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大出分科員 その迅速にということなんですが、四十七年に起こった
労働災害に対しまして、今日まだ等級も決まっていないということ、その間、この災害を受けた
労働者は、見るに見かねる状態で病床になお呻吟している。きょうも電話をかけましたら、奥さんが川崎まで薬を取りに行っているわけでありますが、一日に二十何回も便所通いをするので、わざわざ二階に便所までつくって行かなければならぬ。本人を車に乗せて通院させるのでも、近所の個人タクシーが断るわけであります。これは大変に小水が近いからであります。そういうことになっているのに、いま五十二年でございますが、四十七年のものが今日まださっぱりわけがわからぬ。これは私は、この
法律の趣旨に沿わない。いずれの決着がつくにせよ、こういう無責任な話はない。
だから、私はきょうは、私
予算委員でございますから、
質問者の数が多いので、各
分科会全部遠慮をいたしましたけれども、これだけは遠慮をしようにもできない。何が何でも、これは責任の所在は一体どこにあって、だれが一体責任者なんだ、私は、その責任をとっていただきたい、こう実は思います。
質問をいたしました結果として、まだ
予算委員会に時間もございますから、改めて総理なりに
質問をしようと実は思っておるわけでありまして、責任を明確にしろ、責任をとれ、こう言いたいのであります。
そこで、この事情を御
説明をさせていただきたいのですが、大臣がいま読んでおいでになります陳情書というのがございますが、病床におります御本人がお書きになったものであります。風間時次郎さんという方でありまして、横浜の瀬谷というところに住んでおりますが、六十一歳ということで、働いておって重傷を負ったということなんであります。
「私は、
昭和四十七年十二月二十一日午後一時二十分ごろ、鉄建建設、東京都千代田区三崎町二の二二の十八号総経ビル内、新橋地下鉄工事作業所地下五階移動用足場上にて作業中、突然足場にトロッコが突き当たり、五メートルはねとばされ、地上五メートル五十のトロ線上に転落し、その勢いで半回転し、全身打撲、肋骨骨折左十本、両肩骨折、骨盤右骨折、頭部挫創にて意識不明となり、新橋慈恵医大に入院しました。そのとき、後で、一緒に働いていた友人に八カ月後に会い、」これは意識不明で入院していましたからね。「やっと事故の原因が判明いたしました。」この友人の方というのも、私いろいろ承りましたけれども、一人じゃないのであります。「友人より話を聞き、トロッコが突き当たったこと、救急車を頼まず、下請のトロッコを突き当てた」、鉄建建設の下請でありますが、「向井工業のライトバンで送られる途中、信号が何度も赤になり気が気ではなかったと申しており、」つまり一緒にいた人がついていったわけでありますが、「私を病院に送り届けた後、所長命令で足場を全部ばらし、」足場にまず欠陥がございます。だから、問題になりますからあわてて足場を全部ばらさせた。「次の日の正午までかかり全部改造し、」その二時間くらい後ですね、足場を改造した後、「基準局より係官が現場検証に来たとのことです。別の友人がおかしいというので、所長と会い、基準局へ提出した書類と図面を、強硬にかけ合いやっとのことで取り上げてくれましたが、」後から
説明いたしますが、ここにその取り上げたものもございます。大変作為に満ちた書き方をしておりますが、「取り上げてくれましたが、偽造書面にてただあきれるばかりでした。事故当時三人以上もいた人たちに」、仲間が三人いたわけでありますが、「病院へ絶対行かないよう頼み、」行っちゃいかぬというわけです。「それがため、医師は、肋骨骨折十本のうち三本が肺に刺さり、内出血のため輸血を行い、一カ月半後に血清肝炎となり、両肩骨折の接骨は命にかかわると言うので、マッサージで何とか手が曲がるようになりました。問題は、頭が絶えず痛み、夜も全然眠れず、医師に診断していただきましたところ、棒で首や肩をたたき、老化現象と言われ、そのまま何の手当てもなく、ただ毎日苦しみ続けました。早く現場にいた人たちがそのときの様子を話してくれたら、頭をよく調べてくれたことと思います。八カ月後に初めて、安全帽が三メートル先に飛んでいたということで頭を強打したことがわかりました。小水は近く、多い日には一日二十三回もあり、寝る間は現在でもありません。