運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1977-03-15 第80回国会 衆議院 内閣委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十二年三月十五日(火曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 正示啓次郎君    理事 木野 晴夫君 理事 近藤 鉄雄君    理事 竹中 修一君 理事 塚田  徹君    理事 木原  実君 理事 長谷川正三君    理事 鈴切 康雄君       逢沢 英雄君    宇野  亨君       関谷 勝嗣君    塚原 俊平君       中村 弘海君    藤田 義光君       増田甲子七君    栂野 泰二君       新井 彬之君    市川 雄一君       米沢  隆君    柴田 睦夫君       中川 秀直君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      藤田 正明君  出席政府委員         内閣総理大臣官         房総務審議官  美野輪俊三君         総理府賞勲局長 川村 皓章君         宮内庁次長   富田 朝彦君         皇室経済主管  石川 一郎君         文部省学術国際         局長      今村 武俊君  委員外出席者         国立国会図書館         長       宮坂 完孝君         内閣総理大臣官         房参事官    垂木 祐三君         国立公文書館長 岩倉 規夫君         宮内庁書陵部長 野本 松彦君         大蔵省主計局主         計官      岡崎  洋君         大蔵省理財局国         有財産第一課長 藤沢  正君         内閣委員会調査         室長      長倉 司郎君     ————————————— 委員の異動 三月十一日  辞任         補欠選任   栗林 三郎君     井上 普方君   米沢  隆君     竹本 孫一君 同日  辞任         補欠選任   井上 普方君     栗林 三郎君   竹本 孫一君     米沢  隆君 同月十二日  辞任         補欠選任   宇野  亨君     瀬戸山三男君   塚原 俊平君     足立 篤郎君   中村 弘海君     松澤 雄藏君   市川 雄一君     近江巳記夫君   柴田 睦夫君     寺前  巖君   中川 秀直君     大原 一三君 同日  辞任         補欠選任   足立 篤郎君     塚原 俊平君   瀬戸山三男君     宇野  亨君   松澤 雄藏君     中村 弘海君   近江巳記夫君     市川 雄一君   寺前  巖君     柴田 睦夫君   大原 一三君     中川 秀直君 同月十四日  辞任         補欠選任   栗林 三郎君     武藤 山治君   米沢  隆君     竹本 孫一君   柴田 睦夫君     不破 哲三君   中川 秀直君     大原 一三君 同日  辞任         補欠選任   武藤 山治君     栗林 三郎君   竹本 孫一君     米沢  隆君   不破 哲三君     柴田 睦夫君   大原 一三君     中川 秀直君 同月十五日  辞任         補欠選任   栗林 三郎君     石野 久男君 同日  辞任         補欠選任   石野 久男君     栗林 三郎君     ————————————— 三月十一日  防衛庁設置法及び自衛隊法の一部を改正する法  律案内閣提出第一〇号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出第一四号)      ————◇—————
  2. 正示啓次郎

    ○正示委員長 これより会議を開きます。  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。宇野亨君。
  3. 宇野亨

    宇野(亨)委員 総理府総務長官から順次お伺いする次第でございます。  まず第一番目に、元号問題につきましてお伺いしたいと思います。元号問題は昭和もすでに五十年を超えておりまして、最近この問題につきましては国民関心も大変深まっております。この元号問題につきましてはどうお考えでございますか、長官にお尋ねしたい次第でございます。
  4. 藤田正明

    藤田国務大臣 宇野先生おっしゃるとおりに国民関心もこの元号問題に深まっておることと思います。  そこで、昭和五十一年の八月に世論調査を行いました。これは全国の二十歳以上の男女一万人を対象といたしまして行ったものでございますが、その結果を簡単に御報告申し上げますと、元号使用状況でありますが、主に元号を使用する者が八七%で、そのように大部分が日常使っておる、こういうふうに答えておられます。それから元号制度存続についてということになりますと、あった方がよいというのが五七%でありまして、どちらかと言えばあった方がよいというのがこれまた一九%であります。計七六%が元号存続支持しておるというふうに感じております。それから、どちらかと言えば廃止した方がよい、あるいは廃止した方がよい、こういう二つの問いに対しましては、合わせて五%にすぎませんので、国民の大多数が元号存続支持しておるものと現在も思っております。
  5. 宇野亨

    宇野(亨)委員 ただいまの長官答弁によりますと国民の大部分、すなわち七六%が元号をという、郷愁といいますか、国民的な感情があらわれているようでございます。この元号問題につきましては、各党各派で非常に論議をされておりまして今日に至っておるわけでございますが、さらに、国民支持があるという一応世論調査の成果を踏まえまして、わが国における伝統的な表示方法でございますので、今後は元号制度——世論の中では存続すべきだとおっしゃるし、また調査結果が出ておる。さらに、先般福田総理は、元号制度はこれを存続せしむべきであると答弁されておるようでございます。私は、この制度につきまして確立すべきではないかと個人的に思うわけでございますが、それについての長官の御所見をお願いいたします。
  6. 藤田正明

    藤田国務大臣 総理答弁も前内閣意向を受けて、元号制度存続せしむべきであると思う、こういうふうに御答弁なさっていると思いますので、いま先生のおっしゃるとおりだと思います。  また、昭和という元号が事実上国民の間に定着をいたしておりますし、そういう観点からしましても、今後とも元号制度存続せしむるべきである、私もかように考えておりますけれども、一部に反対があることもこれまた確かでございますので、今後なお一層、国会の御意向それから世論動向を確かめましてこの存続については明確にしていきたい、かように考えております。
  7. 宇野亨

    宇野(亨)委員 総務長官おっしゃられますけれども世論動向、まず先にこれが出てくるのですね。しかし私は、国会動向が先だろうと思うのです。次にまた国民的な世論支持、こういう考え方制度問題の確立という考え方をひとつ御確認願いたいと思う次第でございます。その点につきましてどうですか。
  8. 藤田正明

    藤田国務大臣 国会意向をまず尊重申し上げ、そしてなお念を入れて世論動向を見守りたい、かように申し上げているわけでございまして、これを内閣告示でやるか、法律で行うかという点につきまして、その辺の御意向国会世論に確かめたい。存続ということにつきましては、昨年の八月にそういう調査をいたしまして、これはもう国民大多数の支持を受けていることは間違いございません。いま申し上げているのは、手段、方法につきまして特にもう一度念を入れてということでございます。
  9. 宇野亨

    宇野(亨)委員 昭和五十一年十月の参議院の内閣委員会で、西村前総務長官が、なるべく遅くない適当な時期に元号制度存続させるための基本的な大綱を内閣告示する、こう答弁しておるのです。内閣告示するということですが、この問題につきましての長官の御意見を承りたい。
  10. 藤田正明

    藤田国務大臣 確かに前総務長官国会でそのような答弁をされておりますので、そういう前内閣意向を一応受け継いではおりますけれども、もう一度念を入れて、国会意向なり国民のその辺の世論を確かめてみたい、こういうことでございます。
  11. 宇野亨

    宇野(亨)委員 非常に慎重なお運びで、結構だと思います。私も同感でございます。  そこでもう一点。現在の元号は、いつ、どこで、どのような方々によって決められたのでしょうか。これは、総務長官でなくて、総理府のどなたでも結構です。
  12. 垂木祐三

    垂木説明員 お答え申し上げます。  現在の昭和という元号につきましては、明治二十二年の皇室典範根拠がございまして「踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニヒ改メサルコト明治元年ノ定制從フ」それから、明治四十二年の皇室令がございまして「天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム 元號ハ枢密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス」こういう皇室典範なり皇室令という法的な根拠がございまして、これに基づいて現在の昭和という元号が勅定されておるわけでございます。
  13. 宇野亨

    宇野(亨)委員 いまの皇室典範説明でございますけれども、私どもは素人だから、もう少しかみ砕いて、いつ、どこでですね。枢密顧問でということなのですけれども枢密顧問全体でつくったわけでもないだろうし、細部にわたっての説明を願います。
  14. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいまの御質問に対しまして、人の名前は出しかねますけれども枢密顧問その他、総理大臣が御相談なさったことは確かでございますから、その辺のことは後ほど詳しく調べまして御返事申し上げたいと思います。
  15. 宇野亨

