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1976-10-21 第78回国会 参議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年十月二十一日(木曜日)    午前十時三十二分開会     —————————————   委員異動  十月二十日     辞任         補欠選任      久保  亘君     田中寿美子君      小野  明君     鈴木  力君  十月二十一日     辞任         補欠選任      田中寿美子君     川村 清一君      宮之原貞光君     久保  亘君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         山崎 竜男君     理 事                 久保田藤麿君                 内藤誉三郎君                 久保  亘君                 小巻 敏雄君     委 員                 志村 愛子君                 高橋 誉冨君                 中村 登美君                 鈴木美枝子君                 鈴木  力君                 松永 忠二君                 内田 善利君                 白木義一郎君                 須藤 五郎君                 中沢伊登子君                 有田 一寿君    国務大臣        文 部 大 臣  永井 道雄君    政府委員        文部大臣官房長  井内慶次郎君        文部省初等中等        教育局長     諸沢 正道君        文部省大学局長  佐野文一郎君        文部省体育局長  安養寺重夫君        文部省管理局長  犬丸  直君        文化庁長官    安嶋  彌君        文化庁次長    柳川 覺治君    事務局側        常任委員会専門        員        瀧  嘉衛君    説明員        文化庁文化部著        作権課長     小山 忠男君        厚生省児童家庭        局障害福祉課長  山内 豊徳君        労働省職業安定        局業務指導課長  望月 三郎君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (当面の文教行政に関する件)  (天皇陛下在位五十年記念事業に関する件)  (大学卒業予定者の就職問題に関する件)  (自閉症児教育問題等に関する件)  (教育課程改善に関する件)  (入試制度改善に関する件)  (著作権問題に関する件)  (文化政策に関する件)  (道徳教育に関する件)  (高校新増設の問題に関する件) ○理事補欠選任の件     —————————————
  2. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、久保亘君及び小野明君が委員辞任され、その補欠として田中寿美子君及び鈴木力君が選任されました。  また、本日、田中寿美子君が委員辞任され、その補欠として川村清一君が選任されました。     —————————————
  3. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) 教育文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 私が偏差値の問題で五十一年三月四日と五月十一日、二回にわたって御質問申し上げました。その後、新聞その他で拝見しているだけでございましたけれど、文部省は九月に通達を出した。そして、通達を出した結果、十月に全国県教育委員会内進路指導の会合、四十七県のデータが出されたが、まだ整理はしてないので、調査結果を早く整理して報告書を出すというような結果だそうでございます。これは報告書を出してから詰めていくのだと思いますが、永井文部大臣にはいろいろな用意があると思います。偏差値について詰めていくという、整理を見てからじゃなくて、それが出されたときすでにお考えになっている結果ということをお伺いしておきます。永井文部大臣
  5. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 偏差値の問題について鈴木委員から大変重要な御指摘がこの春先ございまして、私どももその重要性にかんがみまして、偏差値業者というものはどのぐらい学校教育影響を与えているかという全国調査を行ったわけでございます。全国調査の結果、これは非常に強い影響学校教育に対して持っている、日本じゅう漏れなくすべての都道府県にわたっているということがわかりました。いま行っております調査は、この偏差値業者に任せないで、そうしてもう少し違う方法で教育評価を行っていくという場合に、文部省も検討すべきでございますけれども他方、すでにそれぞれの都道府県相当努力をしてやっているところがあるわけです。そこで、そういう都道府県努力をしております実態を調べまして、それをまず発表しようということで、初中局長が中心になりましてこの調査を進めている。大体どういう傾向があるかということについて必要でございましたら初中局長から、いま多少動いております——多少というか、ある程度進行しております偏差値業者によらない評価の仕方の実態について御報告いたします。
  6. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) ただいまお話がございましたように、私どもといたしましては、九月の七日に通知を出しました。教師学力評価進路指導等について安易に業者テストに依存してはならないとか、あるいは学校の正規の授業中に業者テストを行うのは控えてほしい、あるいは教師が何らかの形で報酬を得て業者テストにかかわるのは疑惑を招くことになるから慎重にしてほしい、というような趣旨を出したわけでありますが、それと同時に、そのような趣旨を踏まえまして、この問題は全国的な調査をいたしますと、各県、各都市それぞれ独自の問題と課題を抱えているように考えられますので、それぞれの自治体におきまして十分関係者意見を聞いて適切な処置をとってほしいということを申し上げました結果、現在のところでも業者テストにかわって校長会等でひとつテストをやろうとか、あるいは現在、業者テストそのものを直ちにやめられないけれども、しかし少なくともその回数を減らすとか、学年による制限をすべきだというような通知を出すなど各県それぞれの独自の立場における改善策というものを考えておられますので、それらをいま集めまして、結局それをまたわれわれとしては各県市町村に情報として、あるいは資料として流しまして、それを参考にして各都道府県市町村において改善策をそれぞれ考えていただきたい、という方向でやりたいというふうに考えまして、ただいま検討しておるわけでございます。
  7. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 ありがとうございました。より積極的にお進めになっていただきたいと思います。まだ偏差値が続行されていると見ているわけでございますが、子供さん達、児童偏差値によって精神的な圧迫頭脳圧迫を受けないようにしていただきたいのでございます。  それと関連しまして、子供クラブ活動あるいはスポーツの問題でこのごろ被害が非常に多いということは、永井文部大臣御存じのはずだと思うのでございます。五十年度の全国児童事故クラブ活動その他学校内での事故を挙げてみますと、学校内だけで八十九万四千九百三十件の事故がございます。これはここにございます日本学校安全会数字によって調べたものでございますけれど、日本学校安全会と申しますと、義務教育小学校、中学校高校専門学校、幼稚園、それに準じた保育園となっているわけでございます。この事故数字は大変なことだと思うのでございます。その特徴的なことを幾人かの陳情者によって、私は、また実例を現地へ行き、あるいは病院に行って調べたのでございます。文部大臣御存じと思いますが、市川小学校で起きた事件、御存じでございますか。クラブ活動で早朝、サッカー練習をした。御存じでしょうか。市川市の小学校学校が始まる前にクラブ活動としてサッカー練習をした。対抗試合練習の最中で子供心臓麻痺死亡した事故が起きたということなんでございます。この場合、これは市川市でその死亡した子供さんに対して二千万円の補償をしたという結果まで出ているのでございますけれども、この間偏差値をやりました。私の考えで言いますと、どうしてそういう事故が出てくるかというこの原因について、永井文部大臣の御意見を聞いてみたいのでございます。
  8. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ここに私ども資料を持っておりますが、私の記憶に間違いがなければいまの御指摘の、非常に死亡者の数の多い中に心臓関係疾患が一位に上がっております。あるいはそのお持ちの材料にも……。で、これは非常に重要な傾向であると思いますので、やはり原因がどこにあるかということを——そういう心臓関係疾患が出てくるのに対応いたしまして安全教育あるいは保健教育と申しますか、そういう面からもう少し私どもは、そういういまの市川の場合もそうでございますが、心臓関係疾患が一体どうして起こってくるか、それをまた予防するための安全保健教育をどう行っていくか、こういうことを強化しなければならないんではないかと、いま市川のケースについて申し上げますと、そういうふうに思っているわけでございます。
  9. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 もう一回数字を申し上げますと、五十年度全国学校内、八十九万四千九百三十件の事故でございます。そのうち、廃疾ですから、体がもうだめになって一生だめになる子供、五百六十件。死亡している子供が二百四十七件。その他の事故を含め合計で八十九万五千七百四十五件、これが昨年五十年度の事故でございます。これは「偏差値」で夜中も寝ないで試験勉強をしている子供に早朝、サッカー練習をさせるために、校外で競争させる、その途中で心臓麻痺を起こしたわけでございますから、これは精神的な問題と肉体的な問題の相互関係を持っているんではないかと思うわけでございます。部分的に治すということではなくて、相互的な問題を持っているから相互的に解決しなきゃならない。これはクラブ活動地域対抗試合でございますから、地域学校児童を媒介にしながらコミュニケーションを持とうとしているということはよくわかるんでございますが、そこへ子供を追い込んでいくという教育が、今日の、五十年度のいま申しました八十九万四千九百三十人の事故になっているんだというふうに受けとめるのでございます。この問題について、永井文部大臣はそういう「クラブ活動」というものに対して少し整理なすったらどうなんだというふうに思うんでございますが。
  10. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まあ、私は実は全体的な角度としてはこう考えているわけです。鈴木委員が御指摘になりましたような偏差値業者テストによる学校教育に対する大きな影響、そういう中で子供が非常に追い詰められているようなこと、これを弱めていかなきゃいけない。他方において、体育の方がこれは低かったですから、この体育活動というものを大いに盛んにしていきたい。そして勉強も、昔からよく遊べ、よく学べと申しますけれども、非常に簡単な言葉のようですけれども、いま鈴木委員のおっしゃった総合的な考え方だと思います。そこへ持っていきたい。で、教育課程審議会の方も、そういう意味では非常に体育を重んじる、体育という場合に、体操授業だけではなくて業間体操ですとか、それからクラブ活動というものも重んじているわけです。ただ、今度は、それを重んじる余りバランスを失して、そしていま御指摘のようなけが人が出てみたり、あるいは心臓疾患が出てくるということは、これはもう疾患どころかそれで死亡というようなことになりますれば非常に深刻な問題でございますので、これは、方向といたしましては、私は、体育を強めクラブ活動を強めるというのは結構だと思いますが、先ほど申し上げましたように、やはり保健立場それから安全教育立場から、それぞれ個々の子供につきまして勉強ばかりに走らないように——体育を勧めるのはいいんですが、それが過度にならないように、たとえば健康診断、そうしたものにおいてももっと注意をいたしていくということは大事なんではなかろうかと、かように考えております。
  11. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 児童学生の安全を守るという意味において日本学校安全会、それから大学スポーツ安全協会、この二通りの会があることがよくわかりました。たとえば、スポーツ安全協会——大学の問題なんでございますが、これはオリンピック選手にまでかかわる問題、スポーツ全体の問題なんです。どうも、このスポーツ安全協会を調べてみますと、一般大学は民間の保険会社に入る、保険会社形式をとっていると思われる節があるんでございます。永井文部大臣がいまおっしゃいましたのは、経済においても守られなければいけないと。学校全体の中で守られなければいけないというのと経済の中で守られなければいけないというのでは大分違うような気がするのです。外国の例で言いますと、私は、オリンピックに出場した選手松田先生——日本体育大学先生に伺ってみたんです。そうしますと、たとえば、カナダにあるアルバータ大学などは、学校の門へ入ったらすべて学校補償しているというわけなのです。ですから、学生ばかりじゃなくてその父兄が学校の門から入っていきましたら、そこでボールが頭にぶつかったと、そういうことは全部学校補償する。そして、たとえば、疾患が起きて一生腰から下が動かなくなるような病気にもなるわけで、あまたそういう人がいらっしゃるわけですが、そういう方たちは一生補償するという制度が、カナダにしましても、アメリカすべての大学体育専門大学にはあるから、だから安心してスポーツに励むことができるというわけなのです。日本の場合は、このスポーツ安全協会、それから日本学校安全会と、全部「安全」という名前がついているんでございますけれど、これは「安全」という名前にならないような結果が、さっき申しました八十九万人の事故が起きている原因だと思うのです。そしてまた、スポーツ安全協会やり方を見ておりましても、保険会社というわけですね。生徒がクラブ活動へ入っておりましたら三百円也を毎年出していく。そして、それに対して事故に遭った者はそのお金が返ってくる形式がとられている。事故があったときに積みたてた金が返ってくる。たとえば、死亡した場合に幾ら積立てが返ってくるかといいますと、三百万円支給するというのです。そして、本人の失敗ですから、たとえば頸椎の首を折りました場合、そういうことは体育の時間には都度あるわけでございますが、折りましたら下半身がきかなくなったと。大学生のことですから十七歳から十八歳。きかなくなって一生その人たちはだめになる。十八歳からもう一生だめになってしまう。車いすで通わなけりゃならなくなる。上半身意識ははっきりしている。両足はきかないが上半身では何でもできるわけです。頭脳は健康な人と同じです。ところが、下半身がきかなくなった、そういう学生さんに対して協会幾らぐらい出すかというと三百万円なんですね。学生のことですから「労災」もすべて社会保障はないわけなんです。社会保障がない上に三百万円の自己負担というか、スポーツ安全協会で出す金はそれだけなんでございますね。そうしますと、一生下半身がきかないまま三百万円でやっていかなければならない。これがスポーツ安全協会で出しているお金なんでございます。その点について永井文部大臣のお考えを聞きたいと思います。
  12. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) スポーツ安全協会につきまして体育局長からまず御報告をしていただきます。
  13. 安養寺重夫

