○島田委員 当時の
状況やむを得なかった、こういう
判断を示しているわけですけれ
ども、私はその後の国内の精糖業界における混乱というのは、一九七四年のあの国際的な大暴騰のときの砂糖を大きく抱え込んだ
一つの苦労というものがいまだに後遺症になっていえていない、こういうことに原因があることももう
一つあるわけですが、しかしそれならなおのこと、ナタールグループからのグローバル糖の輸入、あるいはそのほか比較的国際的な市価に順応するというか、それに沿って動きのある砂糖を持っている人と、それから豪州糖をかなり多量に抱え込んでクリーニングしている人とでは、今日大変差が出てきている。そういう中に、たとえば名古屋の東海精糖あるいは大分の新光砂糖工業といったようなものが次々と倒産の状態になっている、こういうことを考えますれば、私はやはり側面的に豪州糖の
指導というふうな
局長のおっしゃり方だけれ
ども、これはほっておけないというような気がするのです。
相手はオーストラリアですが、ことしは牛肉の問題で一月に私
ども日本社会党の書記長のところまで牛肉をぜひひとつ買ってくれ、こういう陳情に来るぐらい向こうは輸出に対しては物すごく熱心ですね。
政府を挙げ、国会を挙げているのです。この間来たのはオーストラリアの国
会議員団であります。わが方は当事者に側面から
指導しているといったような対応の仕方で、とても国内で起こっているこういう問題の解決にはならないのではないか。もっと積極的に取り組む必要があるし、第一、確かに砂糖協定そのものは当事者間における協定にはなっているけれ
ども、これを見ますと、たとえば一九七四年十二月二十日に東京で取り交わされた協定に関する覚書によれば、「一九七五年一月三十一日迄に日本
政府及びオーストラリア
政府の間で公文の交換が為される事。」ということが第一の
条件として挙げられている。これは
相当政府が責任を持つということを意味するものと私は受けとめている。
ですから、その後の
状況というのは大変大きく変わってきたし、オーストラリアといえ
どもその点については十分、日本の砂糖の状態というのは理解をしているはずだと思う。そんなことはどうでもいい、約束したものは約束どおり、量も価格もそのままで引き取れというのは、長期的に見た国際的な信義の上から言ったって、私は通らぬ話だと思う。それも理解できないで砂糖のこれからのいわゆる取引をやろうと言ったって、それはむちゃというもので、受け入れ側のわが方の国内のクリーニング業界が大変だ、こういう事実がある限り、長期的にも契約あるいは今後の取引が安定するはずがないということは、これぐらいのことは向こうだってよく知っていなければならぬし、知っていないとすれば、
政府がみずから出向いてでも国内事情というものは訴えるべきだと私は思う。その責任はこの文書によってあるのだという主張をするつもりは私はないけれ
ども、しかし先ほど直接の責任は負っておりませんという
お話がから、そんなことはないじゃありませんか、こう私は言わざるを得ません。
それから同時に、「一般確認事項」という中で、少し文章が長いが読んでみますが、「協定者はオーストラリア産粗糖の日本向供給に関する長期契約を継続的性格のものたらしめる事を念願する。又買主が売主に対し適正利潤ある価格を保証する事により、」ここまでは、これは当然のことであります。「公正な価格で安定的供給を
確保する事が本協定の目的である事を確認する。」とあります。当時の事情から言ったら、さっき杉山
局長が言った
判断に立つでしょうから、そうするとこの文章をそのまま正確に読めばあなたのおっしゃるようなことになるのだろうが、私はそれともう
一つ別な角度でこの確認事項というものはやはり生きるのではないかと思う。つまり「公正な価格」——わが方から見れば現在の価格はきわめて公正でないわけです。不公正なんです。これは相手方の
立場だけを考えた確認事項だとおっしゃるかもしれないが、そうは言ったって取引はお互いに、向こうもあり、こっちもあり、そこに当事者がいて成り立つものでありますから、どっちかに不都合な部面が出てくれば公正な取引ができないということになるわけですから、常に公正な価格というのは売り主にも買い主にも、同時に平等に作用するものでなければならぬと私は思うのです。当時確認された事項の中では、確かに世界的な砂糖の価格から言えば半分の値段で安いのだから、これはもっけの幸いだ、長期的にひとつ、オーストリアが今後値段がさらに上がって損しちゃったから今度上げてくれといったときにも、わが方はこの安い価格で契約しているのだから絶対応じないよといったような意味の確認事項であるのかもしれないけれ
ども、私はそれは幸いにも向こう側の方には当時の見通しのような結果が生まれないで、こっちの方にそれがかぶってきたから、大変言いづらいことだけれ
ども、私はこの際公正な価格で安定的供給という両側面に作用するという確認事項なんだという理解の上に立って交渉すべきではないかというふうにも思うのです。この辺の見解を二番目に聞きたいと思います。
それから一九七七年の一月一日までに、つまりことしの一月までに数量について買い主、売り主双方が「増加の可能性につき」協議をするんだ、こうなっていますが、このときのこれは数量に対する増減とありませんから、増加というのだから、もっとたくさんくれるかどうかの協議をせよという、当時の事情を考えての、これも確認事項なんでしょうが、しかしこれも実にうかつ千万と言えばうかつ千万な話で、ロンドン相場が六百ポンドも上がっているときにこれから先もそれが続くという
判断をしたということは実にこっけいな話なんであります。しかしいまだからおかしいと言えるかもしれませんが、当時の事情としては修羅真剣な話だったのだから、そこのところをけしからぬとかいかぬとかということは私は言いません。当時もこの国会において私は砂糖問題を取り上げてその協議に参加をしたという一半の責任は感じていますから、決してあなただけを責めるつもりはないのです。しかし、ことしの一月までというのですから、昨年中にきっと協議がされていると思うのですが、この協議の中で数量問題にかかわって価格の問題こんな高い値段ならもう六十万トン引き取るなんということはとてもできないという話がきっと出ていると思うのですが、そのときの
話し合いの中身と、簡単で結構ですから、相手側、オーストラリア側の反応はいかがだったでしょうか。