○久保(三)
委員 いまのお話ですが、体系ができていないから、もし私の質問がそういうふうに言ったらばこれは間違いですがね。体系はおのずからわかるわけなんで、どういう体系にしたらいいかというのは、特性を生かしてこういうふうにしたらいいだろうというのはだれが考えてもわかるわけですね。それに応じたところの
政策をどういうふうに展開するかという問題が欠けているわけなんです。
それから体系そのものについても、たとえば列島改造の時代に新全総を裏づけにしてやった交通網それ
一つとってもこれは問題があると思うんですよね。だからそういうものも修正する
段階なんだが、後からもちょっと申し上げますが、修正はしないでそのままでいるというところにも問題がありはしないかというふうに思うのです。
それから先ほどの
総裁のお話で、人件費や物件費の値上がりが片方ではよけいにありました、これは間違いでありまして、間違いというのは計算の間違い、
見通しの甘さということでありまして、計画そのものが的確でなかったということでありまして、
物価や賃金というのが上がったからけしからぬということだけでは済まされない問題だろうと私は思うのであります。小さいことでありますが、そういうふうに思う。
いずれにしましても、
財政を
再建するというのにだんだん
財政援助というか、そういうものがふえてきたことは事実だが、悪くなってきたから多少ふえてきたのであって、筋を通して、この限度は
政府が負担すべき筋合いであるというような費用負担の区分、責任のあり個所がきちんと整理されてきたわけではないと私は思うのですね。当初から責任のあり個所がはっきりしていればこれほどの事態にならぬで済んだと思うのです。われわれは当時というか、十何年前にもそういう提案をしております。だから問題は、
経営をどうするかという全体の問題としてとらえることが私は先決だと思うのです。もちろん
財政の問題も必要でありますが、たとえば過去債務についてはもうすでにある
程度のものは処理済みというか、
財政的に処理をした。ところが五十二年度予算
一つとってみても、損益勘定で約千九百億、二千億近くのものが資本勘定から借り入れで穴を埋めている。穴を埋める前に
運輸収入では一九%九月から
値上げ、約千九百億、これを含んでいるわけであります。合計しますとここで四千億という穴があいているわけです。それ以外に、これは償却前の
赤字四千億でありますから、償却はゼロであります。そういう
経営の実態でありながら、事のよしあしは別として、ことしも八千三百億を別途借金して投資をするという形はノーマルな形では絶対にないと思うのです。八千三百億の投資、もちろん
国鉄は人命、財産を預って輸送するのでありますから、安全なものを確保するための老朽施設の取りかえ、こういうものは当然せねばなりません。しかし八千三百億全部がそうではないと思うのです。そういう
財政と投資のあり方について検討を加える時期に来たと私は思うのです。特に、小さいことになるかもしれませんが、投資の中で二千六百五十億は東北新幹線等に使う金であります。東北新幹線は、当局の説明によりますれば、現在東北線あるいは上越線、そういうものは輸送力が逼迫しているから、東海道新幹線をつくるときの
目的と同じように、たとえて言うならば線増に値するものだからやらねばならぬものだ。それは承認するにいたしましても、残りの五千億近くのものはどういうふうになるのか。すべて老朽取りかえかどうか。むだな投資は一銭もないのかということであります。近代化、合理化ということで多額の金を使っております。この額は、おわかりでありましょうから別に一々申し上げません。配付された
資料だけ見ても、これはおわかりだと思うのであります。投資について「
国鉄工事経費プロジェクト別推移」ということで出ております。私は、四十四年からとったのでありますが、これはかなりの投資でありまして、四十四年から五十二年まで、予測まで入れまして、新幹線を除いて四兆三千五百三十六億であります。新幹線を入れますと四兆八千二百億、こういう投資をしているわけであります。これはすべて借金であります。この借金の重圧を取らない限りは
国鉄の
経営はよくならぬだろうと思うのです。しかもむだな投資が近代化、合理化の名のもとにやられていると私は思うのです。たとえばCTCの問題があります。ある線区のCTCは何十億かかけてやる。この
目的は二つあると言います。
一つは保安度を向上する。
一つは要員を削減する。まず
一つの保安度の向上であります。保安度の向上はもちろん必要でありますが、それでは
現行の運転
方式では保安度が低下して危ないのかというとそうではないということですね。この方がよりいいんだという意味のことであります。だから、左前の生活ならば、よりいい着物を着るというよりは寒さをしのげればいいじゃないかという物のたとえがあります。安全でなければこれはやむを得ません。しかしそれらの投資基準の判定が、私は問題の場合があると思う。要員の削減についてもそうです。なるほど列車扱いは駅長や助役という資格の者がやらねばならぬようにいま規程はなっております。それでは絶対に駅長や助役でなければ列車扱いができないのかどうかという問題であります。これはそうではない。ただ
