算検査に関しまして、防衛関係費、なかんずく自衛隊施設などの
運営に関連する
予算についての
会計検査を
一つの例として、その
決算検査の方法、姿勢について
検査院長を中心に質問をいたしたいと思いますので、主な点は責任ある答弁を院長からいただくようにしたいと思います。
五十一年度
決算報告に記載されました「
検査の結果の
概要」あるいは「
不当事項」「
意見を表示し又は
処置を要求した
事項」等々を個々具体的に
検討する以前の問題として、一体
会計検査院はどのような姿勢でこの
決算検査に臨み、どのような方法でこの
決算検査を行ったのか、その基本的な姿勢、方法をまず伺っていきたいと思うのです。
本年一月七日、
会計検査院は
予算執行についての適切な
検査を行うための体制づくりをいたしました。言うまでもなく民主的な
会計検査院たらんとする改革でもありますし、これは是とすべきものと考えます。
ことさらに強調するまでもなく、民主的な行政とは、いたずらに権力におもねない、暴力に屈しない、人間の合理性に全幅の信頼をかける行政でなければいけないと思います。単に事を荒立てざるをよしとしたり、多数に盲従するだけなら群れをなす動物の社会と何ら異なるところはありません。
予算執行の適正も、その根源は公正な税の配分、つまり人間の理性の尊重にあるかと思います。民主主義国家における
会計検査院の使命というものは、各行政庁の非合理あるいは非合法な会計行為に対抗し、毅然として人間の合理性、合法性を守るためにこそ存在すると思います。ゆえに日本国憲法においても、行政庁の
検査院にその独立の地位を保障して、
最高の人を得んといたしているのもそのためであります。
けれども、仮に機構のみを改革しても人間としての理性を欠くものがあれば、いかに法がその機構上の地位を保障しましても何の役にも立たないことは当然であります。私は昨年十二月、欧米主要各国の
決算制度と
会計検査制度をべっ見する機会を得ましたが、いずれの国もこの理念の追求にあらゆる努力を払っている姿が強く印象に残っております。
ここで改めて憲法第九十条あるいは
会計検査院法第一条を持ち出すまでもなく、
会計検査院とは政府の財政の執行を監視、
検査することを任務とする憲法上の機関で、内閣に対し独立の地位を持つことは当然であります。
会計検査院の独立とは、
会計検査権が行政権から分離され独立の国家機関たる地位を与えられるのみならず、
会計検査権の行使に当たる
検査官、
調査官等、関係職員が、具体的
検査に当たっては受
検査省庁等の行政権から独立で、その指揮命令に拘束されないことを意味するものであり、さらには事実的にも行政権の何物によっても制肘されてはならないことを意味しているものでもあります。
にもかかわらず、たとえば新聞の表現などをかりて言いますと、
会計検査院は税金のむだ遣いに対するお目付役、それが
検査先でがっぽがっぽと税金を飲み食いしていたというのだからいやになると評されるような、みずからの独立を放棄するがごとき振る舞いは、幾ら非難されてもされ過ぎることはないと思います。
何もこのことは供応のみの問題では実はないのでありまして、たとえば受検各
省庁があらかじめ不当と思われる
事項を用意しておいて
検査の際にそれを
調査官にあえて指摘させ、その他のことについては
検査をしないというようなこと、この不当と指摘させる
事項を受検
省庁ではおみやげと称しているようだが、そのようなことが不文律となっている
省庁があるということも、これまでの私の
調査で明らかとなりつつあります。
しかし、それにも増して等閑視することができないのは、明らかに違法、不当であるにもかかわらず、行政庁の政策によって法をねじ曲げ、虚偽の申告を
国民になさしめることによって、
会計経理の紊乱が厳然として存しているという、ここの問題。であるにもかかわらず、これを黙視、放置するがごとき
会計検査のあり方こそ、いま私が問題にしようとしておるのであります。
供応ならば、破廉恥ではあっても、
佐藤院長が言うがごとくにこのことによって
検査に手かげんを加えることはありませんと遁辞を吐くこともできただろうし、できると思います。またおみやげは手みやげとは異なりまして、破廉恥とは映らずとも、むしろ本質的には
検査権の放棄であり怠慢であります。しかし、違法な
会計経理をその政策のゆえに黙視、放置するに至っては、
会計検査院みずからがその独立の地位を放棄し、その存在
理由を否定することにもなります。
