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上田分科員 上田です。
私は、
総理の
国会での発言にもありますように、現在の
日本の社会に歴然として存在する忌まわしい部落差別の解消について、特に
昭和四十年の八月に出されました同和対策審議会の答申では、同和問題は人類普遍の原理である自由と平等に関する基本的人権にかかわる重大な社会問題であると述べられておるわけであります。そういう観点に立ちまして、いま全国の未解放部落仲間、また全国の労働組合や民主的な諸団体や多くの自治体、宗教界にまで及ぶところの広範な世論が、石川
一雄君は無実である、狭山裁判取り消し、断固直ちに釈放せよという、大きな闘いが巻き起こっておるわけであります。この問題につきまして、わずかな時間でありますが、法務
大臣の
考えをただしたい、このように思うわけであります。
その前に、去年からことしにかけて世間を騒がしておりますところの「部落地名総鑑」、あるいはそれを購入した差別企業に対する糾弾闘争が大きく展開され、二日の
予算委員会一般質問でも私が取り上げたわけでありますが、法務
大臣は御欠席であったわけであります。この闘いをさらに大きくわれわれは闘い抜いていく、後日、委員会でもこの問題について法務
大臣の見解をただしたい、このように思っておりますし、また同時に、法務省が現在入手しておるすべての地名総鑑の資料の提出を求めておりますので、早急に出していただきたい、こういうように思うわけであります。
また、先般の内閣委員会での社会党の前衆議院議員であります和田貞夫氏の質問の中で、安原刑事
局長が、部落問題を人種差別だという重大な差別発言をいたしておるわけであります。安原刑事
局長は近く栄転するというようなことも聞いておるわけでありますが、このような差別者をいまだに置いておくということに対して、私は腹立たしい怒りを持っておるわけであります。これにつきまして後日の委員会で徹底的に追究することをまず冒頭に述べておきたい、このように思うわけであります。
さて、いわゆる狭山事件とは、
昭和三十八年の五月一日に中田善枝さん、当時高校二年生でありますが、行方不明になる、そして四日には死体となって発見されるという非常にいたましい事件であります。その前には吉展ちゃん事件があり、捜査当局が犯人を取り逃がすということで世論の反撃を買ったやさきだけに、またまた犯人を取り逃すということで、世論が警察は何をしているのかということで、
国会でも大きく取り上げられたことは事実だ、こういうように思うわけであります。
ところが、善枝ちゃんが変死体、いわゆる死体となってあらわれた二日目に、中田善枝さんの元小作人であるところの奥富玄二がいわゆる空井戸に身投げをして、自殺というような形で判断されておるわけでありますが、この奥富玄二は血液型はB型でございまして、中田善枝ちゃんが死体となってあらわれ、その体内にあるところの精液を調べると犯人はB型であるということで、そういう
意味では奥富玄二が犯人ではないかというようなこともささやかれたわけであります。
ところが、この事態に対して当時の国家公安委員長であります篠田さんが、犯人を生きたままつかまえなくて残念だ、こういうような発言をいたしておるわけであります。その後においては、何が何でも生きた犯人をつかまえろというような形で、狭山市内にある二つの差別部落を集中的に警察、検察が見込み捜査をして差別的な捜査をしたということは、社会党の
各国会議員からも各委員会でるる
説明のあったところだ、このように
考えておるわけであります。特に菅原二丁目と柏原の二つの部落に対して、百二十人の部落の青年が集中的に捜査を受ける、こういうようなことが起こっておるわけであります。そういう
意味で、他の一般部落でこのようなことがなされているのじゃなしに、本当に差別部落においてなされているということは、部落の青年ならやりかねないという予断と偏見、そうして世間にあるところの差別意識を
利用した、全くそういう
利用性に富んだ捜査であることは言うまでもない、このように
考えておるわけであります。
特に、犯人が使ったと見られるスコップが、いわゆる石田養豚場から紛失したものであるということから、それに出入りする差別部落の青年二十人が取り調べられ、その中から別件逮捕で四人を取り調べ、ついに石川君を不当にも逮捕するという形の中で自白をさせて、一審においては死刑の判決。一審が終わって二審の
段階で、おれは無実だという形で石川君はいまだに十四年間、獄中からこの裁判の差別性、そして、私は無実だという形でいまも牢獄の中で闘っておることは、法務
大臣もすでに御存じのことだろう、こういうように思うわけであります。
さて、最近、戦前戦後の幾つかの殺人事件について再審開始がなされておるわけであります。金森老人事件もしかりであります。また財田川事件、
加藤老人事件、弘前大教授夫人事件などもそうであります。
このことは、最高裁第一小法廷が白鳥事件判決の中で
指摘した、疑わしきは被告人の利益にの
