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後藤分科員 局長が現在ある法律を勝手に拡大解釈をして答弁をされるということは——これは大変むずかしい問題だと思うのですけれ
ども、ただ、新しく
復旧いたしました
土地は、先ほど申しましたように、大変自信を持って、きちっといたします。そんなあやふやな危険なものにはさせませんということを言っておる。そういたしますと、そこは大変安全な、住居に適する
土地であるということが仮に確認されたといたしますと、そこにもう一度移り住む場合に、お一人お一人の持っておりましたその
土地の垂直十メーター上にそれができるというようなことには恐らくならぬでしょう。道路だって少しは違ってくるでしょうし、あるいは今度どこに住居、
土地を構えていくかということは、利害がふくそういたしまして大変だと私は思うのですけれ
ども、ただ、いまの集団移転の法律を適用する場合、あるいはもし適用がむずかしければ、それの改正をして何とかそういう国の助成というものをやってやるということは、一宮の問題だけじゃなしに、先ほどから私は何回も申し上げておりますけれ
ども、全国にあちこちで非常に多く例があるわけですから、こういう人々に対して、単なる
見舞い金なりあるいは
国民の善意の義援金によってやるということではなくて、国の
制度としてこれをぜひ確立していただきたいということを申し上げたいわけであります。
それと関連いたしまして、先ほどの
予算補助
事業でがけ地近接危険
住宅を認定した場合の、その移転の住居費なり、あるいはこの新築資金の利子相当額に対する助成ということですが、これも、危険であるという場合に、移るときにそういう助成があって、そしてこの集団移転法の趣旨に書いてありますように、
災害に遭った者がそういう助成を受けられないというのは、
制度、法律から見ましても大変片手落ちだと私は思うわけです。こういうがけ地近接危険
住宅を持っておる人が移るときには国の助成がある。そして一朝にして本当にすべてをなくしてしまって、歯みがき
一つから調えなければならない人々が何ら恩典を受けない。しかも、これだけの
災害常
襲地帯といいますか、
災害国
日本で毎年
災害が起こるのにもかかわらず、これはどうも保険なり共済の対象になじまないわけですわね。そういたしますと、もとに返りますけれ
ども、
個人災害に対する
復旧なり助成なりというものは、そういう法律で冷たく扱うのではなくて、もっと大胆にやっていただきたいと思うのです。
国土庁からいただきました資料を見ますと、
全壊、流失の年度別資料ですけれ
ども、四十六年災で九百七十四棟、四十七年災で三千七棟、四十八年が四百八十七、四十九年が千三十一、そして五十年が千六百二十五で、五十一年はまだ未確定数字が入っているようですけれ
ども、二千九百というふうになっているわけですが、私は実はもっと多いんじゃないかと思ったのです。もっと多いから、
財政的な立場からどうも大変な金がかかるので、そこで見送っているのではないかと実は思っておったのですけれ
ども、この数字を見ますと、私はそんなに大きな数字ではないと思うのです。二十八兆円の国家
予算の中で二千九百棟の
家屋です。
災害によって
全壊、流失したこの人々に対して、仮に五百万円の金を無利子融資をいたしましても、総合計で百四十五億くらいですか、これの利子補給を何らかの形で——十八年なり二十年なり、その間無利子ということは、
制度的にはなかなかむずかしいんでしょうけれ
ども、何らかの利子補給なり助成なりというものを
考えますと、私はそんなに大きな額じゃないと思うのですね。特に、保険なり共済なりという対象になり得るんだというのなら、これはまた別ですけれ
ども、そうではない。
先ほ
ども、小
委員会を設けていろいろおやりになっていらっしゃる、
調査費も計上したということのようでございますけれ
ども、この点については、額としても、これまた来年、再来年とずっと続く問題ですから、ぜひひとつお願いをしたい。拡大解釈というのですか、法の改正というのですか、あるいは
予算補助
事業の適用というのですか、この点からぜひお
考えをいただきたい。これは単に一宮の問題だけではなしに、これからも起こるであろうし、そして私たち自身が、長官自身が、家がいつ吹っ飛んでしまうかわからないというような、その上に生活しているわけですから、国の
制度としてこういう手厚い
制度があるんだということをこれからはつくり上げていきたいという、そういう決意を
国土庁長官からぜひ前向きにお聞かせをいただきたい。
それから同時に、一宮の
方々は、何もただで金をくれということを言っているんじゃなくて、せめて無利子ででも長期割賦払いで払えるような
制度でもやってくれないか、そうでなければもうやりきれないという
気持ちなんですから、毎回国会で論議をされていることを、同じことを言っているわいというような聞き取り方ではなくて、この問題を、しかもまた一宮の問題ということだけではなくて、ぜひひとつ前向きに
考えていただきたいと思うわけでございますが、どうでしょうか。