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上田耕一郎君 事実は以上のとおりであります。
きのう秦野議員は三二年テーゼのことを言いました。きょうここに野坂議長も傍聴に見えておりますけれども、あの三二年テーゼは単なるコミンテルンの指令でなくて、片山潜や野坂参三、日本の共産主義者も参加してつくったものであります。そういう点で、この三二年テーゼで内乱という言葉を使ったのは、帝国主義戦争の場合内乱という言葉を使ったので、あの十五年間の侵略戦争で三百十万人、日本人が殺されている。こういうものに対して
国民の正当防衛の権利、こういうことであるのであります。このことを私は指摘しておきたい。そしてこの宮木
委員長に対する裁判の問題では、まさにこの内乱問題で罪になっているんじゃないんです。思想が裁かれる。そして稻葉さんがいろんなことを言われますけれども、やあリンチだとか、あるいはピストルを持っただとかいうすべての問題について宮本
委員長はいま反駁しているのじゃなくて、当時の昭和十五年、十九年のあの暗黒時代の法廷で全面的に堂々と反論している。死因についても、外傷性ショック死ではなくて急性のショック死である、急死であると、内因性の急死であるということまで明らかにしております。この堂々たる弁論に対して、当時の裁判長も検事もほとんど何らの反論もしていないのであります。そしてわれわれは、当時ああいうスパイをわれわれが査問したとかいうことについて、何ら隠してはおりません。
それで、きのう秦野氏は、宮本氏の人間性云々についてまで、共産主義者の人間性云々についてまで述べましたけれども、戦後宮本
委員長は、たとえば「私の五十年史」の中で、「予期しない、不幸で残念な出来事だった。」ということを述べている。そういうことを認めることと暗黒裁判の特高の筋書きを認めよということとは全く別なことなのであります。そして、特高の筋書きを認めたことを、いままた
国会で違憲の重大な疑いを持つ、こういう
国会の論議をすること自体を私どもは違憲だということを前
国会以来詳しく明らかにし、
政府側の
答弁でも、憲法前文が排除した戦前の明治憲法や治安維持法、これを肯定することはできないこと、また、
国政調査権の
範囲と司法権の問題どの関連で三権分立の憲法の原則を重視する立場から、この問題についての論議についてほぼ結論が出ているのだと私は思うのであります。戦前のこういう問題を取り上げる際一番大事なことは、あの侵略戦争や暗黒政治を繰り返さないという
反省、決意のもとで取り上げるのか、それとも侵略戦争や暗黒政治を肯定、擁護する立場で取り上げるのかということであります。
ここで私は
一つ言っておきたいのですが、先日の民社党の塚本議員の
発言であります。当時赤旗が、死刑に値するなどと述べたとありますけれども、こういうものを証拠にしようとすると、たとえば中曽根前幹事長が昨年のスト権ストのときに、鉄槌を下すべきだという
発言をした。また
三木首相、九月十日に反
三木派議員に命をもらいに来たと言われましたね。そうすると、こういうことを犯意の裏づけにするのと全く同じことになるのであります。それから、スパイを消せというコミンテルン指令を塚本議員は挙げましたけれども、これも結局警察の総元締めの内務省警保局の
資料、これを使ったもので、事実とも違う信頼できないものであるということが明らかになっているものなのであります。
以上、この問題の戦前の問題についてわれわれの見解を私は述べました。戦後の復権問題に進みたいと思います。
稻葉法務大臣は、宮本
委員長らはほんとうは勅令七百三十号で復権できなかったはずだと、なぜなら、
ただし書きで刑法犯のある者を除外しているからだとそう答えられた。しかし、もしそうだとすると、刑法犯が少しでもついていると、治安維持法の罪も消えない、その刑もそのまま執行されるということになると思いますが、どうですか。