○有田一寿君 それはたぶん私
どものとき、私の方が年長ですから、私のときは英語二題だけだったんです。それに対して
批判が起こって小論文を課したのではないかと思うわけで、これが現在だったら大変な非難ごうごうであったでしょうね、それはあらゆる
意味で。しかしながら、あの当時ですから、それでそういうものかと思って受け、通る者は通り、落ちる者は落ちたということだろうと思うんです。
で、私は、これはちょっと話が違いますけれ
ども、昔、盲
学校に見せてもらいに行ったことがありまして、そのときに、これ小学部でしたが、一年、二年、三年生の女の子が、あれはたしか冬の二月ごろ、寒いときに、二階で、目が見えないんですから、こうふいて、ふけたところは手でさわればわかるわけで、そうして水が汚くなると手すりにつかまりながら下に行って水をくみかえてまた上がってきてやる。それを
先生がぼやっと立って見ているわけですよ。それで非常に私
——そのとき福岡県の
教育委員をしていたんですけれ
ども、ちょっと不愉快になりまして、その
先生に、あなたもひどいじゃないかと、あれだけ手を赤くして小
学校の子供が一生懸命手すりにつかまって水をかえながらあれふいているが、水をかえるぐらいのことは上級生にやらせるか、
先生が加勢するかしたらどうですと言ったら、私が言ったか言い終わらないぐらいのうちに、校長
先生が飛んで来まして、私を引っ張って下の校長室に連れて行って、私大変怒られたんですよ。あなたはわからずにそういうことを言うけれ
ども、ああしてだれも助けてくれないと思うから自分で一生懸命になってふいていくんですよと。それをなまじここで同情したら、あの子の将来にだれが手を差し伸べてくれるんですか、やっぱりああやって自立心をつけていくことがその子の幸せにつながるんですよ、だから、心ないことをおっしゃっては困ります、と言って大変
——その校長は半盲の
先生でしたけれ
ども、そういう注意を受け、そのとき、帰るとき、またショックだったのは、やはり五、六人ずつ連れ立って
——それは八幡だったんですけれ
ども、電車道を帰って行くわけですよ。そのときに、
先生ははるか後ろの方からついて行っているんですね。そして危ないと思ったときに、さあっと走って行って何か注意してやる。そしてまたさようならと言って
——さようならと言っても帰るんじゃない、やっぱり後ろからついて行っているんですけれ
ども。そうしてだれも助けてくれないということで帰って行く、そうする間にだんだんだんだん勘が発達して、自分でだれの助けをからずともちゃんと道を歩いて帰れるようになるんです、という話をいまも思い出すわけですけれ
ども、甘やかし甘やかしいけば子供はなかなか伸びない。そしていつまでも頼る心が起こる。だから、これは本当の
教育にならないんだ。ときに厳しい面が、突き放す面がないといけないんじゃなかろうか。
そういうことをいろいろ
考えますと、この
入試問題について
考えましても、もちろん制度的なものをなるべく完全に近づけるようにしますけれ
ども、いつも私がしつこく申し上げるように、この
入試問題に関しては完全ということはあり得ない、どういう案をおつくりになられても必ずわっと
批判と反対が起こるであろうと。だから、結論を申し上げますと、今度の
国大協のこの案、これは数年かかってここまでたどり着いた。いままで
大学はなかなかそういうことに耳をかさなかったけれ
ども、ここまでまとまった。だから、決してこれが完全な案とは思わないけれ
ども、やはり二歩か三歩か、まあ、その程度ですね、前進しておるような感じが私にはしますから、だから、これはいろいろなマイナス面があればそれを極力修正しながらよりベターなものに持っていくしかもうない。そして何年かやってみればその評価というものはここで出てくるだろう。だから、余り欠点をあげつらうという気持ちは私にはないわけです。ただし、いま申し上げたように、少しでも完全なものに近づけるために、気のついたところはいろいろ
国大協の方としても、
入試センターに将来
関係する人も、虚心坦懐に
意見を聞きながら、よりよきものに仕上げていく必要はあるであろうという感じがいたします。
まあ、そういうことからもう
一つお尋ねしておきますが、一次
共通テストのときは、
高校の到達度を見たいのだと、したがって、
科目は
五教科・七
科目ということになっておる。これをもうちょっと少なくした方が
負担が軽いんじゃないか、あるいは個性的なものがそこに出るんじゃないか、あるいは文科と
理科にそれぞれ進む者について同じことをやる必要があるのかという
批判が現に出ております。それに対するいわゆる反論としての問題なんですけれ
ども、これは一次で適性
科目をもう少し重点的に見て、これを成績結果にあらわして判定する方がベターだけれ
ども、具体的な方法として、なかなかそれは不可能だと、繁雑になり不可能だということなのか。それとも、そういう見方をすべきでない、やはり七
科目を完全にやっぱりやって、
高校の到達度、言いかえれば平均的人間というものを目標に置いて
高校段階までは
考えるべきだという
教育理論の面から来ての、いわゆる弁護論であるのか、いろいろ議論が過程にあったのではないかと思いますけれ
ども、そこら辺のところ、佐野局長の方からちょっとお聞きしたいと思うんですが、いかがでしょうか。