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国務大臣(
園田直君)
日航機ハイジャック事件の経過について御報告を申し上げます。
九月の二十八日、
日本時間の午前十時四十五分、ちょうど
日本航空の
朝田社長は、前日のマレーシアの
墜落事件の報告に来ておられるときに
ハイジャックの第一報を受けたわけであります。
パリ発東京行き日航四七二便、
乗客百四十二名、
うち邦人客八十五名が
ボンベイ離陸後
ハイジャックされ、同日午後二時三十一分
バングラデシュの
ダッカ空港に
着陸をいたしました。
ハイジャック事件を知ったと同時に、警察、運輸、
関係各省は、それぞれ各省で
対策本部を設置いたしましたが、十一時半ごろ、
政府は内閣に
対策本部を設置をして、これに対する
対応策を逐次練ったわけであります。
犯人は、
ダッカ着陸後、八万ポンドの給油と給水を
バングラデシュ当局に
要求をいたしましたが、これが完了した後、二十八日の午後九時十五分になって、(1)
わが国で
身柄拘束中の九名の囚人の
釈放及び(2)身のしろ金六百万米ドルを
日本政府に対して
要求してまいりました。この段階で、
犯人は
日本赤軍であることが判明をいたしました。
これに対しわが方では、二十八日午後十時、
総理官邸で
対策本部の第一回会合を開いて、私が
本部長になりまして
対応策を検討いたしました。二十九日午前七時四十三分ごろまで連続、
関係各大臣及び
関係各省の幹部を交えて
検討議論をいたしました。まず第一に、人命が大事であるから身のしろ金の六百万ドル、いま国民の出された税金を使うことはまことに身を切られる思いでありますけれども、金で済むことならということで身のしろ金の
要求には応じよう、こういうことを第一に決めました。
犯人の
釈放は拒絶をするということで、これが第一の方針でございました。これに対して
犯人側は、一切これに応じない拒否の態度をとったわけであります。
なお、
バングラデシュの方では、一切
日本の
政府関係を
犯人との折衝に当てることをかたく拒みまして、
日本の
政府が、
自分たちが相談をして
犯人と折衝をしているということがわかれば、
犯人が興奮をしていかなる事態が起きるかわからぬ、こういうわけで
現地から直ちにかけつけました
吉岡大使等も一切出さないで、陰で
バングラデシュにいろいろ
お願いをしながら
犯人と
交渉をするという状態は
テレビニュースで御存じのとおりでございます。
そこで、その次に
犯人が拒否しまして、時間が逐次経過してまいりまして、その次にわれわれが
犯人の
要求に応ずる——応ずるというのは
犯人の
釈放でありますが、しかし、まず第一番に異論があったことは、その
犯人の
釈放も単なる
赤軍関係の者ではなくて、
爆破事件その他
殺人事件で拘束されておる者等があるので、これは一緒にできぬという議論でございましたけれども、結局
最後にはこれも含めて
犯人の
要求に応ずる。ただし、殺人、強盗の前科を持った二名の
一般刑事犯については断じてのめないということで
最後まで拒否したわけであります。
ところが、その後
バングラデシュの
参謀長の方は、
日本政府に対していろいろ折衝の結果、とにかくその
刑事犯の二名、それも
現地に連れてきてくれ、そうして全部そろえば、
刑事犯の二名は、自分が何とか
日本に帰れるように取り計らう、こういう話でございました。そこで仕方なしに
犯人の二名は
現地に行って
バングラデシュの
参謀長が
犯人と
交渉して返してくれるということならばということで
法務省や警察も承知をして、そのうち解放の
要求された囚人中二名の者はいかなる意味でも
政治犯罪者ではなく、
釈放するのは妥当でないと、こういうことで終始がんばっておったわけであります。
そこで、なお
向こうから
要求しました九名のうち、本人が出国することを拒否した者を残して、わが方としては
解放要求囚人と、それからお金を持って急遽
政府の代表として
石井団長、これに
関係各省から
石井団長に随員をつけ、同時に
日本航空の
朝田社長以下
日本航空の所要の幹部、これが
特別機をもって
バングラデシュに飛んだわけであります。
このときに
運輸大臣と私から
日本航空の
社長に
協力方を要請いたしましたところ、
社長からは、
操縦士の意見として
