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夏目忠雄君 その点はもう少し詳しくいろいろとお聞きしたいのですが、本日の趣旨を離れるようでありますので、それは後刻の問題に譲ることにいたしまして、いずれにいたしましても、核の問題はアメリカ、
領土の問題は
ソ連というふうにばかで
かい国が好き勝手なことを言っているので、さぞ
総理には御心労のことだと思いまするので、きょうはのんびりと
田舎の話を、牛の出そうな話をやりますので、ひとつくつろいでお聞き
取り願いたいと思います。
質問をいたします前に私の
考え方を大ざっぱに申し上げまするのでお聞き
取りを願いたい。それをお聞き
取り願いますれば後の
質問の要点がおわかりだと思いまするので、最初に私の
考え方を手短に申し上げます。
私は、御存じと思いまするが、
田舎の
地方都市の
市長として十何年、毎年毎年
予算を組んでまいりました。その
責任者として
予算を組んでまいりました。
政治というものは、まあ
政治というほど大きなものでなくてもいい、
地方行政で、結局は
選択の問題であります。
緊急度の判定の問題で、これもやりたいけれども一これはまあ来年に回して、ことしはこれでがまんしようじゃないかという、結局は
選択の問題に帰するわけでございます。
市長としては、いろんな機会を求めまして市民、
地域住民の人と接触を保って、大体来
年度の
予算はこの
事業にはこれだけの大きさ、この
事業にはこれだけのもの、この
事業にはこれだけのものという、
緊急度に相応した
自分の
腹案というものをこしらえます。そのこしらえたものを持って
東京へやってくるわけですが、現在、
地方財政の置かれておりまする
財源というものは、必要な
経常的経費というものを除いたあとの
事業費というものは額が小さいものでありまするから、どうしてもいまの
補助金制度を利用して、一億のものなら二億にして使いたい、三分の二助成なら一億のものが三億にして使える、そういうことでありまするので、どうしても
補助金のあるものが優先して、
中央の
補助金のないものはこれは
幾ら心の中で思ってもできない。よく学者の書いたものに、
地域づくりはこれから個性を生かして各
都市の特性を生かしてなんということを言っておりまするが、
現実の問題といたしましてはそんなぜいたくなことは言っておられない。
補助金が一文でも多いものへ
取りついてわずかの
事業財源というものを二倍なり三倍なりにふくらまして有効適切に使おうと
考えておるわけでございます。そういうわけで、
自分の
腹案というものを持って各
補助金の
担当セクションのところへ参りまするが、これはそのとおり認められっこないわけで、認められっこがありませんから、こっちも山をかけて、げたをはかせて、そうして釣り堀にこうさおをやるようにいろんな
担当セクションのところへ
釣り糸をかけてやっておくわけです。これが春になりまして
予算の
内容がはっきりする。こう上げてみると、魚がかかっておるときもあるし、かかっておらぬときもある。その魚も、
自分の方の
腹案としてはこれだけの大きなものが必要だなあと思ったのが、こんな小さなものになっている。それから正直申し上げて、これはまあ来
年度か
再来年度でもいいけれども、
補助金の
セクションというものはやかましいから、ことしのうちに言っておかなきゃ来年なり再来年に
優先権がもらえないから、とにかく
釣り糸だけはたれておけといって、正直言うと来年か
再来年度に延ばしてもいいというようなのはこんなでかい魚がかかってくる。(笑声)冗談じゃない、
本当なんですよ。それで、結局、そのとれました魚をずらずらっと並べまして、これは
昭和何十何
年度当初の
予算でございますよといって
市会に出すわけだ。しかしながら、
地域の
実情をよく知っていて
自分なりきに、また、
地域の
住民と十分話して
自分なりきの
腹案というものに直そうとすれば、こっちの魚の半身を切り開いてこっちの
事業へ持ってくる、こっちの
事業の頭の部分だけこっちにつけ加えれば、
地域の
実情にはより適合した
