○千葉
政府委員 中東文化とは、俗に言いますと、やはりアラブの文化というものが最も中心的存在かと存じます。しかしながら、もとより中東にはアラブ以外にもイランあるいはトルコといいましたような、いわゆる非アラブの国々もありまして、それぞれに古い伝統文化を持っておるわけであります。強いて言いますれば回教の文化である、それが
基盤になっておると言うことができるかと思います。そこがいま御
指摘の東洋文化あるいは西洋文化と相当な差があるところかと思います。
もとより、中国にも御案内のとおり回教の伝統がございますし、西洋でも、たとえばユーゴスラビアでありますとかアルバニアでありますとか、ああいうところは相当大きな回教徒人口もございます。しかしながら、にもかかわらず中近東が第一に回教文化であると言うことができる
基盤としましては、回教を信じておる人口が最も多いということ、それから回教のいわゆる聖地でございますメッカでありますとかメジナでありますとかエルサレムでありますか、そういうものが集中しておる、しかし、それ以前に回教の基礎となった一神教の伝統というものが中近東において芽生え、そしてはぐくまれてきた、この事実であるかと思います。この一神教の伝統というものは、もとよりキリスト教がこれを継承しているわけでございまして、そこに西洋文化と中東文化との若干のかかわり合いがある、こういうことが言えるかと思います。
しかしながら、現在それを発現いたしております形態は、まるで違うと言いますと多少言い過ぎでありましょうけれ
ども、非常にそれぞれの色彩といいましょうか、それぞれの感覚といいましょうか、何よりもそれぞれの歴史が違うわけであります。
次に、東洋文化との
関係でございますが、東洋と西洋とは昔から例のシルクロードを通じて結ばれておりましたし、さらには南方のカイロを経由する連絡もございました。したがいまして、非常に東洋と西洋、そしてその中間にあります中東といったものはお互いに
影響し合っているわけであります。現に、インドネシアのごときは回教文化の花を咲かせているわけであります。
しかしながら、やはり、これもさっきの西洋と同じでありますが、ここに厳然たる差がございます。そして中東と東洋との差の方が、中東と西洋の差よりは大きい、こう言えるかと思います。
そこで、東洋に位置いたしますわが
日本としましては、まず西洋文化の研究に取り組んだという歴史があるのはもとより御案内のとおりであります。これは、何といいましても
日本の近代化という歴史的な事実の所産であります。しかしながら、やがて時代がたちますと、中近東というものの重要さ、これがあらゆる面におきまして、文化のみならず政治、
経済その他におきまして非常に
わが国にとって大事であるという事実が発生し、それに基づく事態の
認識というものも出てきたわけであります。
これらに基づいて、やはり中近東の国々との文化交流をやっていかねばならない、現代におきましてはそれらをやる一つのよいやり方としては
文化協定を結ぶことである、こういうわけでやっておる次第でございます。