    宇野(亨)委員 それでは、総務長官の代表した御答弁でございますけれども、どのくらいの日時を費やしてその決定に至ったか。
  16. 藤田正明

    藤田国務大臣 大正天皇がお亡くなりになりまして、たしか二十四、五日だったと思います。これは、明治天皇がお亡くなりになりましても、やはり一カ月以内に次の元号が決まっておりますし、大正天皇の場合も一カ月以内に昭和という元号が決まっております。
  17. 垂木祐三

    垂木説明員 元号につきましては「天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム」ということになっておりまして、大正天皇大正十五年十二月二十五日にお亡くなりになっておるわけでございますが、その日のうちに現在の昭和という元号が定められております。
  18. 宇野亨

    宇野(亨)委員 ちょっとおかしくなってきたんだね。その日のうちに元号が定められたということになるから、私も率直に言って理解ができない。
  19. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいま私は追号元号を間違えまして、大正天皇が亡くなられて、その追号を一カ月以内に決められたということで、元号の方はただいま参事官が申し上げたとおりでございます。
  20. 宇野亨

    宇野(亨)委員 参事官長官答弁が大分違っておるようでございます。突然でございますけれども元号問題がこのように国民的な世論の中にある現状でございますので、それでは明治大正元号はどのような経過でできたのであろうかと、私どもは過去の元号の歴史を知り、また勉強した時点で元号の制定を考えるのも勉強の一つだろうということで、私はお伺いしたような次第でございます。  それでは、元号問題につきましては終わります。  きょうは、賞勲局長さん見えておられますか。——賞勲局関係でお伺いしたいと思います。  本来、勲章は、生きている人に差し上げるわけでございます。私のすぐ近所の在住者でございましたけれども、八日市場の伊藤亀之助さんという方が先般八十一歳で亡くなられましたが、実は大変感謝されておるのです。生存者叙勲死没者叙勲関係はどうなっているかということ。そこで、御承知のとおり、生存中にいただくのはきちんとした時間的な余裕あるいは審査の十二分な過程が済むというけれども、亡くなってすぐ、極端に言えば亡くなられて三日目あるいは四日目に大体葬式が行われる。たまたまあのときには暮れのうちに亡くなられまして、一月の十五日に葬式が行われたわけでございます。それで、お正月でございますから二週間ありましたけれども遺族は新しく勲章をということで非常に待望しておった。皆さんもまた非常に忙しい中でその審査を進められて、そしてお通夜の晩にいただいた。これは、私どもその叙勲問題に携わった一員でございますけれども、各遺族も、また関係の市長さん、議会の皆さんも大変な感謝をしておった。そこで、生存者と亡くなられた人の叙勲問題についての説明が私どもまだわかっておりません点がございます。どうか局長に御説明を願えれば幸いだと思います。
  21. 川村皓章

    川村政府委員 お答えをいたします。  ただいま宇野先生の御質問の中の、そもそも生存者叙勲とは何か、それから死没者叙勲とは何かというお問い合わせでございますが、本来、勲章は昔から生きている方に差し上げるのがあくまで原則でございます。その理由は、勲章というものは具体的に徳用と申しますか着用すること、これ自体で意味をなすものだからでございます。ただ、新憲法下の戦後は、現実に生きておられる方に対する叙勲というのは、昭和三十九年に春及び秋ということで生存者叙勲を再開をいたしました。自来十数年、今日に至っておりますが、春には四月二十九日に発令をいたします方、秋には十一月三日に発令をいたします方、それぞれ年間で約七千五百名の方に現在では御発令を申し上げるという運びで進んでおりますのが生存者叙勲でございまして、一般的な基準はおおむね七十歳以上に達した方を対象にいたしております。ただし、一部身体的な要件等が要る職種の方は五十五歳からということになってございます。広く各界各層の人の中からその功績者を選ぶことが生存者叙勲でございます。     〔委員長退席竹中委員長代理着席〕  それに対しまして死没叙勲と申しますのは、本来その方が御存命中に勲章をお受けになるお資格をお持ちになっておられる、しかしながら不幸にもお亡くなりになったというケースでございます。これはいわば後になりましてから、その方が生きておられるときにさかのぼって叙勲発令をいたしております。言ってみれば特例的な措置でございますが、死没者に対しまして生前の御勲功、御功績というものをたたえる意味を持っておるものでございます。したがって、私ども現実の運用に当たりましては、この死没叙勲はいわば生存のときにさかのぼりますので、おおむね一カ月以内に処理をいたすことを原則といたしております。ただ、先ほど先生が例に挙げられましたように、お亡くなりになる方いろいろございますが、たまたま公の葬式等関係がありまして、ぜひ葬式に間に合わせてくださいというケースもその中で出てくるのが再々ございます。そういたしますと、きわめて限られた期間賞勲局としては正確な議事をいたさなければならないという職務がございます。現在一年間にこの死没者叙勲の件数は約七千件でございます。こういう状態で進んでおります。ちなみに、けさの閣議にかかりました死没叙勲の数は九十七件でございます。
  22. 宇野亨

    宇野(亨)委員 ただいま局長説明で、生存者死没者叙勲の問題につきましてはよくわかりました。  そこで、約七千件の処理をされておるということですが、そういう関係審査をやる人あるいはまたその事務取り扱いをする者は局長以下大体何人ぐらいでございますか。
  23. 川村皓章

    川村政府委員 私を含めましていま局の定員は六十七名でございます。
  24. 宇野亨

    宇野(亨)委員 六十七名、そんな少ないですか。  そこで、いままで賞勲局職員はここ十年あるいは数年の間どのような変化をしたか、人員の配備等の問題につきましてわかりますか。
  25. 川村皓章

    川村政府委員 お答えをいたします。  十年間各年度ごとに正確な数値をいま持ち合わせておりませんが、生存者叙勲が再開されました三十九年には定員七十四名でございまして、現在はこれが六十七名というかっこうは先ほど申し上げたとおりでございます。
  26. 宇野亨

    宇野(亨)委員 賞勲局長の決裁をいただいてそして正式な発令決定が最終的には終わると思うのですね。そこまでいく間の一応の局長になりかわっての審査をやる人というのは、七十四名の中で何人ぐらいおられますか。
  27. 川村皓章

    川村政府委員 それぞれ局内には担当がございまして、おおむね生存者叙勲につきましては主な省庁別に、死没叙勲につきましてはいま時間的な関係である程度集中をいたして運んでおりますが、たとえばその中にタイピストもおりますし、それから女性の方もいらっしゃいますし、書家の方もいらっしゃるというような関係もございまして、いま審査に当たれる職員というのは六十七名のうちおおむね五十名というふうにお考えをいただいて結構と思います。
  28. 宇野亨

    宇野(亨)委員 ただいま局長の御説明でよくわかりました。実は私ども千葉県からそれぞれの審査のお願いに申請をしておるわけでございますけれども賞勲局職員は夜遅くまで審査をされておる、夜十時だ十一時だというのは決してまれでないというような、実は見た現実の報告が私のところにあるのですけれども現実はどういうことです。
  29. 川村皓章

    川村政府委員 お答えをいたします。  具体的に見られたということでお答えを申し上げますが、いま死没叙勲関係はそれこそ年間通じてございますので、特に閣議の前の日は締め切り日で大変遅くなります。これは職員は大体九時ごろ帰っておるのが平均じゃなかろうかと私は思っておりますが、そのほか春秋叙勲のためのシーズンがございまして、これが重なる時期は——現在も重なっておる時期でございますが、この時期は十時、十一時というような場合も再三ございます。そのような状況でございます。
  30. 宇野亨

