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戸叶武君 日露戦争に敗れたときに、帝政ロシアは非常に動揺して、野に下っていたウイッテを起用してポーツマス
条約の全権たらしめたのですが、そのときにウイッテの偉さというものは、アジアの人々の外交的な
考え方はどういう点に特徴があるかというのを、馬関
条約や日清戦争の時代を通じて
日本との折衝に当たった李鴻章の研究というものを彼はしさいに行っています。その敗戦外交がポーツマス
条約において
日本を支持していると思った
アメリカにおいてもウイッテに対する同情を誘発させて、外交的成果においては敗戦国としては相当の有利な条件を確保したんです。
日本が敗れたときに、いまでは吉田さんを偶像化して保利さんなんか何かこの間も文章を発表しておりますが、吉田さんも偉かったかもしれないが、しかしながら、
日本が今日においてまで日ソ
関係の大きな暗礁となっているのはやっぱり北方領土の問題です。北方領土の問題がサンフランシスコ講和
条約の際に手をつけられなかったということ。あすこで、ねじ伏せられるであろうが、
日本の全権から
日本固有の領土を返してもらいたいということを言い切れなかったのは、要するに、
アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルとが組んで、スターリンを利用して、一九四五年二月十一日のヤルタ秘密
協定、戦時中の軍事謀略
協定においてソ連を加わらすのに領土を与える、他国の主権を無視し、アトランチックチャーターの精神も無視して、戦事中の軍事謀略
協定をやった。そのヤルタ
協定の共犯者として、結局、その問題に
アメリカも触れられないで北方領土の問題をいいかげんにし、
日本も敗戦国の代表として宮廷外交官であった吉田さんにそれだけの抵抗の気魄がなくて、あの段階から
日本は
一つの重い荷をしょわされてきたんです。
しかし、いまわれわれが世界の動きを見ればわかるように、バルフォア宣言以後における中東の苦悩というものは想像以上のものだと思います。そういう問題も、難問題と取っ組んでそれを解決しなけりゃならぬという
一つの時期が到来してきているときに、われわれが北方領土を返せと言う前に、ソ連が
アメリカを、
アメリカがソ連を警戒しつつある谷間に置かれているこの
日本の北方領土というものに対して、ヤルタ
協定、戦時中の軍事秘密
協定というものは、国際法の理念からするならば、次の平和
条約において、当然、前提条件として解消さるべきものであります。これからの平和
条約というものは、勝った国が負けた国の主権を無視して固有の領土を奪い取るというのでなくて、次の平和を保障すべき条件を具備した上で平和
条約を
締結するということが明日の平和を約束する平和
条約の基本的な理念でなけりゃならないので、
日本もそれでがんばっているのでしょうが、これはあのバルフォァ宣言以来、苦悩に苦悩を重ねてきたアラブとイスラエルの人々が民族とか宗教とかいろいろな抗争を乗り越えて、そうして平和共存の体制をここにつくり上げようという
意欲から見るならば、
日本の北方領土の解決の問題はそうむずかしいことではない。
日本を使って軍事的にソ連を敵視したり、あるいは
日本をかき込んでソ連の優位な勢力圏に入れようとするような
考え方もソ連でもあきらめなくちゃならないんだし、それをさせるのは
日本の自主的な外交の気魄がない限りにおいてはできない。
しかしながら、
日本の悲しむべきことは、いまのアラブ陣営におけるさまざまな現象がある以上に、きょうは廖承志君がはっきり物を言っている。中国を敵視する勢力が
日本に、自民党内の台湾ロビー、
日本共産党、社会党の社会主義協会、こういう連中があるということを、わりあいに発言に注意深い廖承志すらもいら立ってそういうことを具体的に言っている。それには誤解している面もあるでしょうが、明らかに
日本外交というものが国内において平和共存をつくり上げるという基本理念の上に立って一本に貫かれていない。ソ連のごきげんをうかがい、第五列的な物の
考え方、あるいは無条件に中国に迎合する
考え方、あるいは唯々諾々として
アメリカにひざまずく
考え方、あるいは台湾や韓国に何か利権でも落ちていないかといってもさもさ歩いている連中、こういうものが事実上の
