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水戸参考人 私は、
原子核物理学を専攻しております。
原子力発電所を
中心とします
核燃料サイクルのそれぞれのポイントにおいて非常に重大な問題がなお残されておるという点について、お話ししたいと思います。
現在、普通に使われております百万キロワット
程度の
軽水炉、この中には
御存じのようにウラン235という物質が約三トン含まれております。
原子力発電所が一年稼働いたしますと、そのうちの約一トン分のウラン235が核分裂を起こしてこれが非常に強い
放射能を持った物質に変わります。つまり、死の灰一トンが一年間の稼働で生じてくるということであります。他方、広島で落ちました
原子爆弾、これはウラン235約十キログラムと推定されておりますが、そのうちの約一キログラムが実際に核分裂を起こし、死の灰となったというふうに考えられております。これを見ましてもわかりますように、一年間稼働いたしました
原子力発電所の中には、広島の原爆によってつくられた死の灰の一千倍の量が内蔵されているということであります。したがって、この一%でも外に出るならば非常に重大な事態を招くということは、非常に明らかであります。
それでは、一体そういうようなことが起こり得るのかということでさまざまな想定計算ということが行われておりますが、実際に最近発表されましたラスムッセン報告、あるいはそのずっと以前からすでにそういうことが可能であり得るということが想定されております。最近発表されましたラスムッセン報告の中の
一つの例をとりまして、東海村の
原子力発電所が最大限の
事故を起こした場合にどのようなことが起こるかという計算を私
どもでいたしました。
その結果を概算で申しますと、急死者三万名、がんその他による晩発性死者四万ないし十三万名、患者二百二十万名、このうち約半分の百十万人は十歳以下の子供
たちに起こる甲状腺腫瘍と言われる病気になります。遺伝障害については、この計算の方法がいろいろありますけれ
ども、一千名近い遺伝障害者を生むであろうということが考えられます。土地汚染については、セシウム137という物質だけに注目した場合でも五万平方キロメートル、本州の約五分の一にわたる汚染を受けるというようなことが計算されます。この結果は、一九六五年に
アメリカの
原子力委員会自身が計算し、公表した結果、四万五千名の死者、そして北海道の一・五倍に当たる。ペンシルバニア州の全体の汚染といった計算に比べまして、むしろ過小になっているというふうに私は思っています。といいますのは、
日本の人口密度は
アメリカに比べまして十倍以上、約十三倍
程度になっておると思いますから、そのことを考えるならば先ほど申し上げました計算結果は決して過大な数字になっていないというふうに思っております。
このように、
原子力発電所は従来のいかなる工業施設とも隔絶した巨大な
危険性、潜在的
危険性を持っている、このことを私
どもは十分に考えなければならない。こういうような施設をわれわれは現在までの工業文明の中で持ったことがないわけです。そのようなものに対して危険をどう考えるか、そういったものを社会に許容するか否かということは、全く新しい
立場に立って考えなければならないというふうに思っているわけです。
これに対して、たとえば
内田先生は、確かに
内田先生
たちが安全審査などで取り上げている設計
基本事故、こういったものを上回る
事故が起こらないとは言えない、しかし、そういった
事故は設計
基本事故としては取り上げることが不適切な
事故であって、自然力災害による天災のたぐいであって、当事者にとっては計画設計上は免責とされる
事故であると考えられる、このようにはっきりと述べておられます。
このような、従来はとても考えられなかったような自然に起こる
事故を二つに裁断し、一方は設計
基本上とるべき
事故である、それ以上の
事故は天災のたぐいと同じであって免責されるべきである、このような異様な考えが生まれてくるということは、すなわち
原子力発電所という施設がいかに異様な、従来のわれわれがとても知り得なかったような施設であるということを非常に明らかに物語っているものであると思うのであります。
二番目に、そのような問題に対してわれわれがとるべき態度は、最悪の事態ということを考え、その最悪の事態の結果に対してわれわれが許容できるか、社会が許容できるかどうかという態度をとるということが唯一の回答であると思います。その確率がどれだけであるというような計算をして、その確率が非常に小さいから許されるというような
考え方をわれわれ人間はとるべきではないというふうに私は考えております。
二番目に、この
核燃料サイクルの中で再
処理施設、これが非常に問題になっておるわけです。これがまた
カーター声明というようなことで問題になっているようですけれ
ども、問題はとてもそんな問題ではない。全く工学的に見て、
技術の問題として見て重大な問題であるということです。これは
原子力発電所に比べまして日常的な汚染が十倍ないし数百倍に及ぶ。これは安全審査の中で認められている数字としてこのような非常に重大な汚染が許容されているということです。海洋に対しては
プルトニウム一グラムが一年間に流される、これも許容されている数字であります。
