○木島
委員 専門でない
人事院総裁にこのことをお聞きすることはないのでありますけれども、先ほどあなたは、いろいろあるけれども、教育行政のたてまえとしてやらなければならぬとおっしゃったから、しからばあなたは教育行政のたてまえとは一体どのように
理解していらっしゃるかと思って、実はお聞きしたわけです。
法規的に言うならば、教育基本法第十条であります。教育基本法第十条は、教育行政の項としてうたっております。「教育は、不当な支配に服することなく、
国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」とあります。第一項と第二項がありますが、第一項は、言うならば教育行政の前文のようなものであります。不当の支配に服するということは、もう余りこういう講義をするのはあれでありますが、それにはいろいろと議論がありますけれども、少なくとも学者の中で共通し、だれもが一致するものは、公権力の支配であります。明治教育に対するところの批判から、教育は不当の支配に服することなく、公権力の支配でなくて、そうして
国民全体に対して直接責任を負うのです。政治はすべて
国民全体に責任を負いますけれども、直接責任を負うということは何かと言うと、言うならば四権分立的なものであって、他の一般の政治と違って、教育に関しては直接
国民の意思が通じ合うということが十条の思想です。ですから、自民党の
政府が自民党の物の考え方でもし行政をなされるとするならば、まさに不当の支配と言わねばならぬでしょう。その歴史がずっと続いてきた、その一環にこの主任があると私は考えます。大臣、よく日教組と文部省とか
政府とかいうのは、ずいぶん対立的に言われますね。しかし、日教組と文部省のみつ月時代があったのです。御存じですか。敗戦後、あの明治教育の批判から、反省から、文部省も日教組も新しい教育をつくろうという立場では完全に一体でありました。まさにみつ月時代でありました。そういう時代が、わずかではありましたがあったのです。それがいつか現状のように分かれる時期、対立する時期が来ます。その出発は一体何だったのであろうか。まあ、教育論争だけじゃいけませんから、余り一々聞きませんよ。少なくとも朝鮮戦争を契機として憲法改悪だとかあるいは再軍備ができたとき、あるいは
昭和二十八年の池田・ロバートソン会談によって、
日本の国の憲法というものがいま
国民の中に支持を受けておる、その中でもって再軍備ができないならば、広報と教育をもって
国民の防衛意識を高めようというあの池田・ロバートソン会談以来、先ほど申しましたように、
昭和二十七年まで「不当な支配に服することなく」という教育基本法第十条の思想に基づいて学者大臣が続いてきておったのが、
昭和二十七年に岡野清豪以来、政党の大臣になります。そしてそこから、たとえばこの問題につながるならば、教育
委員会が公選制から任命制になったのは
昭和三十一年。翌年三十二年に校長を管理職にして——自民党の文部省の物の考え方が県の教育
委員会、市町村の教育
委員会、翌年校長に、そして教頭が今日の主任のように省令化されます。四十九年に教頭が法制化されます。そしてこの主任。自民党という
一つの政党が教育を支配し始めてから、実は日教組と文部省の対立
関係が続いてきた。政争の場から静かな場にしようとするときに、政争になぜなったかというその原因を排除せずして、静かな場に返ることはできないでしょう。その教育——先ほど
人事院総裁が教育行政のたてまえからとおっしゃったから、私はあえてこれを言うのでありますが、そのたてまえ、教育基本法第十条のそのたてまえというものを原則に考えたときに、この主任というものが一体いかなる教育行政の流れの中から、不当の支配だと私は断ずるのでありますけれども、そうでないならそうでないという御議論をいただきたいと思いますが、その中から出ておる。そのことがあるから、私はあえて先ほどから
局長に、このような奇怪な現象が生まれた、生まれたものは一体何か、そのことを抜きにしてこの問題の解決はないであろうという立場で御質問を申し上げておるのであります。何かこれは御意見があれば、お聞きする範囲で結構です。