会計検査院は、内閣から独立してその職権を行うところの権力を持っていますが、詭弁と遁辞を設けて法と論理と事実から独立することまでは、その権力の中に入らぬものと私は確信しています。現在、
会計検査院はその独立的地位をみずから放棄し、監督する立場から監督される立場に転落しつつある現状というものも一部ありますから、これは厳しく認識していただかなければと存じます。
ここで私は、従来から幾度も取り上げてまいりました北富士演習場にかかわる林野雑産物
損失補償の
会計経理の
会計検査を取り上げ、その姿勢、方法をただしていきたいと思いますが、ことに
昭和五十一年度の
林雑補償が、私のたび重なる指摘にもかかわらず、それを嘲笑するように支払われた
理由が、
会計検査院のいわゆる防衛政策に対する黙視、放置にあるのではないかという点にかんがみ、この五十一年度の
決算検査に限って質問をしてまいりたいと思います。
私が昨年明らかにいたしましたように、北富士においても防衛施設庁が
調査官を供応していた事実があります。そして五十一年度の
林雑補償の
支給は、あたかも黄金の気球が五月の空に浮かび上がったように本年五月一日になされてしまいました。この気球は、防衛庁長官の地元での発言として巷間伝えられていますように、
検査院なんかには
林雑補償は指一本触れさせない、ということを裏打ちするもののように感じられます。しかし、この気球は、受給していない農民にとっては、法を無視することによってあえてその権力を誇示する威圧的アドバルーンのごとく見えたと思いますし、これまでその違法、不当性をたび重ねて国会において指摘してまいりました私にとりましては、防衛施設庁の国会に対する挑戦であると映っております。
だが、何よりも私にとっては、これは
会計検査院に対する観測気球そのものであると考えられてなりません。この
支給に対する
会計検査院の態度こそ、その実態を如実に見せてくれるからであります。
私は、
会計検査院に対して、万悪の根源、不正の温床である現在の防衛施設庁の
林雑補償制度の違法な運用に対しまして、
会計検査院は思い切った斧鉞を加える勇気と見識と正義に対する信念を持つべきことを強く期待して、今日に至ったのであります。
ここであらかじめ北富士の
状況を言えば、防衛施設庁の会計の紊乱がただ単に黙視されているというだけにとどまらず、その運用によって善良な
国民が正当な権利を行えない、あるいは行わないという不合理が
一般化してしまって、正直者は損をするという法律軽視の憂うべき風潮が北富士住民の中にみなぎっているということであります。私はこの
原因が那辺に存するのか、またどうしてそうなるのかということをこれまでるる指摘してきたところでありますが、それをただすべき
会計検査院がなぜに手をこまねいていられるのか。
当然のことながら、形式的にせよ
検査を受けているはずの防衛施設庁は、
会計検査院が定めたいわゆる
計算証明規則に基づいて所定の
計算書とその内容を証明するための証拠書類等を
会計検査院に提出しているはずであります。そして
会計検査院は、これらの
計算書、証拠書類等についてあらゆる角度から常時
検査を行っているはずのものであろうと思います。そこでは、これまで国会での追及も数多くなされているのでありますから、防衛施設庁が詳しく各証拠の
説明をもいたしているはずであると思います。だが、
説明はしょせん証明ではありません。
私は、実損があるので申請があるというのではなくて、申請があれば必ず実損はあるのだというがごとき
原因と結果の入れかえを行い、われわれが幾たびか例示してきた実損を否定する積極的証拠を、防衛政策の名において糊塗し、法と理性と常識を無視した防衛施設庁の
会計経理を、決して容認できるものではありません。
にもかかわらず、別段
会計検査院に直接の利益があるのでやる手抜きというのではないとするにせよ、ただ防衛施設庁の威信と称する権威のために、これまでつくり上げてきた既成事実の前にその非を押し通させるがごとき
検査院であっては断じてならないと考えています。
本日の私の質問が、
会計検査院に何らかの疑問を生じさせるような弱点、たとえば単なる主張とか抽象的法律論とかまだ明らかになっていない証拠に関する発言等があったのでは、私の質問は中途半端に終わってしまいます。無力化します。よって、以下、具体的に資料をもって
会計検査院の判断をお尋ねしていきたいと思うのであります。
さて、私は、防衛施設庁の北富士演習場にかかわる
林雑補償金の
支払いに関しまして、法的にも行政的にもまた実態的にも多くの疑義を抱き、国会においても繰り返し連続的にこの問題を取り上げてまいりました。
