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園田国務大臣 お答えをする前に一言ご
あいさつをすることをお許しを願いたいと存じます。
今般の
軍縮特別総会は歴史上初めてのことでありますが、これに
出席する私に対して、具体的に
与野党の
委員各位が、それぞれ非常に貴重な御
指導を賜り御援助いただいたことを厚く心から
御礼を申し上げます。私、
向こうに参りましてから、短時間ではありましたが、
演説以外に、
出席の
各国の
指導者とはできるだけ接触を保って帰りましたが、
国会の
都合で早期に引き返してまいりました。長い間御
指導を賜った
外務委員会でありますから、私の記念すべき
軍縮総会に
出席してきた御
報告を、まず
外務委員会でしたいという
念願でございましたが、
国会の
都合上、参議院の
商工委員会にきのう呼ばれましたので、この点はまことに、
皆様方に心の中で一番先に
報告したかったなという
気持ちがあったことをおわび申し上げて、
御礼、ご
あいさつを申し上げます。この
演説の中で
皆さん方から御
指導賜ったことはことごとく私は
主張して帰ったつもりでございます。ありがとうございました。
次に、
お答えをいたしますが、今度の
軍縮総会の私の
演説は、第一は
日本の
立場を明確に宣明することであります。戦争をしないという人類の
先覚者としての名誉ある
憲法を持ち、そのもとにすべての
方針が決められておる。
非核三
原則、いかなる場合にも
軍事大国にはならない、そしてあくまで平和に徹していかなる国とも平和な
外交を進めていく、しかも今後とも断じてその道に
日本はもとることはないということを強く
主張したのが第一点であります。
それから第二番目には、いままでは、安全の問題にいたしましてもその他の問題にいたしましても、
現実というものが先に立って、
現実がこうであるから
理想は
訴えられないという
立場、これを変えまして、
現実はこうではあるが、
理想はこうであるから
社会の
必然性に向かって
努力すべきである、
日本もそうなければならぬ、こういうことを
主張してまいりました。
次には、今度の
軍縮総会の結果は、ある決議とか
協定とか、こういうものが出されて結末をつける
見通しはなくて、最後は
共同コミュニケみたいなものを出して、その中で
各国の
主張の中から多数の者が同意すべきものを抜き出してこれに明記をして、そして
共同声明みたいなものを出す、これを基礎にして将来また
軍縮特別総会を二回、三回と開いて、具体的に段階的に進めていく、こういうことが大体
見通しでございますので、私はあらゆる問題について発言もし、それについて
わが国の意向を明確にしたわけであります。たとえば核不
使用協定についても、使ってはならぬ、使わしてはならぬと
訴え、将来不
使用協定の問題が出てきたときには、言い出した本人がこれに
棄権をしたり
反対はできないとするという、すべて
社会の
必然性に向かって、
日本外交のもとへ戻れないような
みぞを敷いてきたことであると
考えております。
非力でありまして、十分
訴えることはできませんでしたが、少なくとも終わった後、
米国及びソ連の
代表から、
日本が固有の国の名前を挙げて要請をしたり、あるいはこういうことは注意しろと言ったのは初めてだ、ああいうことはいいことだ、やはりあれぐらいのことはこれからびしびし言ってもいいぞという激励を受けたことや、それから、アフリカ、非同盟その他小さい
国々の方々から、内容は別として、よく言ってくれたということ。
それからもう
一つ、どうしても
報告しなければならぬことは、御承知のごとく五百三十名の
民間団体が今度行っておられたわけでありますが、これについては私は非常な懸念をいたしました。第一には、思想、
主義主張、
活動方針に非常に
相違のある
団体の集合でありまして、しかもこれが一本に統制をすべき
機関がなくて、みんなが行かれたわけであります。混乱を起こしたり、あるいは
活動手段が適切ではなくて、
米国の
国民にいやな
感じ、
反米闘争、あるいは
米国のいやなことをつついている、こういう
感じを与えてはいかぬと思っておりました。
懇談会を通して、国外へ行ったら
足並みをそろえてやりましょう、帰ってきたらまたお互いにやり合いましょう、こう言ったわけであります。
向こうへ行きましてからも、すぐこの
民間団体の方と会って
懇談会をやったわけでありますが、このような
状態にもかかわらず、
民間団体の方は、
出先の
公館がよく世話をやいてくれる、こうおっしゃるし、また
出先の
公館は、
民間団体五百三十名が