    宇野(亨)委員 大変御苦労さまでございます。日ごろの御努力に対して深い感謝をささげます。  もう一点、春秋叙勲の時期において非常にお忙しいというわけでございますけれども、そういうような形の中で審査が進められて叙勲の栄に浴された方々が、現在の世相のように非常に金だ物だという時代から、その叙勲というものについての佩用、これが、地方の公共の会合、あるいはまた大きくは国家的な会議あるいは集会という場所で、せっかくいただいた勲章を、あるいはその功績をたたえる意味におきまして、昔略章とかいろいろなのがありましたね、そういうような形で、そういうような指導あるいはまたそういう世論、こういう問題につきましての指導かあるいはまた計画、賞勲局の方でございましたら、あるいはまた将来こんな考え方を持っているということでございますれば、お答え願いたい。
  31. 藤田正明

    藤田国務大臣 おっしゃいますように、国家公共のために尽くした方々勲章を受給されたわけでございますから、その勲章佩用していただくということについてはわれわれとしては大いに努めなければならぬところだ、かように考えておりますし、毎年「受章者の心得」という小パンフレットを出しておりますが、その中に、今後佩用をしていただきたいというお勧めを、今回初めてではございますが、書くつもりでございます。それからまた、各省庁、各公共団体等へそのような連絡もいたしまして、今後、宮中行事であるとか国家的行事であるとか、そういう公的な集まりはもちろんのこと、私的な結婚式だとか長寿の祝いだとかございますが、そういうようなお祝いにもぜひひとつ佩用をお願いいたしたい、こういうふうな推進方を図るつもりでございます。
  32. 宇野亨

    宇野(亨)委員 最終的な総務長官お答えでよくわかりましたけれども、私は戦時中の問題どうこうでございませんけれども平和金鶏勲章のような——いまの叙勲尺度ですか、大体年限だけによって、ややもすると事務的な尺度によっての叙勲基準決定が行われているというのが現実だろうと思います。そこで、本当に地方自治体のため、あるいはまた社会福祉のため、あるいは事業のためということで、期間は短いけれども内容は非常に濃いんだ、こういう問題の取り扱いについて、賞勲局は将来の問題について、あるいはまた現在どう考えておられるか、この一点をひとつお伺いしたい。  もう一点は、いま私が金鵄勲章——表現がいいか悪いかという問題は別として、平和功賞ですね、新しい日本の文化国家の中での、いま言う年限だけにとらわれた叙勲の問題のとらえ方でなしに、違った意味の何か考え方といいますか構想といいますか、持ち合わせが総務長官のもとであるとすればひとつお答え願いたいと思います。どうです。
  33. 藤田正明

    藤田国務大臣 おっしゃいますように、確かに年限であるとか一つの決まりにとらわれている向きがあると思います。これは先ほど賞勲局長が申し上げましたように大変な作業でございますので、それに少人数でかかっておりますから、そういうふうなことにとらわれがちであると思います。  たとえば、この間も実は話があったのでございますけれども、鹿児島に特攻基地がございました。その特攻基地から飛び出した若い少年航空兵その他がほとんど死んでいったわけでございますが、その人たちをもてなし、そしてまた戦後三十二年間その人たちのお弔いをやっておる旅館のおばあさんがいるのです。これにその勲章を差し上げたいと思いますけれども、いまの規定ではなかなか当てはまらない。本当にその人たちの菩提を三十二年間も弔い続けてきた、何らの援助もなく個人的におやりになっておる、こういうことでございまして、勲章を授与したらどうかというふうな意見がございますけれども、なかなかこれは規定に当てはまらない、こういうことがございますので、今度はしゃくし定規ではなくて、実質に社会に奉仕され、国家公共のために行為をされた方々には実質的にその報いる道を講じたい、かように考えておる次第でございます。
  34. 宇野亨

    宇野(亨)委員 大変ありがとうございます。ただいまおばあさんの話が出ましたけれども千葉県に勝浦水産高等学校というのがございます。その斎藤という生徒だったと思いますが、この船が難破したのです。自分が通信士の職といいますか、持ち分であったのです。難破する最後まで通信をして状況を報告したということで、千葉県ではその生徒の顕彰をするために、県庁の玄関にその様子を油絵でかきまして、氏家次郎さんという有名な油絵画家が献身的に、本当に原価でその油絵を委嘱を受けまして、そして飾ってあります。そういう若い青年の責任感というものは賞勲に値するというか、いま長官おっしゃられましたような、通ずるものがあろうと思うのでございますので、でき得る限り早い時期に、年限だけにとらわれない、内容のこもった取り扱いを今後ひとつ御検討願えれば非常に幸せだと思う次第でございます。以上で終わります。  続いて、内廷費皇族費定額改定理由積算基礎についてまず一点お尋ねいたします。
  35. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 ただいまお尋ねの内廷費及び皇族費定額改定について御審議を願っておるわけでございますが、その改定理由及び積算基礎について御説明を申し上げます。  内廷費定額及び皇族費算出基礎となっております定額は、御案内のように皇室経済法施行法の第七条及び第八条の規定によりまして、現在それぞれ一億六千七百万円及び千五百三十万円となっておるのでございます。これらの定額は、昭和五十年の四月に改定をされたものでございますが、その後の経済事情なかんずく物価趨勢及び二回にわたりまして改善されました国家公務員給与引き上げ等事情を考慮いたしまして、内廷費定額を一億九千万円に、皇族費算出基礎となる定額を千七百六十万円にしようとするものでございます。  この内廷費及び皇族費定額改定基準につきましては、昭和四十三年十二月二十六日に開催をされました皇室経済に関する懇談会において、原則として物価趨勢職員給与改善等によって算出をされます増加見込み額定額の一割を超える場合に実施するものと、かように了承をいただきまして、以来この基準によりまして、必要の生じました都度改定をいたしてまいってきておるわけでございます。  この定額改定におきまして、内廷費皇族費とも同じ考えでございますけれども積算基礎について御説明をさらに加えますれば、その積算基礎としての物件費及び人件費にこれを区分をいたしまして、物件費につきましては、前回に改定をいたしました以降の東京都区部の消費者物価指数の上昇率により、また人件費につきましては同じく前回改定時以降の国家公務員給与の改善率によりましてそれぞれ増額を算出をいたしまして、その算出された物件費及び人件費の合計額の一割に当たりますものを、予測できない不時の支出等に対処いたしたい、こういう関係で予備的な経費としまして加算をして定額を一応積算をいたしておるわけであります。ただ、今回定額積算いたします際に、現在の厳しい経済事情あるいは国、地方の財政事情というようなものを考慮いたしまして、御日常の生活に御不自由のないように留意しつつも、諸経費の節約等について一層の御工夫をお願いすることといたしまして、先ほど来申し上げました方法によって算出された額から物件費部分の一割相当額を減額して定額算出いたしたわけでございます。若干数字的なものを加えますれば、今回の改定に当たりましては、前回の定額改定以来東京都区部の消費者物価指数は二年間で二二・九%の上昇でございます、また二回にわたります給与改善率を二年間でならしてみますと一八・五四%の上昇でございます、これらの上昇率を乗じまして先ほど申しました物件費については総額の一割を減じた。こういうことで、内廷費につきましては前回に比しまして一三・八%の増、皇族費につきましては前回といいますか、現行の定額に対しまして一五%の増、かようなことに相なっておるわけでございます。
  36. 宇野亨

    宇野(亨)委員 内廷費一三・八%それから皇族費一五%の増ということでございますけれども、次長さんにお伺いしたいことは、定額算出基礎が、物価指数あるいは東京都を中心とした上昇率というように基礎がございます。あるいはまた、国家公務員の給与改定に伴っての改定基礎のようでございますけれども、宮内庁自体の試算というか試案というか、これについてお伺いします。
  37. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 ただいま申し上げましたような指数と申しますか、そういうものを使いまして計算をいたしているわけでございますが、ただいまのお尋ねは、こういうようにして計算をされた額というものが実際の御用に当たって非常に苦しいあるいは余裕がある、こういうふうになるのではないか、どう考えるかというお尋ねかと存じますが、その点は、いまも申し上げましたように四十三年の十二月に皇室経済会議懇談会を開催していただいてその基準によっておりますが、自来の経過を大数的に見ますと、そのときどき、年々によりまして経済の事情とかあるいは給与の改善とかいうようなことで若干状況が違いますのであれでございますけれども、おおむねとんとんというようなことで推移をいたしておりますし、また定額という趣旨でございますので、実際にこれを御使用になるという場合は、定額内で足りないと思われるものは場合によれば御節約になるというふうにしてまいっておりますので、ただいま申し上げましたようなことかと存じます。
  38. 宇野亨

