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加藤参考人 東北大学の
加藤でございます。
第一のテーマでございますが、
国立大学協会として現在
共通一次
試験ということを
考えるに至ったわけでございますが、それにつきまして、この質問については、
国大協がそもそも
最初に発足した経緯を申し上げることが一番よろしいのではないかというふうに思いますが、
国大協会がこの
大学入試問題を取り上げましたのが四十五年、ですからもう足かけ七年になります。いわば
国大協会設立と同時に始まったと言えるかと思います。
御
承知のように、
国立大学の
入学試験は、戦前は各
大学が個々別々に独自な
入学試験をやってきたわけでございますが、戦後、急に
大学の数がふえ、さらにそれに伴いまして
大学への
進学率が二〇%、三〇%、現在四〇%近くなってきているわけですが、そういう
実情を
考えますと、
大学全体の
入学試験というものについて
社会的な問題が非常に多くなってきた、それに伴いまして
大学側もそれを
考えるべき
時点に来ているのではないか。当時
国立大学としますと六十五ございました。現在八十八でございますか、当時
国立大学が六十五ですが、それでも非常にそのような
大学入学試験問題というのが
社会問題になりつつあった時代でございますので、それに対応して
大学全体の
入学試験というものをどうあるべきかということを
考えるべしというのが、
国大協の第二
常置委員会がその種の問題を扱う
委員会でございますが、そこで取り上げを始めたわけでございます。そこで、
入学試験全般について
改善しなくちゃならぬという
出発点から始まったわけでございますが、
国立大学あるいは
公立大学ないし
私立大学というものがそれぞれ
設置形態が違っておりますし、さらにまた
大学の
内容の性格がそれぞれに異なった点が非常に多いであろうということから、その全体の
入学試験改革というものをともかく同じ
土俵を持っている
国立大学だけでも
考えていくべきではないか、そこで
一つの
入学試験問題ということに対する
国立大学としての責任をその場で果たす必要がないであろうかという
考え方を持ったわけでございまして、その結果が、現在私
ども御審議いただいております
共通一次
試験の
方式を
考え出したわけですが、その
時点になりましてから、
公立大学からこの
試験方式に対して利用したいという
申し出をいただいてきておるわけでございます。このことは
大学協会としては非常にありがたいことだと思っておりますが、
私立大学の
当局者の二、三の方々からもそれに対し大きな
関心をお示しいただいているということは、私
ども承知しておるわけでございますので、再
出発点の
大学というものの
入学試験を
改善するということがこのような
公立大学あるいは
私立大学に御
関心をお持ちいただくに至ってきているということは、非常に重要なことだというふうに私
ども考えております。当面、ともかく
国立大学だけでもこの
社会で重要問題視している
入学試験というのに対応した答えを出すべきであろう、そのことでいま申しました
共通一次
方式を
考えたわけでございます。
そこで、それの
内容を少し触れさせていただいてよろしゅうございましょうか。——ここで問題になりますのは、
大学入試ということについていろいろな
批判がなされておりますが、それについての
批判を私
どもとしてやはり十分解析してそれに当たらなければならないということでございます。
一つは、競争が激化してくるに従って、問題に対する
批判が非常に多くなってきているということがございますし、さらに、いわゆる一発
勝負という言葉で言われているように、ただ一回の
入学試験で
志願者が判定されるという
一つの不公平さといいましょうか、不公平さということについて
考えなければならぬということで、当然のことでありますが、現在でもそうですが、
調査書あるいは
面接、特に
調査書については
文部省からの指導もあるわけで、
高等学校におけるこのような
調査書というものをやはり十分に勘案しながら
考えていかなければならぬ。その問題は現在もありますので、それはそのまま続行していくべきである。問題になるのは、こちらで
選抜させていただく。
選抜させていただくという点は、
国立大学だけをともかく
考えたわけですが、いま全
国立大学の
定員が約八万名でございます。推定の
志願者がいまのところ大体三十万、こういうふうに私
ども見ております。そういう
志願者に対して
定員が八万であるということからしますと、これはよしあしにかかわらず
選抜ということをさせていただかなければならぬという
実情がございます。そうなると、その
選抜の
あり方を十分に合理的に、しかも平等に、公平にやるべきであるという
考え方に立って私
どもは
検討を進めなければならぬという
立場に置かれているわけです。
そこで、いろんな