原則は、再審事件においても妥当性を持つものであります。したがって、判決確定後の新証拠であっても、これを当時の事件でしんしゃくして総合判断していたとすれば無罪の結論となったときには、再審開始を決定すべきであるとの
考え方が、ようやく司法実務に定着しつつあると言えると思うわけであります。
同時に、無実の被告人が無実を証明するために一生を犠牲にした事実、死刑執行の危険にさらされていたことを示しておるわけであります。さらに、この人
たちが冤罪に陥れられるについて、必ず捜査官憲による不正捜査、証拠の捏造とかあるいは自白の強要が行われたことを示しておる、このように思うわけであります。そういう点で本当にこの弘前事件
一つ見ましても、血痕の問題についても非常に偽造がなされたということが明らになっておるわけであります。これと同じことが狭山事件についても明らかになっておる、われわれはそのように
考えておるわけであります。幾つかその例を列挙しまして、最後に当局から御答弁をいただきたい、このように
考えております。
まず、石川
一雄君の自白によって発見されたと言われるところの三物証の
一つとされているところの万年筆でございます。この万年筆が被告人石川君の家族の自宅から発見、押収されたのは三十八年の六月二十六日、第三回目の家宅捜索の際であります。第一回目は石川
一雄君を逮捕した五月二十三日、捜査員が数時間にわたりいずれも二十数名で天井裏をのぞいたり、便所のつぼの中をかき回すなどして、徹底的に調査しておるわけであります。三回目は小島警部ら二、三人の捜査員が出向き、直ちに勝手口上のかもいの上から万年筆を発見、押収したということになっておるわけであります。二回も二十数人の捜査員が小さな家を家捜ししながら出てこなかったものが、三回目にはすぐさま勝手口上のかもいから、石川君の兄さんに、あそこに万年筆があるからとってごらんという形で、本当は証拠の指紋のつかない形でとらさすのが当然であるにもかかわらず、そのままの手でとらさせておる。これらの指紋についてもいまだに明らにしていないということが大きな問題ではないかと思います。このかもいの高さは百七十五・九センチで、奥行きは八・五センチでありますから、身長百七十センチぐらいの人であれば五、六十センチ離れたところからでもすぐ見えるところであるわけであります。そういう
意味で、われわれは何としてもこういう万年筆の発見というもの自身に非常に勝手な検察当局の陰謀というのですか、でっち上げというものがわれわれは感じられるわけであります。
ちなみに、この三回目の捜査で万年筆が発見される数日前に関源三という巡査が、これは後にも先にもそれ一回切りなんですけれども、勝手口から家の中に勝手に入ってきておるわけでありまして、恐らくこの関源三がその万年筆をかもいに置いたのではないかというような疑いがあるわけであります。
また、その善枝ちゃんが持っておったという万年筆、それが石川君の家のかもいから出てきたわけでありますが、この万年筆の中のインクに大きな問題があるのではないか、このように私は思っておるわけであります。科学警察研究所の鑑定結果によると、石川
一雄さんの自宅から押収された万年筆はブルーブラックインクが入っていたということになっているわけであります。ところが、被害者の中田善枝さんが使用していた万年筆はライトブルーインクを使用しておったということが明らかになっておるわけであります。ここに善枝ちゃんの日記があるわけでありますが、これ法務
大臣見てもらったらわかりますが、ライトブルーで書かれておることが明らかであります。そういう点で、本当に犯人がとったと言われる万年筆から出てきたのがライトブルーじゃなしにブルーブラックということで、全然インクの質が違うということが明らかになっておるわけであります。
特にライトブルーのインクを使っておったということは、たとえば善枝ちゃんが行方不明になった五月一日、それは学校でペン習字があったわけでありますが、そのときに習字の
先生の講師であります小谷野憲之助氏がそのことを述べておる。行方不明になったその当日の朝のペン習字の時間にもライトブルーを使っておったということになっておるわけでありますから、この万年筆が全く善枝ちゃんの物でないということが明らかではないか、このように思うわけであります。
次に、筆跡でございますが、筆跡につきましては、やはり石川
一雄君は被差別部落の出身者であるということから、差別の結果、小学校の教育さえ満足に終了することができていないわけであります。ほとんど文盲に近い
状態で社会に出ております。たまたまくつ屋に住み込んで働いているときに、その家人にひらがなの練習をさせられたことがあったくらいで、ほとんど物を書いたことはなく、また新聞などを読むことはほとんどできなかったわけであります。
石川
一雄さんの当時の筆記能力の程度は、逮捕直前の上申書を見れば、ここに上申書があるわけでありますが、よく
理解することでありますが、一言で言えば小学校の二、三年生程度であったということができる、このように思うわけであります。しかるに脅迫状は、たとえば学習院大学の教授の国語学者であります大野
先生、また元京都の教育委員会の指導主事で国語の
