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竹内(勝)
委員 ここでちょっと、
一つの具体例からぜひこの問題を
考えていただきたいということから申し上げたいわけですが、実は大変な
インフレ、極度の
物価高、戦中戦後の
混乱期、これは大変なものがあったのは
御存じのとおりでございますが、
昭和十四、五年ごろこの郵便年金に入っておった、現在その方が生きておりまして、北九州に住む現在七十七歳になる御老人でございます。この郵便年金証書を宝のように大事に持っております。この方は十一件入ったわけです。ですから、
昭和十四年に
契約したのを皮切りに、
昭和二十二年まで、その合計年金額は毎年千四百二十円をもらうようになっております。これは平均でございますけれ
ども。
この当時どれくらい掛金を納めたかといいますと、最初の年金を始めたのが
昭和十四年十月からです。最後のが二十二年五月からです。最後の掛金が終わるのが六年後です。そうすると、延べ十五年間、平均月百三十九円をこの方は掛金として納めております。
当時の百三十九円、これは大変なものです。この人が私
たちの
関係の人に言っておりましたけれ
ども、郵便局の偉い人が来られて、そうしてバラ色の老後の
保障というものを示してくれた。したがって、ぜひこれは入りたいということから、その郵便局の方が言われたことを信じて入った。ですから、当時百三十九円を納めるということは、当時の財産等も相当投げ出してそうして納めてきた、こういうように言っております。
ちょっと私ここにデータを持ってきましたけれ
ども、国土庁が発表した中で、これは
昭和五十年十月に発表したものでございますが、戦前お米の値段は、
昭和元年から十一年の平均で一升三十四銭です。それが四十九年の平均ということで出ていますが、その一千二十三倍に当たる一升三百五十六円です。そうして賃金は、当時の労働者の月給は
昭和十年に五十円強です。これが、
昭和四十九年、労働者の月給の平均は約十四万六千円、三千倍になっております。それから土地の価格でございますけれ
ども、地価の方は
昭和十一年の市街地価格を一とすると、
昭和四十九年は実に八五九一でございます。つまり八千六百倍という莫大なものになっております。
そうすると、いま私が申し上げました、当時この人が平均百三十九円を支払ったということは、これは大変なお金を支払ったことになる。一番低い指数で見ても約一千倍強です。そうすると、毎月平均十三万九千円、現在の価格に直すとこれほどのものを納めておった。しかし、それは老後の
保障ということで、これが現在の価格に直すと実は年間百四十万円からの年金がおりてくるわけでございますから、この人がこれに飛びついたのは当然のことではないか、こう思うわけです。
しかし、
局長も
御存じのとおり、その後の大混乱を経て、いざ受けるときにはお金の値打ちというものが下がってしまいました。大暴落です。したがって、年金をもらいに行くのにもバス賃の方が高くなって、もうわざわざ取りに来るのも大変ですからということから、
御存じのように、あの四十二年の第五十五特別国会で、
昭和二十二年以前の郵便年金に関する特別措置法を制定しました。そしてこのような人に特別付加金をつけて一括して一時金の支払いを行いました。しかし、この人にとってみますと、一時金と付加金を合わせても、当時約四万円しかいただけないのです。実はその当時月々百三十九円、いまのお金に直せば十三万九千円というような莫大なものを納めておりながら、このときに一時金として四万円をもらうというのでは、これはだれが
考えても
余りにもひどい仕打ちではないか。こういうことから奥さんはそのショックを受けて自殺同然の死に方をした、このように言われております。本人はいまだに納得できない。正直者がばかを見ない世の中にしてほしい、社会的に弱い
立場の人を守るように、こう訴えておりますけれ
ども、こういうような人が現在おるということを御認識いただき、こういうものへの救済策はないでしょうか。