批判にこたえるためにはどうしたらいいか。いわゆる一発
勝負というようなことでありますので、やはり
志願者というものを私
どもが
選抜するという
立場をとったときに、十分な
資料を持ってその
志願者を
判断する必要があろうということ。
資料が多ければ多いほどいいはずであります。その
一つが、現在も言われているような
調査書とか
面接とか、そういうことがその
部分になるわけですが、
学力試験についてもやはり
資料が多くあってしかるべきであるということが
考えられます。そういうようなことを勘案しながら、いろんな議論の末に
共通一次というものと
共通二次というものを組み合わせる。するとそこで、
立場を変えますけれ
ども、
資料が二つそろうという点があるわけで、そういうような
意味で
共通一次それから二次
テストというものを
学力の場面で
総合判断するという
考え方がいまの
合理性を持つのではないかというふうに
考えるに至ったわけでございます。
ところで、一方、五十一年から
高等学校の例の
教科課程が変わってまいりました。
高等学校の
教科課程の
内容を見ますと、最近また変わりましたが、現段階では、
高等学校に入ってから
卒業までの間に
個人の
一つの
能力分化あるいは
適性分化が起こってまいります。それに対応した
意味で、低学年では
必修科目が課せられております。それから中高学年になりますと、
選択科目をそれに上乗せするという
課程が、現在五十一年度に改定が行われております。その姿をやはり私
どもは十分に
考えなくてはならない。そういう
状態と、
学力試験についても
資料を多くしなければならぬということをどう組み合わせるかという問題が出てくるわけでございます。そういう点で
共通一次というのは、
国立大学といえ
ども、現在八十八ですけれ
ども、それぞれに
キャラクターがございまして、単科
大学的なのから
総合大学がありますし、同じ
総合大学の同じ
学部でも
大学によって性質が違いますから、本来的に
選抜はそれぞれの
大学の
キャラクターに従ってやるべきだという
考え方が依然として理念的にあるわけであります。そのこともいまの問題にどう組み合わせるかという
考え方が必要になってくるわけでございます。そういう点で
考えますと、
高等学校において
必修科目を課しているということは、
高等学校教育の中で全人格的な
養成のためには、その
科目は全部必要なんであるということに
基盤があるのだと
考えます。
さらに、
高等学校の中で
適性分化が
個人個人で出てきたときは、それに
選択科目が対応して
考えられるのだということが
考えられますので、つまり
大学として
共通的に
考えられるのは、
高等学校を
卒業してきているという点で、
基盤的に持っている
内容を少なくも
国立大学は
共通的に
判断する
土俵があり得るのではないかということであります。それといまの
共通必修科目がペイをする形になるわけであります。そこで
共通一次
試験は、いまの
必修科目というものを課することによって
共通一次をする。それは
大学全体が
共通的に
志願者に対して
判断し得る
一つの
基盤があるわけであります。
そこで、先ほどちょっと申しました、
大学それ
自身それぞれの
学部でも
一つの
個性があるわけで、それを目指して志願してくるわけでございますから、その点の
判断は各
大学が第二次
試験としてそれに対応した
選択科目というものがございますから、それと見合った形で第二次
試験というものを行う。そうしますと、一番
最初に申しました
趣旨が一応生きてくるのではないかというふうに
考えるわけです。
そういうことで
共通一次
試験は、
高等学校生として
高等学校における全
人格養成というものについて対応した
教科、それの
学力を全般的に見る、そういうことを私
どもとしては
高等学校教育における
達成度という表現で使わしていただいているわけです。その基本になる
教科科目についてそれを
共通一次としてやる。
高等学校卒業というものは、それだけの
内容は全部持っているべきはずであるということを
判断させていただく、それが
達成度を見るために
共通一次
テストをやるのだという
趣旨でございます。
さらに、今度は各
大学がそれぞれに
キャラクターを持っているし、その
キャラクターに対応して
受験生は志願してきているはずでありますから、そういう点についてはそれぞれの
大学がそれぞれの
キャラクターに対応して、いまの
共通一次の
趣旨を十分理解した上で二次
試験を
大学が課したらよろしい。そうしますと
資料が多くなると同時に、さらに従来から現在でもあります
調査書なり云々は、そのままそれを引き継ぐ形ということで
総合判断をしたらよろしかろうというようなことを
考えたわけでございます。
さらに、ここにありますように、その問題と
一期校、二期校の問題が
一つございます。これは
国大協として実は
一期校、ちょっと話を前に戻した方がいいかもしれませんでしたが、この
