○高島
政府委員 お答え申し上げます。
まず、神田堀川の工事の規模決定をどのような
基準で行ったかという御質問からお答え申し上げます。
この神田堀川の計画規模の決定に当たりましては、
防衛施設庁といたしましては山梨県と十分連携をとり御
協議を申し上げた上で、河川の重要度、それから既往の洪水による被害の
実態、経済効果等を総合的に考慮して定めるといたしまして、神田堀川の
実態として計画雨量はどういうことかということをまず調査したわけでございますが、気象庁の河口湖の測候所におきます
昭和十七年から
昭和三十一年までの降雨記録によりこの計画雨量というものが計画されております。それからこの神田堀は、先生御案内のように、富士吉田市内を流下する一級河川でございます。経済的にもきわめて重要であるということを考慮いたしました場合に、現在私
どもが採用しております工事の規模は決して過大ではないというふうに判断しております。なお、ただいま申し上げました計画雨量は、気象庁の河口測候所の
昭和十七年から三十一年までの時間雨量記録から一位ないし五位の値を平均いたしました一時間平均四十八ミリにより計画されております。計画洪水の量は毎秒八十トンということで計画されておるところでございます。
それから次に代表的な災害の例、それから土砂の流出量、降雪量、降雨量、気象
状況等の具体的な
内容についてのお尋ねであったと思いますが、まず神田堀川、侭堀川に関する災害といたしましては、
昭和三十六年四月五日の融雪による被害、それから
昭和三十七年八月二十五日から二十六日の台風十四号、
昭和三十九年八月二十日から二十一日の熱帯性低気圧によるもの、それから
昭和四十年八月二十一日から二十三日の台風十七号、
昭和四十一年九月二十一日から二十五日の台風二十六号等において河岸の決壊等の被害が生じております。また本年三月二十四日は融雪による被害が生じております。たとえば
昭和四十一年の九月の二十一日から二十五日の台風二十六号のときは、時間雨量五十四ミリ、連続雨量二百六十四ミリの降雨量があり、神田堀川におきましては、上吉田、松山におきまして左岸十二メートル、右岸二十メートルの決壊が生じております。——侭堀川は省略させていただきます。その他、当時の土砂流出量の把握につきましては、実はこの把握が非常に困難でございまして、現在詳細な資料が手元にございません。なお今後ともこの把握に
努力していきたいというふうに
考えておるところでございます。
それから神田堀の防災工事による効果をどのように
考えておるかということでございますが、御案内のように、米軍は接収と同時に神田堀の流域内を森林地帯利用の隠蔽行動の訓練区域として使用いたしました。そして森林内に演習用の道路とかざんごうとか築城壕というものを設置し、また重車両等を使用いたしまして頻繁な訓練を行いましたために、本流域は非常に荒廃いたしまして、降雨時には流下する水及び土砂が非常に増加したわけでございます。この増大しました土砂流が神田堀の支流や本流に流入いたしましたために、従来は平衡状態にあった渓流がそのバランスが破られ、荒廃渓流に変貌していったものでございます。
一般的に渓流や河川がその流路中の一部におきまして一度平衡状態を失いますと、その現象は次々に伝播してまいりまして、最終的には手のつけられない荒廃河川となってしまうというのが通説でございます。
以上のような、過去における米軍の訓練による河川流域の荒廃
状況から、
昭和三十六年四月の融雪時に下流の市街地に温水はんらんいたしまして多大な被害を与えたということが、
防衛施設庁としては非常に重要な過去の経緯になっておるところでございます。これがために、障害防止対策事業として縦横浸食の著しい部分に床固め工とか流路工を計画し、逐次実施しているものでございますが、障害防止工事の進捗によりまして、被害は、私
どもの
考えるところでは徐々に軽減しておると判断いたしておるところでございます。
ちなみに
昭和三十六年の融雪被害時におきまして、当演習場に流域を持つ滝沢与兵衛流れ等は、障害防止事業による砂防工事が相当進捗していましたために、流出土砂の下流桂川への流下をほとんど阻止し、桂川は温水することなく、被害を未然に防いだものというふうにわれわれは
考えておるところでございます。
なお、最後につけ加えさせていただきますが、
防衛施設庁といたしましては、富士山ろくの治山治水にあずかる山梨県当局と十分
協議を重ねまして、このような工事を実施しておる次第でございますので、何とぞ御理解をいただきたい、かように
考える次第でございます。