○市川
委員 そういうふうにおやりになっているんだろうとは思うのですが、この人口急増というのは、神奈川県なら神奈川県が人口誘致をして神奈川県に人を呼んだわけではありませんでして、やはり戦後の高度成長政策、重化学工業優先という政策の中で神奈川県のあのコンビナートがつくられ、農村から若い労働力が神奈川県に急激に引き寄せられたという経緯があるわけですね。それから、学校の問題だけではなくて、この人口急増地区におきましては幼稚園、保育所の問題はもちろん住宅、病院、こういう生活
関連の公共投資も莫大な投資をしなければならない切実な面を抱えているわけですね。
昭和四十七年の経済企画庁の
発表した経済白書の推計によりますと、都心で千人の就業者がふえたときに、それに伴ってどの程度の追加的
社会資本の建設が必要とされるか、行われたか、こういう試算が経済企画庁の推計で出ております。地下鉄の建設のために約六・一億円、学校、住宅及びその周辺の
社会資本のために二十一億円、主要なものだけで三十三億六千万という、大体年間一人当たり三百三十六万円の公共サービスの分野での投資が必要になる。就業人口が千人ふえただけで、年間三十三億六千万かかる。こういう人口急増地区には、そういう
社会関連資本というもののお金がかかるわけですね。ですから、高校だけの問題ではなくて、住宅とかほかのものにも切実に直面しているわけですから、どうかこの高校建設については一層の御
配慮をいただきませんと、中学浪人をたくさん生んでしまうという事態をつくってしまうわけです。そういう点で、どうか一層の御
配慮があるように御
要望いたしまして、高校の問題は終わりにしたいと思います。
最後に、塾の問題をお伺いしたいんですが、
大臣、参議院の集中審議やいろいろなところで塾の問題について御
答弁されておられるようですが、一貫して塾の問題については、公的
教育のゆがみを是正する、で対処いたします、こういうふうに
大臣は
お答えになっておられるように私は記憶しているわけです。もちろん、公的な
教育のゆがみが是正されれば、それなりに塾に対する
一つの対策にはなると思いますが、私は、それだけではないんじゃないかというふうに
考えているわけです。
一つは、やはり学校
教育と塾というものを比べてみた場合、いまの小中学校の
教育の欠陥というか欠点というか、なぜ塾が生まれてくるかという背景を
考えてみると、結局学校の
役割り、性格が非常にあいまいだということですね。人格の完成という
一つの
教育目標は持っておりますが、
目的が非常に抽象的で、内容が非常に広範にわたっている。
それから集団
教育の限界というんですか、子供の能力の発達の速度や興味の
方向が子供によって違う。それが集団
教育のために、個別に対応ができないということですね。わからなければ
先生に
質問すればいいんですが、しかし自分がわかるまで一人で
質問するというわけにいきませんから、やはりそこに、わかってもわからなくても、教師の授業が生徒の
理解よりも優先して先にどんどん進んでしまうという、こういう集団
教育の限界をいまの学校
教育は持っているんじゃないか。
それに対応して塾というのは、むしろ
目的や
役割りというのははっきりしている。教える方も教わる方も、非常に
目的と
役割りが一致しているために、塾でははっきりとした
教育ができる。それから無学年制で、一人の
先生が小人数を担当して塾で教えている。ですから、個人というものは非常に重要視されて、生徒の能力に応じた
指導、
学習が塾ではなされている。こういう学校
教育に持っていないものを塾の方では持っているという面があるわけです。
そうすると、
大臣のおっしゃる公的
教育のゆがみの是正というものを
考えた場合に、じゃいま学校
教育、集団
教育から起きてくる落ちこぼれ、おくれた生徒、これをどうするのかということですね。この問題について何か具体的な回答を持っているのかということです。たとえば、一人の
先生が持つ生徒の数をもっと少なくするということになれば、教員をふやさなければならないという問題が起きてきます。こういう問題は、いま非常に父兄には切実な問題なんですね。私も小学生を自分の子供で持っておりますから、父母参観なんかに行くんですが、学年の
先生が全部集まったところへ学年の父母が全部集まって、
先生と討議する
場所がこの間もあったんですけれども、そこで出た御意見は、たとえば算数がわからないとか国語がわからないとか
社会がわからない、理科がわからないという子供別に、学年
単位でいいから
先生が補習やってもらいたい、お金がもし必要なら、お金出してもいいから、学校で補習をやってもらいたい、こういう御意見が強く出されたんですけれども、
先生の方は全然それに応対ができない。私たちの判断する次元の問題ではございませんということで
先生は逃げちゃっているわけですけれども、こういう光景を現実に目にしておりますし、じゃ、その公的
教育のゆがみの是正とおっしゃいますが、そういう集団
教育の限界から来た落ちこぼれの問題を具体的にどういうふうに対処していくのか。
もう
一つ、塾が持っている
機能として、やはり受験
教育あるいは受験
準備のために塾へ通うという問題があると思うんですね。これは高校や大学の入試選抜制度というものがある限り、やはり塾というものは残ってしまうと思うんですね。私は何も、全然競争のない
社会が望ましいとは思っているわけではありません。もちろん、人間の
社会ですから、ある程度競争があって、努力した人が進んでいくということがあっていいと思うんですが、それが極端にいまみたいに過熱してくるということは、好ましいことではないんじゃないかというふうに思っているわけでございまして、そうなってきますとこの塾の問題というものは、大学の入試、高校入試というものを改善しなければならないという問題に突き当たってくると思うんです。この辺について、何か具体的な大学入試や高校入試の改善策をお持ちなのかどうか、まずその二点について
お答えをいただきたいと思います。