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志賀委員 私は率直に申し上げて、これはいまだ起こらざることを想定して言うわけでありますから、過ちがあればお許しを願いたいのでありますが、
受信料値上げのような
必要事態が生じた場合に、現在の情勢では、先ほど私は一筋なわではいかないという表現をとりましたが、この問題に対しては世間の雰囲気というものは
受信料値上げにくみすることがなかなかないのではないか、非常に困難ではないかという観測をしておるわけであります。それはなぜか。それは
NHKが従来の、今日に至るまでの
経営姿勢の中で
国民の十分の共感、同情を得られなかったからであるという
判断に実は私は立っておるわけであります。したがいまして、私はもし、この
受信料の
値上げというものが行われるようにするには、
NHKというものはやはりそれだけの、出直し的という
言葉がよくここのところ、はやったのでありますが、出直し的な
経営に立ち返らなければだめではないか、やはりそういう御助言を
郵政大臣からも
NHKに大いに賜りたいというのが私の希望でございます。
また私
自身、個人的な経験の中で
一言、二言申し上げさせていただきたいのは、実は過般、さる県の
東京事務所におきまして、
政府予算原案づくりの最中に、いわゆる
陳情合戦がその県の
地元からございました。それを
NHKが
取材をいたしました。その
取材の
過程におきまして、その
県当局あるいは
県事務所の所長のげきりんに触れるような
取材があった。あるいはその県の
地元の
新聞社、テレビ局、
放送会社、こういう現場の
記者諸君が怒りを燃やしてしまった。たとえば、十五分
番組であるやに聞いておりますが、その
フィルムを撮るのに一時間も
フィルムを回しておった。われわれ民放であるならば倍くらいの
フィルムしか回せないのに、
親方日の丸はたまげたものだ、こういうことを言っておる。あるいはまた、その
東京事務所におきまして、
地元のマスコミの連中が金を出し合って
電話を架設しておる。この
電話を傍若無人に入ってきては勝手に使って
長距離電話などをかけている。そこで
最後にはたまりかねて、そういう
諸君が、これはわれわれが金を出し合ってつけている
電話なんだから、もうこの部屋に入ってこないでくれということまで言われた始末であります。
これは私は一例を申し上げて、これは何も粉飾をしたつもりはございません。事実関係だけを申し上げたつもりであります。
あるいはまた、そういうことがあって、御承知のとおり私は
会長にこのことを申し上げた。しかるにその
責任者の方からは、私はお
手紙をちょうだいしたがいまだに私のとこに
おいでにならない。
手紙は、私が了解するものだということでもって
手紙をよこしただけであって、私は了解しているかしていないか、これは何も言っていない。
手紙で了解つくものだというふうな、きわめてお
えらいさんになっておられる。聞くところによると、関西であれ東北であれ、いわゆる
本部長というものは何か知事気どりでおるという話を聞くのでありますが、そういうような実情に触れるにつけても、これはなるほど知事気どりのお
えらいさんになっておるのじゃないかという気がしてならない。こういう
NHKの
経営姿勢、
経営体質、そういうところが私の
指摘するところの、もし
受信料値上げが行われなければならぬという
条件が出てきても、周りがそれを許さぬ、そういう
客観条件につながるのじゃないか、私はそういうふうに
理解する以外ないわけであります。
あるいはまた、私はこの
機会に特に申し上げておきたいのは、私
ども同県の大先輩で、
厚生事務次官を勤めた
太宰博邦という方がおります。この
太宰博邦さんは
全国社会福祉協議会の副
会長でございます。
会長は
灘尾弘吉先生ですが、今度の
予算原案が固まった後に
NHKの
取材に応じた。
太宰さんがその後私のところに
おいでになられまして、非常に困ったことですと言っておられた。どういうことかというと、総体的に今回の
福祉予算というのは一〇〇%
満足とは義理にも言えないけれ
ども、まあまあのものではないかと
自分は思って、そのように言ったところが、全体でしゃべっている中で、
自分はこの
福祉予算は
満足ではないと言っているところを特筆大書して、実は言わんとしたこととは全然別のことの放映がなされておるという。一人の人間の朝から晩までの
生活の中で、りっぱな
社会生活を送っているところを抽出して世に示すか、その人が朝
生理的現象を起こしておったり、あるいは夜奥さんとたった二人で愛し合っているところだけを抽出するかでもって、これはエログロになるわけでございましょう。そういう点では
NHKが故意にその報道を曲げておるような印象を私は免れない。少なくとも私
自身はその
太宰博邦さんからの直接の
お話でありました。私はきわめて敬愛している方でありますから、
うそ偽りをつく方だとは思わない。そういう点な
どもきわめて不信の念を私は持たざるを得ないのであります。
この
機会に申し上げておきますと、ギボンが「
ローマ帝国衰亡史」という大著をあらわしておりますが、この
ローマ帝国が
衰亡した大きな原因の
一つに数えられているのが、実はあの農地を捨てて都会に集まったいわゆる
遊民、この
遊民が傭兵になるか、あるいはまた彼らは
社会福祉の対象になるかして、結局は寄生虫的なものに成り下がった。
自分の持っている
財産というのは
子供だけだ。
子供のことを何かプロレスと言ったそうであります。それがプロレタリウスからプロレタリアートの語源であると私は承知しております。あるいはまた、そういうような
人たちが、結局
パンと
サーカスという名前で象徴されるところです。何か
サーカスを
無料で見せてもらえる。それは当時の
政治家が
無料でこの
サーカスを振る舞うことによって得票を得るという、どこかの国の
政治家が
観光バスを仕立てて温泉に
無料で
選挙民を招待する姿に以ている。それから
パンというのは、だんだんに
食事をそういう
遊民に
無料で配給する。そういうことで
国民の歓心をそそり立てて、ついには
ローマ帝国を
衰亡に導いていったあの時代というものを私は頭に浮かべざるを得ない。そういうことなんです。そういうことが一方あるから、私は
太宰さんのような方がしっかりしたことをおっしゃっているのに、
NHKのどういう
方々であるかわからぬけれ
ども、何か甘えの
構造というか、たかりの
構造を助長するような、そういう
番組をつくるなどということはもってのほかだと思っている。そういう
意味において
NHKの、私がいま申し上げておる
批判というのはとりもなおさず
国民の
批判でもあるということであります。一体これはどういうふうにお
考えになっておられるか、この点を重ねて承りたいのであります。