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中西(績)
委員 そこで、私
一つの例を申し上げますからお聞きいただきたいと思うのですが、これは福岡県のある農業高校の例です。そうしますと、農業高校で生徒の
定数が六百十六名です。そのうちに、
教育資料の中にありますように、奨学生というのがありますね。奨学生の数が二百名を超えています。そして実在する者は大体三百名を超えるだろうと言われております。こういう
状況ですから、これは、一年生のテストをやっておるのですが、そのテストの結果一覧表がここにありますから、後で差し上げます。これを見ますと、大体小中
学校の関係含めて、小
学校からずっと
調査しましたけれ
ども、その結果を見ますと、これは算数でありますけれ
ども、三十点満点で十点未満が三十五名中十六名に上っていますよ。ですから小
学校の関係のができないという生徒の数が大体十人、約三分の一の子がそういう
実態にあります。割り算が全然できないのですね。これをちょっと見ていただきますとわかります。去年の生徒のだけれ
ども、物理の
試験のときに
試験用紙の裏側で計算したのがこの計算用紙ですね、これは割り算ができないのです。これを見て私は大変なショックを受けました。本人は物すごく努力しているわけです。努力するけれ
ども、その中身が全然わかっていない。
基本がわかっていない。こういう
実態があるわけですね。
ですから、これがこの
学校ではそれではどうなっておるかといいますと、いままではわりあい小学区であったわけですから、中学区といっても学区制が小さい中学区であったわけですから、その振り分けは六校なら六校で振り分けられたから、まだ農
学校に来る生徒の中にもある一定の幅があった。ところが倍になり三倍になっているわけです、いま学区制が。ということになると、選別はさらに十六なら十六のふるいを通していくわけですね。そうすると、一番下に残るのは物すごく層が厳選されてくるわけですよ、これはおわかりでしょう。いまそういう
実態になっているわけです。ですから、学区の拡大というのがどんなに問題があるかということはこのことがよく示していると思うのです。選別をずうっとしていきまして一番最後、ふるい落とされて残ったという結果がここにある。ですからアチーブの二百点満点で言うならば三十点程度の者が全部そこに集まってくるわけですよ。このことは、私は
文部省はおわかりかどうかよくわかりませんけれ
ども、そういう
実態を招いています。と同時に、さっき申し上げたように、このように奨学生が約三分の一、そしてしかも実在は半分を超えるだろう、こういうふうに言われている
状況です。
ところが、このような中で実際に
指導するということになりますと、一学期から二学期にかけては小
学校、中学における授業をもう一度やらなくてはならぬわけです。たとえば同じ
専門教科の作物なら作物、あるいは畜産なら畜産を教えるにしても、その文字が第一読めない。
意味がわからない。となりますと、数学だけではありません、すべての
教科でそういうものをやらなければならぬ。そのことも理解いくと思うのです。しかし問題は、そのことを今度は
県教委に正式に届け出てそれをやろうとすると、それを期間を短縮してくれとかいろいろなことがまたつくわけですよ。
高等学校の
教育をやってもらわなければならぬということが優先するわけですね。そこにまた、今度は
指導要領の法的拘束性だとかいう問題が必ずついてくるわけですよ。だからこのように大変な問題がそこにはあるわけです。
ですから、時間がありませんから簡単にあれしますが、いまこの
学校では、生徒数が一学級四十名、その生徒を個別
指導することは不可能であるということでもって、これを二クラスに分割しています。ですから、
教師の受け持ち時間はどうなっているか。倍です。こういう結果になり、現在では、たとえば病気で倒れた
教師が三名。三名も倒れると、もう
学校の中は回らないわけですよ。こういう
実態にあるわけです。しかも、今度は教室はどうなっているかというと、分割するわけですから、教室が足りないわけですね。あらゆる特別
教科の教室までも含めて使用しなければならぬという
実態が出ています。そういうところですから、今度は家庭訪問するにしても、すべてこれは夜間七時から九時三十分の間にしなければならぬ。昼間行っても全然いないのです。両親がいない。いるのは病気の祖父母、あるいは父母といっても病気の方がいらっしゃるわけで、こういう大変な
状況になっています。
しかし
定数は、いま言われる
標準定数法で
配置される以外には何もないのですね、
高等学校で言うなら。ということになりますと、果たしてこの「同和
教育資料」に基づく、一の日本国憲法云々から始まって、
教育基本法に基づいてどうだとか、あるいは「全国民の正しい認識と理解を求めつつ」云々だとか、あるいは
学校教育、社会
教育すべてのものが、このようにきれいごとで飾られておるけれ
ども、できるであろうかということを私は大変危惧の念を持つものであります。
ですから、このような高校に対する事柄についてはある程度検討しようという意思がおありのようだけれ
ども、こういう
学校については県だけに任せるということでなしに、こういう環境整備なりなんなりを
文部省が実質的にやるべきではないか、こう
考えるのですが、もう一度
局長の
答弁を……。