    政府委員安養寺重夫君) 大学生スポーツ活動による災害の場合の補償お話でございますが、これは、国立の大学で言えば国というように、設置者がそれぞれ責任を負わなければならない場合がまずございます。そういう場合以外にいろいろ災害補償する制度を設けるがよかろうということで、関係者の御意向をまとめまして、現在大学生につきましては、正課の中で研究教育中に不慮の事故に遭ったという際の災害補償制度一つございます。これも実態保険制度でございます。  それからいま一つが、お話に出ておりますスポーツ安全協会による保険制度でございます。これは正課外体育活動スポーツ活動による事故によりました際の損害補償するというようなものでございます。  現在、新入生が入る時期には各大学でこういう制度があることを周知していただきまして、大学生が健康に活発にスポーツ活動になじめるようにということで、その保険に入ることを勧誘していただいておるわけでございますけれども、なかなかこういうことにつきましてはまだ関心の程度が低うございまして、余りたくさんの大学生加入がございません。保険制度でございますから、それぞれの個人が保険料を支払って、その全体で給付を賄っていくということでもございまして、保険金の高に応じて給付の充実の度合いもおのずから相関関係で決まるというようなことでございます。お話のように、義務教育子供たちの場合には財団法人でございませんで特殊法人で、いわば国の代行機関として日本学校安全会が運営する制度が法定されておりまして、いわばそういう事務費というものは国が補助金を出して賄うということでございますから、そういう点が保険会社にお任せする場合と違うと言えば違うわけでございます。しかし、趣旨はいずれも正課外、要するに、設置者責任を持つ場合にはもちろん設置者それなり災害の補てんをするわけでございますが、自分責任というと言葉がきついわけでございますが、そういう、国が、設置者責任を負い得ないような場合の共済の互助の制度ということで、自分が発意して個人的に保険会社傷害保険を結ぶ、というよりももう少しみんなでやった方がよかろうというような関係者の御意向をくみまして、いま大学生につきましては代表的なものとして二つそういう制度が運営されておるというような実態でございます。
  14. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 私が労災病院へ行きまして、現実的に事故に遭った峯岸さん。それからもう一人柔道で事故を起こした日本体育大学学生でございますが、その方たちに会ってみますと、医者は病名として頸椎第四第五骨折とつけている。現実に会ってみると、ほとんど立つことができない、歩くことができない、そして便所へ行くこともできないというわけでございます。だけれども意識ははっきりしております。その状態をすべて話すことができるので、その話を聞いてまいりましたところが、体操の訓練をしていて、クラブ活動でございました。そして、第四、第五の関節を折ったために、頸椎が切れてしまったという状態なんです。いま短大二年でございましたから十九歳なんです。先ほど申しましたように、スポーツ安全協会が払った金、三百万円では十九歳から以後一生の問題を保障するということはとてもできないわけで、親が生きている間、やっとベットの上で生きられるのでございます。その後はそのまんま捨て置かれるという状態と同じでございます。親が社会保険その他でやれるときはいいんですけれど、それでもやれるわけじゃございません。もう生活いっぱいでございます。ですから、どうしても国に、学校の中で起きた事故補償してもらうためには、この間お出しになりました私学助成金の中から、スポーツ事故のためにも割り当てるというようなことができないのでしょうか、私学助成金は出ているわけでございますから。
  15. 安養寺重夫

    政府委員安養寺重夫君) いろいろこういう補償制度はたくさんございまして、考え方それなりにあるわけでございます。いまお話しのように設置者責任を持つべき場合というのは、お話しのような事例に適用しますと、ホフマン方式等等方式によりまして相当多額損害賠償といいますか、そういう金が出るわけでございますが、設置者責任を持てない領域における事故、それをどのように補てんするか、まるっきり個々人が損害保険会社に入ってそういう近代的な制度の恩恵に浴せればいいという——放っておくというわけにもなかなか安全の保障に欠けるところがある。そこで大学生全体が、いわば団体加入みたいにすれば、それとして趣旨も通るし、それだけ安い金で、たとえて申しますと一年間三百円納めるわけでございますが、その際、死亡事故があれば三百万円給付がある。それで足りていいというわけではございませんが、先ほど申しましたような自分たちでやっておる場合の災害について、お互いで相互に助け合っていこうというような制度限界というのがおのずからございまして、これは内容をよくするということで努力はするわけでございますが、一応そういう考え方でできておる。  私学助成金といいますのは、体育局長が言うのはちょっと筋違いでございますけれども、一応私学教育研究の成果を社会に還元するという意味での国費が投入されておるわけでございまして、いわば公の立場における議論、こればあくまで自分たちで好きでスポーツをやる、そのときの安全保障をどうしようかという考え方でできておる。おのずから立場が違い、おのずから限界が分かれておるのではないか、かように存じております。
  16. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 自分で勝手にけがをしたんだとか、好きでスポーツをしているんだという言い方になりますと、専門学校日本体育学校とか、日本に幾つかある専門大学に対しての考え方がまるで違うのじゃないか。永井文部大臣もそう思いませんか。学校内での事故ですね。体育をやっている最中の事故なんです。その補償金について、いまあるスポーツ安全協会にしましても、これは元岸総理大臣が会長になっているようなぐあいになって、東京の中で、日本体育協会の一室に小さい事務所があるという、保険会社の出店みたいな感じを受けるところなんです。それが一つあって、それで完全に一生保障されるならいいんでございますが……。学生は、自分が好きでスポーツをやったのだから、大学に入って好きでけがをしたんだから——体が半分動けなくなって、上半身はうまくいく。だから、そこに仕事はまだあるわけです。だから、学校けがをしましたら、日本体育大学の中の電話の係でもできるという状態をつくってあげるのも一つ保障の形でございます。それは文部省が許可しなかったから、おまえさんは勝手にけがをしたんだからそういうことはだめなんだという、勝手という考え教育の中に入れるのはちょっと違うのじゃないか。いまの問題、ちょっと大事なところなんで、自分が勝手にけがをしたというところについてちょっとおっしゃっていただきたい、学校内でございますから。それは、おまえはスポーツが好きなんだから勝手に大学を選んだ、だから、おまえがけがをしても仕方がないんだという論理にも結びつく。一生下半身のだめになって、学生ですから十七、八歳の方が一生生きるということの苦悩を持ちながら——勝手にしたんだからというやり方じゃ、とても日本体育は育たない。この問題は、オリンピックに出た体操先生が、いま日本大学の教授をしておりまして、その先生の希望でもあるわけなんです。私の名前を出してもいいから、言ってもらいたいんだと。その私学助成金というものを、体育学校の中のそういうけがをした学生さんの補償にも役立てていただいたら本当にありがたいんだがと、そのことを言ってもらいたいというのが注文でございました。永井文部大臣からお伺いしたいと思います。
  17. 安養寺重夫

