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鶴園哲夫君 中核農家という言葉が初めて
農林省の公式の文書に出ましたのは、四十九年の春の白書で初めて登場してきたわけで、見当としては恐らく四十八年の秋ごろからそういう中核農家という言葉が出てきたと思うんです。それで、
農業の
担い手としての中核農家というのが出てきたわけですが、戦後、御
承知のように、
農政はすべての農家を対象にして
農政を進めてきたわけですね。農協法にいたしましても、農地法にいたしましても、
食糧管理法にいたしましても、すべての農家、全農家を対象にした
農政を進めてきておる。それが
食糧増産であるし、
食糧の増産をしていくには全農家を対象にしていく。それが三十五、六年ごろから
農業基本法の論争が行われ、
農業基本法が三十六年に制定されますと同時に、
担い手論としては要するに自立経営農家というのが出てきた。自立経営農家というのが出てきたときには、すでに
農業生産を増強しようという立場が変わってきた一
農業をいかに
合理化しそして国際的に
対応できるかという、そういう意味で構造
改善的な視角から、そういう
観点からのみ出てきたと言っていいと思うんです。そして、
農業白書は、常に毎年自立経営農家が何%になった、何%になったという計算をしておる、ところが、三十五年に全農家の八%ぐらいであったものが米転のころには四%に落ちちゃった。そこへ御
承知のとおり、
食糧の危機というものが出、
食糧を何とかしなければならないという危機論が出て、八%ぐらいの、七%か六%ぐらいの自立経営農家では、国内の
自給力を高めていく、国内の総
農業生産を高めていく
担い手にはなり得ないというところから、四十八年から四十九年にかけて中核的農家というのが出てきた。その中核的農家というのは、全農家の三二、三%を占めておる。それが粗
生産額の六十数%を占めておる。したがって、そこを押していけば、そこを育成し
強化していけば、そうすれば国内におけるところの
自給力を高めていくことができるというところから、私は中核農家というのが登場してきたというふうに思うんです。
ところがこの中核農家でありますが、私はこの中核農家というものをいまの
農政の路線の上に乗せていきますというと、とても、後五年たっても八%くらいにしかならないのじゃないでしょうか。いまの自立経営農家と同じ程度の数字にしかならぬじゃないかという心配をするわけです。御
承知のとおりに、五年ごとに
農業センサスが行われております。五十年の二月一日に
農業センサスが行われまして、それが報告が行われております。それによりますと、四百九十五万戸の農家になっておるのです。その農家の中で男子専従者、
農業専従者のいる農家というのが百六十一万戸です。三三%ぐらい。それから
農業専従者は女子だけの農家というのが六十一万戸 一二・四%。
農業専従者のいない農家というのが実に二百七十五万戸、五五・〇%、こういう
状況です。三二・五%というのが男子
農業専従者のおる農家なんです。ところが、この中には六十歳以上が相当占めておる。そこで六十歳以上の者を除きますと、二五%ぐらいになる。ですから、四十七年当時三三%ぐらいだと
考えていらっしゃったわけですけれ
ども、わずか四年ぐらいの間にいま申し上げましたように二五%、これが中核農家の実態。御
承知のように、中核農家というのは十五歳から五十九歳という
考え方でいらっしゃる。六十歳以上をとっていらっしゃらないわけです。そうしますと、二五%になれば四分の一です、いまの農家の。ところが、二五%の農家の中で、実際は何ともならない農家というのが相当含まれているわけです。というのは、農家経済
調査で見ざるを得ないわけですが、百万以下の所得しかない中核農家、百五十万しかない、それしか所得が
農業で得られない農家、こういうものはほぼ四〇%近いんです。これは
農業の中で中核農家とは言えないのです、百万以下の
農業所得では、百五十万以下の
農業所得では。それを除きますと一五%になるんですよ。つまり、今後とも農家らしい農家と言え、育成していける農家というのは、私は三五%じゃなくて、その中からさらに——百五十万以下の
農業所得じゃどうにもならぬでしょう。一五%ぐらいです。その減少率は非常なものです。これでいまの
農政の路線の上に乗せた場合、いまの
農政の路線というのは能率化ですよ。大規模化ですよ。そうして労働
生産性向上、これが中心です。その
農政の上にこれを乗せた場合に一体これはどうなっていくか、私はどんどんまた減ると思う。そうするとぐっと減ってくると思う。五年後には一〇%になっちまう。一体、どうこの中核農家というのを育成
強化されようとしているのか。私は、この中核農家をいまの
農政の路線の上に乗せますと、何ともならないのじゃないか。また八%ぐらいになっちまって頼りにならぬという、国内の
農業の自給率を高めていく
担い手として育成していくには足りないものになっちまうんじゃないか、こういうふうに思うんです。ですから私は、そこでそうでないようにするためには、いまの非常に極端な大規模化——大きな機械導入、大規模化、単一作目化、単一経営化という路線を
考えなけりゃならぬのじゃないかというふうに思うんです。というのは、いま申し上げました中核農家の単一経営というのは三八%ぐらいを含んでいる。複合経営というのが五八%ぐらいだと思うんです。ですから私は、大変な
農政の動きの中で、つまり大規模化、能率化、労働
生産の
生産性向上、そして単一経営という
方向に追いまくったこの
農政の中で、あるいは
高度経済成長の中で
農業が大変な圧迫を受けた。その中で本来の農家というのは、複合経営などという苦しい中で抵抗しながら中核農家として残っていると思うのです。そこのところをやはり私は
考えなきゃならぬのじゃないかというふうに思うのですけ
どもね。
大体、中核農家、中核農家とおっしゃいますけれ
ども、この中核農家だって、百五十日以上
農業に従事する人としてあるんですから、米をつくりますと、単一経営で言いますと、百五十日米つくったら、あとは百日以上外に出かせぎに行くわけですよ。それが一体中核農家なのか。
農業で飯を食いたい、
農業で生活したいというのが農家のこれは切望ですよ。願望ですよ。しかし中核農家の、たとえば
稲作単一経営をとった場合には——酪農とか養豚とか養鶏というのはこれは別です。一年じゅう働いています。米作は、何であろうと百五十日働いたらあと百日は外へ出かけにやならぬ、複合経営すりゃそうじゃないですけれ
どもね。ですから私は、いまの
農政の基本的な大きな流れである、三十五年以来の流れであるところの大型機械を入れていく、そして能率化をしていく、労働
生産性を上げる、単一経営化、選択的拡大、こういう流れというものと、本来農民が歩いてきた、農家がこの厳しい中で歩いてきて中核農家として残っているこの複合経営というもの、同時に
土地の
生産力を上げていくという、その二つのものをいまここで調和を図っていかなけりゃならない、そういう段階に来ておるのではないかというふうに思うんです。そこら辺のことについて
お尋ねをしたいと思います。