四十八年五月三十日、通院ということで退院し、川崎市木月の関東労災病院整形外科で診ていただきましたところ、頭の痛みは老化現象だと言われ、胸の苦しみだけ診ていただきましたところ、血清肝炎が大分悪いとのことで、内科で診ていただきましたところ、目がかすみ、肝炎も相当悪いとのことで、眼科で診ていただき、脳外科へ行くよう言われ、初めて首、頭のレントゲン検査で八カ所も悪いところが見つかり、早ければ治ったが、もう手おくれでどうにもならないので、打ち切りを宣告されました。実に残念でなりません。次は、神経科で診ていただき、三年過ぎた今年の六月打ち切りにされ、国保で薬をいただいております。次は、泌尿器科で診ていただきましたところ、お年で近いとのこと。私は、事故前はこんなことはなかったので、ぜひ診ていただきたいと申し出、やっとのことで診ていただきましたところ、膀胱、尿道打撲のためレントゲンではっきりわかり、排尿後も尿が残っているため排尿が近いので、手術をしても見込みなく、打ち切りにされました。残念なのは、内科で昨年四月突然国保だと言われ、薬代を払うよう通知が来まして、次の診断日に行き、医師、医事課事務所で何のため国保にしたか、払う払わぬの争いとなり、何カ所も診断で最後に残され、お金を払わなければ薬を渡さぬと言われ、やむを得ずお金を払って薬をいただいておりましたところ、無理したため八月二回、九月に三回も倒れ、近くの病院へ入院いたしましたが、」云々と、こうなっておりまして、最後の四枚目に「川崎の市役所へ妻が行き、国保の件を調べたところ、全然でたらめで、内科、基準局、鉄建の三者が連合して悪いことをしております。」と言っているのであります。これも後で
説明しますが、「昨年十二月、一月で認定検査が終わっておるにもかかわらず、」これはおくれていることを言っているわけでありますが、その最後のところに「公傷でありながら労災にならず、後遺症のため働くこともできずに泣く人の実に驚くべき数字が」あるのじゃないかというわけですね。したがって、これは
国会で問題を何とか取り上げてもらって、労働大臣以下各地区基準
局長、署長の、どうも納得がいかない、こういうふうな問題について、くやしくてしょうがないと本人は言っているわけでありまして、ちょうどこれはロッキード事件で騒ぎになっていたときでありますから、「ロッキード問題以上」なんて書いていますけれども、苦しんでいる人間の実感だという気がするのであります。「しかし、現在の体ではいかんともすることができず、よけい残念でなりません。一日も早く
国会が平常になり、」ロッキードでこれはなっていませんでしたから、「第一番にこの不正をお取り上げくださるよう切に
お願いいたします。」こういう文面なんであります。
二、三点つけ加えておきますけれども、三田の労働基準監督署長名で、関東労災病院に対して意見書の提出依頼が出ております。これで病名その他の
問題点をおわかりいただけると思うのであります。かつまた、ここに医者の名前が書かれておりますから。
そこで、「傷害事故報告」という
昭和四十七年十二月二十一日の文書、これが
会社側がとっさにつくって基準局その他へ出した文書であります。これをお読みいただくとわかりますけれども、トロッコがぶつかったということは一言も書いてない。整理していたところ、片側の手すりと上げた型枠との間隙が五十四センチあいていた、足場で仕事をしていたらですね。そして、これはまさに誤って軌道上に転落して負傷したんだ、ここで言っているのはこういうわけですね。
後「事故の原因」というところで何を書いているかというと、移動式足場台車の上床部のパイプ手すりと上げた型枠の間隔が片側だけ五十四センチあいていた。あいていたところへ落っこった。だからそれが直接の原因だということにして、作業員が老年のために作業行動がもたもたしていたというわけですな。これが直接の原因だ。ふざけた話だ。そして、その後は延々と、なぜここに五十四センチのあいているところがあったかという言いわけをしているわけですね。しかも、この足場は取っ払っちゃって、基準局が来るまでには、いろいろな人が
調査に来るまでには徹夜がかりで全部組みかえちゃって、組みかえたものにはこの間隙はすでにない。すき間はなくなっている。これは現場の方々みんな知っています。なぜ一体こういうことをやるか。大きな紙にございますのが、これはここに十枚も同じこういうものがあるのでありますが、つまりトロッコがぶつかったというところを隠して図面を書いて添付して出しているわけであります。これはもう被害者本人のほかに三人いたのでありますから、まじめな、やはり高年齢
労働者でありますけれども、正直な話をしております。何てひどいことをするんだろうと思ったという言い方でありまして、つまり、なぜこういうことをやるか。