    宇野(亨)委員 次長さんの説明で、四十年に改定が行われたのですね。四十三年、一年置きに四十五年、四十七年、四十九年、五十年というぐあいに改定がされておるようであります。いまお伺いすればその範囲においてということのお話がございましたので、何かわれわれ国民としましては御不便はないかなという気持ちが偽らざる気持ちでございます。決められた範囲の中におきましてしっかり皆さんの御努力を切にお願いいたします。  続きまして、葉山御用邸再建についての基本方針をお伺いいたします。
  39. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 葉山の御用邸は、御案内のように昭和四十六年の一月に御本邸がいわゆる放火によりまして焼失をいたしたわけでございます。自来、地元の葉山の方々等からも、焼けたままの姿で置いておくのか、できることなら再建をしてはどうかというような数多くの方々からの陳情と申しますか、お話もございますし、また葉山以外の地域の有識者の方々からも促進すべきではないかというような声をいただいたこともございました。そういうようなこともございまして、その後の経済の事情の推移というようなこと等もいろいろ勘案してまいってきておるわけでございますが、今回、葉山御用邸のいわば再建のための基本的な設計をどうすべきかというような観点から、その基本設計料について本年度予算にお願いをいたしておるような状況でございます。  葉山は御案内のように東京から非常に距離の近いところにございます。そういうような点もあり、両陛下初め皇室を構成する皇族その他の多角的な御利用というようなことも考えまして、ただいまいかなる規模でどうすべきかというようなことを考えておるところでございます。  なお、葉山の御用邸には焼失しました本邸と、それから付属邸というのが大正八年、本邸の方は明治二十七年でございますが、建てられておるわけでございますが、この両者をコンパクトにしたような形で御利用願える姿はどうかということをいま寄り寄り検討をいたしておるところでございます。
  40. 宇野亨

    宇野(亨)委員 基本設計が進まれておるというお話でございますけれども、その基本設計の大体の青写真といいますか、そういうものは進んでおるわけでございますか。
  41. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 基本設計につきましては、ただいま申し上げましたとおり昭和五十二年度予算に計上いたしまして御審議を願っておるわけでございます。したがいまして、四月以降に設計という形でいろいろ考えてまいりたいと思っておりますが、ただいまは本年度予算におきまして約四百六十万ばかりの調査費をつけていただいております。それによりまして地質とかあるいはその他の調査をしておりますので、まだ具体的にどうするかという基本設計の段階は予算がお認めいただいた後のこととして考えてまいりたい、こういうように思っております。
  42. 宇野亨

    宇野(亨)委員 葉山御用邸問題は、その程度で終わらせていただきます。  カモ猟の問題でございます。これは千葉県の新浜、埼玉県と二カ所ございますが、この問題が先般新聞紙上でも報道されましたし、何か閣僚の方々も大分御招待をいただいたそうでございますけれども、見えられた閣僚は少なかったというようなことがございました。カモ猟のあり方についてお伺いいたします。
  43. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 宮内庁が所管をいたしておりますカモ場は、ただいま委員が御指摘のとおり千葉市川市の新浜と埼玉県越谷市にございます。これはそれぞれ非常に古くからございまして、新浜の方は明治二十六年、それから埼玉の越谷の方は明治三十九年からいわばカモ場として維持管理されてまいっております。  そういうような経緯もございますし、私どもとしては、どうも私どもの方の舌足らずもございまして、新聞等にちょっと誤解を招くような発言等も出たようにも思うのでありますが、私どもの管理の基本的な方針としましては、野鳥保護と自然環境の保全ということを眼目にして、ずっとカモ場の維持管理に努めてまいってきたわけでございます。そのカモ場におきまして、国際親善、これは外交団が年に六回程度、その他国会議員の方あるいは政府関係者あるいは裁判所関係者、こういう方々をおぼしめしによりまして御招待申し上げて、ここで古来、非常に古くからあります、自画自賛であるかもしれませんが、一種の無形文化財と言われるような捕獲技術、これによりましてカモを捕獲をして、そしてまたこれを放す、こういうようなことで、御接待としてそういう方々を呼んでおるというのが実情でございます。カモの捕獲につきましては非常に古くから伝わっておりますさで網という、口径三尺ぐらいの竹の枠のついた網でございますが、これでカモを捕獲する。これは全く無傷のままカモがそれにひっかかるわけでありますが、しかしなかなかひっかからないのもたくさんおる。それで捕獲いたしましたカモは、国際鳥類標識調査というのが世界的にございまして、これは環境庁が恐らく主管をしておられると思いますが、環境庁からの御依頼もあり、これに協力をいたしまして、そしてつかまえたカモはすぐさま種類とか尾胸の特徴をレコードしまして、足に国際的に共通しておりますリングをはめて放鳥する、こういうようなことでやっておるわけでございます。一昨年、ソビエト連邦のシベリアその他の地域で、両カモ場から放されたカモが、たしか九十一羽だと思いますが、つかまったということで通報をいただいている。これは一例でございますが、そういうことで鳥類学会等も非常にこれに関心を持っておるようでございます。  なお、御案内のように、市川市周辺は大変開発が進み、湾岸道路とかいろいろのあれが進んでおりますが、その市川市は例の都市近郊緑地保全地域と保全法に基づく地域に指定され、その中にこの新浜も入っておるということでございまして、やはり大きな野鳥の楽園になっている。しかし、さらに市川市が鳥の人工干潟をつくるということで計画されましたものに対して、私どもの方のカモ場が隣接いたしておりますので、そのうち約十三ヘクタールは、千葉県を経由いたしまして市川市が私どもの方の用途を廃止してそれを広くお使いになっている、こういうような現状で運営をいたしております。
  44. 宇野亨

    宇野(亨)委員 カモ猟の問題は二カ所あるわけでございますけれども、ただいま次長の説明で、自然保護、環境保全、野鳥の保護ということについて非常に成果が上がっておるということをお聞きしまして、私どもは非常に安心をしたわけでございます。何かわれわれ庶民の感覚では、本当にわれわれと遊離しているようなもんだというような直感がいたしておったようなわけでございます。ただ、新聞報道あるいはまたその他の資料だけではまた理解できない問題があったわけでございますが、カモ場の管理、保全という問題につきましては、ひとつさらにさらに御努力されて、そうして話によりますと渡り鳥の休息地にもなっているというような話も伺っておるわけでございますし、伝統あるカモ場でございますので、さらに充実した管理を切に要望する次第でございます。  続きまして、陵墓の特別整備の基本方針についてお伺いいたします。
  45. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 陵墓につきましては、天皇、皇族の御遺骸を安置いたしまして、これを私どもが普通言ういわゆる生きたお墓として静安にお眠りをいただき、また追慕の情をあらわしていろいろお参りをしたり、かどあるときにはお慰めする意味のお祭りをするというような考えで維持をいたしておりますが、また一面、これは非常に自然の保護といいますか、いわゆる自然環境としても一つ意味を持っておると考えられますし、また中には非常に文化的な価値のある、あるいは意味のあるものもあるわけでございます。そういう意味で非常にいろいろ心を砕きまして管理を十分にいたすよう努力をいたしております。  いまお尋ねのその整備工事等の要点につきましては、担当の書陵部長から簡単に御報告させます。
  46. 野本松彦

