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公述人(
青木茂君) 御紹介をちょうだいいたしました
青木茂でございます。
私は
公述人といたしまして、一応五十二
年度の
予算につきましては反対という
立場で申し上げたいと思いますけれども、これはいわゆるイデオロギー的な反対であるとか、抽象論、概念論における反対であるとかいうことでなしに、まあ五十二
年度の
予算案をざっと見まして、いわゆるこの形で所期の成果というものが上がらないんじゃないかという
可能性と危険性、これを強く持っているものでございます。それは、当然現在の
予算と申しますものが、一番の
問題点が
景気浮揚にあるということはこれは当然でございまして、これがもう
国民最大の願望であるわけなんですね。しかしながら、この形で果たして
景気が浮揚するものなんだろうかということが一つの疑問でございます。しかも、今回の
予算というのが、後にも先にも
経済の第一人者でございますところの福田さんのもとで行われたものであるだけに、もしこれが所期の成果を上げ得なかったということになりますと、
国民の失望というものは非常に大きくなってしまって、その失望が結局リアクションを起こしまして、よけい
設備投資にいたしましても
個人消費にいたしましても沈滞を深めてしまうのではないか。そうすると逆に、今回の
予算というものが
景気浮揚型を意図しながら、スタグフレーションをエスカレートさせるというのか、
景気抑止型という思わざる結果を出してしまうのではないかという
可能性と危険性というものを強く意識し、深刻に意識せざるを得なかったわけでございます。その
理由は、今度の
予算の中心が、公共事業というものに集中的に資金投下をやることによりまして、
景気浮揚を図ろうという性格のものであるということは、これはもう周知のことでございます。
しかしながら、
日本経済の戦後の歴史におきまして、公共事業のみに資金投下をやることによって
景気が浮揚したという前例がないわけなんでございます。つまり、公共事業
投資方式というものは、ある一定の条件が備わりませんと
景気刺激
効果にならないということでございます。よく比較をされることでございますけれども、
昭和四十年の
不況のときに、これは公共事業方式がみごとに成功をいたしました。そのときの責任者も福田さんでございましたし、そのときまた初めて
国債が発行されたわけでございます。しかしながら、あのときの先例が今回もそのまま繰り返されるかということになりますと、少し問題があるわけでございます。あの
昭和四十年当時におきまして、公共事業
投資方式というものが成功をしたというのは一つの条件があったわけです。その条件というのは、一方において
企業の
設備投資意欲は衰えていなかったということ、
地方において
国民の
個人消費支出というものは堅調であったと、こういうことなんです。
なるほど、あのときも大変刻深な
不況でございましたから、いわゆるメーカーですね、製造業の
設備投資は現在と同じように冷え込んだわけです。しかしながら、非製造業——卸、小売、運輸、通信、電力その他の非製造業の
設備投資は非常に活発であったということ、これが一つと、それからもう一つ、
個人消費におきましても
都市勤労者家庭の
個人消費は今回と同じように大きく冷え込んだわけです。冷え込みましたけれども、
昭和四十年当時は、
都市勤労者家庭の十倍に相当する農村
消費の非常に大きな伸びがあったということ。したがいまして、
景気が落ち込むと、それを非メーカーの
設備投資と農村の
個人消費によって下から突き上げる、こういう作用があったわけなんです。したがって、
公共投資中心方式というものが私は成功したんだと思っております。
ところが、今回におきましてはメーカーはもちろんのこと、非メーカーの
設備投資も大きく冷え込んでおりますし、
都市勤労者家庭はもちろんのこと、かつて四十年
不況のときに
個人消費というものを大きく突き上げましたところの農村
消費も落ち込んでいる、こういう
状況があるわけでございます。そういう意味におきまして、公共事業方式というものが四十年と同じような成果を上げるかどうかということについて疑問があるということなんです。したがいまして、まあ
公共投資がもし成果を上げるとするならば、これで
景気はよくなるという
企業経営者の自信が
回復して、
景気がよくなるから
設備投資を広げるんだと、こういうことにならなきゃならない。
一般の
国民も、これで
景気に明るさが出たんだから、ひとつ
個人消費を広げようじゃないかという、
国民の将来に対する不安が解消されなければならない。ところが、その
国民の不安が解消されずに、都市、農村とも
消費が冷え込んでおりますから、
企業経営者もうっかり
設備投資をやりまして広げたなら、つくったものが売れなくてかえってえらいことになるという不安があるわけです。それが非常に実は今回の
予算の、
公共投資方式というものが四十年と同じような成功をおさめないのじゃないかという危険性があるということでございます。
したがいまして、これは外国の例なんかで明らかに見られるところなんですけれども、外国の場合は同じように
不況だと、その場合、
不況でも自分たちが選んだ、自分たちが信頼している
政治家の皆さんが、いつかは何とかしてくれる。そのいっかは何とかしてくれるまで、それぞれの
国民、それぞれの
企業は必死になって、ひとつ個人
努力でもって生き抜いていこうじゃないかという期待でもって