行き先がわからぬうちには絶対に離陸をさしてはならぬということなど三項の条件が出され、同時に
朝田社長より、
石井団長ほか公務員五名から、
向こうへ行って
交渉の結果、
自分たちは
人質になることを覚悟していくからそれを了承してくれと、こういう話がありました。
石井団長ほかは
政府の幹部でありますけれども、
朝田社長は
日本航空の
社長でありますから、われわれが
人質に行けということは言えないわけでありますけれども、
石井団長の覚悟に感銘をしながらこれを送ったわけであります。
そこで、
向こうに参りましてからも、なお一切
日本の
政府と
犯人とは折衝いたさせません。そのうちにだんだん時間が経過をしてきて、いよいよ
最後の午前二時という時間の制限を
犯人側からやったわけでありますが、われわれとしては
石井団長に対して、
石井団長はまた
現地で、
バングラデシュですべてを解決したい、
全員釈放したい、こういうことが第一でありまして、
全員釈放の条件がかなえられない間は
犯人並びに身のしろ金は渡すなということで
石井団長も粘り、われわれも粘ったわけであります。
ついに
最後には
犯人の方では、いよいよこれを虐殺するぞという死刑の通告があり、その順番の氏名の通報までありました。このときに、いよいよ時間が迫ってきたときに
向こうから来ました
犯人側からの情報は、第一に虐殺をするのは
米国人である。
米国人の
銀行マンであって、しかもこれは
カーターの親友であると、こういう
説明つきの情報が入ったわけであります。ここで
本部長である私は非常に困りましたわけで、いままでは人命、特に邦人の
乗客、
乗務員、こういうものを考えておったわけでありますが、ここで第一の虐殺の氏名が
米国人で、しかも
カーター大統領の親友ということになりますれば、これは米国の威力に屈してわれわれが
犯人の
要求に応じたと、こうなりますので、私はみんなと諮って、これは時間が経過しても返事するわけにはいかぬと、こういうわけで返事をしなかったわけであります。
テレビで御承知のとおりに、ついに
最後には、この
米国人は
遺言状みたいなものをマイクで放送するという段階まできたわけでありますが、われわれはその
要求に応じませんでした。
なお、この段階で
石井団長は、後で説明すると思いますが、みずから
人質になって
乗客をおろせということを迫り、あるいは副
大統領のところへ単身赴いて
最後の折衝をやったわけでありますが、そこで、
向こうの
言い分とこちらの
言い分がなかなかうまく通じなかったわけであります。
そこで、十月の二日早暁、
犯人側と
マームード参謀長との合意によって、
釈放囚人六人及び六百万ドルと
人質との交換を六回に分けて実施することになり、午前七時過ぎまでにこの条件に基づき
人質六十人が解放されたわけであります。
この時期においてもなお、
政府も
現地の
石井団長も、あくまで
バングラデシュで
最後まで解放してもらうようにという努力を続けたわけでありますが、
バングラデシュの方では非常に急いでおりまして、なるべく早く、
犯人を怒らさないで、流血の惨事という言葉をしばしば使ったわけでありますが、流血の惨事を起こさないように
平和裏に解決をしてもらいたいということで、もうすでに
石井団長が行ったときには
交渉は進んでおりまして、
参謀長が言明した
一般刑事犯二名は、
現地まで連れてくれば
犯人をなだめて
日本に帰すということが話題にも上らない状態になってきたわけであります。
ここで
石井団長の連絡によって、
総理は
大統領にも連絡をし、
外務省は、
バングラデシュに対して、
行き先がないと、どこの地に打診してみてもどこの地も受け入れない。したがって、これが飛び立ったならば、生命に関する人道上の問題であるから、絶対に
行き先が決まらぬうちは離陸させないでくれと、こういうことを強く要請をし、
総理からも
申し入れたわけであります。しかし、一方また、その段階では
外務省は
バングラデシュに
飛行機がおる間は
バングラデシュの国のことでありますが、
飛行機の車輪が地から離れた瞬間に
日本国籍の
日本航空、そして
乗務員、
乗客、こうなってまいりますると、
犯人も含めてその生命を保護する責任は
日本の
政府にあるわけでありますから、二十九カ国近くの国家にもしもの場合は受け入れてくれるかという打診を始めておったわけであります。