    政府委員安養寺重夫君) 御説明がまずかったと思いますが、いろいろスポーツ活動体育活動を盛んにしよう、これはまあ、大変大切であるからそのようにしようというような、みんなの関心がこのような制度をつくろうということになったのが本意でございまして、したがって、その制度制度なりによりよく充実され円滑に行われるということをわれわれが努力の目標にしておるわけでございます。  いまお話しのように、大学生というステータスを持つ限り、いろんなところでスポーツをやるわけでございますから、それが大学の校内であれ、校外であれ、いろんな態様があるわけでございます。私が、先ほどから多少書生っぽくくどくど申しておりますのは、法律的に設置者が、私立の学校であれば学校法人が責任を持つべき場合には、そのような制度が別途にございまして、それはそのような金額が給付をされるわけでございますが、そのような責任を持ち得ない場合、しかしスポーツは大いに盛んにやっておるという場合にどうするか、というときに放っておけないそれを、何とかみんなで支えていこうじゃないかという制度が別途ございまして、ただ、その原資は、自分たちがお互いに保険金を出すということによって運営されるものでございますから、おのずからそれの額との相関で一応いま三百円出せば三百万円の死亡見舞金という限度になっておる。これをもう少し高めろというようなことは一般的にあるわけでございまして、それはまたいろいろその制度の運用によって加入者をふやし、いろいろやればまたそのようなこともかなえられるというように考えるわけでございますが、私の申し上げておるのは、そういう二つの場合があって、それぞれの立場を補完するための制度が両立しておる、これは大変結構なことじゃないかと、かように申しておるわけであります。
  18. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そういう制度があるということは私も調べてわかりました。ですけれど、現実に事故が起きた人々が学生のことですから、十八歳、十九歳の人がすぐに死ぬというわけじゃないんです。一生生きて、あなたも一生生きると同じように一生生きていくのに下半身がぐあいが悪ければ、上半身でできる仕事を大学でも保障する。松田先生がおっしゃるのは私もその通りだと思ったのです。このオリンピックに出た松田先生がおっしゃるのも、体育学校の中でできる仕事を、あと車いすででもできるようにしたらば私は本当にうれしいんだと。それは文部省がそういうふうなことをつくり出していただきたい。いまおっしゃったのは、別途保険会社があるけれども、だから、その範囲でやっていて金をふやしていけばいいというような御意見に伺いました。私は学生のできる仕事をつくればいいと思ったのです。で、私学助成金の方もできれば文部省考えて、永井文部大臣考えてくださいまして、学校内においての補償ができればいい、そういう方法について言ったわけでございます。それについて永井文部大臣にお伺いしたい。将来のことを言っているんです。いまできているのがこうだから、お前が勝手にスポーツをやってけがをしたから仕方がない、というところでとどめた言い方じゃない問題をお伺いをしたい。将来そういうふうに希望が持てるのかどうか、日本スポーツに対して持てるのかどうかということをお伺いしょうとしているのでございます。
  19. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) この問題はいろんな面があって、体育局長が申し上げましたのは、これは障害を受けたときの障害に対する補償でございますが、それが設置者責任がある場合、あるいは大学正課である場合、そうでない場合、いろいろ違いがあるということでございます。なお、鈴木委員がおっしゃいました、ここで障害者になった人もなおかつ、学校教育を受けていけるように措置すべきではないか、そしてまた、私学振興助成の金をそれにあてがうべきではないかということでございますが、実は本年度の予算の配分から、身体障害のための教育を行っている大学に対しましては特別助成制度を設けました。でございまして、一番大きいケースは日本福祉大学、あれは名古屋にあると思いますが、そこに相当の助成を行いましたので、いまのような、たとえば車いすで勉強が今後もできるはずである。というのを学校が助けていくのに対しましては、私学振興助成法の特別助成という新しい枠、これを今後どういうふうに運営していくかという運営委員会は二、三カ月前につくったんです。その前に実は助成金は出しました。ですから、そういう角度でひとつ考えてまいりたいと思います。
  20. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それではおつくりになったものに対して国家が補償する、文部省補償する段階にはなっていっているのですね。
  21. 犬丸直

    政府委員(犬丸直君) ちょっと大臣の御説明を補足して申し上げます。  私ども先生の御指摘の経常費助成というのを私学に対して出しております。これは私学の行います教育研究活動につきまして一般的な助成をするわけでございます。その中で、大臣が言いました特別助成というのがございまして、通常の助成は大学の必要な人件費その他を、一般的な経費を積算いたしまして出すわけでございますけれども私学の中でも特に特色のある教育をやっていますものにつきましては、特に厚く出すとかこうやって余計に金を助成する。そして、そういう特色ある教育を推し進めていく、こういう趣旨で経営費助成の運用といたしまして、そういう特別の助成をやっておりまして、その一環で大臣がいま御説明いたしました障害のある学生に対する特別な教育をする、その学校内において車いすに乗らなければ行けないとか、あるいはいろいろな身体的な障害のために教育上ハンディキャップを持っている人に対して特別な教育をやる。そういうことをやっておる私学に対しては、それに着目いたしまして経常費助成を特別に厚くその学校へ助成をする、こういう制度でございます。したがいまして、その学生の一生の間の問題というようなことになりますと、ちょっと手が及びません。その学生学校におります間、その間の教育の中身につきましてそういうことを特にやる場合には、その一部分を国が補助助成をする、そういう形でやっておりますそういう制度のことでございます。ちょっと補足して御説明いたしました。
  22. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 学生だったから社会保障がないわけです。働いていて積み立てをしているわけじゃないんですから。ですから、学校内でけがをして、そのまま学校へ行かなくなって社会に出た場合には、親の社会保障の中でやっていかなければならない。だから、一生の間、親がいなければもうとてもやれないという状態が現実にある。そしてそれは日本スポーツに大いにかかわってくる問題なのです。日本スポーツでこのオリンピックに出た選手の方が、いま日本体育大学の教授をしているわけでございますが、安心してとても体育の問題がやれないのだと、それはオリンピック選手になるときには、しっかりやれ、としりをたたかれることばかりなんだ。だけれども、医療制度やその他が、カナダ大学のように、あるいはアメリカの各体育大学のように、学校内全体の中で保障されていない。だから、なかなかやることができないのだ、ということを教授自体が言っ、ているわけでございまして、その実例がどんどん半身不随になる。体育をやっている練習中に起きた事故がどんどん起きてきている現実の中での考えを持っていただかないと、安心して日本スポーツの発展にはならないんじゃないか、こういう気がいたしますので、これは重々考えていただきたいのです。その例として、その教授がおっしゃったのが私学助成金まで出ているのではないか。ですから、日本スポーツを守るためには学校内で守るようにしてもらわないと、社会保障が全然ないという立場において、けがをしたら十九歳から一生だめになるのだと、こういう問題を兼ねながら考えていただきたいと思うのでございます。  きょうは時間がございません、四十分でございますので、私はまた次回に続けてやらしていただきますが、永井文部大臣に特にお願いしておきたいと思います。
  23. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 御指摘の問題点はよくわかりました。したがって、障害補償の問題、それからまた大学における障害補償の問題、さらに障害を受けた人が教育を継続する問題、これは今後一層検討いたしたいと考えております。
  24. 鈴木力