経済が支えられている。ところが、われわれが選んでわれわれが信頼している
政治家の皆さんが、いつかは何とかしてくれるというその信頼感が
日本にあればいいですけれども、もしないとするならば、
国民としては当然何とかしてくれないならば、自己防衛
努力をしなければならない。そうすると
消費より貯蓄だと、こういうことになりますし、
国民が
消費より貯蓄だという中において、
一般の
産業が
設備投資の
拡大をやるという条件がなくなってくる.こういうことなんですね。したがいまして、たとえば今回の話題になりました
減税問題にいたしましても、
国民のためにやってやるぞという形、前向きの意欲でもって
減税というものをやるなら、たとえそれが三千億であろうと四千億であろうと、実は
景気浮揚
効果というものは大きいわけなんです。そのいやだいやだと言って、無理にやらされてしまったというかっこうになりますと、仮に一兆円やろうが三兆円やろうが、
国民の信頼感は取り戻せないというような
状況になってくるんではないかという危惧があるわけなんです。
そうして、まあ今回の
予算というものが、そういうようにどうも
景気浮揚
対策として、公共事業を
効果あらしめる地ならしというもの、つまり
個人消費の
拡大ということの配慮が足らないところに一つの危機感があると同時に、この
予算が何としてもお役人のおつくりになった
予算であって、
政治家のおつくりになった
予算じゃないのじゃないかという危惧があるわけなんです。たとえば、公共事業
投資を
拡大するのだと申しましても、まあ総
予算が一七・何%ふえているのに公共事業は二一%ふえているんだから、公共事業が重視されているんだという完全な数量主義、数字以上の問題ですね、こういうことで果たして
国民感情といたしまして納得が出るだろうかということ、もっと
予算の背景にございますところの質的な問題に対して
国民の不満があるんではないかということを考える。たとえば、これは大変言い過ぎかもしれませんけれども、環境庁があるのに何で国土庁が要るのかと、国土庁があるのに何で環境庁が要るのかと、同じでいいんじゃないかという批判もあるでしょうし、あるいはよく言われておりますように、環境衛生金融公庫なんというのがございまして、一体どこの国に、国の財政でもってバーやキャバレーまで融資対象になっているところに援助するのがあるだろうかという批判もございます。
たとえば、五十二
年度の財投計画で見ましても、環境衛生金融公庫に対する財投援助は、沖繩振興開発金融公庫に対する援助の二倍以上です。もう沖繩というのは、沖繩県民挙げて戦争をやりまして、沖繩県民かく戦えりということで、戦後の後遺症がまだ残っている。そちらへ重点を置くということなら大変これはわかるんだけれども、どうもああいうところに、いわゆる水商売に近いようなものに財政援助が二倍行われているという点については、
国民感情としては何か逆なでされているような感じがなきにしもあらずだという感じがいたします。あるいは昨日テレビを見ておりますと、住宅ローンなんかの住宅
政策の問題が盛んにやりとりをされていたようでございますけれども、この住宅
政策の問題でも、ローンの枠をどうするとか、住宅金融公庫の枠はどうなるのかという数量的な問題の背景に、住宅なら住宅に対する
政治ビジョンというものが、一体どこまであるんだろうかということですね。よく言われますように、住宅というのは二、二の原則というのがある。うちをつくりたいと思う者には、年収の二年分でうちができるような配慮をしなければならないんだ。うちを借りたいと思う者にとっては、月収の二割でもって家が借りられるような配慮をしなきゃいけないんだというのが、一応世界共通の常識になっている。それに近づくためにどういうふうな住宅ローンの問題があるのかというような
議論ならわかるんですけれども、その基本的なところが欠けて、単に数字のやりとりでは少々おかしいんじゃないかという感じがしないでもなかったわけです。
以上が、今度の
予算について概括的に外から見ておりまして私の率直な、歯にきぬを着せない印象でございました。
だから、現在の問題は、どういうふうにして
企業経営者の持つ設備
拡大に対するところの不安——
国民が貯蓄しないでもいいような
状況、それをどうつくり出していくかということが、これはもう与
野党の問題を問わず、一つの大きな
問題点だと思うわけです。そういう意味において、国会が
国民のために真剣にものをやってくれているんだということを、
企業経営者並びに
一般国民が納得するような態勢というものが必要なんじゃないかと思うわけでございます。
そのためには、何よりも
予算の背景には税があるわけですから、税制そのものが
国民本位に切りかえられていく。つまり、税の公平というもの一これから
国債を返していかなければならないんだから、当然増税時代に入ってくる。増税と言ったって、税の不公平をそのまま残しながら増税だったら、これはとても納得のいくものではないわけです。よく言われておりますように、医師課税の問題がある。この医師課税の問題につきましては、不公平税制の代表だと、もう十数年にわたって言われながら、これはもう与党も
野党も及び腰じゃないか。よく保険料単価の問題とのバーターなんだから、それが解決されなければどうしようもないということなんですけれども、それはいわゆるたてまえ論であって、本音は特定少数のプレッシャーグループに振り回されているんじゃないかという感じが、私自身はするわけですよ。あの
昭和二十九年当時医師課税の問題が出たのは、医師の