先生であります磨野
先生らによれば、その文章構成能力あるいは文法知識、書き取り能力のいずれを見てもかなり高水準であり、義務教育課程以上のものであり、こうした点から見て石川
一雄さんがこの脅迫状を書くことは、何よりも能力的に見て無理であるということを言っておるわけであります。ここにありますので、一回法務
大臣は篤と見ていただいたらありがたい、こういうように思います。委員長、ちょっと見てもらってください。――ちょっと見てください。この日記も見たらわかりますよ。
次に、手ぬぐいの問題であります。手ぬぐいの問題も大きな疑点があるわけでありまして、善枝さんの死体の両手首を後ろ手に縛っていた
日本手ぬぐいは、五十子米店が前年の暮れに百六十五本注文製造させ、その年の正月に得意先に配布したものであります。捜査当局は五月四日の死体発見後多数の捜査員を動員して、手ぬぐいの配布先を回らせ同じ手ぬぐいを回収させました。捜査は、五十子米店の主人が作成した配布メモ四枚に基づいて行われたわけであります。最終的な担当検事の集約によりますと、百六十五本のうち有効に回収できなかったのは七本で、その中には石川
一雄さんの姉婿の石川仙吉方に一本、石川
一雄さんの隣の家の水村しもさんの家に一本、計二本が含まれているわけであります。石川
一雄さんがそのいずれかから手ぬぐいを一本入手して、この事件の犯行に及んだものと推定されておったわけであります。
しかし、昨年八月最高検から証拠開示を受けて改めて弁護団が調査したところ、未回収数は七本ではなく八本であります。そして五十子メモによりますと、配布していて回収されないものは、前の石川仙吉、それから水村しも以外にちょうど八人いること、メモには種々の書き加えや訂正がなされておるわけであります。これは警察、検察が後から加筆しているということで重大な問題だ、こういうように思うわけであります。メモの記載上疑問の余地のない新井宗助とか五十子福二の二名が、なぜか滝沢直人検事が作成した配布先一覧表から抹消されているということですね。意図的に抹消されておるわけでありまして、これはミスということではないと私は
考えておるわけであります。それにかえて、メモの集計記載の検討結果からは不合理と思われるところの石川仙吉、水村しもの二名が書き加えられている。なかったやつが書き加えられているということが明らかになっておるわけであります。つまり捜査が密室で行われているという点を
利用して、本来のメモにいろいろの工作をし、しかも集計に当たってはメモの内容の一部を都合のよいようにカットし、あたかも石川
一雄さんの親族や隣人が二人も手ぬぐいを未提出であるとして、石川さんの犯人性を証明したものではないか、このように
考えておるわけであります。
そもそも、石川
一雄さんは何らかの直接的、具体的証拠があって逮捕されたものではなく、犯行現場に比較的近い石田養豚場に以前に勤めていたことがあったこと、事件当日ここから残飯用のスコップが一丁盗まれたが、事件後十日ほどして養豚に使用していたと思われるスコップ一本が死体現場付近の畑の中から発見されたこと、この二つが石川さん逮捕の大きな根拠となっておるわけであります。
死体現場の百二十四メートルのところにスコップが落ちておったわけでありますが、そこに二つの足跡があったにもかかわらず、石川君の起訴後この足跡をなくしてしまっているということは、何としても腑に落ちないところであります。また、スコップが発見された畑は、事件後多数の捜査員によって何回も調べ尽くされた場所であって、これが見落とされていたとは全く
考えられないと私
たちは
考えております。スコップの付着土壌が死体現場の土壌と同一であるとの捜査官の鑑定は、和光大学の生越教授の再鑑定によって否定されておるわけであります。右のスコップを石田養豚場から盗み出されたスコップとすることは間違っているのであり、また、養豚場に飼っている犬にほえられずにスコップを盗み出せる者は、ここに常時出入りしていた者であると捜査当局は
考えておるわけであります。そのことから石川君だという断定をしておるわけであります。しかし、この養豚場の横に
管理人宅がありまして、そこにいた戸門クラさんが、ちょうどその晩の十時ごろ犬がほえておったという証言をいたしておるわけであります。
そういう点で、やはりわれわれは、戸門クラさんの供述を無視して、予断と偏見を持って死体現場付近のスコップを石田養豚場のスコップと断定し、石田養豚場出入りの者の中から石川
一雄君一人を割り出して、そしてたまたま血液型がB型であるということだけで、あえて検挙し、有罪の世論をあおったということは、われわれは何としても認めるわけにはいかない、こういうように思っておるわけであります。
そこで、法務
大臣に聞きたいわけでありますが、憲法第十三条で「すべて國民は、個人として尊重される。」こう言っておるわけであります。また、疑わしきは罰せずということにもなるわけでありますが、無実の人間が有罪とされてはならないことは憲法の基本
原則とわれわれは
考えておるが、その点についてまずお答えを願いたい、このように思います。