○
中西(績)
委員 そうしますと、また再びもとに返るわけなんですよ。そういうようなものであるにもかかわらず、御苦労
手当、御苦労さんであるという
調査会の答申が、そのように
人事院に行って、
人事院では、
教員間の
連絡だとかそういうものが著しく困難な
職務である、そしてその
職務と
責任、それを評価することによってこの
手当をつけた、こういうことになってくるわけでありますけれ
ども、
学校現場の
実態からいたしますと、特に
文部大臣は聞いておいてほしいと思いますのは、このように特別
手当をつけるという、この人だけに
特定して御苦労さんということの
意味はないのじゃないか、私はこのように
考えるわけです。それを許すとしますなら、
学校の職場の中ではたくさんそういうものがあるわけでありますから、
特定の者を限定できない、すべての教
職員集団によってなされる
学校の運営というものはそういうものでないということを、まず根本的に認識を改めなくちゃならぬということを申し上げておきたいと思うのです。それは
答弁要りませんが、この点は、特に気をつけていただきたいと思うのです。
そこで、では
学校運営がどうなったか、
主任を任命し、それを省令化したことによってどうなっていったかと言いますと、大変大きく変化が起こりつつあるということをお気づきにならなければならぬということなんです。これをずっとやっていますと大変長くなりますから、意見だけを申し上げますけれ
ども、
学校運営に大きく変化が起こったというのはどういうことを指しているかと言いますと、たとえば一つは校務分掌の問題であります。校務分掌というのは、
学校は
教員の集団のものでありますから、
学校の集団の活動組織形態というのは、やはりあくまでも一つの集団、個々のものでなくて、集団としてどうとらえられていくかということが大変重要な
内容になってくるわけであります。ただ問題は、その場合に
主任制度――
制度というのは、そういう点で大変私は問題だと言うのです。
先ほども申し上げましたように、たとえば
教頭なら
教頭、それを
制度化しますと、最初のうちは皆さんが否定をしておったように職制ではないと言っていいような体制であったものが、
制度化される中でだんだんと変わってきて、そして皆さんから見ればそれは既成事実として認められ、そして職制化しなければならぬようにだんだんだんだん変わってくるのです。そういうように
主任を
制度化することは、また同じことを再び繰り返そうとしておる。
制度化されない間は
主任だとか係だとか
部長だとか、それぞれの
学校によって組織形態は違います。ところが、こういう全国的に一元化された
制度的なものができることによって、どうしても上下という思想がそこに醸成されることが必定なので、これをまず第一にあなたたちはお気づきにならなければならぬ。
そこで問題は、
先ほど局長の方から当初
局長が言っておったことを訂正されましたから、いまここではもう必要なくなってまいりましたけれ
ども、いわゆる限定したことで、たとえば
指導という中身、どのように教える、どのようにまとめる、そういうこと等について
職務命令が出せるのではないかという言い方があったわけでありますけれ
ども、そういうものに近い条件というのが、いま言った上下の思想から出てくるわけです。たとえ
職務命令ではないと言っても、結局このことは押しつけになってくるわけであります。ですから、そのことが最終的にどうなっていくかと言うと、結局職場の中における十分な討議になり得ない条件というものが出てくる大きな
原因になっておるわけであります。逆に言うなら、そこにはいままで集団でちっとも問題のなかった、そして論議は自由に出し得たものがどうなっていくかといいますと、それができなくなってくる可能性が非常に強くなってくるわけであります。
もう一つ私は聞いておかなくてはならぬのですけれ
ども、
文部省の
学校管理規則のモデル案にはA案、B案、C案というのがありますね。任命の方法の中に案があります。そうしますと、どの案でも結構なのですけれ
ども、たとえばA案ならA案、あるいはB案ならB案というものを見た場合に、何と申しましても、この場合に問題になりますのは、いままでは
主任というものは、
教員の中で十分討論されて、いろいろ自由な意見を出していく過程の中で、あなたがその取りまとめをやってくださいとか、あなたが
連絡員になってくださいとか、ほかのことは私たちがしますという任務分担がされておったわけですね。ところが正式にこのようになってまいりまして、A案等になってまいりますとどうなってくるかと言うと、今度はそういうものを
校長から意見を聞いて教育
委員会は任命するわけでありますから、あるいは
校長が直接任命をし、教育
委員会に報告するC案だって同じなんですけれ
ども、
主任になろうとする者が出てくるわけです。なぜかと言うと、前から私が申し上げておるように、
