○秦野章君 確かにおっしゃるとおりだと私は思います。そこで、人権とか
捜査を担保するためにできているということはそうなんだけれ
ども、ひとつ人権の問題を取り上げて
考えた場合に、不起訴処分で人権の問題を
考えた場合に、いわゆる今度の
灰色高官なんかの例を見てみますというと、
灰色高官で不起訴処分になった者について公表された者が、わしはもらっておらぬ、もらっておらぬといったような場合に、人権じゅうりんだといったような場合に、これを救済する手段がない。救済する手段がないようなことは、これは人を殺したり、強盗しても、やっぱり救済手段はあるんで、民主的な制度というものは必ず、人権の侵害と思われるようなものに対しては救済手段を考慮するというのが制度の一般的な法則だと思うんですね。ところが、まあ
本人が
灰色高官で認めておれば、わしはもらっておらぬと言うわけないんだけれ
ども、全然もらったことないと、こうやっちゃっていると、これを本当にもらってないんなら確かに気の毒な話ですね。ところが、本当にもらったかもらわないかは、
国会へ材料持ってきて審査すればはっきりするといってもしないんですよ、これ。まだ
国会はそれだけの事実認定を権威を持ってやるようなシステムもないし
——ないんですね。だからそこらに、私
どもは非常に問題をどういうふうに
考えていくかということでいろいろ
考えているんですけれ
ども、私は、一つはさっき刑事
局長おっしゃったように、三十ユニットの問題で
公判になっていけばおのずから明らかになるであろうと、こう期待をされますけれ
ども、しかし、これも検事の
立場でそうおっしゃるんであって、裁判官はまた別なんですよ。これは人権に関するから、起訴もされていないから余り触れられないみたいなことになることがないとも言えないと思うんですね、何%か。
要するに、裁判じゃなくて検事の
考えというもの、検察の
立場の一
考えというもの、検事が調べたことは全部正しくて、一〇〇%間違いないんだという前提に立つことが、われわれ
国会としてはちよっと問題がある、検事は非常に正義の味方で一生懸命やってくれた、その御苦労は感謝する、しかし、やったこと自身が全部間違いないんだ、だから検事の材料を持ってきてくれれば、そのままこれはぴしゃっと判決と同じように、
国会が判こ押せば、それが不起訴処分であってもそれをごてごて言わさない、事実だよと認定する能力が私は
国会にあるだろうかというと、これ、ないような気がするんですよ。だから
資料をお出しになって
国会が審議をする、
論議をするということはあるでしょう。
論議をした結果、国民から見てあんなこと言っているけれ
ども、やっぱりもらったんかもしれぬ。どうのこうのと言うて、言うならば選挙や何かで道義的裁判をやりますわね、国民が。道義的判決は私は選挙だと思うんですよ。なぜならば、
国会はその事実認定のちょっと能力を検事以上に持つということは無理だと思うんですよ。そこで私はひとつ、検事のやったことは、警察とか検事のやったことはときどき間違ったこともやるんだという前提に立たなければいけない。裁判ですらときどきやり損なうんですから。まあ裁判にいけば再審制度があって、大分もんで結論を出すからいいけれ
ども、やっぱり検事、警察というものはそういうものなんだという前提に立ちますと、四十七条の規定というものをあんまり簡単にこれ扱っちゃいけないんで、特に不起訴処分の場合は、私はこれはまあ大臣はこの間いろいろ問題提起されましたけれ
ども、私、気持ちがわかるような気がする。というのは、少なくともわれわれは、
国会の
政治家としては、検事はよくやってくれた。しかし、間違いがありゃせぬかという監視の目というものも必要なんで、両手を挙げて賛成するという、何でもいつの場合でも賛成するわけにはいかぬわけですから、そういう意味において四十七条含めて刑事制度、いまの
刑事訴訟法の制度、この制度というものは、
ロッキード事件というものにとらわれないで
考えたときに、かなりりっぱな、
捜査と人権との調整という角度からはかなりうまくできた制度だと、これは学者もそういう評価をしているわけですよ、だから、この御度を狂わせるようなことをしちゃいけない。この制度は憲法、法律がつくった、憲法、法律そのものですから、この制度は、
