○瀬崎
委員 いま率直な
気持ちを言われたと思うのです。人事を尽くしたかどうかは別といたしまして、結局天命を待つというのがいまの
政府の態度じゃないですか。そういう点で四者協定に対してもはっきりした
反省が出てこない、二年半
政府がやってきたということについても何も
反省がない、そしてただ頭を下げるだけだ、こういうことは全く無責任だと思うのです。もともと当てもないのに新しい母港をいつまでに選定するだとか、いつまでに移転するだとか、こんなことを約束する態度にだれが
考えても問題があるのです。この点も評価を避けて逃げられる。なるほどそういう
意味では
宇野さんは
政治家だなと私は思っているわけなんですが、もう少し
大臣なら
大臣らしくけじめをつけられる方がいいと思うのです。
本来、放射線漏れを起こした
時点で、「むつ」に関係あるいは
関心を持った科学者であるとか専門家、
政府、事業団、民間の関係者の英知を結集して「むつ」にかかわるあらゆる問題、つまり過去にとってきた
計画がよかったのか、その後の建造過程に問題はなかったのか、一体今後「むつ」は役立つのか役立たないのか、
原子力船
時代はいつごろどういう形で訪れるのか、そういうふうなことすべてを含めて、
検討を二年半前に開始すべきであったし、そういうテーブルをつくるべきだったと私は思うのです。
政府は、事もなげに気に食わぬ点があるから反論するとおっしゃるけれ
ども、今度の
カーター政権の新
政策の背景には、フォード財団の二十一人の専門家による提言があることは事実です。あれをつくるために二億円の金をかけたという話だし、ずいぶん長い年月をかけているという話です。これだけの大問題を含んだ矛盾の集中点ともいうべき「むつ」問題の解決には、少なくともそれくらいの
国民が納得するような審議機関をつくって、それぞれ部門別に「むつ」問題を
検討すべきだったと思うのです。
大臣はいままで
科学技術に縁がなく、
大臣になられて間がないのですが、私はこの前の任期四年間もこの
委員会をやらしていただいて、これでは
国民はますます
原子力行政を信頼しなくなるということを身をもって体験してきているわけです。大きな事件だけ取り上げても、科技庁ともあろう官庁に汚職が出ているわけです。この汚職とは無縁でなかったのですが、不破書記
局長が明らかにしました分析化研の全面的なデータ捏造事件というのがありました。米
原子力潜水艦の放射能測定のデータを、十枚に一枚くらいはほんまのがあるけれ
ども、あとは全部でっち上げておった。このことがきっかけになっていろいろ点検が行われたら、放射能の測定体制がばか丁寧過ぎるのだというふうな森山長官の
発言も当時出て、新聞でも大分書き立てられた。それにすぐ引き続いて今度は「むつ」の事故が起こっている。これは科学者の警告を無視し、漁民の反対を押し切って強引に太平洋上の試験を行った結果です。そのときに、これも有名な話だけれ
ども、「むつ」の
安全性を疑う者は
世界の科学に挑戦するようなものだ、こういうふうな
大臣にあるまじき
発言も出てこれも問題になった。
さて、事故を起こしてからの
政府の態度だけれ
ども、国会答弁を一遍繰っていただけるとよくわかりますが、科技庁と運輸省の責任のなすり合いがずいぶん続いたし、
政府側の答弁はくるくる変わるし、結局事の真相を明らかにする方向ではなく隠蔽する方向で責任逃れが続いたわけでしょう。そして先ほどから言っているように、新しい母港の可能性もないまま四者協定を結んだ。これが佐世保に結びついたきっかけは何か。ここにいらっしゃらないのは残念だけれ
ども、
佐々木元長官の国会
発言にありますね、佐世保市長のありがたいおぼしめしがあったから、これがきっかけでしょう。科学的な
検討の結果じゃないわけですよ。かろうじてこの間われわれに有意義な結果をもたらしてくれたのは大山
委員会だったと思う。残念ながらあれは放射線漏れ問題の
検討というきわめて限られた枠の審議しかできなかった。ああいう形のものがもう少し大きな
検討課題を与えられて、「むつ」全体について
検討ができたら、
国民もまた違った目で「むつ」を見るようになっていると思うのです。また「むつ」の
処理、処分の方法についても、ただ単に修理ということではないもっといい方法が出てきたかもしれないと私は思うのです。やはり「むつ」に賛成の立場、反対の立場、批判的な立場いろいろあるのですから、そういう人々を皆結集して結論を出してこそ
国民合意の基礎になるのではないかと私は思う。
大体「むつ」建造の過程で、船価三十数億円の当初見積もり価格、これは
原子力委員会の
原子力船専門部会で決めた。ここには造船界の代表も入っている。入っていながら入札をけとばしているわけでしょう。当時の有沢
原子力委員長ですら、国会の答弁で全くおかしな話だと言っている。そして随意契約で六十億にはね上がる。この随意契約を支持した人がきのう証人に立った中曾根氏で、この
委員会の
理事をしていらっしゃった。その中曾根さんの
質問がきっかけになっているのです。そういうふうな疑惑もあるわけなんです。
そういうふうな点が今日残されたままだ、こういう点に最大の問題があるということを私は
指摘したい。なぜ
政府は、そういう隠密行動や密室のはかりごとでこそくな解決の手段を弄するのか、この点を私は追及したいのです。なぜ、もっと国会に対しても、
国民に対しても、オープンな科学的な
検討の態度を歩まなかったのか。しかも、これは事故後だけじゃない、それ以前からなんです。
たとえば、ついせんだっても朝日新聞の十二日付に「第三候補地 極秘に
調査進める」という記事が出ています。「一九六七年七月、横浜が望み薄となったとき、事業団の職員ふたりが、東京の上野駅から列車に乗った。むつ市に行くには、ふつう常磐線か東北線を利用するのだが、このふたりは、遠回りの信越線に乗り込んだ。「新聞
記者に見つかって、行き先がばれたりしたら、まとまる話もダメになる」と、この“密偵”
たちは
考えたのだ。」こう書いていますね。七月二十二日、横浜がだめになったその翌日「
科学技術庁は、秘密の幹部
会議を開いて、
一つの方針を決めた。二十二日付の極秘文書には、次のように書いてある。」そしてその文書の内容が紹介されている。
一体、密偵とはだれなのか、極秘文書は実際に存在するのか、こういう問題が当然こういう記事からわれわれにとっては問題になってきますね。この記事について長官並びに科技庁は思い当たる節はないのですか。