入学試験という問題は、
試験そのものの
改善と、それからもう
一つ問題になっております
一期校、二期校の問題があるわけで、その二つの問題を
国大協としては並行して
検討を進めてきたわけですが、
一期校、二期校の現在の
状態というのは非常に不合理な面がございます。いい面は、
受験生に対して少なくも二度の
受験の
機会を与える、これは
受験者側からしますと非常に大きなメリットだと私は思います。ところが別の
立場からしますと、
社会通念でいうところの
格差というものを生んできてしまっております。これは
大学自体にもそういう通念的な気持ちを持つようになると同時に、
受験生自身もそれを持つという問題が
一つ出てきております。そういう点をどう解消したらいいか、
一期校、二期校を存続したままでその点をうまく解消できるかという問題が
一つはあるわけです。
御
承知と存じますけれ
ども、実は現在本当に公平的に二度の
機会があるかというと、その点で非常に疑問があるわけです。と申しますのは、たとえば
法学部という例で申しますと、
法学部という
学部を持っている
大学はすべて
一期校だけでございまして、二期校にはございません。もう
一つ医学部も、二期校にもございますが、大
部分が
一期校に属しております。そういうことからくるアンバランスが、本当の公平な
立場で二回の
機会を与えるということに対して
一つの
問題点を私
どもは感ずるわけです。そういうようなことを解消するためには
一期校、二期校という
制度をどうしたらいいかというのをやはり
国大協で数年にわたりまして
検討を進めてまいりました。たとえば同種の
大学というものを
大学単位でうまく
一期校、二期校に分けられないか、あるいは地域的に分けられないか、あるいはいまの例として
法学部、
医学部を申しましたけれ
ども、各
大学の持つ
学部構成というものを平均的に一期、二期に分けて
考えることができるかどうかということをずいぶんと
検討してまいりました。それをやりますと、従来にも増したデメリットを起こす問題が非常に強いというふうになりましたわけで、さらに
受験生側からしますと、例の現在の二期校は時期的に年度末に非常に詰まっておりますし、そしてそれにもかかわらず
試験をしなくてはならない、さらに
受験生が非常に殺到してきているという
状態で、
実施という面でも非常な混乱を起こしているのが
実情でございます。と同時に、
欠員、
欠席、
欠席は
受験の場合の
欠席でございますが、後で
入学時の
欠員関係というものが、特に
国立大学の場合には
欠員を起こすということは非常に大きな問題であろうかと思います。この
制度はそのこととかなりひっかかってくる問題であります。
そういう不都合な点を
考えますと、二度受けるという点については問題はあろうけれ
ども、いまのような
合理性なり何なりを
考えますと、この際
一期校、二期校を解消して一度にやってはどうか。当然にその場合には
入試全体をどうすべきかということと結びつけて
考えなくてはいかぬということが出てまいりますので、実は
共通一次ということが可能であるというふうに私
どもは結論を持ってきましたのですが、いまのような
共通一次の
状態を
考えますと、
一期校、二期校を解消して、同時にそれをやってしまうというところでかなりの問題が解消してきて、合理的にそれを処置できるのではないかというような
一つの
考えを持つに至ったわけでございます。
大体そのようなことで進んできたわけですけれ
ども、要は
高等学校において、
高等学校卒業生であるということとして、いわば
人文社会系の
学生であろうともあるいは
自然科学系に
適性を持った
学生であろうとも、基本的に持っている
高等学校としての
達成度というものを
共通一次でやる。これは
大学共通に
考えられることで、それに加えてそれぞれの
大学が持っている特質と
受験生の
個性、
適性と結びつけた第二次の
試験をやる。それの
資料を総合的に
判断して、さらに
調査書なりその他のことを加えて
受験生を
選抜させていただくということは非常に
合理性があるのではないかというふうに
考えたわけです。このような
考え方に対して、
公立大学が非常にその点を評価していただきまして、早速利用したいという
申し出をいただいたわけでして、その点私
どもとしては非常に喜んでおるわけでございます。
このようなことが、ともかく
出発点は、同じ
土俵を持っている
国立大学だけでもいいから、
大学入試というこの
社会問題に対して対応しなくてはならぬということで具体的な一歩を踏み出したわけですが、それが
公立大学なり
私立大学の
関心を呼ぶに至ったという点を
考えまして、われわれとしては
大学全体の
入試が今後これを
一つの契機として合理的な方向に歩んでいくということを願っているわけでございます。
大体そのようなことで、具体的な点はこの二の
項目以外からあるいは出てくるかもしれませんですが……。