    ○野本説明員 書陵部長でございます。いまお尋ねの陵墓の特別整備工事の基本方針ということについてお答えいたします。  いま次長が申し述べましたように、陵墓は天皇、皇族を葬ってあるところでございますが、また一面、文化的価値も持っているというようなことで、両々相まちまして、陵墓の尊厳性の維持、また文化的価値の保存というようなことに観点を置きまして整備工事をいたしておりますが、その工事の方法等につきましては、極力現代技術の活用を図り、また経済性も勘案いたしまして、同じ工事ならば経済的に行うというようなことでやっております。  陵墓におきまして、終戦直後十年ほどの間いろいろな理由で非常に管理に不備を生じまして、あまつさえ台風等の自然災害等をこうむりましたために非常な荒廃を生じたところもありますので、昭和四十二年度からまず七年計画を立てまして陵墓の整備事業を始めたわけでありますが、第一期の七年計画も終わりまして、なおそれ以外にも工事を施すべき個所が多々ありますので、引き続きまして四十九年度からまた第二期の七年計画を立てまして、現在整備工事に励んでいるわけでございます。自然災害のための荒廃に加えまして、近来は周辺の都市化あるいは観光地化というようなことで、人工的といいますか人為的な災害といいますか公害といったようなものもございますので、そういう点も考慮に入れまして、境界の侵犯とか侵入防止あるいは堀水に転落するのを防止するというようなことでさくをめぐらしたり、そういった方面についても意を用いまして工事計画を立てて実施しております。
  47. 宇野亨

    宇野(亨)委員 四十二年から七年計画、四十九年からさらに第二次の七カ年の陵墓の特別整備計画というのが進んでおられるようでございますけれども、私らは崇祖の精神、尊皇の精神旺盛でございます。大いにひとつ、限られた予算の中でしっかりと管理維持に御努力されることを切に要望いたします。陵墓の問題は終わります。  もう時間が大分迫ってきたのですけれども、皇居の濠水の漏水防止対策と水質保全についてお伺いいたします。
  48. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 皇居の内のお堀と御存じの外苑にございます日比谷堀とかいろいろございますが、あのお堀とは実は水脈が相通じておるわけでございます。あの外苑のお堀は環境庁が所管をしておられるわけでございますが、そういうこと・で、皇居のお堀の水量並びに水質ということについては私どもとしても、いろいろな関係のある外苑堀もございますことでありますので、非常に気を使っておるところでございます。昭和四十六年に水脈、水流の調査をいたしました。これは建設省の土木の専門家あるいは東大の担当教授というような方にお願いしてやったわけでございますが、同時に昭和五十年の春、これは部分的でございますけれども水質の調査をいたしました。  水流、水量の調査をいたしました結果は、皇居内のお堀の大半が漏水をする、水漏れをいたす、こういう状況が判明をいたしました。そういうことで、やはり水位がだんだん下がる、その年のいわゆる自然の雨水とかなんとかいう状況にも関係はいたしますけれども、そういう状況が判明をいたしましたので、昭和四十九年から六カ年計画でいま堀のいわゆる漏水防止の工事に取り組んでおります。現在まで下道灌堀、蓮池堀、それから乾堀、この三つの堀の漏水防止工事を終了いたしました。その結果は、ほぼ計画水位を同腹しておるように思われます。今後さらに残された堀を、この後四年間でこれをやりたい。同時に、ヘドロ等もたまっておりますので、そういうものもあわせて、できれば必要なところはしゅんせつをいたしたい。かようにいたしますれば、完成いたしますれば漏水が防止されて、ある程度皇居内の吹上とか東御苑とかあるいは北の丸公園というのは相当地下水の涵養源になっておりますので、この辺から水も入ってきて、相当日比谷堀その他にも多くの水量が流せるのじゃないか、自然に流れるのじゃないか、かようなふうに期待をいたしております。  それから同時に水質につきましては、五十年の春に調査をいたしました結果では、これは厚生省の国立衛生試験所に委託をして調査をいたしたものでありますが、結果として報告を受けておりますのは、皇居外苑堀の水とほぼ同じ数値である。皇居外苑堀の水質、BODでございますか、あれとほぼ同じであって、さらにこれを比較すれば、東京都の水道の取り入れ口でございます多摩川の調布市にございます取水口付近とほぼ同様の数値である、こういうことの報告を受けております。さらに今回、本年度、ただいま御審議をいただいております予算で、もう一度この水質の調査をさらに詳しく行いたい、かように考え調査費をお願いをいたしております。  環境庁は外苑堀の、いわゆる堀の水の浄化対策にいま取り組んでおられるわけでございますが、お聞きしておりますところによれば、単なる景観という以外に非常災害の際にいわゆる飲用源水として利用できるまでいかないか、こういうところを御工夫、御研究になっているようでございますので、私どもの方としましても、ただいま申し上げた水量をふやし水質を何とかさらに改善することによりまして、環境庁とも緊密な連絡をとりつつまいりたい、かように考えておるところでございます。
  49. 宇野亨

    宇野(亨)委員 大変時間がなくなってしまったのですけれども、いま次長の答弁で、水質が非常によろしい、あるいはまたろ過等の施設によっては、私どもも東京に特別予期せざる災害ができたときには水はどうするのだろうということは懸念の第一点でございましたので、ぜひひとつ水質検査を進めると同時に、その水が飲料水に活用、転用できる諸施設あるいは諸計画をぜひとも推進されることは望ましいことじゃないかと思います。  もう一点ひとつ、あれだけの大きな広大な都心の位置づけでございますので、その緑地帯、緑、これがいかに都心の浄化、自然の浄化に努められておるか。ということは、私は明治神宮の一番の中の空気は海岸の本当のすぐれた環境の空気と全く同じだというような何かの学者の本、発表を見たことがあるのですけれども、大体緑地帯は皇居の中でどのくらいの面積で、どのような効能を発せられておられるのか、調査が届いておればお答え願いたいと思います。
  50. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 皇居の総面積はヘクタールで申しますと百十五ヘクタールでございまして、このうちいまお尋ねのいわば緑の地域と見られるもの、これは粗い計算ではございますが、約七割に当たる八十一・五ヘクタールぐらいがいわば樹林を中心にしましていわゆる緑地帯を形成をいたしております。こういう緑地帯でございますので、ある意味では武蔵野の面影も残しているのではないかと存じますし、また外苑堀と緑と、さらに皇居内の堀の水と一体になりまして、野鳥が非常に多くあの辺に飛んでまいっておるようであります。キジがいたり、このキジがお堀を越境してお向かいのお宅の方へ飛び込んで、そちらから御連絡があったということもございます。しかし一面、カラスがどこから飛んでくるかわかりませんが、たくさんカラスが集中するということで弱っている面もございますけれども、そういうような生息地になっているようにも存じますし、いま御指摘の大気汚染に関しましても、諸種のデータから一種の緩衝地帯になっているのではないか、そういう役割りを果たしているのではないかということを感じております。緑に乏しい都心部におきまして、首都にふさわしい緑の景観を維持しておるということは、私どもは先ほどお答え申し上げました堀の水の問題とあわせまして、こうした緑の保存あるいは林相の維持というようなことについても努力してまいりたいと考えております。  さらに、いま申し上げましたうち約二十一ヘクタールは東御苑ということで、昭和四十三年以来一般の方々に公開されておりまして、今日まで約三百四十万人ぐらいの方が東御苑を楽しんでおられる。外人も一割弱ぐらいはその中に入っているというような状況でございますので、御指摘の趣旨等も十分体しまして、さらに一層の整備に努めてまいりたい、かように存じております。
  51. 宇野亨

    宇野(亨)委員 大変どうもしつこい質問を申し上げまして、明快な御答弁をそれぞれいただきましてありがとうございました。  最後でございますけれども総務長官に、ぜひともひとつ賞勲関係の、年限にとらわれない多様な方向で取り上げるよう、事務的なお進め方を特に強く要望いたしまして、私の質問を終わります。
  52. 竹中修一