    鈴木力君 特別に時間をちょうだいいたしましてきょうこの委員会にお伺いいたしましたのは、実は私、文教を離れて相当になっておりますけれども、最近教育実態といいますか、ずいぶん問題がたくさん出ておりまして、そのうちの若干の問題についてどうも気にかかるといいますか、簡単なことのようだけれども、しかしみんなで考えてみなければならないような問題がまだ相当ありはしないかというようなことを考えておりまして、それで時間をちょうだいしたわけでございますが、まず私がいろいろ考えておった中で、今度の国会での大臣の所信を拝見をさせていただきますと、非常に文章がよくできているという感じはいたします。しかしどうしても、大臣に失礼な物の言い方ですが、非常によい文章ではあるが何となしにぐんとくるものがないといいますか、私ども教師時代に、よい作文であるけれどもすぐれた作文でないといったような評価をした、そういう評価をしたいような気持ちも実はするわけなんです。それは何かといいますと、やっぱり短い文章でまとめるというところに御苦労もあったと思うけれども、何かいまの教育のシステムか何かは別といたしましても、現実に行われておる教育の場所、まあ学校なら学校、あるいは社会教育ならその社会教育の場の、そこのところに対する御理解が、まあ大臣御自身でお書きになったとは思わないが、文部省自体のそこに対する御理解がどうも多少足りないのではないかというような感じもしましたりして、そこでまあ若干お伺いをしてみたい、こう思ったわけであります。したがって、私が申し上げる、これからお伺いすることも、前提としましては、文部省けしからぬとか、だれがけしからぬ、けしかるというような、そんな立場でお伺いするということではなしに、もう少し日本教育ということを考え合おうじゃないかというような、そんな気持ちでお伺いしたいと思いますので、そういうおつもりでひとつ御答弁もお願いしたい、こう思います。  で、たくさんあると思いますけれども、私はそのうちで、表現からいいますといいことを言ってくれたという表現、「調和のとれた学校運営の実現を目標として、」云々というくだりがございます。この「調和のとれた学校運営」ということは、実は私ども教員時代からといいますか、教師の生活をしておる時代から、あるいは組合運動をやってみたり、議会で文教委員をやってみたり、こういう経験の中からも長いこと待ち望んでおったというような気持ちでいっぱいです。ただ、そこを拝見をしますとどうも、「調和のとれた学校運営」という言葉は待っていましたと私は申し上げたいんですけれども、中身についてはどうも私はぴんとこない。そこで、まず大臣に「調和のとれた学校運営」とはどういうことを説明なさろうとしたのか、先にお伺いしたい、こう思うんです。
  25. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 実は「調和のとれた学校運営」という言葉につきましては、昨年の十一月、まあいろいろ考えて文章を練り、そうして十二月の初めに大臣の学校運営に対する見解というものを発表いたしましたときに使ったのが最初でございます。そしてただいまお挙げになりましたのは委員会のときの文章でございますから、その後にそれから引用されているものと思います。私が「調和のとれた学校運営」という言葉を、十二月の当初、多分六日と思いますが、述べました意味合いは、次のようなことでございます。今日まで学校教育をめぐって運営についていろいろきしみがございました。それは一面で非常に管理強化ということが盛んになってきたということがあるかと思います。これに対して管理阻止ということが出てまいりましたから、学校の中にきしみが出てまいりました。もっともこの「管理」という言葉も定義のしようによるんでございますが、初めは、「管理」という言葉が出てきた経緯を考えますと、マネージメントという英語の言葉を「管理」にしたようでございまして、必ずしもただ規則、法律一点張りで管理をするということではなく、やはり学校のような場合には、たとえば教育活動あるいは教育指導、そういうふうなことも十分勘案しながら管理をしていくということであったのでございましょうが、しかし、現実に「管理」という言葉がどういうふうに使われ出し、また受け取られ出したかといいますと、いま申し上げたようなわけで、法律、規則、そうしたものによる秩序維持、これを強化する、またこれを反対するということをめぐって管理ということが考えられるようになったと私は判断しているわけでございます。どうもそうなりますと学校にきしみが出てまいりますから、やはり学校の主要な仕事というのは何と申しましても教育でございます。これはもう全くあたりまえのことでございます。そこで、そのころ主任というものが問題になりましたが、主任に限らず校長先生あるいは教頭の先生も、いわゆる管理ということだけではなくって、むしろ教育指導というもう一つの柱がございますからそちらの方に力を入れていただきたい。主任の場合にはもっぱらそれに力を入れていただきたい。そういうことで調和がとれていくんではないか。もちろん学校に秩序というものも大事でありますけれども、何のための秩序かというと、教育活動でございますから、その教育活動というものをめぐってきしみが起こらないような、そういう運営というものを目ざすべきだと、そのことに関連をいたしまして「調和のとれた学校運営」という言葉をそのとき使ったのが発端でございます。
  26. 鈴木力

    鈴木力君 そのとおりだと思うんです。わかるんですけれども、この文章を読んでみますと何となしに、おまえはひねくれて読むからとおっしゃられるかもしれませんけれども、結局は何となしに教務主任、学年主任、生徒指導主事等のいわゆる主任の設置、これらの職務内容について規定をしたと、これで学校の調和をとったというふうにしかどうも読めないものですから、私はいまさっきのようなことを申し上げた。間違っているかもしれませんけれども、私、調和という言葉の吟味なんかしておるとこれは大変なことになると思いますが、少なくとも私が考えますことに三つの側面から検討してみる必要があるんではなかろうか。つまり学校なら学校というところに主任なら主任を置いて、その主任の役割りは書いてある。これの是非は別です。私は本当は主任を置くということにはどうも賛成し切れないんですけれども、きょうはそういう問題ではなしに、そういたしますと、私前に、多分昭和四十六年かのころだったと思いますけれども学校の職種がそろっていないということを申し上げた。ずいぶんしつこく申し上げた記憶がございます。そのうちには、たとえば事務職員が法律にはちゃんと必要性を認められておるのに、必置制になっているのにまだいない。あるいは養護教諭も同様であって、たとえば養護教諭の場合には、適格者といいますか、免許を取った有資格者が足りないので当分の間置かないことができる、そういうたてまえになっているというんですけれども、それなら養護教諭の養成にもう少し追いつくような努力があるかというと、どうも余り御努力の跡が見えない。いろいろそういうことを言ってみますと、やっぱり学校の調和という場合に、主任も必要であるけれども、法律をつくるときには、学校にはこれとこれだけの職種、職員が必要であると、こう考えたものがそろったときに私は、職員の並べた形からいうとそこが調和のとれたことになるだろう。その点に対する御努力というのは、どうも私はまだまだ落ちておって、前からやるべきことが抜けておって、主任というところに努力がどうも払われている。このやり方はどうも余り調和のとれたやり方とは私は考えられないわけです。体育局長さんが退席なさいましたけれども、私は前に、そういう場合に、たとえば学校保健法には薬剤士というのが必置制になっている。ところが必置制になっておって、あれは六年間ですか、は置かないことができて、いまはもう全部置かなきゃいけないのに、ほとんどというか、半数に達する学校には学校薬剤士がいない。私がこのことを指摘したのは多分昭和四十六年だったと記憶をしております。それからいままでに五年間たって、文部省のそういう指導の御努力の跡というのはどれだけ見えておるのかというと、どうも私はこれも疑問がある。要らないならもう法律を改正して必置制というものをなくした方がよろしい。要るなら要るなりに充実をするというところに努力したらよろしい。そういうような、これを一々申し上げると切りがありませんけれども、やはり一つの面では主任なら主任の配置ということもお考えになる場合にも、常にそうした配慮ということをお忘れにならないような文部省の指導ということが必要ではないか。これは教員の配置上から見た調和のとれた学校というような一つ考え方になるじゃないかと思うんですけれども、そういう点については文部省はどうお考えになっていらっしゃるのか。
  27. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの問題、初中局長から……。
  28. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 学校の運営について十分な組織を整えるということは私どもの務めでございます。ただいま御指摘のありましたように、養護教諭であるとか、あるいは事務職員等につきまして、率直に申し上げまして、現状のところ、遺憾ながら全学校に配置されてあるわけではございません。しかし、昭和四十九年から始まりました第四次の学校の教員定数の改善計画によりますと、ただいま進行中でありますけれども、事務職員、養護教諭ともに全学校の四分の三の学校に配置をするというような目的を立てまして、それに向かって現在、改善も進行中でございます。確かに、制度のたてまえと現状はまだ食い違っておりますけれども、私どもといたしましては、そういう面でもできるだけの努力はしておるというつもりでございますので、御理解をいただきたいと思います。
  29. 鈴木力

