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佐野(憲)
委員 私はこの場合はまた物、物、金、金、金が足らぬようなことで仕事を預けないんだ、こういうものの
考え方でなくて、憲法に言う地方自治の本旨に従って地方自治体の組織、運用を決めなければならない。地方自治の本旨に従ったら、こういうドイツの公法学者ですらも
指摘しておるようなことを
日本の中において復活しておるというのは全く恥ずかしい。しかも、信頼することができ得ない、こういう国の態度も傲慢じゃないか。こういう行政秩序としてもこれは
考えなければならない問題じゃないか。何も機関委任しなくてもいいものを機関委任事務としての形をとって、金はやるから勝手なことをしたら首だぞという
考え方をちらつかせながら進める行政というものは、もう根本的に
考え直すべきときに来ておるじゃないか、私はこういう点を
指摘しておきます。
それと関連いたしますけれども、各種の
長期計画——
長期ではないのですけれども、自治省あたりは
長期計画という言葉を使っておりますから措置法に言うところの五カ年計画でしょうけれども、こういうものがどんどんできてまいるわけですけれども、この場合におきまして私は二つの行政の場合を
考えるわけですね。たてまえと本音というものは常にぎらぎらした姿を示してくるのではないか。たとえば、計画
手続法になってまいりますと、非常に住民の意思を聞かなくちゃならない。たとえば国土利用計画をつくった場合におきましても、案を決める前にいわゆる住民の意思を聞かなくちゃならない。都市計画の場合におきましても、公聴会その他を設けて案をつくらなければならない。こういうぐあいに、金のかからないところに対しましては非常に民主的な本音が出てきておるわけですね。それがあたりまえだろう。しかしながら、金をよこすぞ、事業法の形をとってくる、こういう
長期計画になって、計画事業になってまいりますと、やはり最初私も——大臣も余り、大蔵、企画の方だけしか歩いておられぬからでしょうけれども、たとえば
一つの緊急措置法で五カ年計画をつくる、この場合におきましても、どのあれを見てまいりましても、主管大臣が他の大臣と協議をする、それで閣議で決定をする、事業量と
目標を明らかにする、決まったらこれを県知事に通告する。あるいはまた、公園法のように地方自治団体は協力しなければならぬぞという添え書きまで入れている法律もありますけれども、大半はもう一方的に国が決める。主管大臣が他の大臣と協議をする、そして閣議決定をする、それを県知事なりに通報する、こういう形をもって法律体系がなっておるわけですね。私はこういう本音があると思いますね。ですから、その場合にいたしましても、直轄事業、直轄事業と言って国が直接やるのはいいのですけれども、これには負担金を
要求しておるわけですね。直轄事業に対して負担金を
要求する。県の仕事に対しましても補助金は二分の一なり三分の二という規定を置いている。おまけに単独事業をまたここで決めてしまう。君たちのやる事業量は
目標はこれだけだぞ、こういう形で最初から決めてかかってしまう。こういうやり方というものは、本当にいまの政府の本音とたてまえというのは、法律の中にはっきり出てきておるのじゃないか、私はこういう
感じ方すら実はするわけですが、
総理、国民に対してこんな本音とたてまえを分けた形における国からの行政というものはやはり改めなければならぬじゃないか、かように
考えるわけです。それはどの計画を見てみても、みんなそうだと思いますね。
後ほどまた触れる場合があるのですけれども、たとえば公園なら公園を見てまいる。公園の場合におきましても事業費が一兆五千四百億円、このうち国が七千三百四十六億円、これに対しまして地方は八千五十四億円、こういう形になって出てくるわけですね。ですから国がそういうぐあいに決定をして事業をやっていく。しかしながら、この場合におきましてもまた内容を分析いたしますと、たとえば公園の場合におきましては、四七%は対象にしますよ、その中の半分は削っていきます。その半分の分に対して二分の一なり三分の一の補助をしますよ。用地費が三分の一、施設が二分の一、こういうことになって、七〇%か八〇%は地方がやらなくちゃならない、こういう形になってくるわけですね。地方は七割も八割も持つ。国が二割か二割五分しか持たない。こういうのを大臣が閣議決定をして、おまえら、これに協力しろ、こういう形でくるという
考え方の中に、私は非常に危険なものが含まれておるんじゃないか。
総理が一番
指摘される金、金、物、物、こういう風潮を何としても避けなければならない。この再建の道を——それがいまあなたの担当する内閣の中において堂々とまかり通っておるでありませんか、本音とたてまえとが違う姿をもって。こういう点も
総理大臣、ひとつ
考えていただきたい。
私が言いますのは、こういう形におきまして、たとえば起債にいたしましても、
総理、三十年前に起債は、建設公債は公共債として地方自治団体がやってもよろしいぞ、こういうことを規定を置きながら、三十年間、当分の間自治大臣の許可を受けなくちゃならない、こういう形に縛ってしまっておるわけですね。当分の間これを見直すものとするという
解釈論が出てまいりましたけれども、これは法制局の
解釈から言えば、当分の間許可を受けなければならない。その当分の間というのは、期限が明示してないから幾ら延ばしてもいいんだ、こういう行政
解釈というものがまかり通ると、これはやはり私は国民に不信感を与えるんじゃないか。
本来は起債権というのは、公債発行の限度額があるでしょう。自治体がその地域における必要に応じて、福祉なりいろいろな形において公共投資なりしていくという場合に、当分の間自治大臣の許可を——これを三十年間も、実はなおも続けてまいってしまっておる。しかも、こういう状況になってまいりますから、ますます必要性があるというような形で、またこの問題が大きな、地方自治団体なりあるいは地方団体金融公庫というような動き、
考え方もここから出てくると思いますが、そういう点に対しましては、やはり私は先ほど何回も
指摘いたしますように、ドイツの場合において、景気、不景気というのはそれほど自治体を苦しめない。独自の自主財源を持っておる。しかも国の景気対策なりあるいは総需要抑制の場合には、法律をもって明らかにして、しかもそれを協議する、
制度としての協議を持っておる。こういう国と、いま申し上げましたような
長期計画を見ましても、機関委任事務を見ても、起債の状況を見てまいりましても、全く地方の自主権というものを奪い取ってしまっておる。こういう中から私は、これからの新しい時代の転換に対応するという勇気と決断を
総理に求めたいと思うのですが、どうですか。