私も昔、総評中央本部の役員を長らくやっておりまして、古き日の
石田労働大臣に年じゅうお目にかかった時代があるのであります。こういう場面には、当時の仕事柄、年じゅう組合で取り上げますからぶつかりましたが、一貫していまだに変わらぬのは、
企業の側というのは、まずもって
会社側に瑕疵がないんだ、本人のミスなんだ、こう言いたいのです。そうすれば、
会社側は負担がない、補償しないで済んでしまう。
それからさて、やむなくいろいろな資料をごまかして出しますけれども、それがばれてきて労災適用になるということになってまいりますと、今度は等級をできるだけ下げたいわけです。そうすると支払いがまたそれで少なくなる。そのための老練な係がいて、年じゅうそればかりやっている。そういう露骨なあらわれなんです。奥さん、その他知り合いが見かねて一緒に動いてやっているのでありますが、その方々にお目にかかって聞いてみますというと、こういう席ですからある病院ということだけにしておきますが、奥さん初めこの方々見ている前で、
会社側がデパートなどの商品券、こういうものを持ってきて手渡す。かっかかっかしているわけですよ。そこへもってきて、何と家族をつかまえて、
労働省へ行ったり
会社へ行ったり、そこら飛びまわったって奥さんだめだぞ、打つべき手は皆打って、すでにもう全部済んでしまっているんだ。だから幾らじたばたしたってだめだからあきらめなさいということを平気で本人にぶつけてくる。こういうことであります。いまの点は、その御家族の証言でございますから、私が直接見たわけではありませんから、真偽のほどはまさにそこから先のことでございまして、お調べいただければいいわけでありますけれども、つまりそういうことまでやって、片方では等級を下げる、できれば労災適用からはずす、ずっとやってきたわけです。私は忙しかったものですから腰を上げななかったのですが、だがしかし、見かねて、しようがないからと思って、三田の基準監督署の皆さんのやりとりの話なんかも聞きましたが、私が心配したのは、長いやりとりでございますから、
関係者は何とか作為に満ちた
会社側の事故報告から始まるいろいろな動きを、真相をあばき出そうとする。そこに感情のもつれが出てくる。基準監督署の監督官の方々初めその衝に当たる方が感情的になったのでは、相手は重病人を抱える家族ですから、多少頭にくるのはしようがない。一生懸命やることもしようがない。それを相手にしてどうも感情的になってしまったのでは問題にならぬ。そこで、私が、
労働省本省担当課に物を言いまして、調べてもらいたいと言ったところが、本年一月でありますが、三日ばかりたちましたら奥さんから連絡がありまして、三田の基準監督署の監督官が電話をよこして、奥さん、銀行に口座があるかと言った。そんなものはありませんと言ったら、五十円持っていけば口座をつくってくれるから、持っていってつくってこい。何するんだと言ったら、六級で送ります、こう言った。金を送るんだから、四の五の言っているととれなくなるよというようなことを言ったという。これはもってのほかだと私は思う。幾ら感情的になったからといって、さっき
局長がお話になっておったが、この
法律の目的に徴してみて、いかに感情的になろうとも、本人の重病人が二階に寝ている、下に電話があるのですが、そこに電話をかけてふらちなことを言うなと私は言うんだ。そこで
局長、今度あなた方に物を言ったらどういうことになったかというと、私は
予算委員会もあることだからと思ったりして、とは考えたんだが、この種のことは早い方がいいので、なるべく早急な処理を願いたいんだがと言って皆さんに頼んだ。そうしたら皆さんが初めだけ一遍出てこられて、三田にあったものを本省で引き取って補償課で検討しますというお話になった。それきり今日まで音さたなし。私はついこの間、先月の二十六日でございますが、
局長に電話をかけて、
会議中恐縮だったが出てきていただいて、
予算委員会で
質問通告しようと思っているんだがどうなんだと物を言ったわけだ。そうしたら、補償
課長に預けているからそちらからと言うから、何か言ってくるかと思ったらきょうまで何も言ってこない。しかも、隣で私は
主査やっているわけだから、そこへ来て、こんなときになって
説明を聞いてくれとかへったくれとか、補償
課長はふざけたことを言うんじゃないですよ。こんなものはきのうやきょう話したんじゃない。人の命をどう考えているんだ、日本の
労働者の労働権というものを一体どう考えているんだ、そんなことで労災行政ができるか。ふざけちゃいけませんよ。大臣、お答え願います。所感を聞きたい。