教頭が職制化されていったときの経過もございますように、今度は
主任も同じようになっていくのではないか。ということになれば、自分もそれになろうとするためには、なるためには、
校長との
関係、
教頭との
関係をどう保たなくちゃならぬ、どうなくちゃならぬということを必然的に
考えるのです。
命令し、なれ、こういうようにする場合に、
校長との
関係が生じてくるわけなんです。
そこで、いま
現場で出ておる
問題点を私申し上げますから、よく聞いてください。
教員の世界というのはひしめく四十代、五十代ですね。これはおわかりになるでしょう。そうすると、ここでどういう結果が出るかと言うと、
校長が任命する場合には、その
主任にする人に、極端な言い方をすると、おみやげを持ってこいということになるのです。おみやげというのは何かと言うと、たくさんあるのです。たとえば
組合を脱退してこいとか、他の人を連れて脱退せよとか、それからスパイ行為ですね。極端な言葉で言いますけれ
ども、スパイ行為をやれ。そのスパイ行為というのはどういうことになるかといいますと、自分を有利に位置づけるためには、結局他の者を傷つけるようなことを言わなくちゃならぬ。これはおわかりになるでしょう。そうすることによって自分を売り込む。ですから、どういう形になるかといいますと、こういうような
事態になる人の一番の弱みは何かといいますと、たとえば表面には出てないけれ
ども、金銭上
学校で問題があったとか、あるいは女性
関係でいろいろトラブルがあったとか、あるいは交通事故でいろいろ問題があったとか、処分される、されないという問題等があったとか、こういうような大変弱い
立場に立つ人たちがそういう
組合脱退あるいは勧誘あるいはスパイ行為、そういうものをやりやすい条件を持っておることになるのです。あなたたちは頭をひねるかもしれませんけれ
ども、
現場の
実態としてはそういうものがたくさんあるわけです。ですから、今度はそういう人の場合にはどうなるかと言うと、これはたとえば生徒から突き上げ等があるといたしますと、大変問題だということになるわけでありますから、問題が表面化しないようにするためには、今度はたとえば生徒と妥協するのです。どういうことをやるかと言うと、たとえば試験問題を、いままでだったら、点数で言うのは大変よくないとは思いますけれ
ども、わかりやすくするために、たとえば六十点なり五十点なりの平均点が出ておった教科であるといたしますと、これを八十点と言うようなことだってやりかねぬ教師が中におったのです。私たちの具体的事実として知っています。こういうような条件というのが
主任になるためにという中で出てくることがあるわけです。
もう一度極端なあれから言いますと、
教育活動から逃避するようなかっこうでの人気取り、こういう状況が出てくるわけであります。この点を私は大変危惧します。ですから、
先ほど申し上げるように、いままで何でもない中で
主任というものが
制度化――されぬ方がいいけれ
ども、された場合、いままで歴史的なものがある過程の中で、すでに三段階が四段階になり、そして半分も五段階という状況にまでなってきつつある条件の中で、いまや
主任になる、任命をされようという場合には、あらゆる手だて、それが今度は
学校の教師集団なるものを完全に破壊し去るという全く信頼感がない条件をつくり出すわけであります。私は、このことを十分認識してほしいと思います。
しかももう一つ申し上げたいと思いますのは、
職員会議の問題です。
職員会議がどうなっていくかと言うと、否定的になっていくのですね。
職員会議を否定するという状況になってまいります。
学校における
教育活動の源泉というのは、少なくとも集団思考の場がなければ、健全な、そして生き生きとした
教育活動というのはできません。この集団思考を遂げるために皆さんが討論を重ねます。ディスカッションします。このディスカッションというのは、他の者の意見を聞く、それからそれを理解する、もし相違点があればそれを調和させる、
調整する、そしてその中から創造していくというものでなくてはならぬと思うのです。いままでの場合であるならばこの
職員会議というのはどうであったかと言うと、聞き、理解をし、調和させ、
調整をし、創造する。ですから、それが
助言としてまともに受け入れられ、そしてそれをむしろ感謝する、感激をもって受けとめる、そういう場であったわけです。ですから、そこでは個々の最善の能力を発揮し、そしてそこには自由があったわけであります。
しかし、このように行政機関から通達が出、そして今度は
校長によってそれが任命をされ、任命制の
主任ということになれば、これはもう大変なものになっていくわけであります。
先ほど申し上げるように、最善の能力を発揮するということになりますと、皆さんで一緒に討論したことでありますから、共同の決定に従って本人は大変な
責任を負うことになるわけです。ですから、むしろ
