○
長谷川信君 本当にさっき申し上げましたように、純農村地帯へ行くと本当にそういう声が出るんですよ。いま御
説明で若干やっているという話でありますが、できたらその純農村地帯はそのようにしていただきたいと思うんです。
それから、いま同じものを配って、同じものを食べて、同じものを
教育上分けたり、運んだりするというのも
教育のという——それは私も理解できますし、わかります。わかりますがね、またそれと逆に、私
どもは子供のころを考えますと、みんないろんなことを忘れましたけれ
ども、母親がつくってくれたあの時の弁当うまかったなあなんてことを鮮明にいまでも頭に残っておりますね。いまの母親は、こんなことを言うと御婦人にしかられるかどうかわかりませんが、お許しいただきまして、うちの嫁さんなんかも、ほとんど乳を子供に飲ませませんね、いまの母親というのは。みんな何とか粉ミルクみたいなのを買ってきて、がぼがぼとやって子供に飲ましているんで、それで幼稚園に行ったら給食、小学校は給食、ずっと六年間給食だと。そうなりますと、それは給食のよさというのは私も十二分に理解しているんですよ。理解はしておりますが、その反面、また親がつくったものをほとんど昔ほど食べる機会がなくなった。もう弁当を持っていくということは、ほとんど幼稚園から小学校終わるまで完全にないと言っていいくらいですから、いま。そうなると、親子断絶とか何だかんだいろいろ世間で言ってますが、その辺にも若干理由があるのじゃないかというふうな、たまに——たまにというか、母親のつくった弁当というのは、これはやっぱり記憶にも残るし、心の何というかな、いろんな本当にしみじみこの年になっても忘れられず感じていますよ。その辺ね、いろいろ理解はできますが、若干ひとつお考えをいただいて、いろんなそういうことも併用というか、加味できるような——お母さん方に給食のとき手伝い来てくれなんて言ったっていま来ませんしね。昔のお母さんほど——私は昔の方がむしろいまより忙しかったんじゃないかと思うんですよ。それはまあ私
どもの子供のころの母親というのはなかなか忙しかった、朝から晩までコマネズミみたいに働いていた。だから、いまの人の方がむしろ時間的には大変余裕があると思うんだ。それで子供の飯をたまにくらいつくってくれた方が、学校
教育もさることながら家庭
教育の面でかなりの効果があり、また子供もそれを本当に、口では言わないけれ
ども望んでいると思うんです。そういう
意味で、学校給食の面もこれから高度の
時点でいろいろ考えていただいて、いろんなものをひとつこれから御研究をいただきたいと思うわけであります。時間がないようでありますので端折りまして、いまの御要望にとどめておきたいと思います。
それから今度——小・中学校よろしゅうございますか。いまの学校の先生というのは非常に昔と違っていろんな繁雑な仕事が加味されておりまして、校長先生、教頭さんあるいは一般の先生方も大変な仕事をさせられておることは私も理解できますが、これはある県の統計でありますが、どっちかというと
会議の一番少ない九月の例なんです。九月は二十四日間出勤すべき日が日曜、祭日を除いてあったんだそうでありますね。その中で小学校十ヵ校、中学校十ヵ校、無差別で抽出をしていただいて見たんですが、二十四日のうち十一日しか学校に出ていらっしゃらない校長先生といいますか、四ヵ校。それから十四日、五日しか出ていらっしゃらない先生方がやっぱり五、六人くらい。ほとんど三分の一しか出ない、あるいは半分しか出ておらない。中学は十ヵ校のうち十一日が一人、十四日が一人、十六日が二人、十七日が一人、二十日以上出ていらっしゃる方は四人しかおらない。これはまあ別にこれが悪いというのじゃないですよ。何もサボって出ないんでなくて、何とかの
会議だとかPTAの
会議だとか学校の用だとか、みんなちゃんとそれぞれ公の仕事で出ていらっしゃる。それは十分理解できるんです。理解できますが、学校の校長先生というのは、本来なら、できたら学校にいていただいて、やっぱり子供とできるだけ時間を長く接触を、まあ接触というか、あれしていただくというのが
父兄の願いであり、子供の願望であると思うんです。だから、
会議をそうかといってやめてくれということにもできないんでしょうが、できるだけその研究の
会議だとかあるいは県庁へ行くとかいろんな場合もあるんでしょうが、まあできるだけそれを何か別に何といいますかな、あれしていただいて、幾ら何でも一ヵ月二十四日のうち十一日というと、半分以上出ていらっしゃらないから。この間私ある学校へ行って小さい子供に、おまえのところの校長先生の名前は何だと言ったら、五人に聞いたら三人知らなかった。私の子供のころは小学校一年生の、私は記憶ありますが、校長先生の名前はぴしっとやっぱりわかっていましたね。最近の子供はこの間ある学校へ行って聞いたら五人のうち三人わからなかったですよ。わからないことがいいとか悪いとか
議論もあるんでしょうが、本来やっぱり学校の校長先生というのは学校に残っていただいて子供とやっていただくということが、これが本来の使命であると私
ども思っておるわけでありますが、これは一つの県の例で
全国的にこうだかどうかわかりませんが、あるいは大同小異やや似たものだかもわからない。これは
教育上やっぱりいろいろ問題というか、考えなければならない問題だと思うんです。
文部省のお考えはどうですか。