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久保亘君 いや、
大臣の御意見というのは、一般論としてはちょっと当たらないかもしれませんが、政治論的な言い方として受けとめれば非常によくわかる。非常によくわかるんです。しかし、本当言ったら、たとえば百人のところに三百人受験した、二百人は落ちるのです。そうすると、その中の何人かは順番が入れかわったかもしれません、何人かは。しかし、二百人の中の大部分の人
たちはもう入れかわることができずに消えるわけです。そうだと思います。だから、私はやっぱり本当ならそういう一次、二次に分かれるやり方がもう問題だと思うんです。だから、
大学を
共通テストでやるなら、
共通試験をやって、あとは身体検査をやり
面接試験をやって、それでもって決めていく、こういうことにならないとやっぱりどうしてもそういう問題が残る。それから、忘れてならぬのは、これは資格
試験ならいいんですよ、資格
試験ならいまのようなことが言える。しかし、競争
試験だから、はみ出しておる分は消えるのです。どうしても消えるのです。だから、そういうことを思えば、そう単純に
制度を観念的に
考えてこれはいい
制度だと思うようにはいかないのです。やってごらんなさい。これは
高等学校の教師はそれこそ子供側に対して
——最後に子供と親が頼るのは、先生にどこへ出したら大丈夫だろうかと言って頼ってくるんですよ。そのときに子供がどうしても行きたいというときに、いや、君はだめだという、そういう
指導をしてやる
判断の材料を与えられておらぬから、いや、そんなら君はあそこなら大丈夫だろうと、君のかねての学力からいったらいいよと、行きなさいよと言って受けさしてやる。しかし、そのときにその生徒はもう入らないことが、おおよそ
実態として入らないことが客観的に存在しているのですよ。そのときに教師が、いや、君は二次
試験で課せられる
面接やあるいは
小論文やあるいは特定の実技や科目について非常な才能があるから大丈夫だ、行け、行ってこいと言って励ましてやったら帰ってこなかった。こういうことになればやっぱり困るのですよ。それはそういうわからない材料でもって
判断し、生徒の進路
指導を行うということは
高等学校の教師にとっては、これはもう大変な問題だということを知っておいてもらわなければいかぬ。
試験が全然終わらないうちなら君の大体いままでの力からすればあすこの
大学なら、君大丈夫だからがんばって受けてこいと。また、それがやむを得ず、競争
試験だから運不運もあろうし、それで落ちてきた子供に対してもまた来年がんばれよ、というなぐさめがきくのです。ところが、今度は子供も
判断誤るかもしらぬけれ
ども、
指導する教師もある意味では
判断を誤ったということになるのです、
共通テストが終わっているから。そのことに対してはこの
試験制度は非常に大きな問題を残すということは知っておいてもらいたい。これはあなた方は机の上でいろいろと
検討されて、これなら大丈夫、
改善になって生徒
たちも伸び伸びと
高校三年間をやってきて、そしてそれこそ極楽ではなくても、いままでとは違った
大学の
試験に立ち向かう、たとえ合格できなくても、何にも心残りなくそれじゃぼくは就職しよう、もう一年がんばろうという気持ちになれるか。なれない者が必ずあると私は思います。あのとき先生がもっといい
判断をしてくれていたらおれはあそこまで行けたんだ、第二志望をあそこを持っておったんだけれ
ども、ここでもいいと言うから行ったらだめだったじゃないかというようなことで、そういう者がいっぱい残ってきますよ。だから、そういう問題についてもよほど
検討してかからないと、この
制度というのは私は非常にむずかしい問題がある、こう思います。
だから、本当ならば受験期日を、
共通テストの期日を
高等学校の
教育を乱さない時期まで延ばすと同時に、その結果を子供
たちに知らしめる、そして二次
試験はこういう問題についてこういう比重で行われるということも事前に明らかにする、そういうことをきちっとそろえないとそれはやれませんよ。いま言われるように、
共通一次
テストだけで決まるんじゃありませんよ、終わったんじゃありませんよと言われれば、それならば
共通一次
テストというのは一体総合
判断の何割ぐらいの比重を占めるのか、そのことも明らかにしておかないと、
受験生の方は
自分の志望校を選択するのに当たって十分な
判断になりません。特定の
学科については実技はこの程度比重を置くということを明らかにしておかないとやっぱりうまくいかないんです。だから、こういう点でこの
共通一次
テストというのは
大学側の
判断によって、
大学側の協議によって非常にうまくつくられたようであるけれ
ども、これを実際に試行していく場合には受験する側には数々の問題が残っていくんだ。そういう問題を果たしていよいよ五十四年度
実施に移すというこの短い残された期間に十分に納得がいくだけ調節できるのかどうか、この点についてはまだ引き続き私
どもは具体的な問題について意見も申し上げたいし、また皆さんからもお聞かせいただきたいと思うんです。そういう意味ではやっぱり私は
大学の二期制というのは意味があったと思うんですよ、二期制というのは。二期制といううは意味があるということは、なぜこれが弊害を生んだかということとの
関係で
考えるならば、一期、二期を長年にわたって固定したから問題がある。入れかえたり抽選で決めたり、その辺をもう少し
考えてやってきておれば、一期二期の
制度というのは私はある意味では現在のこの激しい競争
制度の中でそれを技術的に緩和をする一種の役割りを持っていた、こう思います。だから、そういう点についてもこの際一元化をして、再募集は実質的にはなし、
共通テストでうまくいかなかった者は二次
試験でがんばれよ、そうすれば復活の見込みがあるよ、それだけではこれはなかなか納得のいかない問題です。だからひとつ、まだ少々時間があるんですからぜひひとつ
検討をいただきたい問題だと思います。
それから、時間がなくなってきましたが、この
共通テストを
試験的に
実施される
段階で私はこの中に非常に問題が
一つ残っているように思うんです。というのは、各科目別研究専門
委員会の
委員というのはこれ全部
大学の先生なんです。ただ
一つだけ倫理、社会のところだけがその
委員という形をとらず研究員という形で
高等学校の先生と
文部省から入っておるんです。ほかのところは全部
大学の先生、十幾つのこの専門
委員会が
委員長以下全部
大学です。倫理、社会だけが
大学の先生が六人、
高等学校の先生が三人、
文部省の役人さんが一人、こういう構成になっているんです。これはなぜこういうことをやられたのか非常に理解のむずかしいところなんです。これはどうしてこういうことになったんですか。