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参考人(
菊池漢治君)
菊池でございます。
ただいまこの
委員会においていろいろ申し上げることを整理をしましても、なかなか申し上げたいことが多くて整理しかねる状況でございますが、時間の範囲内で考えておりますことを申し上げて、御
参考にもしなり得れば大変幸せだと存じます。
「
むつ」が
放射線漏れを起こしました際に、先ほどどなたかのお話にもございましたように、「
むつ」の漂流は
原子力行政の漂流である、その象徴であると、こう言われました。このことを契機として
原子力行政を本来の姿に返し、
平和利用を進める上での確固たる基盤を築く
一つの足がかりにしようということが、当時の私は一致した
国民的な考え方であったろうと思います。そのことの最も
中心的なものは、
原子力行政に対する
国民的な不信、この不信の解除、信頼回復ということが最もまた
中心的な命題であったろうと、そのときを追憶いたしてこう考えているのでございます。そういう観点からしますと、四
者協定の締結は、
政府代表である当時の総務会長である鈴木善幸先生の提案を地元が受け入れたという形で結ばれたものでございます。この四
者協定を、国自体が責任を持った一当事者として結んだものが完全に履行されることによって、私
たちは信頼回復の第一歩が実現すると、その当時こう
判断をいたしました。
なお、協定の締結に際して
一つの問題としてここで申し上げておきたいのは、鈴木総務会長が
政府代表として現地に参りました翌々日に、三ヵ月間で撤去をするから入港を認めてくれという御提案でございました。私はその提案のあった翌日に鈴木総務会長とお会いする
機会がございました。その際に、いかなる
方法を考えても、いかなる状況
判断をしても、三ヵ月での
母港撤去ということはきわめて因難であろう、さんざんいままでうそを言っているとか、説明がなされないとか、不信感が渦巻いているこの問題解決に当たって、せめて総務会長だけでも私はうそを言わないで済むようなそういう
条件をもって問題の解決をしてほしいと、そう申しました。この三ヵ月ということ、期間については
漁業関係者と十分な話し合いの上で可能な期限をもって締結をすべきであると、こう申し上げました。その後、
漁業関係者との話し合いの上で、六ヵ月間で新定係港を決定し、二年半をめどとして
母港を撤去する。それで、その撤去というものについても、鈴木総務会長と私との話は、船が出ていくことは撤去ではない、陸上施設をもひっくるめた撤去であり、特に地元採用の職員、その他の跡始末というものが最も大きいものになるであろうということまでも申し上げて、その後、四
者協定というものが結ばれました。今日、この四
者協定がなおまだ実施を見ておりませんことを私は大変
原子力行政の将来のために心配しているものでございます。
九月の青森県
議会定例会において、竹内知事が、
原子力の
平和利用は将来とも進めなければならないであろう、そのためには四
者協定を守らなければならないし、守ってもらわなければならない、重要な変更を加えることは将来に禍根を残すという御発言をされておりますが、私もこの点については全く同感とするところでございます。四
者協定の六ヵ月以内に新
母港を決定するという取り決めに対しまして、その期限直前であります
昭和五十年三月二十七日、八戸のホテルに当時の
科学技術庁の片山政務次官がみずからおいでになり、鈴木総務会長、竹内知事、杉山県漁連会長と私と四人を呼びまして、いま統一地方選挙が行われておるがこれにこのことを絡めることは将来非常に問題があるので、四
者協定の新定係港決定の期日を統一地方選挙の終了後まで待ってほしい、これはもう後発表するだけである。そして、私
たちに新定係港の建設スケジュール、その他までも示して了解工作を行いました。新定係港には、私
たちも
むつが定係港である場合にはドックの必要性も
要請しておりましたけれ
ども、ドックをも兼ね備えた新定係港構想を示したのでございますが、その後、統一地方選挙が終了後は何の音さたもなく今日まで
経過をいたしております。二年六ヵ月後の撤去につきましても、最後に私
たちに話がありましたのは、ここにおいでになります
安藤先生の
安藤委員会に
燃料棒抜きの諮問をしたので、その
結論が出るまで待ってくれ、撤去を待ってくれ、こういうお話でございまして、七月末に
報告書が出ましたけれ
ども、以後青森県に対して何らのあいさつも、何らの意思表示も、
科学技術庁からなされておりません。このようにみずから提案して決めたことも守られないような状況下で、このきわめてむずかしいとされる
原子力行政、
原子力の
平和利用というものがますます
国民の手から離れていくことを私
たちとしては最も心配をするものでございます。先ほど
佐世保の
井上議長さんからも御不満の御意向がございました。私
たちも同じように、
政府の取り組みに対する姿勢が私
たち地元との間の人間関係と申しましょうか、関係をきちんと整理しながら、きちんと保っていくという姿勢が欠けている、そのことが信頼回復をいよいよ困難にしていっている、このように思われてなりません。四
者協定の実施につきましては
科学技術庁長官が
機会あるごとに守るというお話をしているようでございますが、これについてもどのように守っていただくのか。すでに期間は過ぎております。そしてこれが
経過すればするほど、
佐世保の議長さんのお話のように、われわれに対する背信行為がそのまま
長崎県へもはね返って、あるいは
長崎県以外のところにもはね返っていくという状況になっていくことは必然であろうと思います。
なお、新市長が
母港存置ということから
科学技術庁がそのような方向をも
検討するやのお話がございます。しかし、それについても
科学技術庁は
長崎県にもいろいろ
お願いをして、聞くところによりますと、瀬戸内にもいろいろ話をしていると聞きますが、そういうようなものをきちんとしない中での取り組みこそ私はいよいよ問題を困難にしていくだろうと、こう考えるものでございます。
なお、青森県
漁業関係者の意向が最近ずいぶん変わったような報道がなされているようでございますが、先ほど
住江長崎県漁連の会長さんのお話にもございましたように、
漁業関係者の意向は今日なお従来と変わりがない状況にあるということを同時に私は申し上げておかなければならないと存じます。今後
原子力船の問題を解決するためには、初心に返ってもろもろの未解決の問題をきちんと決めながらものを進めていく姿勢を、もう一度打ち直して再出発する以外にいま
方法がつかないのではなかろうか。それほどまでにいま非常に荒廃した不信をいよいよつのらせる、そういう状況にあろうかと思います。ひとつ
先生方には、
原子力行政を正しい方向に
国民の理解と協力をもって進められるにはどうすべきか真剣にお考えいただいて、私
たちの意のあるところをお察しくださいますならば非常に幸せだと存じます。
時間が過ぎましたので、以上申し上げまして、
最初の
意見開陳にかえさしていただきます。