    鈴木力君 もうそういうふうに前と比べてどれだけ進んだかとか、できるだけ努力をしておるということは、これはもう何遍も伺ったことなんです。私は、できるだけ努力をしておれば——いまの制度が始まってから三十年以上もたっておるのにまだ、四分の三のところを目標にしておって努力をしておるから御理解を願います、という考え方が、調和がとれていないじゃないかということなんですよ、本当のこと言いますと。  それから、これも御答弁をいただかなくても結構なんですけれども、私はそういう面を、本当に学校ということをまじめに考えていただいたら担当ももう少し一元化すべきである。私はさっき学校薬剤士ということを申し上げたんです。学校薬剤士については、これは体育局の担当でございましてという話になってくる。ところが、やっぱりたとえば公立の義務制の学校ですと、学校全体というのは初中局が見ているわけですから、ここの部分はどちらの担当で、ここの部分はどちらの担当、あるいは図書館の司書が足りなくて、司書のかわりに何か代理を置いてよろしい、市費で払っている。そうするとこれは市役所が担当でございますといったような、そういうことも私はやっぱり検討してみるべきところに来ておるのではなかろうかという気持ちがいたします。これは金をどこで払うかということはなかなか一遍に制度的にこれを改正していくということはむずかしいということはよくわかります。そんなにあしたから直せるというふうには考えていません。ですけれども、やっぱりそういう面からも学校というものを統一的な調和のとれたところへ持っていこうとする行政努力が私は見えていいような気がいたしますので、まず第一にそれを申し上げたわけであります。  時間が余りないようでありますから急ぎますけれども、その次に、いま大臣のおっしゃった非常に大事なことで私も大賛成であります。要するに学校長といえども、教頭といえども管理——まあ管理という用語もどうもいろいろ私自身にも抵抗がありますけれども、まあ一応管理職と、通称そう呼ばれておる。しかし、そういう役割りのほかに教育責任といいますか、そちらの方がもっともっと追及をされなければいけないという、その大臣のお考えに私は全面的に賛成なんであります。が、そういうようにどうもいまの職場がいっていない。これはなぜだろうということを私は関係者が本当にまじめにもう一遍この辺で考えてみる必要があるのではないかということを率直に私はいま心配しているわけです。よけいな心配みたいなことです。  で、まあばか話みたいなことを一つ申し上げますけれども、大臣はこれはごらんにならないでしょうが、文部省、新聞では拝見しておるでしょう、このポスターを。これは「青春をバイクですてるな」というポスターです。説明を申し上げますと、この子はいま岩手県の高校の三年生在学中の子です。このヘルメットはバイクで交通事故で死んだ子のヘルメットです。そのクラスメートがバイクで死んだ子のヘルメットを持って、そしてこのクラスメートが、これを持っている写真をポスターにして学校に張ろうとしたら、これは張っちゃいけないというのが校長の態度だった。ごらんになって張っちゃいけないというところはどこですか。
  30. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 別に張っていけないようなポスターでないと思います。
  31. 鈴木力

    鈴木力君 私は、いま申し上げたいのは、これはだから、最初からどこも悪いということを言っているんじゃないけれども、現実には岩手県の高等学校の校長のうち、今日はどれだけ張っているのかわかりませんが、三分の一の校長は、よろしい、張れと言ったけれども、あとの三分の二の校長は、張っちゃいかぬと、その張っちゃいかぬという理由はいろいろあるようですけれども、これは公共施設の目的外使用であるから張っちゃいかぬと、これが一つの校長さんの言い分なんです。確かに法律や文部省の省令を調べてみますと、目的外使用のものにつきましては学校長がこれを認めるか認めないか、学校長の許可がなければ張っちゃいかぬと、私は省令が悪いということじゃなくて、そのとおりだと思う。しかし、これを目的外使用と言う校長さんの頭がぼくはわからない、このことは。それからもう一人の校長さんは、もう一人というか、もう一グループの校長さんは、これは岩手高教組と入っているからいけないんだと、これは正直言って大体そこなんですね。いいことを言うけれども、お前が言うから反対だ、ということがいまの教育の管理職の中に通用しているこれは用語なんです。案には賛成だが、人に反対だと、だからそれはつぶせと。それならば、行政系統で何をやっているのかというと、交通安全なら交通安全につきましては通達を出しておりますね、何か何cc以下のバイクで事故を起こさないように注意をしろという通達は出している。しかし、その通達だけでは交通事故はとどまらないというところから、まあ高教組ですから、教員組合ですから、行政はどうも余り好きでないということはわかるにしても、しかし、教員組合といえども教師の集団ですから。そうすると、やっぱり教師の集団が生徒に直接呼びかけてよきものをつくろうと思ってつくったらそういうことになった。これは考えてみるとばかばかしいことで、私は、このことの是非について何も議論するに値することだとも思っておりません。いま文部大臣が、どこにも張っちゃいけないと思うものは一つもないとさつきおっしゃった。そのとおりで、これは議論にはならない、議論する必要もないことだと実は私は思うんです。私がいまこのことを持ち出しましたのは、そういうつまらないぎしぎししたことがどうも職場の中に少し入り過ぎておる。それは一体なぜだろうといいますと、これは非常に古い話でありますけれども、たぶんこれは「新学校管理読本」というのが昭和四十四年かにたぶん府中氏が中心になって——昔話です。つくられたことがある。これは一貫して、組合というものは教育のことに口を出すのは越権だというような思想でずっと一貫して流れておるわけです。これも昭和四十四年か六年ですか忘れましたけれども、大分こういう議論も文教委員会でしたこともございまして、たぶんあのときには、これはもう管理職の講習会ですか、研修会のテキストとしてはもう使わないという御答弁をちょうだいしたように記憶はしておるんですけれども、しかし、いまの学校に対する御指導の跡というものはまだまだそれが非常に残っておる。これはどうも私は大変なことのような気がいたします。よけいなことでありますが、この組合のあり方とかなんとかということを法律的に物を言いますと、これはまたぎしぎしした議論だって成り立つわけです。それはそれなりに成り立つがよろしいけれども、それはそれなりにもう少しからっとした気持ちで組合と当局が闘争なら闘争もしたらよかろうし、それを押さえ込むことは押さえ込むことにもやったらよかろう。しかし、もう少しからっとした気持ちを、物にこだわらない、ぐじゅぐじゅしたといったようなことを取り除くということが、いまの学校にどうしても私は必要なような気がいたします。  昨日も言ったんですけれども、私は、仙台であったことをいまも思い出すんですけれども、実は仙台市で、これは余りほめられないことなんですが、私が行って指導をしましてストライキをやらした経験がございます。よくないことをしたとおっしゃられることはわかっているんですけれども、ところが、初めてストライキをやったある学校先生たちが、非常に翌日校長さんとの関係を心配するのです。で、私は、その翌日の職員朝会ですか、朝の朝会に私もお邪魔をさしてもらってそこにおった。そしたら、その校長さんが、あれだけやめろと言ったストライキをとうとう君たちはやっちゃった、これはもうおれの負けだと。しかし、あれはあれだが、きょうからのはもうその問題とは全然関係ないんだから、この仕事の方は頼むよ、という校長のあいさつがあった。私が見ておったら、もう先生たち泣くんですね、その校長のあいさつで。感激して泣くんです。私はああいう関係がいま職場にあったら、こんな問題は起こらなかったと思う。そういう職場をつくるためにどう努力をすべきかということを私もいま考えているんですけれども、私はその任にありませんけれども文部省で何かお考えになっていることがあれば伺いたいと、こう思うわけです。
  32. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私は先ほどそのポスターを拝見しまして、別に問題はないと思いますと申しましたが、実はそのポスターが問題になっているということを承知しているわけです。大体が文部大臣が一々日本じゅうのポスターを見て、いいとか悪いとか言っているというのはおかしな話で、また、初中局長がそう言っててもおかしな話でございまして、そのために教育委員会があるわけですから、これは教育委員会が活動する。またしかし、教育委員会が自分の県の中で起こってくることを全部一々ポスターを見ているということもこれもないわけで、これはやっぱり学校長がおやりになる。そうしてその学校長がそうした問題について、やはりポスターを学校の中へ張るということは、場所もございますし、それからまあ一種の手続も必要でございますから、話し合いをして張ったらいいと思うんです。いま、ですから、そのポスターについて問題になっていることは、私は、恐らく手続的な側面ですね、そういう事柄についてどうもきしみやすいというのが現状であろうというふうに理解をいたしております。  そこで、じゃ、文部省は何をしているかということですが、まず私どもが二、三やってきていることを申しますと、教育委員会の委員長の会議あるいは教育長の会議、これは全国的なものでございますから、そういうところでは繰り返し、組合との従来との関係というものはありますが、私は、先ほど申し上げた調和ですね、つまり管理も大事なんですが、そうでない側面、むしろ学校の本命であるところのものを強化していただきたいということを申し上げております。で、二、三ということですが、実はそれにとどまらず、たとえば全国小学校長会ではいま調査をやっておられまして、これは校長会のイニシアチブでやっておられるわけでありますが、やはり校長の仕事というものは、普通のたとえば行政の長と違うわけでございますから、そういうふうなものをどういうふうに行われているかを実態を把握するという御努力を続けておられますので、やがてその結果も出てくるかと思います。で、こういうふうなことをわれわれもやっており、また私は、結局先生方の間でも、教員養成というような場合に、どうも従来、観念的な教育の課程を教えてきたきらいがございますから、実習というようなものを強めたらよかろう、こんなことも考えております。で、それは初中局長がいろいろ計画を立てていまそれを進めているところでございますが、まあそういうふうに私ども努力をする。他方組合の方においても、先生先ほどストライキの御指導をなさったそうでありますが、なるべくストライキという方法ではなく、やはり私は、教員組合の先生方が大体においてはこれは自分の賃金あるいは勤務条件というようなものを問題にするのが組合の筋道と思いますけれども、教員なんですから、したがって、教育についていろいろ意見を持ったりするというのもこれは当然のことと思います。ただその場合に、もう少し、何といいますかね、たとえば政治社会がどう変わらなければだめなんだというような形の運動ということではなくて、教育現場に即した発言をやっていくことがいいんではないか。それを他方で御努力を願いますと、また私どもの方は、教育委員会なり校長先生方にもいろいろ御工夫を願うということで歩み寄れると思うわけです。で、まあ私も日教組の講師をいたしておりまして、当時からその考えでございます。で、どうも日教組の方も、まあいまの——いまは講師をしているわけではないですから、現状については知りませんけれども、そのころも多少問題を感じました。そこで、組合の方もいろいろ御工夫を願う。また、文部省教育委員会等においてもいろいろ工夫をしていく。そうして結局のところはやっぱり教育の問題について話していこうと。そうして勤務条件その他については、どうしても対立するものについて意見がありますね、これはこれとして交渉というようなことも起こってくる。そういうふうになっていくように両方ががんばっていくといいましょうか、やっていかないとだめなんではなかろうか。さような考えで私自身は現在は文部行政に取り組んでいるわけでございます。
  33. 鈴木力