しかし、これはそういうわけでありますから、
法務省、警察にも言わずに、
外務省だけで極秘で打診をしておりましたところ、ほとんどの国は給油、それから
領空通過一切拒否、ひどいのは領空に来たならば撃墜するというぐらいな強い国もございました。そうしてだんだんしぼっているうちに、
政府と
政府の
交渉で
自分たちが受け入れるということはこれはとうていできない。無理に
犯人が
飛行機で飛んで来たら人道上の見地から給油、
着陸を許す程度のことはという話でありました。そのとおりであって、その後
バングラデシュを出てから二ヵ所に
着陸したわけでありますが、その
着陸の
飛行場は全部装甲車、または自動車を
滑走路に並べて、これの
着陸拒否の態勢を示した。その上空を飛んでいるうちにそれをのけて、仕方なしに
着陸させたかっこうで給油その他を行ったわけであります。
そのうちに、この第一回の
人質交換が完了した直後に、
ダッカ市内で
クーデター騒ぎが発生をして、
空港等にも
反乱軍が闖入するなどして、
犯人側との
交渉は中断されたわけであります。ここで、この
クーデター事件によって何とかこの
事件を有利に導く手はないかと盛んにわれわれは考えたわけでありますが、これは
新聞等で御承知のとおりに、
現地に行った
派遣団は、前後ろから来る銃弾のために、自分の生命並びに
派遣団の連絡、それから
釈放された邦人の生命の安否、これが精いっぱいでありまして、なかなか
交渉はうまくいかなかったわけであります。そこで、この
参謀長も行方がわからなくなったと、こういう状態でありました。この騒ぎは、午後には
政府側によって鎮圧をされ、再度
バングラデシュと
犯人側との
交渉が再開されたわけでありますが、この再開には
現地の
参謀長は来なかった、行方がわからなかったわけであります。
そこで、
政府としては情勢の展開に応じて、
現地の
吉岡大使及び
石井団長にそれぞれ指示をいたしましたけれども、すでにその時期においてはなかなか
現地の状況が把握できなかった。そこで
石井団長に一切を一任をして、こちらからは解決の促進をやっておっただけでありますが、
石井団長はみずから副
大統領のところに行き、それから
総理に、何とか
大統領に電話で、
人質全員を
バングラデシュで解放してもらいたい、こういう要請をしてくれと、こういうことで、そのうちにさらに
人質四十二名が解放されたわけでありますが、いよいよ
現地から、
ハイジャックされた
日本航空の
飛行機に
バングラデシュの
政府から
離陸命令が出されたと、こういうわけであります。
そこで探しましたが、
大統領は
クーデター騒動の直後で、死骸はあちらこちらに転んでおる状態で連絡はとれません。行方はわからない。そこで、
電電公社その他を使って
電話捜索をして、ようやく極秘の場所で会議をしている
大統領に連絡がつきました。そこで
総理からは、いま申し上げましたような方針でさらに要請をしたわけであります。そこで
大統領は、
離陸命令を出したけれども、
総理からのあれであるからもう一遍言ってみよう。しかし、この
事件が起こったのは、
クーデター事件が起こったのはこの
事件が誘因したのでありますぞと、なおまた、
わが国としては、あなたのおっしゃることも非常に大変だが、あれだけの大金を積んだ
飛行機が
飛行場におるということが国の安全に影響をする、だから一刻も猶予はできない。こういうわけで、結局
人質三十六名、
乗客二十九名、乗員七名を乗せたまま
バングラデシュの
強制離陸命令によって
飛行機は出発をする状態になったわけであります。
そこで、
ダッカを離陸した
ハイジャック機は、午前七時にクウェートに
着陸、給油すると同時に
人質七人を解放、これは
約束どおりであったわけであります。また、十二時半には
ダマスカスに
着陸をして、給油を受けると同時に
人質十人を解放し、十月三日午後十一時二十分ごろに
アルジェリアの
ダル・エル・ベイダ空港へ
着陸をいたしました。この間の
解放人員その他は、
石井団長がおれに任せろと言った
計画どおりにこれは
向こうは、
犯人は約束を実施したわけであります。
そこで、この
アルジェリアに
着陸するということは、残念ながら
ダッカを離陸した直後はまだわからなかったわけであります。一番
最後の
ダマスカスに
着陸をして離陸をしたその直後、ロンドンの
