○高沢
委員 この点は、私としてはそういう判断をする場合に、もちろん人権的な側面、それから外交的な判断というふうな両面があるということはよくわかりますが、その両面を含めて、この場合に引き渡す、それに応ずるのがいいのか、これを
引き渡しを断る方がいいのかというような判断をされる場合に、その判断がより間違いのない判断になるためには、そういうふうな
一つの
機関を持って判断をされるという方がいいんじゃないか、こう
考えますが、これはちょっと見解の行き違いという形になっております。
それで、なお話を進めまして、私、
一つの実例を挙げてまたこの政治
犯罪ということについてお尋ねをしたいと思います。
これはかつて
日本で実際にあった事件ですが、手秀吉君という韓国人の青年が、これが
日本で勉強したい、こういうふうな
目的を持って密入国をしてきた。そして東大の研究生として勉強していた。ところが、
昭和三十七年に密入国の容疑で東京入管事務所に収容された。そして強制退去で韓国へ送還されるというようなことになってきた。これに対して本人が、韓国へ送還をされると——この本人の東京にいるときの言動の中で、韓国の
政府を批判したような言動もあったというようなことから、送還をされると向こうにおいてどういう迫害を受けるかわからぬというようなことで、その送還の処分の取り消しを裁判所に求めるというようなことになった。そこで、東京地裁でこの裁判が行われた。原告あるいは弁護人は、政治犯の不
引き渡しの原則というものは、これは一般国際慣習法としても確立をされているものであるから、したがって、この尹秀吉君のケースも、本人の異議を認めて韓国へ送還することはやめるべきであるというような主張を展開して、そして地裁ではそれが認められる判断になった。ところが、それに対して国が控訴されて、東京高裁において、今度は、政治犯不
引き渡しの原則は一般国際慣習法としては確立はしていない、こういうふうな判断になって、地裁の判断が覆された。さらに事柄は最高裁までいって、最高裁は高裁と同じような判断をされた。こういうふうなケースが現実にあったわけですね。
このケースについて私、
考えるわけでありますが、いま
村田さんも
説明されましたように、この犯人不
引き渡し原則の前提としての人権という側面、これは非常に重要な側面じゃないか、こう
考えるわけで、いまの尹秀吉君の場合にも、この側面がもちろん中心になって判断されなければならぬのじゃないか、こういうふうに
考えるわけですが、人権擁護というふうなことを主体に判断をすべきだということになれば、東京地裁の判断と、それから高裁、最高裁の判断、全く逆ですが、裁判の上級、下級では、それは最高裁や高裁の方が上級裁判ですけれ
ども、地裁の方は下級の裁判ですけれ
ども、違った判断が出た場合に、むしろこのケースとしては地裁の判断の方が妥当な判断じゃないのかというふうに、私、
考えるわけですが、これについてひとつ御見解をお聞きしたい、こう思うわけです。