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中西(績)委員 こういうことがある程度把握できておるといたしますならば、少なくともこれは会員ではないのですから、やはりこういうことこそやめさせるという行政
指導なり、下部教委に対する
指導というのをなされなくてはならぬ。そしてそれとのかかわりの中でこの管理職登用試験なり任用試験というものが非常にゆがめられていく可能性だってあるわけですから、この点をひとつ認識をしていただきたいと思います。
そこで、大変はしょって申し上げるようですけれども、管理職試験をするについて、私たちの認識というのは、やはり大変恣意的なものになっておるのではないかということを、県教委なりがやるわけですから、感じるわけですね。それはなぜかといいますと、これまた福岡のことを申し上げて恥をさらすようですけれども、大変残念だけれども、いたし方ありません。
それは今年三月十一日の高等
学校の入学者選抜に絡んで大変問題が出ました。その際に管理部長が新聞社に発表をしておる中身を見ますと、
文部省と相談をした、こういうところがあるのですね。ですから私、
文部省にそういうことが十分入っておられるだろうと思いますので、この点を申し上げたいと思うのです。
まず、この福岡における入学試験のミスというのは、これはもう毎年のことです。一番激しいので昭和四十八年の三月十四日にやられたときには、社会、
国語、数学。しかも数学には三問あったのですね。三
教科にわたってミスが出たのです。これについては高等
学校側から三回にわたって県教委に注意をしたのですよ。ところがそれを突っぱね、拒否をしました。変えようとしませんし、聞こうとしなかったのですね。だから、Aという
学校からそのことが通告されると、その
学校だけに、たとえば
国語が悪かったら
国語だけ訂正をさせるのです。Bという
学校から今度は数学がそのように間違っていると言えば、その点をどうしろと、こういうように言うわけです。ですから、そういう状況であったからそれを全部まとめまして私たちは三回にわたってこれを
指摘をしましたけれども、拒否をしました。その結果どうなったかというと、県議会で大変問題になって、県教委の諸君は三日間も逃げ回って議会が空白になってしまうというふうな大騒ぎになりました。そしてその結果は、われわれは、全
教師で採点委員がおるわけですからすべてこれを解消していこう、点検をし直すべきだ、父母のあるいは生徒の信頼を取り戻すべきだということを主張しましたけれども、校長、教頭、事務長で再点検をして、そのことが入学可能かあるいはその合否に関係はなかったということで発表されました。その結果かどうか知りませんけれども、当時の県
会議長はやめられるというような事件に発展をした。ところが、以前はそういうことが起きなかったのはなぜかというと、入学者選抜検討
委員会というのがありますね、それから試験問題作成
委員会がありまして、特に試験問題作成
委員会は、検討
委員会で毎年そのことが論議をされまして訂正すべきところは訂正をしていく、改良すべきところは改良していくという体制をとって試験問題というものは作成されるわけです。その委員が全部そこにおって、Aという
学校からたとえば連絡があると直ちにそれをやり変えるわけですね。集まっているから、これをどう措置するということはもう三十分しますと全部全県下に行き渡る。だか
らいままで完全無欠だ、一回もなかったというわけではありません。あったけれどもそういう措置が必ずとられ、そうして全県下一様にされておったわけですね。ところがこれは四十八年にそういうことをやり、五十年にまたやりました。大きな問題を起こしました。本年に至ってはまたそういうことをやって皆さんも御存じの今度
文部省に帰られました、県教委の第一
指導部長をやっておった富張氏がこの
委員長を勤めておったのですけれども、ここで
指摘をされたところがそれを突っぱねた。当初の方針どおり正解はそれぞれ
一つしかありませんということで拒否をしています。そして大変な問題になって、十五日それから十六日にかけて、それを受け入れ、二回訂正しているのですよ。そして三月十六日には、十八日が発表の日であるのにかかわらず採点を全部やり直す、こういうふうな状況です。そのとき管理部長が新聞記者に発表した中に、
文部省と慎重に連絡をとり検討しましたというのがあるのです。ここに新聞のコピーがありますから。
このように徹夜作業で全部やり直して――発表の時期を延ばしたらどうかと言ったけれども、それもだめだ、こういうふうなことで十八日ようやく発表する、こういう事態が出てきたわけですね。
これだけなら私はこのことを言いません。ところが、それに対して三月三十一日に処分が発表されたのですよ。県
教育委員長は辞任をしましたね。これは新聞なりで御存じだと思うのです。
教育長は減給一カ月、
入試委員長・
指導第一部長と、それから問題作成
委員長、この二名は戒告処分で三カ月延伸。そして、ここです、
入試の副
委員長で
指導第一
課長城戸という人がいますけれども、城戸氏の場合は、三月三十一日にこのように文書訓告をされたわけですね。ところが、あくる日の四月一日には、どうなったかというと、