    鈴木力君 考え方については全く私も同じ気持ちでいま申し上げているわけでありますから、したがって、具体的にどうしてこうなったか、それは必ずしも校長ばかり悪いと言ってしまうことがいいのか、悪いのか私も疑問です。これは相対的なものでしょうが、ただ、私はいま大臣がおっしゃったことで大変賛成なんですけれども、問題は、たとえば、ポスター事件、これはポスターそのものは、私さっき申し上げたように、さしたる、これをどう書こうが大議論するべき性格のものでない。ただ、このきっかけでも、校長さんたちの言ったのは、組合員がやるからだめだ。それから、ある校長のものの言い方は、教師としてものを言うのはよろしいが、組合員ではどうも困るんだ、何か同じ人間を二つに分けてしまう、組合からくるものは一切悪かろうが、いいものであろうが、とにかく受け付けるなという思想が非常に強いわけです。そこのところを私は、やっぱり少し是正するような御指導が必要なのではないか。つまり、気に食う、気に食わないということはあります。だから、さっき大臣もおっしゃったように、お互いの立場とそれぞれの限界がありますから、これは文部省ということじゃなくて、教育委員会にしても、それぞれの行政の責任というものを持っておる中には、いまの縦横のさまざまな限界がありますから、そこのところで私は、意見の違うのはやむを得ない。ただし、それはそれとして大きな気持ちといいますか、明るい気持ちで割り切って、教育のところでの結びつきということについてはこれを否認するというようなあり方というものはどうにかしてこれを整理しなければいけないのじゃないか。いい、悪いはあれなんですけれども、たとえば、教育研究集会というものは日教組でやっておりますが、大臣に講演をお願いしたことも多分あったはずであります。それで、教育研究集会をいま地方でやっておるわけですが、最近は少し、昔のわれわれがやっているころよりはもう少しまじめになったと見えて、ほとんど土曜日から日曜日を使ってやっておるわけです。校舎を貸さないという現象がずいぶんある。それはなぜかというと、教育問題を研究するにしても組合主催であるから校舎を貸さない一主催者によって校舎を貸さないということが、それがまた一つの職場のぎしぎしを誘発するようなことも現実にいまも行われておる。しかし、私は教研集会をどう評価をするかという議論はきょうこの時間では申し上げるつもりはありませんけれども、みんな悪いわけじゃない。いま大臣がおっしゃったように、政治的なことに少し走り過ぎる、そういうおっしゃり方は、それぞれの立場によってはあることは承知しております。しかし、それはそれでいいんだというものと悪いものとある。それはそうです。しかし、教科別の分科会議なんかは私は評価していただいていいんじゃないか。文部省教育課程を今度大きく改定をなさるということで前に進められる、ああいうようなことの一つの世論を呼び起こしたといいますか、そういう措置を教師自身が、やってみた経験からいろんなものをぶち込んだ、これだって相当私は価値のある研究もあるような気がするんです。だから、そういたしますと、とるものはとる、とらないものはとらないということは行政の責任としては厳然として、それの是非の議論は別枠の議論になると思いますけれども、しかし、教員組合が主催するから会場を貸しちゃならぬ、という考え方はどうも私は是正をしていいのじゃないか。時間がありませんで、私の考え方だけ言っちゃ恐縮ですけれども、そこで、私は、なぜこうなったのかということを考えてみますと、大臣は、行政側ばっかりじゃなしに組合もとおっしゃる。そういう面も私は全然なしとはしないと思います。ただ、しつこく私がこう申し上げるのは、どうも文部省なり教育委員会なりの主催の研修会、あるいは特に学校長や教頭への指導が、法律、規定の指導が少し分量が多過ぎはしないかということです、本当のことを言いますと。そうしますと、学校長も教育の専門家ではあるけれども、決して行政の専門家ではない。特に法律やなんかについては、素人もいいところだと思うんです。そこへそちらの方をたたき込むのですから、なまはんかにたたき込まれてしまうとどうなるかというと、結局、教育委員会に聞いてやった方が一番よろしいというような形で、適正な運用というものが、教育で結ばれた運用ではなしに、外側からくる運用になってしまう。そこのところに一つぎしぎしした点があるのではなかろうか。もちろん、しかし管理の責任にある者がそれに必要な法律なり規定なり、規則なりというものを知らないでいいということは申し上げるつもりはありません。そこのところの指導といいますか、系統的な御指導をこれからもなさると思うし、それをやめろというつもりはございませんけれども、そういう配慮というものがもう少しあってしかるべきではなかろうかというふうに感ずるのですけれども、これは初中局長さんでもよろしいんですが、いかがなものでしょう。
  34. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 現在、文部省でも教頭あるいは校長の研修会をやったりいたしております。そこで、ただいま御指摘のように、研修の中身として法律制度論のようなものが相当入っていることは事実でございます。これは先生御存じのように、教育委員制度発足以来の長い経緯を経て、その間でいろいろ学校の管理者としての校長や教頭の心構え、あるいは法律制度の理解ということも必要だということで始まったわけでございますが、率直に申しまして、私もそういうことばっかりやっておっちゃいかぬと思うのです、校長、教頭の研修は。そこで、今回の主任制度の場合も、大臣も申されましたように、校長、教頭はそういう管理面もあるけれども、やっぱり、学校教育活動そのものを重視し、そうしてみずからもそれに参加してもらわなければ困る。こういうことでございますので、ただいまの校長、教頭の研修等につきましてはもちろん、いま申しましたような管理面の知識というものも重視しながら、同時に、教育者としての校長、教頭の教育面における研修ということも重視してやっておるわけでございまして、今後もそういう方向でさらに充実していきたいというふうに考えておるわけであります。
  35. 鈴木力