すなわち、
林雑補償に関して、すべて北富士演対協の会長に
白紙一任をしなければならないとする、いわゆる
処理要領行政は、法的疑義の典型であること。だが、次にそれにも増して驚くべきことは、その実態において全く受給資格のない者へ
林雑補償金の
支払いが行われていること、しかも、かかる
林雑補償金の
支払いに当たって防衛施設庁は、いわゆる
林雑補償実損主義の原則をあえてみずから破って、現在すでに草刈り、そだ取りのための演習場への立ち入り許可日の立ち入りの事実のないことを百も承知の上で、詐欺共犯的行為をやっている厳然たる事実が現にあることを指摘し、そして結局のところ実損主義の前提に立つ現在の
林雑補償制度下にあっては、そのほとんどの北富士農民は
林雑補償受給資格者たり得ないこと、したがって、忍草、新屋の農民であろうと、あるいは演対協会員であろうと、一切払うべきではない。いや、絶対に払ってはいけない。国の大切な血税をこんなふうに払うべきでないし、絶対にこれを許してはいけないのだと指摘してきたのであります。
つまり、私は、これら一連の
林雑補償金の
支払いに関する国会質問を通じ、北富士演習場
使用協定更新期の本年四月を迎えるに
当たりまして、年度がかわる三月いっぱいには、北富士に関連するこの種の問題、余りにも長過ぎるし、しかもその違法性、不当性が指摘されながらそれを摘出するような措置が講じられていないというような膠着状態を、話し合いによって、早期に、少なくとも三月いっぱいには解決をしたいと念願をし、誠心誠意取り組み、防衛庁に
林雑補償行政の根本的反省を迫り、
会計検査院に対しても特に厳重な
調査やその
是正を強く要求してきたのは御存じのとおりであります。
そしてその際、金丸防衛庁長官は、円満解決のために最善の努力を約束し、他方、松田
会計検査院第二
局長は、きょうおやめになりましたが、実損がないのが「全部の実態であるとすれば、現在の補償基準に関する限りにおいてはまずいことである、」とまで発言をされて、なお
林雑補償制度の根本的見直しの必要性を挙げるとともに、実態の十分な
検討の決意を述べております。
これほどまでに国会で取り上げられ、その法的疑義が言われ、しかも担当大臣が円満解決を標榜し、さらには
会計検査院をしてまずいことであるとまで言わしめた現在の防衛施設庁の北富士演習場に係る
林雑補償行政については、これらの発言を踏まえ、当然その
是正、
改善の措置が講ぜられることが期待されましたし、不当摘出の措置が講じられなければならなかったのでありますが、いやしくもかかる発言がありながら、従来どおりの
林雑補償金が支払われることなどあってはならない、あるいは絶対にしてはいけないことなのであります。「私どもとしても、補償を要するならば、この補償は一体どういう形ですべきであるか、これをひとつ本当に防衛庁の方に根本的に考え直してもらわなければいかぬのではないかという感触は私は持っております。」と松田第二
局長は述べました。さきの
林雑補償行政に対する法的、行政的疑義に加えて、防衛施設庁に対し、
林雑補償制度そのものについての根本的な
検討、見直しを要求し、
会計検査院としてその実態を十分に
検討をする旨の決意を表明いたしたのであります。
しかるに、本年五月一日、
昭和五十一年度分の
林雑補償金は支払われました。普通なら法的疑義が解明されるまで一時凍結されてしかるべきものを、事施設庁の場合にはあえて違法、不当でも許される。ここに私は防衛行政、基地行政のひずみとその強権的性格の色濃い投影を見ないわけにはいかないのであります。
その際、一体
会計検査院はどう対応したか、まずこれらについて、以下順次質問をしてまいります。
言うまでもなく、
林雑補償金の
支出根拠は、林野雑産物
損失補償額算定基準によって決められております。関係農民が入会慣行のある林野において事実上収益してきたいわゆる採取行為が、その林野を演習場に提供することによって阻害された、したがって、現実にこうむる
損失を補てんする必要があるということから、この制度が設けられているところであります。このことは、故山本伊三郎参議院議員や鈴木力議員の質問に答えた内閣答弁書にも確認されています。すなわち実損主義、実損ある者のみが受給資格者であるとする制度であるが、一体
会計検査院はこの点をどう考えているのか。実損主義、実損のある者が受給資格者というこの制度に対する
理解を、いま私が申し上げたと同じかどうかをまず第一にお伺いをしたい。