日本外交に大きな影響力を持つということは、多少持ってもいいが、福田内閣なり鳩山外相なりはそういうものに揺すぶられて苦悩していると思うが、やはりみずから毅然とした姿勢で
日中平和友好条約をつくり、
日本が独自な見解で、ソ連を敵視するのでなく、
日本の責任において再び戦争はしない、警戒は勝手であるが、
日本に対してもっと信義を持ってもらいたいというだけのことを言うならば、私は北方領土の返還なんかはなし得ると思うのであります。
私は、クレムリンの宮殿の最高幹部の部屋で、ミコヤンと大げんかをした。それはソ連のために
日本のために真実を言って民族の憂いを訴える者がいないということが、民族が違い、言葉が違い、イデオロギーが違う国においては最大の不幸だと思うから、ここに
日本人ありと、
日本人は本当にこう考えているんだというのをぶっつけたものでありました。しかし、そのときには、成田さんでも歯舞、色丹だけで早期平和
条約を
締結するなどと言っておったから私の意見とは対立しましたが、成田さんも聡明な人だから後で変わって、中国に行って私の意見と同じようなものを吐いたので、今度はプラウダで名指しで罵倒されましたが、しかし、そのとき、やはりソ連側で私のところへ聞いてきたのは、
戸叶さんは
日本人だから本当のことを言ってくれいと、プラウダの批判が間違っているかどうか。いや一党の指導者の成田さんを呼び捨てで罵倒することはどうかと思うけれども、言うことはソ連の理屈は合う。しかし、ソ連が漁業の問題、領土の問題、
一つとして
日本民族の心を打つような外交をやっているか、
一つの威喝外交じゃないか。心を得なければ、
日本の人民が最終的には主権者であって、国民の合意なしには平和
条約などというものは
締結できないんだ。われわれは微力ではあるが、やはりゆがんだ平和
条約を結めば子孫代々に至るまでこの屈辱の中に恨みをのんでいかなければならない。そういうことはレーニンが敗戦ロシアの焦土の中に立って、他国の領土は侵さない、寸土も譲らないという形において、ナポレオンが敗れた後のウィンナ
会議におけるタレーラン以上の外交を展開したあの外交を、われわれはやはり敗戦外交として学んでいるのだということを言ってやったのです。
あなたは、いま孤立化しつつあるソ連としては、ソ連を最も
理解してくれた人のお子さんであるし、私は大切にすると思うが、しかし、その鳩山さんですらも、踏み切って
日中平和友好条約を結び、その上で日ソとの懸案を解決するために、さっきあなたが言ったように、体を捨てようというまでの
考え方を持って外交はやるというこの気魄が私は非常に大切だと思うのです。うまいことを言うのじゃなくて、
相手の胸ぐらをとってもこれが
日本のためになり、これがソ連のためになるんだという気魄を
相手に感じさせなければ、
日本民族は本当に信頼できる民族だという認識を他国の人は持ってくれないと思います。
いま中国との問題を早くというのは一中国だけの問題じゃない。中国だけにおいても私は過大評価をしていない。しかし、廖承志君のお父さんだって国民党右翼によって殺されているのです。あのとき以来、頭山満さんでも、あるいはその後、われわれでも、この廖仲愷の孤児として早稲田を去って新四軍に投じて陳毅とともに戦った若き日の廖承志及び先輩の周恩来が生きている間に、日中平和
条約は、あの人の信義を通じて、中国にいろんな変化はあるにしても、つくり上げたかった。せめて廖承志がいる間に、私は、
日中平和友好条約をつくらないと、お互いに
国家間の信義は人です、特に中国においては信義です。ソ連からあれだけ屈辱を受けながらも、朝鮮事変のときの借金は歯をくいしばりながらも中国はソ連に返していったじゃないですか、外交における信義を保つためです。そういう意味において、やはりわれわれは人間の魂のお互いの心の尊重がなし得るような人を人柱としてでなければ、真の平和
条約なり友好
条約というものが生きてこないと思うんです。
そういう意味において、鳩山さんのいままでの生涯は順調な生涯過ぎるけれども、今度は、あらしの中に立って決然として一番むずかしい日中、日ソの問題を前向きで片づける。
大体、来年の一月にあなたは行きますか。
余り説教しているより、そのことを聞きたかったんだけれども……。