日本航空支店長からの情報であったと思いますが、
犯人が交信しているのを見たら
アルジェリアと交信をしておったから、
アルジェリアに
着陸する模様であるということで、多分
アルジェリアだろうとわれわれは解釈をしたわけであります。
外務省としては、すでにその前に、
アルジェリアも含む三ヵ国ぐらいに焦点をしぼって打診をしておったわけでありますが、この段階から打診ではなくて、正式の
受け入れ工作に移ったわけであります。
そこで打診の段階で、
政府間の
交渉でやるということは困る、無理に来たら受け入れると。だがその場合に身のしろ金、
犯人の
引き渡し要求はしないだろうなという条件が
向こうからついておったわけでありまして、どうもそれ以外に方法なかろうということで、
総理はいざという場合にはその方針で処置をしろと、こういうことを命じられておったわけでありますが、いよいよ
アルジェリア上空に飛んで行っていろいろ接衝の結果この条件をのまざるを得ないと、こういうことで
飛行機は
ダル・エル・ベイダ空港に
着陸してから間もなく、十月四日午前一時ごろ、
犯人及び解放された囚人六名は
ハイジャック機から離脱をし、残る
乗組員を含めた
人質全員が解放されたわけであります。
解放された
人質の救援に当たった
日航特別機は、十月四日及び五日に羽田に帰着をいたしました。
なお、
犯人及び身のしろ金の取り扱いについては、
政府としては
アルジェリア政府がこれらを
わが国に引き渡すことを希望しており、——と申しますのは、
アルジェリア政府の
受け入れ条件で、
犯人の
引き渡しと身のしろ金は渡せと言わぬだろう、それから
損害賠償を
要求しないだろう、こういうことを言われておって一応了承したわけでありますから、
国際慣例から言うと、一遍了承したものを返せというわけにはまいらぬわけでありますが、その後いろいろ相談の結果、
再発防止ということから考えるとこれは大変なことであるので、一遍了承はいたしましたから
要求する権利はありませんけれども、
再発防止という見地から、ひとつ
犯人は取り調べの上で返せるものなら返してもらえばわれわれはこれを喜んで引き受ける。また、身のしろ金もそうであります。しかし、それができなければ
犯人は、再発ができないように
アルジェリアの国で拘束をしてもらいたい。なお身のしろ金については、返すことができなければ
アルジェリアの
政府で没収をして、
犯人がこれを
再発計画を立てる資金にならぬようにしてもらいたいという
申し入れを
——申し入れというよりも
お願いを
アルジェリア政府にしたわけでございます。
そこで
アルジェリア政府では、一遍要らぬと言ったものをいまごろ言うのはおかしいじゃないかということでありましたけれども、これは
再発防止という観点から、礼儀を失しないように、根気強くあれやこれやとまた努力をいたしまして、
犯人その他のことについてはまだまだこれが
日本に引き取るまではいかなる努力も続けたいと考えておるわけであります。
以上大まかでありますが、
ハイジャック事件の起こったときから解放されたときまでの経過を御報告を申し上げたわけであります。
第二に、
委員長から指示されました
再発防止についての簡単な経過を御報告を申上げます。
先般、数年前
クアラルンプールで
事件がありましてから、
政府ではこれの
対策連合会議を持たれておるわけであります。これによってすでに御承知のいろいろな
対策要綱が決められておるわけでありますが、なかなか相当微に入ってやられておるわけでありますが、中にはまだ足りない点もあるし、特にわれわれが前のことを批判するのはあれでございますから控えますけれども、
対策が不備であったということよりも、
事件があった当初は熱心にやっておったが、だんだん時がたつにつれて、そうして熱気がさめてきて、決められたことも実行されていなかったんじゃないかと思われる点があるわけであります。
そういうわけで、今度は
政府に
再発防止の本部を設置をして、
関係各省で
幹事会と
本部会議と分けてつくっておるわけでありますが、これには特に人間を輸送される
日本航空、全日空の会社からも御参加を願い、それからなお、これは逐次どんどんどんどん案を立てていって、立てていったことはこれを実行に移す、そうしてこれは永久に再びこういう
事件がないという確信ができるまではこの会合は続けて、これの実行をチェックしていきたい、こういうつもりでやっております。
