○
政府委員(武田康君) 美浜発電所の運転につきましては、四十八年三月からの定期検査の後八月から運転を再開いたしておりまして、その後四十九年の七月に蒸気発生器の事故で運転を停止して、その後とまっているという、先生の御
指摘のとおりでございます。
で、昨年十二月以降の私どもの
調査あるいは関西電力からの
事情聴取でございますと、関西電力は、その折損を発見し、そういった時点におきまして破片等々をいろいろ回収したというようなことを言っているわけでございますけれども、私ど
もといたしましては、いままでの
調査結果から見まして、関西電力が
昭和四十八年当時、その折損部分の回収につきまして十分に確認をせず運転を再開したというふうに考えるわけでございますが、そういうこと
自身は保安管理上全く不適切な措置であったと、こういうふうに
判断しております。
ところで、関西電力はその時点におきまして破片等々もできるだけ回収したと、こういうふうなことでございますけれども、先ほど私申し上げましたように、ペレットなりあるいは被覆管の破片、また、ペレットの場合にはかたまりがあるがもしれませんが、それが
燃料棒なり、それから
燃料棒の間、表面または支持の格子等々にはさまったり、付着している、まあ細かい破片であろうかと思いますけれども
——というようなことが想像できるわけでございますが、仮にそういうことで運転をいたしますと、局所的ではございますけれども、たとえば冷却材の流れを若干妨げるとか、あるいは
燃料棒が熱的に全く正常な
状態に比べますと若干厳しいといいますか、よくない条件に置かれると、こういった
可能性が考えられるわけでございます。ただ、私ども科技庁、
通産省両方としまして、安全審査の過程等ではある程度の
燃料の破損ということが起こり得るということを前提にいたして、周辺環境への
影響評価というのをあらかじめやっておくというのが
原子力発電所の設置、運転の基本になっている
考え方でございしまて、そういう評価の範囲内であったかどうかという議論をいたしますと、本件につきましてあるいは範囲内であったのかなという気がしないでもないわけでございます。と申しますのは、運転再開後、その四十八年の八月以降四十九年にかけましての一次冷却水炉水レベルという記録がございますが、その記録は、たとえば
日本のほかの発電所に比べますと高い数字ではございますけれども、この範囲内に押えなければいけないという制限値、安全確保上の規定値とでも申したらいいかと思いますが、その辺に比べれば低いものでございますし、それから海外にいろいろな
原子炉がございますけれども、これまた高いものも低いものもございますが、それらに比べますと必ずしもそう高いものではないというようなことでございまして、それは確認はしているわけでございます。
それからもう一点、先ほどの
お話の中で、なぜ記録に出ないのだろうかというような御
指摘があったかと思いますけれども、実は私ども、いま申しましたように、この美浜発電所の運転当初から四十九年の七月に運転をストップするまでの間の
原子炉一次冷却水におきます放射能濃度等々を実は昨年以来いろいろデータをチェックして、余り炉水レベルに変化がないと
——当初の立ち上がり期間、運転を始めた期間でございますが、それは別にいたしまして、コンスタントの運転になってから余り変化がないというのを確認をしているわけでございますが、しかし、ほかの発電所に比べて高い、
日本のほかの発電所に比べて高いのは、美浜発電所に
行きまして、いままで四体だったか、ちょっと不正確かもしれませんが、三体だか四体、
燃料棒のピンホール等によるリークのおそれがある、あるいはリークがあるというふうに判定して取り出した
燃料もございますし、それから
燃料体は、本件のような損傷、フレッティングコロージョンによる損傷、つまりピンホールよりもっと大きな穴
——穴という表現は適切ではございませんけれども、そういう傷ができて、それでそこから放射能が漏れていたと。ピンホールの何本分に相当するかというようなのがなかなかむずかしいのでございますが、そういったようなことが
影響して、ほかの
日本の発電所に比べればやや高い水準で推移していたというふうなことが言えるのでないかと思っております。