予算が組めるはずなんだ、こう思うのですよね。ところが、それをやると手が後ろへ回っちゃう。
補助金等適正化法案という
大蔵省がつくった猛烈な法律がございまして、
刑事被告人になっちまう。お互いに
刑事被告人になるのは余りありがたい話じゃございませんから、
中央から怒られるぐらいへのカッパですけれども、
刑事被告人にされちゃかないませんから、泣き泣き
自分では甲、乙、丙としますと丙ぐらいの
予算を
市会へ出さなけりゃならぬ。
総理も、本
年度の
予算をお組みになって、三千億か四千億できたら
公共事業の方へ回したいなあと思っても、減税へ回せ回せといって余り言うからそうせざるを得なくなった。そのときのお
気持ちは、
総理はものをおっしゃらないから私はお聞きしません。お聞きしませんけれども、そのときの
総理の
気持ちと同じような
気持ちを持つ。まだ今度の場合は二十何兆円のうちの三千億か四千億ですが、市の場合はそうじゃない。ほとんど半分近いものが
自分の意に満たない、
自分の意に満たないなんてどっちでもいい、
地域の
実情に合わない
予算を合わないと知りながらみすみす
予算を組まざるを得ないこの無念さというものを私は十何年やってきたわけです。それで、それだけお聞き
取りを願って、
質問に入りたいと思うのです。
地方自治がちょうどことしになりまして三十年になる。まあ記念すべき年であります、謙虚に振り返ってみますると、なるほど県庁は新しくなった、市役所もきれいになった、
公会堂もできた、道もよくなった。確かによくなった。これは
日本の
高度成長の余慶だとは思いまするが、大変結構なことだと私は思うのです。しかしながら、なるほど形の上では非常に進歩はしてきたけれども、
地方自治という
考えが一体この三十年の間に進んできたかということです。
地方自治とは何だというと、憲法では
地方自治の理念に沿ってといって書いてありまするが、どなたも
地方自治というものはこういうものだとはおっしゃっていない。しかし、私をして言わしむれば、
自治というのは、その
言葉のとおり、みずから治めるということです。
自分のことは
自分の
責任で百分の判断で処理する、それに対しては
責任を持つ、これが
自治というものだろうと思うのです。そういう
意味合いにおいては、いま申し上げたとおり、
補助金の
制度というものがこういうふうにがんじ絡めにどんどんどんどんふえている、金は
中央からなるほど
高度成長に応じてどんどんよこしてくれるから、
学校はりっぱになる、
保育所はできても、
自分のことは
自分の
責任で判断して処理するという、そういう気風というものは減る一方です。と申しまするのは、いま申し上げましたように、市でもって
予算を組むときに、
地域の
住民の
人たちがあるから、ある
市長の方は、
自分で判断するのはもういろいろ言われてかなわないから、全部
予算に組んじまう。はい、それも
予算に組みます、これも
予算に組みますといって三月の
市会には
予算を通す。ところが、四月になってふたをあけてみたら、これも落っこっている、これも落っこっている。
地域の
住民からどうだと言うと、いや、市では
予算を組んだけれども、
中央で削ったんだからしようがないんだ、悪いのは
中央だ、悪いのは
東京だといって言い逃れをする
市長も出てくる。皆さんのところへは、
学校ができた、
道路ができた、まことにありがとうございますといってお礼をしに来る
選挙民の方は多いと思うが、そんなのに気をよくしてもらっては大間違い。落っこっちゃっ方から言ば、何を
東京はしていやがるんだというのがどんどんある。私は、
地方自治三十年を振り返ってみまして、最近、年を追うて
中央の
関係と
地方の
関係がぎすぎすしたというか、ぎらぎらしたというか、あつ
れき音がだんだん大きくなってきている。これは
超過負担の問題や
人件費の問題がその契機になっておりまするが、あつ
れき音が年々大きくなってきている。私は非常に心配です。
一つここで御
質問いたしまするが、三十年を顧みまして、
地方自治の本来のあるべき姿というものはどうお
考えになっておるか、これをひとつ
総理と
自治大臣にお聞かせ願いたいと思います。