まず
安全検査、空港諸施設における
警備体制の強化、
出入国業務に関する
対策の推進並びに
国際協力の一層の
推進等に力を入れてきたということでありますけれども、今度の
事件を契機として、十月四日、内閣に
閣議了承によって
ハイジャック等非
人道的暴力防止対策本部を設置し、かかる非人道的な
暴力行為の防止について真剣に対処することといたしました。
防止対策としては、一つ、
日本赤軍の根源を断つこと。これは、
委員会で報告するのには何でございますけれども、今度の
犯人は非常に
ドイツと
日本と変わっておりまして、持っておった武器が、
ドイツの方は
プラスチック爆弾でありますが、
日本の
犯人は残忍な
くぎ爆弾等を準備しておった。それから、
ハイジャックしてからおりるまで、一切機内の食事はしないで携帯のビスケットを食べておった。水も差し入れられた水は飲まないで、
乗客が飲むと、残った水を集めて、そうして十時間たって何ともなければこれを飲むという、
麻酔剤その他を飲まされることを警戒をしておるなんということであります。一面においては
日本人と
ドイツ人の性格を非常にあらわしておるわけであります。
ドイツの方では機長を銃殺をして、その死体をほうり出した。しかし、その後は冷静に構えておる。
日本はなかなかそういう残忍なことをしないかわりに、一度血を見たらとまりようがないというようなことなども非常に変わったところだと思いますが、七たび放ったら八たび捕らえなければ、おりるときにまことに恥ずかしい話でありますが、
犯人の隊長が隊員に言った
せりふは、いよいよこれからおりると。これから先は
日本政府じゃないから、
日本政府と違って反抗したら射殺をされるから反抗するなと注意を与えておるわけであります。これはまさに
犯人から
日本政府、すなわち
本部長である私が無能であると、やつらは何もできなかった、ここからは違うぞと、こういう
せりふであります。これは党派を越え、決してこれは
政治犯でもなければ
思想犯でもない、
極悪非道の
犯人でありますから、何とかしてこれは再び
日本に引き返すような努力をしなければならぬ。こういうことで
日本赤軍の根源を絶つこと。こういうことをひそかに準備をいたしております。
次に、
ハイジャック防止についての
国際協力を強化すること。今度いろいろおしかりを受けました。受けたおしかりごとに私はいたく痛み入っております。しかし、この
事件解決まで連日
連夜電話が鳴るわけであります。その一方はなかなか厳しくやっつけろと、中には自衛隊を
飛行機に積んでいってなぜやらぬのかというような御意見もありますが、また一方からは、なぜもっと一時間も早く出さぬのかと、金が惜しいのか、税金は国民のために使うのだ、その命を助けるのに何が惜しいのかなどと言って、
乗客並びにその他の
関係の方からは言われたわけであります。しかし、いろいろありますが、やはり一番反省して、正直にわれわれとしてこの前の
クアラルンプールも今度の
事件も、足り得なかったことは、
事件が起こると、直ちに
世界各国に協力を求めなかったということが私は少し足りなかったんじゃないかと、こう考えておるわけであります。
犯人の
行き先を封じるとか、あるいは受け入れるなら受け入れるで、受け入れたらどうするとかということを、むしろ私は、
委員会で申し上げることではございませんが、率直にこれから先の御審議のために申し上げますと、
バングラデシュで非常に急ぎました。出て行けと言わぬばかりの仕方。それから次には
犯人を怒らせないで、
犯人の言うとおりにやってくれということを、
政府にも
石井団長にも
向こうが頼むぐらいにやっておった。これは
バングラデシュの政情もあったと思いますが、また一つには、邪推であれば結構ですが、これに乗っておった米国初め
インドネシア等の
乗客の命を助けるために、よその国からは逆に
バングラデシュに危なくないようにやれというようなことも頼みがあったんじゃないかなどと考えますると、これは国際的な相談というのは大切だ。こういうものの協力強化及び国内
対策、これはもうよくおわかりでございますから、チェック、その他旅券の問題省略をいたします。
こういうことで、必要な法律案の改正はいま急いで御相談をする準備をしておるわけであります。
以上、長くなりましたが経過報告といたします。