所得を
一般の勤労者の何割増しにするかということで、ああいう問題が出たんですね。いまや医師の
所得は、
一般勤労者の四倍近いわけです。
それから、これは私自身もわからないことですから、大蔵省も教えてくれないからわからないんですけれども、医師の七二%、保険診療について。それから、自由診療については大体三四%の経費率らしいんです。じゃ三四%の経費率の中にいわゆる特別経費というのは含まれているのかどうかということなんです。特別経費——たとえば減価償却費で見ましても、
一般の機械、什器、備品、そういうものの減価償却費は
一般経費でございます。しかしながら、建物の減価償却費は特別経費でございます。人件費は特別経費でございます。それから借入金の利子は特別経費でございます。そういうものが経費率の中に含まれているのか、そういうものは別なのか、
一般の
企業においてはそれは別なんです。特別経費は
一般のいわゆる経費率に含まれていない、別に見るということになっているわけなんです。もしその特別経費が、医師の場合におきましても別に見られているとするならば、ほとんど一00%経費率に近くなってしまうわけなんです。これは私はどうなっているか、いわゆる税務行政の取り扱いがどうなっているか私自身が知りません。知りませんけれども、
一般の
企業等はそういうふうになっているわけなんです。そこら辺である数ならば不公平がますます
拡大をしていくということ。
それから、クロヨンだ、トーゴーサンだという捕捉率、これは俗語でございまして、必ずしもそのとおりそうなっているということはございませんけれども、しかしながらどうも税の適用というものを完全に受ける層とそうでない層との格差というものはある。それがどのくらい格差があるかということはまだ国税庁が発表してくれぬ限り全然わかりませんけれども、ただ税務統計による業種別
所得と、それから
国民所得統計によるところの業種別
所得というものを対比してみますと、これは同じものを違った統計の方式、料理の仕方をするのだから、そんなに大きな差があるはずはないと思うのですけれども、
一般の勤労者においては、大体
国民所得の九四%ぐらい税務統計でもキャッチされております、おりますけれども、事業経営者においては二二%しかキャッチされていない。それから農民に至っては八%しかキャッチされていない、そういうような
現実があるわけです。もちろんこれは勤労者というのが非常に
所得が多くてみんな税金を納めている。農家の方々、事業経営の方々が非常に貧しくて、税金を納める対象になっていないということになりますと、それが立証されればそういう格差があってもそれは当然でございますけれども、まあ常識としてそこまでの大きな格差があるということは、やはりそこに捕捉率の問題であるとか、必要経費のつかまえ方の問題であるとかいうものが、事実あるのではないかという気がしておるわけでございます。まあそのほか利子・配当分離の問題であるとか、
企業における交際費課税の問題であるとか、いろいろ不公平と言われているものはあるわけで、それを全部は直らないにしても、一歩一歩直す
方向の中で、税なら税というものを考えていただかないと、
政治が本当に
国民の
立場に立って行われているという実感が出てこないということでございます。
しかしながらどうも
公聴会というのは一種のセレモニーのような感じがしてしょうがないし、それからすでに
衆議院でも
予算が通っているわけですから、ますますその感を深くするのですけれども、過去の繰り言を幾ら言っても仕方がございませんから、あともう二、三分しか与えられた時間がございません。それで、これから・でも問に合う一つ二つの提言をさしていただきまして、私の
公述を終わらしていただきたいと思うわけでございます。
第一は、今度
減税が行われることになりまして、それが戻し税方式をとるのかとらないのか、これははっきりいたしませんけれども、アメリカ的な戻し税方式をとるということならば、ひとつぜひ六月か十二月にやっていただきたいということ。これはよく貯蓄に回っちゃうから
景気浮揚
効果はないじゃないかということがよく言われます。言われますけれども、なるほど
日本の貯蓄率は高いのです、高いけれども、それはボーナスというものがあるから高いのです。ボーナス以外の月の貯蓄率は
一般の欧米諸国に比べてそんなに差はございません。したがって六月、十二月というボーナス期に戻し税が行われるならば、貯蓄の方はボーナスからいっていますから、これは戻ってきた税金そのものは
消費に回る確率が非常に高いということですね、そういう意味で戻し税をもしおやりになるならば、ひとつ六月、六月に問に合わなければ十二月と、ボーナス期に合わせてやっていただきたい、これが御提言申し上げたい第一でございます。
それから第二の点は、どうしても
都市勤労者家庭を中心にして税の不公平感は残っているのだから、そのために源泉徴収者だけ源泉徴収特別控除というような新控除体系、つまり給与
所得控除とは別なものを、この際おつくりいただいたならばどうか。それがいわゆる捕捉率の問題にいたしましても、必要経費の問題にいたしましても、特別措置の問題にいたしましても、そういうものをカバーする意味で、源泉徴収特別控除というものをもしつくってくださるならば、
都市勤労者家庭の税に対する不満感、不公平感、それはかなり緩和されるのではないかと思うわけでございます。
大変急ぎましたけれども、時間でございますから。どうも大変暴言を吐きまして、その点は御寛容をいただきたいと思うわけでございます。(拍手)