    竹中委員長代理 中川秀直君。     〔竹中委員長代理退席、委員長着席〕
  53. 中川秀直

    中川(秀)委員 本日、皇室経済法中心の御審議でございますので、私はまず皇室財産のことについて若干のお尋ねをさせていただきたいと思います。  ただいまの宇野委員の御質問にも若干関連をするのでございますが、葉山の御用邸が焼失した後の跡地の利用の問題について第一点をお伺いいたします。  先ほど来の政府委員の御答弁によりますと、焼失した跡地の一部について、改めてやや規模を縮小した御用邸を再建する旨、五十二年度予算においても基本設計費を計上している、こういう御説明でございますが、そういたしますと、お尋ねをしたいことは、御用邸の敷地は大変広範囲にわたっているものでございますが、その用地のどのくらいをお使いになるのか、そして使わない用地はどうするのか、この点についてお伺いをしたいと思います。
  54. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 ただいまお尋ねの葉山の御用邸を再建をいたすための基本設計料を本年度予算にお願いをいたしているわけでございますが、いま御指摘がありましたように、焼失をいたしました御本邸、それから大正八年ごろに建造いたしまして今日までございます付属邸、これを両方それぞれの用途に焼失前までは使われておられたわけでございますが、それをあわせましてある程度コンパクトにしたものを建ててはどうかということで、その基本設計の段階においてあれこれその辺を詰めて、一応のプランをつくり上げたい、かように考えております。したがいまして、現在のところ葉山御用邸のうちどの部分に、再建するとすればすべきなのかということも、やはり一応は検討をいたさなければならないわけでございます。したがいまして、現在どの位置にそれを再建するかということは、まだ確定をいたし得る段階でございませんので、明確にお答えはできかねるわけでございますが、ただ御指摘がありましたように、コンパクトなものに集約して建てるといたしますれば、必要でない地域といいますか用地が出ることも事実かと思います。これはすでに御案内のとおり、約一ヘクタールにつきましては大正十三年以来、現陛下の御成婚の記念として葉山の町に公園として使っていただくといいますか、お使いになることを許可をいたして公園になっているわけでございます。そういう部分もございますので、今後総体的にこれを整備といいますか検討し、一つのプランに練り上げてまいりたいと思っております。  なお、この再建については地元の方々からも非常にいろいろな強い御要望あるいは御意見等もございましたことは、先ほども申し上げたとおりでございます。そういうこともございますので、将来の問題としては、これは国有財産を管理する大蔵省当局との関係もございますけれども公共の用に立つ、それからまた地元の方々のいろいろなお考えというものも十分しんしゃくをしていただくということが私どもとしては希望として持っておるわけでございます。
  55. 中川秀直

    中川(秀)委員 こういうふうに理解をしてよろしゅうございますか。現在、海のお好きな陛下のリゾートサイドの御用邸は、下田というところに新しい御用邸ができておるわけでございます。そして葉山の御用邸を焼失したまま、大方五年、六年という月日を経過して、その御用邸の一部には、別邸という焼失しなかった部分の御用邸がある。これについては皇太子御一家がお使いになったりする、こういう状況だと伺っておるのであります。  そうすると、葉山地元の大変強い要望等もあり、またその他いろいろな各国の非公式のお客様のあった場合に使うのだということでコンパクトな御用邸を建てるとすると、当然従来本邸のあった部分に建てるというのが、敷地の規模からいってもおおむね至当なのではないかと思われるわけであります。そうすると、別邸とかあとの付属地というものについて、たとえば皇室財産から大蔵省の普通財産の方へお返しをするとかいうようなことも当然考えられると思うのですが、その辺はいかがですか。簡潔に明確にお答えを願いたい。
  56. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 ある程度再建のプランが決まりまして、どこに建設するかという大体の方向も決まりますれば、いま御指摘のありましたように、必要でない部分につきましては大蔵省の管理に属する用地にいわばお戻しすると申しますか、そういう計画、考えは持っております。  ただ、どこに建てるかということは、その焼失した跡にと、南の方の部分を使ってという、これも一つ考えではあろうと思いますが、まだ確定はいたしておらないところでございます。
  57. 中川秀直

    中川(秀)委員 ちょっと土地の広さのことをお伺いいたします。  態様が幾通りもあるのでございますが、葉山の町に公園敷として使用許可している部分と、それから別邸として現存している、つまり焼失しなかった一部使用されている土地の部分と、焼失した本邸があった部分と、三通りに分けまして広さを明らかにしていただきたいと思います。
  58. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 ヘクタールでよろしゅうございますか、メートルで……(中川(秀)委員「坪数の方がいいんじゃないですか」と呼ぶ)いま御指摘になりましたように大体連続しまして四つの部分、それから飛び地が一つございます。そういう五つの部分でございますが、本邸部分、焼失した本邸が建っておりました部分でございますが、一万二千三百坪。それから付属邸がいまございます地域が五千六百坪。それから葉山町に公園敷地として使用を認めておりまする部分が約三千百坪。それから南側にございますが、これは若干の建物も建っておりますが、七千二百坪。その他飛び地でございますが、水源地、用地地域などで約六千百坪、こういうふうになっております。
  59. 中川秀直

    中川(秀)委員 当然御用邸というのは隣家と軒を接してというわけにはいかないわけでございまして、広さから言うと本邸並びに南側の樹木が中心になっている所、ここが一番広いわけですね。
  60. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 いま御指摘のとおり、広さから申しますとおっしゃられたとおりでございます。
  61. 中川秀直

    中川(秀)委員 次長は、これからコンパクトな新しい御用邸を建てる適地について、いま御説明のあった別邸の部分にするか、公園敷の部分にするか、従来の本邸の部分にするかまだ決めてないんだ、これはこれからの検討対象なんだというお話でございますけれども、大体方向としては従来本邸のあった部分に建てるんだということが——御用邸でございますから、別邸というのは大変隣家に軒を接した状態だそうですから、広さから言ってもちょっとむずかしいのではないかという御意見もあるようで、方向としてはそういう方向だと私は伺っているのですが、その点はいかがなんですか。
  62. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 ただいま委員の御指摘の点につきましては、非常に貴重な意見といたしまして十分参考にさせていただきたいと思っております。
  63. 中川秀直

    中川(秀)委員 私は、きょう一つ御提案を申し上げたいと思うことがございます。  先ほど来次長御答弁のとおり、コンパクトな御用邸に今度はするんだということで、土地の相当部分は方向としては全部使わないで、使わない部分は大蔵省の普通財産としてお戻しをするというつもりであるということでございますが、その使わない部分、大蔵省の普通財産として戻す部分——現在、昭和四十八年十二月六日に国連総会の決議として国連大学の本部を東京首都圏に設置するということが決定を見ておるわけでございます。ところが以来、いまは昭和五十二年でございますから三年有半、首都圏につくるということだけ決まっておって仮住まいというのが現状でございます。私は葉山の御用邸の、いまお話がありましたように一部大蔵省の普通財産としてお返しをするという、そのお返しをする部分に国連大学の本部を設置したらどうかと考えるのでございます。  理由は幾つかございますけれども、国連大学、これはまさにわが国にとっての重要な国際機関でございます。国際連合の総会において東京の首都圏内に設置を決めた以上ば、一刻も早くその適地を決めなければいけないという状況にきていることは明白だと思います。そういう中で、かつて皇室財産で、日本の元首御一家がお使いになっていたところを国連大学の本部として開放したのだということは、海外に対するインパクトも非常にいい。あるいはまた、中には国連大学の本部を筑波大学の方へ持っていこうというような御意見もあるようでございますけれども、これは首都圏とはちょっと言いがたいところでございます。首都圏といえばせいぜい東京、神奈川、埼玉、千葉、この辺でございましょう。その点でも筑波説には若干の問題があろうかと思いますし、第一、相当数の海外からの本部職員が来る。先日ヘスター総長にもお目にかかりましたけれども、そうした職員の居住条件ということを考えてみると、何といってもそういった意味での首都圏でないと困るということを考えてみますと、葉山というところは横須賀にも大変近いところでございまして、外人用施設、教会から学校まで含めましてちゃんとそろっているゾーンでございます。若干道路条件等が錯綜しているということがあるようでございますが、それも高速道路の計画がある。あれやこれや含めましてぜひそういう方向で検討してみたらどうか、これを御提案申し上げたいと思うわけでございます。主管である文部省、そして普通財産として戻すということになればその管理に当たる大蔵省、あるいはコンパクトな御用邸をつくるというその隣りの地域にそういうことをしようという提案をしておるわけでございますから宮内庁の御都合もあろうかと思うわけで、その三省庁の御意見をこの際お伺いをしておきたいと思うわけでございます。
  64. 今村武俊