指導第一部長に富張氏の後任として昇任をしておるのです、昇格をしておるのですね。
課長であった者が、そういう問題を引き起こし、副
委員長で処分をされているにもかかわらず、今度は
指導第一部長、高等
学校関係です。富張氏は
文部省に帰る。そして問題作成
委員長の戒告処分を受けた者は、これはちょうど年齢であったから退職です。責任をとりますと言ったけれども、だれもあれせずに、むしろ栄転という、こういう事態が出ています。
長々と私がこれを
説明申し上げたのは、問題はそういう人たちが謙虚に反省をし、本当に生徒のことを考えているかというと、全く考えてないというのがこの新聞を見れば全部出ています。「公立高校
入試ミス続く」こういうようにして、「「ミス」と
指摘に教委譲らず」とか、「「不適切」で押し通す」とか、それからこれなんかを見ますと「県教委の“体質”浮彫り 欠けていた「受験生の
立場」」こういう
文章です。「丸一日空費の落第県教委」こういうぐあいに挙げていきますと、なぜこのように言われるかと言ったら、ことしの
国語の問題でも、つくりにかぎのついた福の字、
教科書にないものを、いま使ってないというものを出しているのですよ。そして、それを間違いでないといって拒否をする、こういうことをたびたび繰り返す。これはさっきから申し上げたように四十八年以降からたびたびです。ですからこういうものが載るわけです。こういう状態の県教委が問題作成をしている。
そして、これにはこういうことまで書かれているのです。「こうした県教委の姿勢の背景には「県教委内部に
子供の
立場から本当に
教育を考える人が少ないし、そんな人がいても大きな声で発言しにくいふん囲気があるのではないか」と、あるベテラン
教師は
指摘する。確かに県教委は主任制度、管理職試験、処分などの“硬派”には強い。むしろ生き生きとさえする。そのバックボーンには“
教育正常化”という大義名分がある。」その次にあるのは、「県教委が“組合つぶし”ばかりに強くて、肝心の
教育に弱い……としたらどうしようもない。「
教育正常化を唱えていればすむという感じはあります」と、県教委の職員さえ声をひそめて話す。」とこう書いてある。
今度は試験になりますけれども、試験のときに七人く
らい並ぶのですよ。座長はだれがやりますか、県教委の職員が、
指導主事がやるのですよ。両方についていますよ。そしていろいろ設問をし、やりますね。ですから、いまこれは言うとおりなのです。組合が間違っているとかいろいろそういうことを大きな声で言わぬとだめなのです。そういう実態があるということをこのことは浮き彫りしているわけですよ。もう実に残念だけれども、恥をさらすようだけれども、こういう状況ですね。
それが今度は管理職試験でしょう。そうすると、管理職試験というのが、本当にあなたが考えておられる、
文部省なりが考えておられるそういうものに果たしてなり得るだろうかということを父母も
教師もすべて考えざるを得ないというこういう実態になる、あたりまえなのです。
この管理職試験というのは、福岡の場合には筆記試験と両方やられています。
内容的には果たしてそういうものが――これを見ますと言っていますよね。何のためにやるのだということで
指摘をしましたら、やるのは公平なことをやるとか、いろいろ理由だけはりっぱな理由を掲げています。そのことは私は否定はしません。
そこで、私は質問をいたしますけれども、まだ挙げれば、ほかに人事の問題だって何だって全部ありますから挙げられますが、時間の関係がありますからここでは省かしていただきますけれども、こういう理由になっているのです、管理職試験をやるのに。選考より客観的な資料により公平、妥当、外部からの不当な圧力や情実人事を排除する。二つ目が、学閥の排除、全県的視野で人材を登用する。三つ目に、管理職としての資質を高め、自覚と認識を深める。これが大きな理由です。
いまさっきから私が申し述べてきたようなことを考えてみますと、果たして妥当なものになり得るだろうか、あるいは外部からの圧力、あるいは情実人事を排除すると言うけれども、では主観的なものがそこには働かないのか。それから、さっき申し上げたように、学閥排除と言うけれども、塾だとか研究会だとか、いろいろなものをするならば、むしろ学閥は助長されておるのではないか。あるいは自覚と認識を深めると言っていますけれども、たとえば県教委に対していろいろ物の言えない、絶対服従でなくてはならぬわけですね。誤りも権力で押し通すという、そういうことのできる人ということを私は期待するのではないかと思うのですよ、試験問題
一つ例にとりましても出ているいまの体制というのは。そして、すべて管理運営
事項であるということで、何もかも全部そういうようにしてしまう。それが管理職としての資質を高め、自覚と認識を深めるということにつながっておるのです。
こういうことを考え合わせていきますと、
文部省が本当にいま求めておる、考えておるような管理職試験になっておるだろうか。そのことを私は大変懸念するし、このことに対して大変危惧を持つものです。この点について、いま申し上げたような実態、そして実際にそれがあったことなのですから、いま資料を差し上げても結構ですから、ごらんになっていただいて、どのように判断をなさるのか、いまあれば
お答えください。