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上田耕一郎君 それでは、私は本
委員会ではこの問題はきょう初めて聞くわけですから、改めて確認します。
これまでの国会での答弁に反して、あなた自身の答弁に反して、この重大な政治問題となっている信濃川
河川敷処分をあなたは大臣の専決処分として行い、事後に首相に報告し、私が質問したときには決裁したことさえ隠し、十一月一日に突如告示をして、官報告示という形で首相にも国会にも国民にも押しつけたんです。この責任はきわめて重大だということを改めて
指摘しておきます。私はこの前の
委員会であなたに、なぜこういう処分をやるのかと聞きました。するとあなたは、すべての疑惑が晴れたからだと、そういう趣旨のことを述べて、私がそれでは文書を出せと申しましたところ、
委員長の問いに答えて、疑惑の晴れた理由を出せと言うならば出しますと、そう答えました。十一月五日付で本
建設委員会に「信濃川
河川敷の廃川について」という
建設省の文書が出てまいりました。
それで、次にこの文書についてお伺いします。信濃川
河川敷問題についてはもう国会でずっと問題になってまいりましたし、もう
建設省の方々も大臣もよく御存じと思います。細かな問題幾つもありますけれ
ども、大きな疑惑というのは三つあるんです。
一つは、
昭和三十九年から四十年までの期間に、当時の
地域の農民を実際上だましまして膨大な土地を、あそこの土地を室町
産業という形で買い集めた。これは完全に農民をだましたものだというのでいま裁判になっている。ここにいま裁判をやっている大井正則さん、農民の供述録取書があります。これは刑事告発のときに裁判所に出されたものですけれ
ども、生々しくいかにだまされたかということが書かれています。
昭和三十九年に蓮潟の公民館の会場に集められた。呼ばれて行った。それで越後交通の庭山、片岡、風祭――有名な人物、こう言った。「土地を売っても耕作を続けてよい」「耕作料はいらない」「国からよこせと言われれば返さなければならない土地だ」「どうせ水によくつかる土地ではないか」ということで判を押させられた。そのとき初めて文書を見ると室町
産業という名前があって、初めて室町
産業という名前を知った。このとき民有地は坪五百円、占用地は坪五十円だということであります。ところが、その後がらりと
状況が変わって長岡大橋がつくられ、バイパスが設けられ、私
たちが売った土地はあれよあれよと言う間に一等地に生まれ変わった。もちろん水につかることもなくなりました。最近
河川敷が解除になる、そうするともとの所有者に下付されるというその
河川敷解除も目前に迫っている。全く当時の越後交通の人
たちの説明とは全然食い違っており、ばかを見たのは私
たちであり、私
たちはだまされたとしか言いようがありません。まことに残念でなりません。何とかして売買契約を無効にして土地を返してもらいたいと思います。これが裁判所に提出された大井正則さんの供述録取書であります。この裁判ずっと続いておりまして、いよいよ疑惑が深まっております。今月の下旬には実地
調査も行われます。この農民をだまして、民法九十条の公序良俗に反して土地をだまし取ったのではないかというのが第一の大きな疑惑であります。
二番目の疑惑は、この
建設省がらみの例の霞堤ですね。最初は霞堤というのがいつの間にか連続堤になった。
昭和四十三年七月にその決定が下されたということで、水のつかる土地が水のつからない、いまあなたが廃川敷処分を行ったそういう土地に生まれ変わる、これが二番目の大きな疑惑であります。
三番目は、田中首相の地位
利用であります。買い占めた当時大蔵大臣、その後幹事長、長岡大橋の
建設計画のことも、恐らく堤防のことも、
河川法の改正の問題も、八号線バイパスの問題もすべて事前に情報を知り得る立場にあった田中角榮氏が地位を
利用してこの七十三ヘクタール、羽田
空港の三分の一に及ぶ土地を田中ファミリーの手に入れてしまう、で、百億円あるいは二百億円、三百億円に達する土地をわずか一億四千万円の投資によって手に入れるという、田中金脈の最大規模の疑惑と言われる田中氏の地位
利用であります。
この三つの大きな疑惑があると思いますけれ
ども、
建設省のこの文書では、第一の問題、第三の問題など全く書いておりませんけれ
ども、それでは疑惑が晴れたということにならないではありませんか。