    ○今村(武)政府委員 国連大学の敷地の問題でいろいろ考えておるわけでございますが、いままで聞いたことのなかった非常に斬新なアイデアをお示しになりまして、大変貴重な御意見として承ったわけでございます。葉山の御用邸の方にもまだいろいろな不確定要素があるようでございますし、国連大学の方も文部省あるいは日本政府だけが決められることではなくて、国連大学当局者の意見も聞きながら最終的な決定をしていかなければなりませんので、今後いろいろ検討さしていただきたい、目下のところかように考えております。
  65. 藤沢正

    ○藤沢説明員 葉山の御用邸の敷地は御存じのとおり現在総理府の所管、宮内庁所属の行政財産でございますが、先ほど来御答弁がございましたとおりまだお使いになっておられまして、と言いますのは、コンパクトになればあく、その跡地のことでございますが、依然として計画段階でございまして、総理府が用途を廃止して大蔵省に引き継ぐというお話がまだ私どもには参っていないわけでございます。将来そういうことで葉山の御用邸の敷地の一部が用途廃止されまして、大蔵省に引き継ぐということになりますれば、私ども大蔵省といたしましては、国有財産の有効利用という観点から総合的にその取り扱いを検討いたしたい、こういうことを考えております。
  66. 富田朝彦

    富田(朝)政府委員 先ほど申し上げましたように、まだ時期等がはっきり固まっておるわけではございませんが、もし将来そういうような時期にということでお尋ねがあったようでございますが、先ほど申し上げましたように、私どもとしては、やはりそういう場合には公共の用に立てていただきたいし、またいろいろないきさつからいたしまして、地元の方々のお気持ちも十分しんしゃくをしていろいろ御工夫を願いたい、さように存じております。
  67. 中川秀直

    中川(秀)委員 まず、文部省にお伺いをいたしますが、せっかくの国有財産、皇室財産、いずれはそういう方向でなるのだという一つの方向は出ておるわけですね。そしてまた国連大学の方は、本部の恒常的な施設を、一刻も早く適地を決めなければいけない。もう三年以上たっているわけでありますから、そういう状況にある。ヘスター総長も大変強い御関心を示しておられたのでありますが、いま将来の問題として検討してみたい、こういうふうに伺ったのですが、そういうふうに受け取ってよろしゅうございますか、検討ということで。
  68. 今村武俊

    ○今村(武)政府委員 繰り返し申し上げますけれども、葉山の御用邸の跡にも不確定要素がございますし、それから国連大学の方にもまだいろんな不確定要素がございます。私どもいま何をするということを全く決めておるわけではございませんが、大変斬新な御意見を賜りましたので、今後の国連大学の恒久的な施設建設に当たりましては、その他いろんな要素を考慮しなければいけませんが、その中の一つとして、貴重な御意見として検討さしていただきますということでございます。
  69. 中川秀直

    中川(秀)委員 わかりました。  次に、せっかく総務長官大変お忙しい中御出席をいただいておりますので、本日の皇室経済法の質疑とは若干関係がないかもしれませんが、総理府関係ということでお尋ねをしたいことがございます。  それは、最近米国において占領期の極秘文書がかなり年数がたってまいりましたので、どんどん公開をされております。中には非常にわが国にとって今後の行政の上でも参考になる資料がたくさん発表され始めてきております。これはぜひ政府において、それぞれ必要なときだけコピーにいくというのではなくて、一括収集をすべきではないか、こう思うわけでございますが、公文書館を所管なさっておられる大臣として、この問題についてどのような御見解を持っておられるか、一言お伺いをしておきたいと思います。
  70. 岩倉規夫

    ○岩倉説明員 お答え申し上げます。  わが国の国立公文書館の任務は、総理府設置法第十一条に規定されておりまして「国立公文書館は、国の行政に関する公文書その他の記録を保存し、閲覧に供するとともに、これに関連する調査研究」を行うということになっております。したがいまして、ただいま申されました書類は米国の公文書でありますので、直接には私どもの国立公文書館の所管の対象にはなっておりませんが、私どもは米国にありますわが国の公文書には重大な関心を持っておりまして、それの調査ということを特に外務省を窓口といたしましてお願いをいたし、また、私どもも国際会議でアメリカへ参りました都度、前後二回にわたりまして、米国にあります、たとえば極東軍事裁判の記録の中に存在するわが国の公文書、これについて調査をいたしまして、若干確認したものもございますけれども、何分分量が非常に多いので、これからそれを調査するのには相当時間をかしていただいて、そういうわが国の公文書を当館にもたらす何らかの手段につきまして、外務省その他と十分打ち合わせていきたい、そのようにいま考えているわけでございます。
  71. 中川秀直

    中川(秀)委員 その米国の公文書館の資料は、いま公文書館長お話しのように、極東軍事裁判の資料もございましょう、あるいは当時の日本政府から米政府に出したいろいろな公文書もありましょう。あるいは朝鮮戦争などについてのいろいろな新事実が明らかにされておることから考えましても、その時期わが国をめぐるいろいろな資料というものもあろうかと思います。あるいは中にはまだなぞが多いとされておりますところの下山、三鷹、松川事件といったようなことに関する資料も、恐らくわが国民においてぜひともいずれかの時期には明らかにしてもらわなければならない資料もあるはずでございます。そのほか農林省の方では、農地改革関係の資料、これをぜひとも全部収集したい、こういう御要望もある。いろいろなニーズというものがこの資料にはあるわけでございまして、これからの日本の政治を考えていく上にも一種の宝の山とでも言うべきものがたくさんあろうかと思うわけでございます。歴史家や諸般の学者、研究者はもとより、政府諸機関あるいは私たち国会調査事業というものに関しましても、非常にこの期間の実態を正確に把握するということは大切なことだと思うわけであります。これをどういうふうに複写し収集していくか、大臣、その重要性にかんがみて、ひとつ前向きなお取り組みをぜひともしていただきたいと思うのですが、いま一度そういうことを踏まえて御見解を伺いたいと思います。
  72. 藤田正明

    藤田国務大臣 おっしゃいましたように、公文書館におきます保管状況につきましては、われわれといたしましても重大なる関心を持っております。これらも整理調査ということを現在進めておりますが、公開されるものはすでに公開しておりますし、また整理中のものもございます。いまからまた米国から返還されるであろうこういうふうな文書があることも予想しておりますし、それらにつきましては、お説のように十分に整理し調査した後に公開をいたすというふうにいたしたいと思います。相当な時間がかかると思います。
  73. 中川秀直

    中川(秀)委員 大臣、政府の責任において収集をされるという前提でそういう御答弁をいただいたと理解をいたしますが、先ほどの公文書館長の御答弁で若干お伺いしたいと思うのは、当然政府資料でない部分もありますね。それがまた政府の今後の行政あるいは国会調査事業あるいは諸般の歴史学者あるいはいろいろな研究の意味で重要な資料というものがあるはずです。米政府の資料の中にあるはずであります。そういうものは政府の公文書館でそういう部分までは収集しないのだとするならば、これはどこでした方が適当なのか、館長の御見解をちょっとお伺いしたいと思います。
  74. 岩倉規夫