国鉄内部の規程が古くからそうなっているからなっているだけの話でありまして、運転に熟練した者ならだれでもいい、だれでもいいと言ったら語弊がありますが、そういう人はたくさんいると思うのですね。
一つの例ですよ。いやCTCをやりながら営業の近代化をやる、こう言っている。営業の近代化というと名前はいいが、これは駅員無配置駅をつくる、駅で荷物や切符は売らないということ。汽車はとまります。最近これは、最近というよりずっと駅を停留所化そうという文句が
経営改善計画の中にも書いてある。いわゆる
国鉄の駅を停留所と規定しようというのです。これは大きな間違いだと思うのですね。バスの停留所のある場所は町の中や道路の縁であるわけだ。駅というのは違う。小さい町でも大きい町でも町の目玉である。社会的に
一つの地位を与えられている存在なんですね。だから
国鉄がもしも広い意味で
公共性があるとするならば、駅というのはその
地域あるいは町、そういうものにおける部署というかポジションを忘れては、私は
公共性は薄らぐだろうと思うのです。私も余りやぼなことは言いたくありませんけれ
ども、停留所化して人は一人もいないということが果たして
国鉄の興隆につながるかどうかといったら、これは荒廃であります。
国鉄だけの荒廃じゃなくて、
地域の荒廃につながりあるいは過疎につながっていく現象はたくさんいまあるわけですね。そういうものに対する
考え方が真剣に検討されないまま簡便に投資をしている。投資のもう
一つの例を申し上げますと、
貨物の近代化ということでヤードパス、拠点直行
方式というのをやり出した。それも必要でありましょう。しかしそういう計画が
国鉄本社の中でだんだん煮詰まっている最中に、ある駅の構内を継電連動化した、これは多額の投資であります。余り使わないうちに、今度はヤードパスで、そのヤードは使わぬということで、継電連動装置は効用を発しないままスクラップ化されている。またもう
一つある。たとえばこれは扱いの方でありますが、二種
貨物、いわゆる昔の小口でありますが、これは大半が代行輸送であります。代行輸送は果たして
経営として、だれが見てもああそうかというふうになっているのかというと、なっていない。はなはだしいのは、ごく最近これは
方式をかえたようでありますが、高松から高知までの間で代行輸送をやっている。ごく最近までやっていた。いまでも形をかえてやっているそうでありますが、二トン車一台を使う。途中阿波池田というところで両方から来たトラックが中継をしてまたもとへ戻る。言うならば、高松と高知の間二トン車二台で小口の
貨物を輸送している。何個あったと思います。平均して五個、一個五十キロ、二百五十キロの荷物を、二トン車二台ですから四トン車ですよ、これで毎日、毎日というとおかしいが、運んでいる。これは投資の部類には入らぬかもしらぬ、運用の問題です。
経営の姿勢というのは私はそこだと思うのです。そういうものが改められない限りは、私はどんなことをやったって
国鉄の
経営は前向きにはならぬだろうというふうに心配しております。しかも、それはきょうこのごろ始まったことじゃない。そういうシステムができてからずっとやってきて、三個か四個の荷物を毎日扱っているわけだ。扱う者もむだだと思いながら、日ならずしてこれはむだとも考えないで機械的にやっているのでしょうね。さっきの継電連動装置をつけてヤードパスを何のためらいもなくやっている。そういうことについて私は
国民の一人として、非常にいやだけれ
ども憤りを感じているのですよ。
最近、
高木総裁は外部から人を入れて
体質を変えようという話でありますが、人を入れてもこれは変えられないのではないか。むしろ私が冒頭言ったように、乗ってくれる
国鉄、輸送を依頼される
国鉄にするのには、一遍そういうフロント業務をやるところにみんな一年間でも二年間でもでっち奉公にでも行かせた方がいいかもしらないと私は思っているのです、はっきり言って。
国鉄総裁、あなたは最近いろいろな人を入れておやりになっているそうでありますが、そういう人の知恵も必要かもしれませんが、平然としてそういう金の使い方や運営をしている
体質そのものに私は問題があると思うのです。これは
労使の問題にすりかえる者が中にはありますが、とんでもないのです。
労使の問題ではないのです。これはいままでの惰性に乗っかってきている。私の方は、立場をかえてあなたの席に座れば、ノイローゼになるのじゃないかというふうな心配をときどきします。しかし、
国鉄の
皆さんはそういう神経質じゃなくて結構であります。そういうことになったら汽車が脱線したり転覆したりしますから。
経営の姿勢というのは私はそれだと思うのですが、いかがでしょう。また、そういう姿勢を許すというか、させるためには、さっき
鉄監局長ははしの上げおろしまで監督しないと言ったが、案外はしの上げおろしまで監督しなければならないのじゃないですか。だから、そういう体制を両方から解きほぐす工夫をしたらどうかと私は思います。長い話になって質問でなくなりましたが、お答えいただけましょうか。