    鈴木力君 ぜひそういうふうにひとつお願いをしたいと思います。教育で結びつくということで、人の所属している団体によってこう色分けをするということはやっぱりなくさないと、学校の中が本当の運営の面から言ったら調和がどうもとれない、そういう私は気持ちでいま申し上げたわけであります。  もう一つ私は申し上げたいのは、文部省の中にけちをつけるわけじゃありませんけれども、専門官が多過ぎまして、その専門分野を余りに発揮なさるところにも、多少学校で戸惑いさせることがありはしないかということもちょいちょい感ずることがあるのですけれども、   〔委員長退席、理事久保田藤麿君着席〕 たとえば教育課程なら教育課程一つ考える、そうすると専門官が御自分の専門のところが非常に価値があるものですから、それがだんだん、だんだん出てくると、せっかくよく学び、よく遊べが、またどこかへ行っちゃうというようなこともあるだろうと思うのですよ。たとえば今度の佐賀の国体で、これはどうも私は事実だと思うのです。私はある学校に参りましたときに、その学校先生が言うのですけれども、どこのどうとは言いません。あの、何ですか、開会式のときの子供達の吹奏楽というのですか、鼓笛隊といいますか、あの楽器でこうやる。大臣いらっしゃると思いますけれども、ごらんいただければよろしい。今度、佐賀の国体の開会式にやられる子供達のあの音楽は、少なくともあの出場する子供達の学年の教育課程にはない楽器を使うわけですね。私は、そちらは専門じゃないからわかりませんけれども、そしてどういうことをやったかというと、その楽器会社の方から指導者が派遣をされまして、そして授業時間にその指導者による指導が去年からなされておって、そして正規の教育課程に基づく音楽の指導というのは相当そこでは足踏みをしたというか、カットをされた。これは去年からそういうことをやられておるわけです。さっき安養寺さんがおられたのですけれども、安養寺さんは免許法の大家でありますから免許法の上から言っても少し問題があるかもしらぬ。それから教育課程の国家基準ということを言っていらっしゃるけれども、そういう場合には、国体から体育の専門家が乗り込む、その場合には、差しつかえないんだということがまかり通る。しかし私は、そのことをいいとか悪いとかという評価は直ちにはできないと思う。それならそういうゆとりのあるような行き方というものが本当に職場に入り込まないと……。国体の準備のための音楽指導が一年間続いて教育課程にあるその学年の音楽指導がどれだけ圧迫をされるか、そうしたことが授業なら授業のやっぱり調和という問題に私は問題があると思う。それで、専門家が専門的にそれをやろうとする情熱と全体的なバランスを崩すということがさまざまな面からやっぱりないとは言い切れないということに佐賀国体の例を申し上げたわけなんでありますけれども、そういう面からこの教育課程の改定やなんかをこれからなさる場合に、相当携わる中の人たちの統一といいますか、調和といいますか、そこらあたりもひとつ私は点検なさってみる必要があるんではないか。それがいろいろな形で教育の現場といいますか、実態の舞台にいろいろな形ではね返りがある。そういうことも私は、ここの項目の調和のとれた学校運営という中に、学校けが調和をとっても、やっぱりいろんな形で崩しているものを、これも点検をしなければいけないんではないかというふうに感じておりますし、申し上げただけにとどめておいた方がいいかもしれませんけれども、もし御意見があれば承っておきます。
  36. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 佐賀の場合についてはまだ詳細は私存じておりませんが、大体のことは知っております。やっぱり、まあ学校で、佐賀の場合は結局国体がありますから、ある種の音楽を盛んにしていくということ、これはまあ学校も最終的にそれを決めてやったわけですから手続的に結構だと思いますが、しかしそれでバランスが崩れるというふうなことが起これば困るわけであります。  いま文部省でこの問題についてどういうふうに考えているかと言いますと、本年度、研究指定校というのはいろんな種類を寄せまして千三百校ございます。明年はさらにふやす考えでございます。で、ある種の学校では、やはり理科教育あるいは道徳教育、算数、そういうものを非常に重んじていく、それからまたある種の学校におきましては、必ずしも現在の指導要領によらないでやっていく、そういうものがある。あるいは体力づくり推進校というようなものもございますし、そこでやっぱり学校というのは必ずしも全国全く同じということでなく、また絶えず工夫をしていくべきでございますから、こういう研究指定校というのがあるんだと思いますが、問題は、この研究指定校の結果というものを相互にもう少しよく連絡をいたしまして、そうしてその情報の交換に基づいて、どういう学校がどういう工夫をしていくべきであるかというところに進んでいけばよろしいのではないかと思います。でございますから、調和は調和なんですが、やはり学校によって特にこういうところを力を入れたいという学校もやっぱりあってよろしい、それでまあ調和はくずさないようにする。いまやっておりますことは、ほかに、また初中局長も補足いたしたいこともあるかと思いますが、私が初中局長からの報告を受け理解いたしておりますのは、さしあたっては、この研究指定校というものを本当に研究の角度から、現在千を超えているわけですから、なおうまく活用していくということが、この種の問題に対応いたします上で非常に必要なのではなかろうか、かように思っているわけでございます。
  37. 鈴木力

    鈴木力君 私も、いまの大臣のおっしゃることで、これが本当に下まで考えが徹底をなさっておれば、私は非常にいいことだと思います。一芸に秀ずる者は万芸に秀ずるという言葉がありますけれども、確かに何かの一つを追求することが必ずしもいけないと言い切ることば、私は教育社会では特に慎まなければならないとさえ思っておるわけです。  一方はその中に、今度は教育課程授業時間数がどうだなんだというのとのその衝突で、また職員が悩むだろうと私は思います。したがって、そういう面のやり方については研究指定校でもいいと思うんですけれども、思い切った追求をさしてみる、そういうものの効果というものをもう少しすそを広げて見るというような方向に行っていただければ、私はもう少し教育の職場が生き生きしたものになるのではないか。悪口言うわけじゃありませんけれども、何となしに私はいまの学校を見ますと帳じり合わしてりゃいいんだというふうにしか見えない。帳簿じりを合わしておりますと、法律に照らしても、規定に照らしても、規則に照らしても、どこも悪いところは一つもないけれども教育は決して生きていない、というようなことになっちゃいけないと思うからさっきのようなことを申し上げたわけです。  時間がなくなって恐縮ですけれども、もう一つついででありますから、そういつもこの委員会におじやまできないので……。  管理局長さんおいでいただいて、わざわざ恐縮なんですけれども学校の補助基準というものを、少し点検をしてみるときにきたのではないかというふうに私は思う、学校建築についてですね。それはこういうことです。たとえば私は、小学校をいま考えるんですけれども、いつかも申し上げたことがあるかもしれません。いまの学校小学校ほど精神的にも肉体的にも成長の過程の大きな違いのあるのに校舎がないわけです、その学校がない。それで、いまの校舎のあり方は、何かこう細長い四角い教室に入れて、一年生も何年生も同じ教室に入れて、同じ仕組みで、これで校舎をつくったんだと言う。補助金を出す場合の生徒一人当たりの面積幾らとかなんとかいうことで、これは補助金ですからやむを得ないといえばそういうことなんですけれども、今度はそこが障害になりまして、この教育を柱にした学校建築の設計ということに非常に大きな障害になっているような気がするのです。これは少ししゃべり過ぎますけれども、私の郷里で、実はこんなのつくったら文部省にほめられるんじゃないかと思いまして、いま小学校の三つ目ができたんです。地元のPTA、父母に言わせますと、おまえが来ていろんな口を聞いてホテルみたいな学校をつくっちゃってどうする、という悪口言う人もありますけれども、やっぱり一、二年生のような子供たちと、それからもう少し成長した子供たちとの学習をする場というものは、設計の基本が違うべきじゃないかと。それから今度は、そういう年齢の違った子供たちが一緒になって学校社会をつくるわけですから、その子供たちが一緒になる社会というものもその設計の基本には必要なような気がするんですね。  それからもう一つ、今度文部省が、私は大変大きな前進だと思いますけれども教育課程を思い切って改善をなさる。そういうことになりますと、教育課程は改定なさるけれども、その教育をする教室の設計なんというものについては全然手をつけていないということは、これもまたちぐはぐだと思うんですね。いま私ども学校にお邪魔してみますと、理科室という看板をかければ理科室になるし、音楽室という札をかければそれが音楽室だ、そういう校舎が圧倒的に多くて、この設計は一体なぜ理科室の札をここにかけるのかわからないような、そういう話をしますと、やっぱり金ということが出てまいります。これ以上のことをやると地元の持ち出しが多くなって、やりたいけれどもどうにもなりませんと、こういう形にきているんです。これはいま特に財政的には国も大変いま窮屈なときですし、来年からとは決して申し上げませんけれども、この教育課程の改定やなんかに伴ってそういう一つの施設面からの前進が伴っていく、ということを真剣に考えていい時期じゃないかと、こんなふうにも思っておるんですけれども、お考え方を伺いたい。
  38. 犬丸直

    政府委員(犬丸直君) 小中学校の建物の建設につきましての先生のただいまの御指摘のお考え、私ども全面的に賛成でございます。  まず一つは、規定の基準の中での設計を、いかに学校教育活動が有効に行われるように上手に設計していくかという問題だと思います。これにつきましては、私どもも決して、画一のものをそれぞれの現場に押しつけるという考え方は毛頭持っておりませんで、予算上の積算の基礎といたしまして、一般教室何平米、何平米というような数字がございます。しかし、それは全体としての補助の額を出すための基準でございまして、それを実際の現場に当たって、どういうふうにあんばいして使っていくかということば、現場に任されております。  それからもう一つは、そう申しましても、現場の方ではなかなかそういう関係の知識、経験がございませんので、うまく設計ができないという面もあろうかと思いまして、文部省の施設部の方ではこういうパンフレットをつくっております。「学校施設設計指針」というものをつくっております。これは、最近では四十九年の六月に改正いたしまして、先生のいま御指摘のような点について十分配慮するようにという指導をいたしております。  たとえば、平面計画の中で、室の種類とか、数、面積を決める場合には、「教育を行うに必要な教室等の種類、数、面積等は、それぞれの学校規模や教育計画によって相違するので、画一的に陥ることを避ける。特に学習方法の多様化に対応して、教育計画を効率よく実現するという観点から、従来の形態にとらわれることなく、」やりなさいと、こういうようなものを文書では出しております。こういったものをもとにいたしまして、たびたび都道府県学校建築担当者を対象とする連絡会議とかあるいは講習会とか、そういうようなものもやっております。  先生お話の岩手県で最近できました学校、非常に斬新な学校ができたということ、私ども伺っております。これなんかも拝見いたしますと、基準坪数の枠の中でおさまっております校舎の場合、枠の中でおさまっていながら廊下の方を節約しまして、そして真ん中に集会の場所を開く、そういうような設計の例も伺っております。このような形の工夫は大いにしていただくことが適切であろうと思っております。  ただし、第二点の、ただし、そうは言っても、いまの基準では少し狭過ぎるじゃないかという御議論もあることはよく承知いたしております。実は建物の基準、予算積算の基準につきましては、累年、実は改善に努めております。これは財政の問題と絡みますので、なかなか私どもの思うように理想的な線には近づけないわけでございますが、最近では、四十八年度に特別教室を中心といたしまして、約二〇%基準をアップいたしております。これ最近そういうところまで持っていきましたので、ここしばらくはやはりこの基準、枠の中で、その基準の枠の中での全国の不足坪数が大変たくさんあるわけでございますから、それを財政的に満たしていくということの方が先でございますので、直ちにこれを改定するということは、いますぐは手がつかないかと思いますけれども、しかし、より長期的に見ますると、教育の方法等は日進月歩でございますし、それから現場の要請もいろいろ変わってまいりますので、長期的な観点から基準の見直しということは今後ともやってまいりたいと思っております。
  39. 鈴木力