職員会議というのは教養を高め、研修をする場でいままではあったわけであります。ところがこの任命制が行き渡る、それから以前に
教頭の職制化とかいろいろなものが進行していく過程の中で、
文部省からいろいろ指示され、そしてこれとあわせていろいろ問題になってきた問題はどういうことになってきたかといいますと、もう
意思統一をする場でなくなる。みんながその
助言というものを本当に感謝して受けとめる、感激をもって受けとめるということにはなってこない。第一、そこではそういう自由な発言というものがだんだんなくなってくるからであります。
なぜか。第一に、この
職員会議は、
校長だとか
教頭だとか、いわゆるあなたたちが言う
管理職が
議長になってやるわけです。これが非常に多くなりつつある。ですから、結果的にはどうなるかと言うと、報告の場であり、
先ほど申し上げた押しつけの場、そして任命された
主任だとかいう人たちからいろいろなものが報告され、いわゆるあなたたちが言う
指導、
助言、こういうものになってくるからであります。
指導、
助言をめぐる論議を私はしていきたいと思いますけれ
ども、時間的な余裕がありませんから、きょうはやめますけれ
ども、いわゆるその
指導、
助言というのは、上から下へ、こういう発想、いわゆる上役から下役へという強制、こういうものになっていくからであります。そして
指導、
助言というのは、理解ということが一番中心課題でなくちゃならぬわけでありますけれ
ども、その理解ということは、
先ほど申し上げるような民主的な
職員会議の中でないと、そのことは具体的に具現できない、こういうことが言えるわけであります。いま職場の中では、この
職員会議が大きく変わっていっておることを私は見落としてはならないと思います。
私がここで一番
指摘をしなくちゃならぬのは、たとえば現在問題になっておる医・歯科大学、ここら辺でなぜ問題になっておるかと言うと、教授会の機能が完全に否定をされ、ここでは不毛になっておるところにこの問題が発生しておるということは、大体否めない事実として皆さんお認めになるでしょう。先般の文教
委員会等でもこの問題が問題になっておりましたし、大臣自身もそのことを認めざるを得ないと私は思うのです。ということになれば、
先ほど申し上げるような小・中
学校、高等
学校などにおける
職員会議、そのことが将来的にどうなっていくかということのかかわりの中で、私は大変問題だということを十分認識しておく必要があろうかと思います。
最後にもう一つ申し上げますと、人事問題です。この人事という問題は校務分掌上の根幹をなすものであるし、
教育活動を促すためには大変重要な問題であります。ところが、
教務主任を
管理職的なものとしてから、配置をしながら配転をする、こういう
事態がすでにでき上がりつつあります。このことはきわめて機械的になるし、そしてそのことは
先ほども申し上げるすべての任命制、職制へという感覚に陥っていく。人事についてはたくさん申し上げることがありますけれ
ども、こういうような
内容になってくるということをぜひ認識していただきたいと思います。ですから、あくまでも
指導、
助言ということで、
答弁を求めると逃げるだろうと思いますし、またあるいは
管理職でないと
考えておると言われるでありましょう。しかし、そのことは決して私は認めるわけにはいきません。それは
先ほどから時間を超過いたしまして申し述べてきた、いままでの経過がそのことを明らかにし得るものだと私は
考えます。
したがって、私は最後に要請をいたしたいと思います。
学校の中では、それがために不信感が大変増大しています。教師間における集団性がなくなる。そして逃避が起こる。そしてまた
管理者の場合には、県教委あるいは市教委との
関係で言うならば、
校長、
教頭というのは、教師のそういう無気力、無関心等を含めて三無主義というものが起こっていく過程を一々
指摘すると、正当な意見なりそういうものが出てくるから見過ごす。結局そこに悪循環がもたらされて、
学校内における
教育活動というのは大変な状況に陥っていく。ですから、いまの教育の荒廃は、こういう
制度化されていく過程というのが大変大きな
原因になっておるということを見過ごしてはならない。皆さんは、むしろ
制度化することによってこれを枠にはめる、そうすることが皆さんの
考える方向にということで
考えておられるかもしれませんけれ
ども、結局教育の荒廃は大きくここに
原因があるということを申しても過言ではありません。ですから、生徒は不在になり、
学校教育は不在になるという結果に陥っていくわけであります。
そこで最後に、そういう経過をたどるこの
主任制度、そして
主任手当の問題であります。
先ほども申し上げるいわゆる
特殊勤務手当、このことについて、なくすことがむしろ正常化する状況をつくり出すことになると私は思いますけれ
ども、この点について長官、大臣、総裁、皆さんにそれぞれ御意見をお聞かせ願いたいと思います。