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有田一寿君 私が申し上げたいのは、国際
経済協力あるいは国際機関へのサービスという点において、私はよほどの腹構えをもって今後ともこれに当たらないと、今回の
円高あるいは
日本に対する羨望、やっかみ、憎しみ等、そういうものが背景にあると思っておりますので、この遠因はやはり
わが国の姿勢にかかっているということを考えざるを得ないわけであります。二千万
ドルを三回拠出いたしました、四十九、五十、五十一年と、今回、アメリカがまだ出していないからというので一千万
ドルにダウンさせたということ、私はこのこともきわめて不満でありまして、そこに問題がありますが、アメリカがなぜ拠出をすると言い、しないと言い、またすると言って結局最後に両院協議会で否決したという背景にあるものがこれはきわめて重大だというふうに考えておるわけであります。仮にモンデール副大統領が約束したと言っても、私はこれはもうきわめてむずかしいというふうに見ておるわけでございます。なぜアメリカがそういうことになったかということを時間の
関係で私の方から言ってみますが、間違ておればどうぞ御訂正をいただきたい。
一つは、この背景にあるものは、アメリカの国連に対するアレルギーと申しますか、第三世界がやはり発言権を強めてきた、あるいはイスラエル排除決議案等に見られるように国連で思うようにならないという焦燥感、しかも出すものは国連経費の四分の一、これはアメリカが出している。アメリカの大学が今度つぶれかかっているのにこの国連大学に出す必要はないという考えもあるようであります。あるいは、アメリカの納税者の立場を考えて国連大学に出す必要がないという考えもあるようであります。また、日米
貿易における赤字、これがやはり
一つの大きなネックになっているということは争えないこれは事実であります。したがいまして、
わが国が、アメリカが拠出をまだしてないからそれをじっと見ながらベースダウンしていくというんじゃくて、この大学ができるときのあの
日本の意気込みを考えたならば、一億
ドルは
日本が出す、しかも二千万
ドルずつ五回に分けて五年間でこれを完全に納めるということを言ったはずであります。よそが出してないからベースダウンをしたということは私は情けない。
かつまた、これも御
質問するより私がもう言いますけれども、決まった
予算の国連大学への支出が例年おくれて、これは大蔵省的な感覚かもわかりませんが、大蔵
大臣にお尋ねすべきかもわかりませんが、七、八月にでもあるいは出してやればもう
予算は決まっているんだからいいのを、翌年の一月か二月まで引っ張ってそこで大学に渡す。ところが、大学は、その果実をもって運営するわけですから、たった二十五億円といえども、これは一カ月に一千万円の
金利になります、五%で計算して。それがあるとないでは大学運営は左右されるということでありまして、これは早く出してもらいたいというこれは私のお願いであります。それから五十三年度
予算で三千万
ドルは組む必要があるのではないか。そうすれば、
日本はちょうど一億
ドル拠出したことになる、もっと言えば、アメリカが渋っておる一億
ドル、もしくはその他のいわゆる小さな国々の合わせて一億
ドルというものを
日本が出してやってもいいのではないか。それぐらいの国際協力をなすべきではなかろうかということを強く考えるわけであります。
世界へのサービス、特に発展途上国へのサービスという問題については、腰構えをはっきりと決める必要があるのではないか。これを考えますと、
日本は貧乏の道徳については大変得手だと思うのです、長い間貧乏してきた国ですから。しかしながら、金持ち、
ドル持ちになってからのモラルというものはこれから身につけていかなければならないのが正直なところだろうと思います。持った物が減っていくという不安感がのきません。私自身について見てもやはりそういう考えはまだあります。他を生かしながら自分もその中で生きていくというそういう相互扶助の考え方、いわば国際性を持って世界の中で生きていくんだというそういう心構えを基本的に持つようにしなければならないのではないかという考えが強いわけでございます。そこら辺について
福田総理にお尋ねしたいのですが、どういうふうにお考えになりますか。