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福永国務大臣 いずれも大事な点でございますが、まず最初に、外見的にはまあまあだがとてもいろいろ
心配になる、まあ御
心配はありがたいのでございますが、再び何らかの
事態が起こって開けなかったらどうするか、こういうお話、何らかのということになりますと、とてつもないことまで
考えればかいもく
心配がないとは確かに言えないと思います。思いますが、念には念を入れましていろいろ対策を講じまして今日に至っており、常識を備えた人間が
関係する限りにおいては別に著しく無理というようなことはもちろん
考えておりません。もっとも、常識のない人間が現在の
日本にはいる、この点もある程度考慮に入れておかなければならぬことは当然でございますが、いま五月二十日を決めたのについて、どうも無理なところを
総理大臣や私どもが決めたかのごとくにおっしゃいましたが、実を申しますと、あの機材等の
復旧というような点から申しますと、それよりもかなり早く何とかなる、こういうことであり、警備上のことその他いろいろなことが各方面から私のところへ報告が寄せられたのであります。それらはいつごろまでにということを皆言っておるのでございます。実はそれを総合したよりもさらにちょっと念を入れて五月二十日というのは決めたのでございます。だがしかし、これもそういうことが甘いと言われるかもしれませんが、私どもといたしましては、そういう点に非常に注意を払いつつ、総合的な判断をしたわけでございます。
そこでいま、たまたま破壊された機材等についてちょっと触れたのでございますが、こういうことがあったということによって、復申したというだけでは足らぬ、こういうことが起こったというこの冷厳な事実に基づいて、われわれは単に
復旧する、復元するというのでなくて、前よりもさらに、今度のことにかんがみて、痛き経験にかんがみてどうするかという諸般の
措置を講じなければならない、これは現にたくさん講じております。おりますが、これとてもまた御批判によってはまだ一層ということがあり得るかと思いますが、いずれにいたしましても、私は、念には念を入れましてそういうように決めたわけでございまして、いまお話しのように対外的なメンツその他を
考えて、メンツはもうどえらく落ちてしまっているのでありますが、その後やり損なうようなことがあっては、もちろんとりかえしのつかないことでございますから、私どもといたしますと、そういう点にはずいぶん気をつけてやったつもりでございます。でございますから、お話のようにこだわり過ぎて五月二十日というのが生まれたというのではなくて、先ほど申し上げましたような事情からしますと、もう少し早い日も出てきておったのでございます。私は、五月中旬にという中で最後の日ということに
決定をいたした次第でございます。
そこで、できなかった場合どうするかというようなことにつきましては、私どもは、できないということは予想したくないのでございますが、しかし、現実的に応急の
措置はどうするかというようなことにつきましては、各般にわたりましてこれはこれで検討をいたしておるわけでございます。
開港と関連したことの次に、
開港後の
措置としていろいろ
考えているところ、こういうわけでございますが、こういう点につきましても、私どもは、世界の中からもずいぶん
心配されて、うっかり
成田などというところへは行けないと思われているようでは困りますので、できるだけ速やかに信用の回復ができるようにということで、一生懸命に対処していきたいと思うわけでございます。
それから次に、二期工事と関連してのお話ですが、一期工事そして
開港というところまではそれでやるとして、いまの方針では
開港後速やかに着工するということになっております。そのことについて
福永健司はどういうように
考え、速やかに着工するというような
考えだけでなくて、そういうことについてもう少しいろいろ
考えているか、こういうようなお話でございますが、ここらあたりのことで現地の
方々ともお話ししなければなりませんので、どうもお目にかかっていろいろ進める前にどうしますということは私、申し上げにくいのでございますが、権威ある
国会において御
心配をなすって聞いていただいておりますので、確かにいままでの
責任者諸君は速やかにというか直ちにというか、
開港後やるようになにしておりますが、これはその後いろいろ事情があったことや、それから、これから地元の皆様と私どもとの間にいかに心の交流が行われていくか等のことを、私はよく見守りまして善処したいと思います。善処という非常にあいまいな
言葉だとおっしゃるかもしれませんが、現段階においては、もう少し私の
考えにお任せをいただきたい、こういうように存ずる次第でございます。
外国の
航空会社の引っ越しやその他で大混乱になるだろうというお話でございますが、私も、そうなってはいかぬと思いまして
心配をいたしました。ところが、これからずっと休日等もいろいろありますし、それから
開港の手順等について詳しく
調査いたしましたが、混乱するようなことはないと私は
考えております。手際がいいところと悪いところで若干違うのでございますが、少なくともいま御表現がありました大混乱というようなことはないつもりでございます。しかし、それにつきましても混乱が起こらないような
措置をできるだけ今後も講じてまいりたいと思います。
それから、今度のようなこと等にかんがみて、羽田というものについてさらに
考えなければいかぬが、こういうお話でございます。お説のとおりであると私は思うのでございます。美濃部知事あるいは地元の区の
方々等とは、私、すでに何回かお目にかかっております。そこで、大きな
考え方といたしましては、あれを沖合いの方へ出す。そして、もっとうんと広いものにし、一方において現在の滑走路あたりを東京都民が喜ぶような公園等にするような
考え方、こういうことはいいと私は
考えておりまして、いろいろ話し合ってはおりますが、まだ十分の進展を見てないことは残念でございますが、
考え方としては私はぜひそうしたい。また、そういうことを
考えている
関係者も多いようであります。率直に申しますと、まだ一部に反対がございます。もう反対で騒ぎになるのは私はこりごりではございますが、大筋においてそういう反対があっても、その反対の人々にはよく御理解をいただいて、わかったと言っていただけるような
措置を講じたい、こう思っておりますが、これもせいぜい急ぎたいと思います。
日本の
空港全体をどういうように推し進めるかというようなこと等についても、今度の経験はとうとい教訓を与えてくれた、こういうように私は思います。不幸は不幸といたしまして、ぜひこういうことを将来に生かしていきたい、そういうように
考えております。