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政府委員(石川
一郎君) 先ほど申し上げましたとおりですが、皇族費と内廷費では、具体的に定額の算定の場合の構成員の
考え方が違っておりまして、皇族費の場合におきましては、四宮家を算定いたします場合に親王お一人の金額を一応定額といたしまして、
法律で定められている割合に応じてそれぞれの方々の金額が算定されるということになっておりまして、その場合の基礎になりますのは、独立の生計を営みます親王及び親王妃お二方の経費ということでございます。それを基礎にいたしまして定額を算定する。これは
昭和二十二年以降今日まで同じようになっているわけでございます。
それから内廷費の場合は、具体的には内廷を構成いたします構成員の方が必ずしもいつも同じではございません。二十二年当時におきましては、当時貞明皇后様がおられまして、そして現在とはまたもちろん構成が異なっておったわけでございます。そこで、皇族費の場合はずっと一貫したやり方で
考えられるわけでございますが、内廷の場合はそれぞれ構成員が変動いたしますので、どうしても構成員が減ればそのお減りになった分が計算上は少なくなる、ふえればその分だけがふえていく。変化すればその変化に対応しなければならないということでございまして、二十二年以降内廷の場合におきましては、構成員の御所要による増減というものがございますわけでございます。したがいまして、たとえば
昭和四十年には皇族費は
改正をいたしたのでございます。定額の
改正をいたしましたが、内廷の場合はこれはいたしておりません。その場合は、
一つはやはり常陸宮様が独立されたというようなことがございまして、内廷の変化によりまして引き上げをやらなくてもよろしいというようなことがございました。内廷の場合はそういう構成員の変動による変化というものが皇族費の場合と異なってあるということがございます。
それから内廷費は、ただいま御指摘がございましたように、当初は八百万円ということでございます。当時は、実際に経済
情勢が変化をいたしたときでございまして、的確な経済の見通しを得ることはなかなかむずかしい、当時金森
国務大臣もそういうように述べておられまして、どうしても少なくなればこれは
改正を
お願いしなければならないというようなことでございました。実際にはやはりなかなか経済、物価の伸びが非常に大きいというようなことがございまして、二十二年当時はお苦しかったようでございます。しかし、二十三年には二千万円に改定をいたしております。これはかなりの倍率でございまして、その後二十四年、二十六年、二十七年、二十八年と、当時の経済
情勢等もございまして年々改定をいたしてきておる、こういうことでございます。したがいまして、伸び率は非常に両者において違いがありますが、そういうようなことが
一つの原因でございます。
それから同時に、皇族費の場合は、どうも実際の実態に合うような金額をなかなか算出することがむずかしい。それから当時の宮家の経済もなかなか思うようにいかないというようなことがありまして、かなり見直しが行われたということがございます。もちろん内廷についても同様の見直しを行っているわけでございますが、皇族費の場合は非常に御窮屈であるというような点が考慮されまして、たとえば
昭和二十六年から二十七年にかけましては、内廷費は二千九百万円から三千万円と百万円の引き上げにとどまっておりますが、皇族費の場合は七十三万円から百四十万円、これはどうしてもそのころ皇族の御事情が七十三万円では十分でない、内廷と同じような扱いでは十分でないということがあったように
考えております。そういうようなことがございまして、御指摘のような差が出ているわけでございます。