このような再
処理施設が周辺に対して非常な汚染をもたらすということは、
アメリカのNFSにおいても非常に事実として明らかになり、これは停止されているわけでありますが、その後つくられましたフランスのラアーグの再
処理施設、ここでもフランス
原子力庁の測定によってその三十キロ周辺でストロンチウム、セシウム、ヨードといった放射性物質が、現在はこれが操業を開始いたします一九六七年、つまり十年前のすべて四倍になっているという事実が明らかであります。そして、この周辺では新生児の白血病が
発見されており、そしてこの
発生率は全国の平均の約十倍であるということが明らかにされております。
したがって、現在の
カーター声明によって云々という事態は、私はほかのことはともかく、東海村のあの周辺の
住民にとっては非常に幸せな事態ではないかというふうに私は考えております。
それから、この再
処理施設から生まれます
廃棄物の問題、これは先ほど
久米先生もお話しになりましたが、再
処理施設から出てきます
廃棄物は
プルトニウムを含むアルファ放射体を含んだ廃棄一物、これは普通の半減期、だんだん減っていくという話ではなくて、一万年後には
プルトニウム239は約二倍にふくれ上がります。これはほかの
廃棄物から
プルトニウムに変換されていくという事態がありまして、二倍にふえていく。その後になってようやく減っていくということであります。したがって、これが
本当に人間に安全になるためには二十万年とも百万年とも二百万年とも言われております。その間、人間界から完全に隔離しなければならない、自然界から完全に隔離しなければならない。一体そのような工学的な方法というのはあるだろうか、現在のところ全くめどがついておりません。さらにまた、そういったものを保持する社会的機構といったもの、数万年にわたる社会的機構、存続し続ける社会的機構というようなことは、当然われわれは歴史の中で
経験していないわけです。わずか三千年の歴史を持っている私
たちが、数百万年に及んで安全に
管理をしなければならないものを、この世代わずか四十年か五十年——
原子力発電所の期間というのはその
程度だと言われております。わずか四、五十年の期間のために、ほとんど永遠と言える期間の災害物をつくり出すということが私
たちに許されているのか。こういった観点から
核燃料サイクルの問題を考えていただきたいというふうに私は考えます。
また、
核燃料サイクルということが言われておりますが、これは高速増殖炉が実現されなければほとんど何の意味も持たないということは明らかであります。
核燃料サイクルと言われておりますものの切り札は高速増殖炉であります。私は、先ほど
軽水炉の災害について申し述べましたが、この中にはコントロールできない連鎖反応の
事故というようなことは一切私自身も考えておりません。しかし、高速増殖炉においては純粋の
プルトニウム、一〇〇%の
プルトニウム239というものがその中に使われるわけであります。したがって、この中で炉心溶融
事故が起きれば、これは必ずコントロールできない連鎮反応
事故、すなわち核暴走という恐るべき事態を惹起するということは、これはもうすでに十分知られていることであります。したがって、このような企てに対しては
世界の世論はこぞって反対しております。
アメリカでは、この高速増殖炉の
開発計画は
環境庁の抗議によって中止になっております。フランスでは、マルビルという場所にその立地が計画されたわけでありますが、これに対して非常に強硬な反対があり、とりわけヨーロッパ共同
原子核
研究所、CERNの
原子核の
研究者一千名を
中心として多数の科学者の反対声明が去年の十一月十九日に公表されております。このような事態をよくお考えいただきたいというふうに思います。
最後に、
労働者の被曝の問題についてちょっと申し上げたいと思います。
これは確かに周辺の人々には安全だというふうにおっしゃっておりますが、その原発の工場の中で働く
労働者の被曝は年々著しく上昇しております。福島一号炉の場合、
昭和五十年度に四千二百七十九名が従事しておりますが、そのうちわずか七分の一が正社員であります。七分の六は下請の
労働者がこれを行っております。そしてまた、その
被曝線量は、
昭和五十年度で千七百四十五
ミリレムという量であらわされておりますが、そのうち正社員は八分の一、そして下請
労働者が八分の七被曝しているという状態であります。これはまた、年度的にどう推移したかということを見てみますと、四年前の
昭和四十六年度に比べますと、正社員で従事者の数は二倍に増大しておる、下請の
労働者は三倍に増大しております。そして、
被曝線量は正社員において二倍、下請
労働者において十一倍に増大しております。これは
原子力電発所の相次ぐ
事故、それからまた、操業につれて
放射能汚染がどんどん蓄積されていっている、この二つの
要因から、いま言ったようなことが行われている。とりわけ、下請
労働者の被曝が全く
管理できない
状況で増大しているということは、恐るべき事実である。これは
国民の総
被曝線量という観点から考えても全く看過できない状態にすでに来ておりますし、また、個人のそこで働く
労働者の人権、生命という問題からも恐るべき事態が進行しているということを申し上げて、私の陳述を終わります。