○秦野章君 まあこれは時間の経過の中で消化していくもので、これまだどうなるのかわからぬのだからということがあるけれ
ども、やっぱり大きな計画をやっていくときには、いきなり飛び出してくるみたいなことはうまくないから、そこらの点はやっぱりむだと思っても
——このごろいろいろ現地がむずかしいですからね。これはもう大いにひとつ私は要望しておきたいと思うんですよ。
それからその際に、これはまたいろいろなプロジェクトをやる場合の
一つの問題なんだけれ
ども、住民パワーというか、こういうものが出てきたときの対応がどうも余り
日本はうまくないような気もするんですよ。これはできるかできないかわからないうちにそんなことを言う必要ないかもわからぬが、これは私は
一般論として特に
政府に要望しておきたいんだけれ
ども、きょうは通産省、原子力の問題なんかにも、通産は直接
関係ないかもしれぬが、電気事業なんかで関連するわけだけれ
ども、住民の理解を得るといってもなかなか理解ができないというような、理解をしようとしないような
状況の場合もある。そういう場合に、ナショナルプロジェクトに関連してときどき暴力が起きることがあるんですね。これはきょうは通産、
外務省の問題じゃないけれ
ども、結局実際は起きちゃったときに警察だとかなんだとかというんじゃなくて、起きる前のそのプロジェクトの成立の
過程の中で消化をしていくという作業が実は
日本の場合大変弱いような気がするんです。それは自分の領分じゃないという発想がどうも積極官庁の方にあって、積極行政の方にあって、消極行政の方の、つまり警察とかそういうところはまた起きてくるまでは自分の領分じゃないと、こういうようなかっこうになっているんですね。私は、成田闘争なんか見てもそう思うんだけれ
ども、この問題は直接は
関係ないけれ
ども、私は、きょうは
一般論として、ナショナルプロジェクトというものをどうしてもこれから
考えていかなきゃならぬ、特にナショナルプロジェクトの一種の大枠というか、ナショナルプロジェクトをつくる場合の配意事項というか、ナショナルプロジェクト憲章というか、何か行政指針みたいなものを、いろんな気がついてやらなきゃならぬようなことを通産省あたりはやっぱりつくった方がいいんじゃないだろうかと−あるいは通産省だけの問題でもないんだが、そういう感じもするんだが、あらゆるところに目を配って、あらゆる着眼で手を打っていくということをやらないと、いろんな後で要らざる犠牲も起きるし、また問題が複雑になるということがあるんですよ。さっき私は、ナショナルプロジェクトの問題を
一般論として言っておりますけれ
ども、そういうような点について通産行政の中ではいままで余りなかったか、どうですか。これからは私はあり得ると思う。何といったって
日本は政治的意見も多様ですからね、そして多党化ですから、政治で言うならば。
国民はまた政治以上に多様でございますから。中には暴力を喜んで楽しんでいるという分子もいますから。暴力を使うこと自身に喜びを感じているという、そういう人間が高度成長の中で出てきたということもあるので、あんまり油断をしちゃいけない、このナショナルプロジェクトをやる場合には油断をしちゃいけない。暴力に大義名分を与えちゃいけないと思うんですよ。このことは、まあこれ、きょうの日韓大陸だなに直接の問題じゃないけれ
ども、私はこういう機会に特に積極的な行政を進めていく通産省あたりには要望しておきたいと思うんだけれ
ども、そんなことを含めて、大きな事業をやる場合に、ナショナルプロジェクトと言われるようなものをやる場合に、こういう配意事項が要るんだといったような、一種の大きな行政指針というか、大げさに言えばナショナルプロジェクト憲章みたいなものでも
考えておいた方が大丈夫じゃないんだろうか、安全じゃないんだろうか、あるいはまた行政として非常にやりいいんじゃなかろうか、これは通産だけの問題じゃないけれ
ども、通産なんかはこれからいろんなことをやっていかにゃならぬと思うから、そんなことを
考えるんだが、松永さんどうですか。