政府はまさにこれは守っていかなきゃならない。
国会が法律でもってそれを
改正するんだということになってきたらこれは別ですわな。そうでない限り、制度は守るというような
政府の憲法上の
責任でありますわな。義務であります。
だから、そういう意味において、私はまあ野党の諸君なんかとちょっとそこが違うんだけれ
ども、
資料が、秘密会なら大丈夫だと言ったって秘密会がさっぱり秘密守れないんですよ、正直言って。この間もはっきり例を示しちゃった。そういうところがわかり切っているのに、秘密会なら出しますよなんというのは、これは
政府もややごまかしなんですよ、これ。気の毒な話なんです、そもそも。私はもっとしっかり制度を守るということが実は
捜査の方向を守り、人権を守るということになるのであって、制度を守ることがいかにも
捜査をいいかげんにするんだということにはならないんだと思うんですね。その制度そのものに人権の保障と
捜査を達成するための方法というものをうまくつくり上げて、仕組みの中に入っているんですから、
〔
理事平井卓志君退席、
委員長着席〕
その仕組みを守りさえすれば人権もほどほどに守れるし、
捜査も達成できると、こういうまあ物の
考え方でなければいけないだろう、こう思うんですよ。
そういう観点に立ちますと、
灰色高官の問題については、まあ大臣のように出さないと言っちまうのはいささか問題かもしらぬが、出すこともあるが出さないこともある。それはケース・バイ・ケースだと。秘密会ならいいとか悪いとかという、そういう具体的なことまで言えるかどうか。私はちょっとそこらが疑問なんですよ。確かに
灰色高官なんかで金をもらったと言って調書にでもちゃんと、不起訴処分でもはっきり言っていれば、そうしてまた、もらってるが時効になりましたとちゃんと納得してれば、これはやっぱり
政治家ですから、公表した方がいいと思うのですね、常識論として。これはまさに四十七条のただし書きの適用に私ははまってくると思う。ところが、もらったこともないと言ってがんばる人は、本当にもらってないんならこれ、気の毒なんで、そういうクエスチョンマークが残ってますからね。これを救済する制度を何か開発されたのなら、
政府が。この不起訴処分の中のそういう問題が起きたときにこれを救済というか、解決するという制度を別個に新しく訴訟手続の中で設定をする、そういうものを開発していくということがあるのなら、これはこれでいいと思うんです。
ところが、司法ではやらない。司法以外でどういう開発があるかということになると、やはりこれは
行政の領域ですから、不起訴処分は。
行政の領域だから、やっぱり
行政がそういう制度を編み出すことができるであろうかどうかという問題があるんで、この辺のところは
法務大臣に私は、これは私の意見だからおまえさんの意見と違うとおっしゃればそれも、その意見も伺いたいんだけれ
ども、よほどしっかりと、制度を守るということは
政府の憲法上の義務であり、議長裁定があっても、議長裁定は法律じゃありませんからね。あの
趣旨にかんがみてそのニュアンスを、
政府が議長裁定の
趣旨をくんで解釈される
程度はいいんだけれ
ども、あれは法律じゃないんですよ。議長裁定なんです。憲法、法律から言やたかが知れているんです、正直言って。そういうような毅然たる
——これは
法務大臣は非常に毅然たる御姿勢をしばしば示されるけれ
ども、行き過ぎたことはいかぬけれ
ども、やっぱり私はそこらがいささかこの
ロッキード事件というのはずいぶん、徹底
究明は当然のことながら、日
本人なり日本文化の特徴ですけれ
ども、大きく揺れて、こういうふうに揺れて、やっぱり揺れ過ぎちゃいけないなあという配慮もやっぱり必要なんですよね。その配慮の中にこの問題が私はあるような気がするわけであります。制度を守ることが実は人権
——制度を忠実に守りさえすれば人権も守れるし、
捜査も達成できるんだという、これが私は結論だと思うのです。あんまり具体的にこの灰色を出すとか出さないとかいうことでやっさもっさやっても、これは本格的な
論議はお留守になっているという、そういう感じがいままでの
経過から私はするわけですが、
法務大臣、どうですかね、この私の所見に対して。