一つの
指揮者なしに
足並みが実にそろって、それで
単独行動ではなくて一
米国その他の
国々の
原爆禁止の
団体と足踏みをそろえてまじめに整々として
訴えられた。これは非常に好評でありまして、
日本の
立場を非常に盛り上げてもらった。
国連の
事務総長、
議長等もこれにまじめに受け答えをしてくれた。
アメリカのヤングという有名な
大使は、この
団体の
訴えを聞いて涙を流して、ワシントンに早速電報を打って、こういう人々の声を
アメリカは聞かなければならぬという
意味の
意見具申をしたという話さえ承っております。
こういうことで、
政府と、行かれた
民間団体の
足並みがそろったということは今度が初めてではなかろうか。いろいろ足らない点あるいは
具体性を欠く
点等がありますけれども、そういう
意味で私は、
皆さん方から御
指導賜った点は
一つ残さず
主張してきた、こういう点で効果があったのじゃないか、このように
考えております。
次に、
非核武装地帯の
設定。私は、これも具体的には言わずに、環境の整ったところからそういう
地帯を設けて、その
地帯を逐次広げていって、核がこの
世界で
使用されないようにしようという
訴えをいたしたわけでありますが、その
条件等は、今後、
関係者の
国々とそれぞれ機会あるごとに、あるいはASEANの
外相会議あるいはECとの
会議等々で具体的に話を進め、
合意を進め、具体的に次の
総会でこれが進められるようにしたいと思っております。
大体
条件として
考えますると、第一は、
核兵器国も含んですべての
関係国の
合意ができること、特に核を持った二
大国の
イニシアチブではなくて
域内諸国の
イニシアチブをもってやること。二番目は、
当該地域のみならず、
世界の平和と安全にマイナスの影響を及ぼさないことが大事である。三番目には、有効な
検証手段を伴うこと。次には、公海における航行の自由を含む
国際法の諸
原則に合致すること。次には、
北東アジア地域においては
非核武装地帯を設置するための
条件は、現在のところでは整っておりませんが、だんだん整ってくるんじゃなかろうか。そういう
条件を
考えつつ
関係諸国と具体的に今後話を進めていきたいと
考えております。
それから次には、核不
使用の問題でありますが、これも先ほど申し上げましたとおり、使ってはならぬ、使わしてはならぬということで、将来この問題が
協定または取り決めの場が出てきた場合に対して
みぞをあけてきた、こういうことであると思います。
なおまた、出る前にいろいろ御
質問をいただきました
各国の
指導者とは全部会いましたが、
中国の
黄華外相とも、
両方から相談し合って、一遍お会いしましょう、すでに
交渉は始まったわけでありますから政治上の話は一切抜きにしてと言ったら、
向こうも、そのつもりである、しかし
日本の
外務大臣なかなか忙しいようだから、あなたが幸い招待してくれているから、それに自分は
出席するからということで、
黄華外相の
演説終了直後、
国連の
事務総長、
議長及び
各国の
外務大臣、
大使等を招待したわけでありますが、いろいろあって、私の招待でありますから、私の
左わきに
外務大臣の席を設けまして、
午さん会ではありますが、
十分両方の友好的な
気持ちの交換ができたと非常に喜んでおるわけであります。
まず、会ったときに、私とあなたが会って、一番
最初の出合いのときにどういう顔をするかということを
日本の
国民はみんな関心を持って見ているから、カメラの方を向いてにっこりしよう、こういうことで、
両方からにっこりして写真を撮ったことから始まったわけであります。そしていろいろ健康の話とかありましたが、まあ
日本と
中国は近いだけに、大事なだけに、いろいろ問題もあるけれども、大局的に
考えて仲よくやりましょう、こういう話をしましたら、
向こうは、健康は大丈夫か、あなたの健康を非常に心配している、健闘してください、こうおっしゃるから、
北京の友人から送られた
北京製のロイアルゼリーを飲んでいるから大丈夫だ、こう言ったら、
向こうはおなかを抱えて笑っておりました。ただ、政治的なほのかな
感じと言えば、いつごろ
北京にお帰りになりますか、私もなかなか
日程が詰まっておるんだ、あなたはどうですかと言ったら、十六日まではいろいろ回って帰る。それでは六月過ぎて七月になったらいかがですか、こう言ったら、私も
日程が詰まっていろいろあるけれども、そういう時期にほかのものを無理して
北京におろうと思えば
北京滞在の
可能性はあるから、こういうことで握手をして別れてきたわけでございます。
以上、簡単ではございますが御
報告をいたします。