    ○岩倉説明員 ただいま御指摘のとおり確かに米国にございますアメリカの日本関係の諸政策に関連する米国の公文書の中にも、相当重要なものがたくさんあることは私どももよく認識しておるところでございますが、私どもの公文書館は、先ほど申しましたように、国の行政に関する公文書というふうに規定されております。実は昨年アメリカの国際会議に参りましたときに、ドイツにおきましてはドイツの近現代史研究所という機関が、占領中の連合軍あるいはアメリカの公文書をドイツ国のその機関にもたらすように、マイクロフィルム等で膨大な資料の撮影に取りかかるというような話を聞いてまいりました。わが国におきましても中央図書館とかそういうようなところが、あるいはそういう近現代史研究所に匹敵するような仕事をされるところではないかとも私見としては考えますけれども……(中川(秀)委員「どこですか」と呼ぶ)中央の図書館ですね。まあ、国立図書館というような機関ではなかろうか。ドイツでは国立の近現代史研究所というところがそういう任を果たしておるように聞いております。
  75. 中川秀直

    中川(秀)委員 大方全部で三千万ページという大変な資料だそうですね。そしていろいろな報道機関や関係省庁、自治体、このためにワシントンを訪れる人たちが年々大変な数に上っておって、向こう側も悲鳴を上げているそうですね。同じ資料を何回も出さなければいけない。そのたびにまた各行政官庁も含めてワシントンもうでをするということでは、経済的に見ましても国費のむだ遣いであります。資料全部ここへ持ってきた方がいい。われわれも調査事業をするためにぜひともそうした関連資料は全部お集めを願いたい、本当に心の底からそう思うわけでありますが、国会図書館長、このことについてのお考えはいかがでございますか。
  76. 宮坂完孝

    ○宮坂国立国会図書館長 お答え申し上げます。  ただいま先生御指摘のとおり、日本占領時代のアメリカ側の公文書の資料につきましては、その重要性をつとにわれわれ承知いたしておるつもりでございます。また、それゆえにこれに対しては多大の関心を持っておることを申し上げます。  数年前にその大部分が公開され始めまして、わが国から学者、研究者、あるいは各省庁、日本銀行も入っておりますが、地方の自治体、それから申すまでもなく報道機関、これらの関係者がワシントンを訪れまして公文書館の資料のコピーを申し込んでおりますが、昨年の上半期と申しますか、半年には約五十万人もの大勢が押しかけたような情報を聞いております。  そういうようなわけでございまして、これらの関係者の中から、われわれ国会図書館に対しまして、こういう個々に向こうに行くのは経済的なロスが非常に多いから図書館でひとつまとめて一括複写してやってくれぬかというような御希望も非常に強く来ておるのでございます。しかしまた先方の公文書館側からも、日本からばらばらに視察にこられて、御要求が非常に大部にわたってコピーの量も物すごく膨大な量になるので、お忙しいときには御希望に応じられないので非常に困っておる、どうか窓口を一本にしぼってやってきてくれないかというような御希望のお申し出があったわけであります。それらを勘案いたしまして、われわれといたしましては、日本の経済的な国益等からも勘案いたしまして、または米国側政府機関にそういうような多大の御迷惑がかかってはいけないことでございますので、われわれはできますれば、図書館は非常に微力でございますけれども、各方面の御協力と御指導をいただきましてこの事業に乗り出して、一括こちらで収集いたしまして、順次わが館に運び込みまして整理、分類をいたしまして公開ができれば非常にいいと思って、いまそういう考え方でおるのでございます。
  77. 中川秀直

    中川(秀)委員 館長に確認をさせていただきますが、国会図書館において三千万ページ全資料一括して収集をしたい、それを国会図書館においてまた分類をして順次公開をしたい、こういうお考えであるというふうに理解してよろしゅうございますね。
  78. 宮坂完孝

    ○宮坂国立国会図書館長 お答え申し上げます。  先生すでに御承知のことと思いますけれども、日本占領時代のアメリカ側の公文書は、整理されましたものが十五万枚でございますが、ページ数にすればもっと多いと思います。これはワシントンDCの本館にございます。それからメリーランドのスートランドの別館には、これまたミカン箱大といたしまして一万以上の箱に入っておりまして、ページ数にいたしますれば三千万ページというような膨大な資料でございます。  こういう資料に対しまして、われわれの館の専門家たちが寄り寄り研究をいたしましたので、初めのほどはこれを分割整理をいたしまして、いわゆる選別いたしまして、日本に必要なものだけを持ってくるとか、あるいはまた向こうに選別を頼むとか、いろいろな方法考えましたけれども、これは選別といたしましてもいろいろな観点からのものでございます。どれが重要であるか、どれが必要であるかということを決めるのはなかなか困難かと思います。そういうようなことも踏み切ってその作業をアメリカへ行ってやるということになりますと、膨大な調査員をアメリカに派遣しなければならないので、経費その他について非常に難点があるんじゃないかというところで行き詰まりまして、いまの段階におきましては、一括、現在ある三千万ページのものをわれわれが複写いたして、日本へ持ち帰って処理した方が非常に能率的で現実的な考えではないかというところで、いまそこまでは来ております。しかし、各方面のいろいろな御協力を得なければ実施できないものでございますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
  79. 中川秀直

    中川(秀)委員 そうすると、ある程度の御方針が決まったようでございますから、収集の計画ですね、一遍に収集ができるということにもなかなかならないのではないかと思います。たとえば何カ年計画かでやりたい、あるいはこういうテンポでやりたいというような、そういった御計画みたいなものがございましたらお伺いをしたいと思います。
  80. 宮坂完孝

    ○宮坂国立国会図書館長 まだ具体的な何年計画というようなことは申し上げる段階に至っておりません。しかし、予算等もございます。数多く向こうへ派遣すればそれだけ短期間にできるわけでございますので、非常にむずかしい問題を含んでおりますが、何と申しましても三千万ページでございますので、予算の概略等にいたしましても十億近いものがはじき出されるわけでございます。それらの点については非常にむずかしい場面もあると思いますので、せっかく努力して具体的な計画をつくっていきたい、こう思っております。
  81. 中川秀直

    中川(秀)委員 大蔵省にちょっとお伺いをいたしますが、ただいま公文書館は日本政府資料について、その他の全般にわたって国会図書館が一括、米政府の公文書館にある日本の占領期に関する極秘文書を収集したい、こういう御意向を表明なさったわけでございますが、十億円といういま館長のお話でございましたが、本当に十億円にかえられない資料だと思うわけでございます。関係各方面のお力添えを得てというのは、大蔵省の力添えを得てということなので、大蔵省はこれについてどのような御決意で臨んでいただけるか、御見解を伺いたいと思います。
  82. 岡崎洋

    ○岡崎説明員 先生お話しの事柄の必要性あるいは大切なものであるということは、ただいまお話を承って承知いたしたところでございますが、国会図書館の方から具体的に、どういうプログラムで、何カ年で、どういう計画でやっていくかということについてはまだ全然承ってもおらないところでございますので、どのくらいの労力あるいはどのくらいの費用がかかるのかということにつきまして、やり方等よく聞かせていただきまして、その時点で判断をしていかなければならないと考えております。  その判断をする場合に、先生御承知のように、国会図書館は本件とともにいろいろ多角的な機能を持っておりまして、全国の各市町村その他図書館の元締めの仕事もいろいろしておられます。また、立法考査のお手伝いということで立法考査に対するお仕事もいろいろしておられますので、こういった各般の仕事のプライオリティーというものにつきましても、国会図書館側からよくお聞かせいただきまして、私どもの判断の資にいたしたい、このように考えております。
  83. 中川秀直

    中川(秀)委員 事柄の重要性はよく理解をする、こういうことで今後の予算編成に当たっては十分留意する、こういうふうに理解してよろしゅうございますね。
  84. 岡崎洋

    ○岡崎説明員 結構でございます。
  85. 中川秀直

    中川(秀)委員 長時間にわたって御質問申し上げましたが、最後の公文書館の問題は、本当に十年とか、そういう時間がかかるものかもしれませんが、のんびり構えないで、現に向こうに行けば、収集しようと思えば収集できるわけでございますから、できるだけ早く国民のものとして御公開がいただけるように御努力を願いたい。強くお願いを申し上げまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  86. 正示啓次郎

    ○正示委員長 次回は、来る二十二日火曜日午前十時理事会、十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十三分散会