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松本(忠)
分科員 修繕する車も非常に少ない。それはいろいろ整備が上手であるとか、耐用年数十分に使っているということも言えると思うのでありますけれ
ども、この前の
質問のときに後送車の問題がありました。ところが、その後送車の問題にしましても、四十八年に私が
質問した当時は、四百五十から五百のこういうものが常時来るというようなお話もあったわけでございます。これは山口(衛)
政府委員の答弁でございますが、「四百五十両から五百両というものが常時ここに置かれておりまして、これが実績でございます。」というふうに、数字を挙げて説明されておりますが、その後の
状態を見ておりますと、後送車両というものが非常に減っていると思うわけです。これもいろいろ調べてみますと、四十七年当時の二百七十五を最高として、五十年には六十五というふうに、記録から調べると出てくるわけでございます。先ほ
ども赤羽地区の人員が全体で九十名、こういうことでございますが、その中に、この間
現地へ行って伺いましたときには、保管にタッチしている人は十名だというお話でございました。
そういう点から考えても、確かに後送車両というものは少なくなったと思うわけでございますけれ
ども、とにかくあの膨大な土地にいまは後送車両というものも非常に少ない
状態で、全くあいている
状態であるということを私
どもは確認をしてきているわけであります。四十八年の三月の
質問の中では、四百五十両から五百の修理というものがある、それから、後送されてくる車両があるので、あそこ以外にはもうないのだ、あの赤羽地区以外には全くこういう後送車両を収容する
場所がないのだというお話でございました。しかし、現在では、御存じだと思いますけれ
ども、全くあいているわけです。もうほとんどがあいている。しかも
場所があいているがゆえでございましょうけれ
ども、他の役所の車までも預かるくらいの余力があるわけで、
自衛隊の車ばかりではないわけであります。よその車も、わずかではありますけれ
ども、あるわけでございます。そうしたことを考えてみますと、後送車両もなくなり修繕車両もなくなっているのに、なおかつあそこの
場所をどうしても保有しておかなければならないという理由が私は全くないと思うのです。
こういう点を私は申し上げまして、十条地区、さらに赤羽地区というものに対して、遊休の
施設、余り活用されていない
施設、こういうふうに思うわけでございます。一番最初に
防衛局長から効率的な活用をしているというお言葉がございましたけれ
ども、全くこれは当てはまらない言葉ではなかろうか。その
お答えを私は返上申し上げたいと思うわけでございまして、実際行ってみましても、また、常時われわれはあの周辺の団地におります方々に頼んでおいて見てもらっておりますけれ
ども、車の出入りな
ども全くないわけでず。たまたまこの間参りまして
現地を視察いたしますと、テストロードを使って何台かの車が走っておりましたけれ
ども、あれな
ども全く小細工ではないかと私は思うわけです。実際問題として毎日走っていないのに、あの三月九日、私がお伺いするということを通報しておいたがゆえに、当日は一生懸命テストロードを何台かの車が回っているというような
状態にしか見受けられない。これは余りと言えば余りに勘ぐり過ぎていると言うかもしれませんけれ
ども、ふだんの
状態を私
どもは把握しておりますので、申し上げられるようなわけです。
こういう点を考えますと、私はこの十条地区、赤羽地区というものは本当に
自衛隊として必要なんだろうか。特に赤羽地区の場合はその必要性は全くない、こういうふうに私は思うわけでございます。
そこで、結論でございます。もう時間もございませんから、あと大臣に
お答えをいただきたいわけでございますが、四十八年の一月十一日に、私
どもは、地元の北区議会において決議をいたしましたその決議を持って
防衛庁をお訪ねいたしました。その当時、増原長官がいらっしゃいませんでしたので、長官に直接お耳に入れることはできなかったわけでございますが、その後、私はこの問題を四十八年三月七日に
分科会で取り上げまして、直接長官にその決議文を申し上げたわけでございます。そのときに、
分科会で長官は、具体的にこの問題を検討してみたいというふうに考えている、こういうふうな
お答えがございました。その後四十九年の四月十七日にも、地元の住民で結成しますところの「
陸上自衛隊十条駐とん地の解放を進める会」というこの会の代表の小沢正敬さん以下四名と私、
防衛庁長官にお会いしました。そのときは山中長官でございました。三千五百名の署名簿を持って参りまして、長官、それをごらんになりました。この両地区の解放についてお願いしましたところ、山中長官は、同地区内の
施設を整理して地元に便宜を図るように検討を命じている、解放に向かって誠心誠意やらせていただきたい、こういうふうに長官の
お答えがあったわけでございます。ところが、その後さっぱり音さたがないままにこうなってきている。現状のとおりでございます。私
ども現地を拝見しまして、この両
基地というものは本当に遊休の
施設ではなかろうか、特に赤羽地区においてはそのことが言えると思うわけでございます。
そこで、この問題に対して
三原長官はどうお考えになりますか。増原長官あるいは山中長官の言われたこと、こうしたことについて現長官といたしましてはどのようにお考えになるのかをお伺いして、もう一点だけお伺いして、終わりにしたいと思います。