    鈴木力君 委員長、時間過ぎて恐縮ですけれども、もう一言だけ。いまおっしゃった、いまのお考え方はそうおっしゃること以外にはないかもしれませんですね。前よりは少しは広げてきました。しかし、たとえば私の郷里の自慢をするつもりはありませんけれども、やってみますとおさまったとおっしゃるのは、皆さん結果でおさまったのであって、金が足りないからあそこにおさめたというのが本当の話なんですね。そうすると、たとえば小学校の一年生なら一年生を考えますと、一年生という子供は、私も受け持って授業したことがあるんだけれども、おしっこに行くというときに、いきなり便所に行く子もあるけれども、途中でだれかと会えば一遍相撲をとってそれからおしっこに行くのが、大体あのころの子供たちの精神的な自然な姿なんです。それで、低学年の教室をつくるときには、その廊下のところに相撲をとるゆとりをつくるぐらいのものがなければ、伸び伸びと子供たちが生きていけない。そういうスペースをどうつくるかというときに、必要なそっちの廊下を削ってきてそれにつくったりというところで合わしたんだ。それにしても、あそこはわりによくできたとこう言われるんですけれども実態は、もう少し子供たちの成長する過程に合わせるものがどうなのか、というような、ものの見方を、学校設計に入れるというところは、もっと積極的な御指導が私はあってもいい。あるいは子供たちの自主的な学習、成長というものをやらしていく。そうすると、それは学校の直接指導の枠の中に入らない、発表をする場所をあちこちに置いてやるとか、そういう配慮というものが、私はこれから文部省考えておる教育課程とマッチする校舎の考え方になるのではないか。それは理科教室が足りないからもう一つつくれとか、理科教室には水道の設備を最初から、というような、そういう御指導はもちろんそのとおり必要だ。だから私は、いきなりいま特に地方財政もいま窮屈だし、それから国の財政もいまそんなに、文部省が要求すれば、次から次へ出てくるという状況でないことは十分承知しております。ただ、この種の基準というものの検討というものは、おくれてから始めたって、それが実行に移る段階には、またまたずうっと年がたってしまうわけです。特にいま永久校舎を建てさせる指導をしておりますけれども、後で気がついて直そうたって直らない。それならば、将来はこう直せるというようなゆとりの設計にしておいて、そして財源が出たときには直せるような、そういう構想を持った設計をさせるとか、もう少し将来を見た教育施設としての考え方という御指導というよりも文部省自体、私は御検討をひとつ要望したいと思うんです。これは要望にとどめておきまして、大分時間がたちましたから終わります。
  40. 久保田藤麿

    ○理事(久保田藤麿君) 本調査に対する質疑は午前はこの程度にとどめます。  午後は一時十分から再開することとし、休憩いたします。    午後零時九分休憩      —————・—————    午後一時二十分開会
  41. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き焼き、教育文化及び学術に愛する調査を議題とし、質疑を行います。質疑のある方は順次御発言を願います。
  42. 白木義一郎

    白木義一郎君 初めに文化庁の方へお尋ねをいたしますが、問題点がたくさんございますので、ひとつ簡潔に御答弁を願いたいと思います。  御承知のとおり、天皇即位五十年の式典が政府によって実施されることに決定されておりますが、政府が主催をするということで文化庁もこの式典に参画して花を添えようというようなことで種々の催し物の計画をお持ちのようですが、どのような計画をお持ちになっているか最初にお尋ねをしておきたいと思います。
  43. 柳川覺治

    政府委員(柳川覺治君) 天皇御在位五十年の記念事業といたしましては、文化庁、東京国立博物館主催によりまして、また、後援に読売新聞社、日本テレビ放送網株式会社の後援によりまして、王朝美術名品展を十の月二十六日から十一月の二十三日までにわたりまして東京国立博物館を会場といたしまして行うという予定をいたしております。
  44. 白木義一郎

    白木義一郎君 当初に東洋館特別展示場において戦争記録画が出品をされる予定になっていたと聞いております。で、その準備のために近代美術博物館は戦争画を修復して保存中と言われておりますが、文化庁は、このような計画の有無についてお答えを願いたいと思います。
  45. 柳川覺治

    政府委員(柳川覺治君) この記念事業といたしましての美術展に当たりまして、戦争絵画を出品するという企画は全然ございませんでした。
  46. 白木義一郎

    白木義一郎君 ところが、私たちの聞いたところでは、学者あるいは文化人等の間ではこのような計画が文化庁で行われておる、まだその展覧は取りやめにはしてない、あるいはまた、その展覧が開催時期を外れて、そしてほとぼりのさめた来年の春ごろにこのような展覧会を催すのが適当ではないかと、そのような計画があるそうですが、その辺の点はいかがですか。
  47. 柳川覺治

    政府委員(柳川覺治君) 先生指摘の、いわゆる戦争絵画は、昭和四十五年に米国から日本側に返還された戦争絵画のことであろうかと存じますが、この日本側に返還されました作品は、現在、東京国立近代美術館に保管されておりまして、返還されましたものが百五十四点でございますが、このうち傷んでおりまして補修を必要とするというものは百四十四点ございます。これを返還を受けましてから四十五年以来年次計画を立てまして、今日まで補修を行ってまいってきておる次第でございます。大体百四十四点の補修が今年度をもって一応の完成をするというように見込まれておりますが、このいわゆる戦争絵画をどのような形で今後展示していくのかという問題につきましては、いろんな角度から慎重な検討を要する課題でございますので、目下この展示につきましては検討中でございまして、明確にこういうような形で展示計画を持っているというところまで至っておらないということでございます。いずれにいたしましても、新たな収蔵の形になりましたものをどのような形で国民に見ていただくような形をとるかということは、美術館の持っている本来の機能でございますが、この戦争絵画につきましては、その展示方法につきましては慎重な検討を加えつつあるということでございます。
  48. 白木義一郎

    白木義一郎君 いまのお話によりますと、戦争絵画を何らかの機会に国民の前に展示したい、こういう考えから、あるいは今回の五十年の在位の祝典に錦上花を添えるのが好ましいんじゃないか、というような考え方も出てきたんじゃないか、このように思います。  御承知のとおり今度の記念式典では、宮城の隣組の東京都庁の東京の代表の都知事でさえも参列しないというような、いろいろな物議を醸しているときに、あえて生々しい戦争記録絵画——このリストを見ますと、私どもも昔を思い出すのですが、「挺身斬り込み五勇士奮戦」の絵画とか、あるいは「特攻隊内地基地を出発する」あるいは「高千穂降下部隊レイテ敵飛行場を攻撃す」、「神兵パレンバンに降下す」あるいは「ペリリュー島守備隊の死闘」、「サイパン島大津部隊の死闘」、こう生々しい血なまぐさい絵がたくさん勢ぞろいしているわけです。これをなぜ展示をしなければならないのかというその考え方、発想に私たちは心配をいたします。産業界でも、第三国を通して兵器を売ってもうけようというような考え方もある、そういう際に、あえてこの戦争という、文化に逆な無残な戦争画を、文化庁が麗々しくこれを国民の前に展示するということは、これはよほど考慮しなければならない。もうあの敗戦以来、日本は永久にわれわれは戦争はしないんだ、というのがわが国の決意であります。そういう点を踏まえて、これらに対して、そのような催しについては非常に慎重な配慮をしなければならないとわれわれは心配をするわけです。したがいまして、この問題は最後に文部大臣からはっきりとしたお考えを承りたいと思います。
  49. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 天皇御在位との関連において行います展示は、これはただいま次長が申し上げましたように、王朝美術を展示するということでありまして、戦争絵画を見せるということは全く聞いてもおりませんし、計画もしていないわけです。しかし、戦争中に多数の画家が戦争絵画をかきました。あれは絵画館だったと思いますが、ここにありまして、アメリカ合衆国が持っていったわけですが、それがわが国に返ってきた。この展示方法というものはよほど考えなければいけないと思いますが、たとえばロンドン塔に行きますと、これは昔からの王様の残虐行為を展示をいたしております。また王様に対する残虐もあるのですが、いろいろそういうもの。これは別にイギリスの民主主義が残虐を好んで今後奨励するという意味ではなくて、人間はかくのごときことにも相なったことがあるから、そういうふうにならないようにという意味の展示であるというふうふうに示されております。したがいまして戦争絵画を示す場合に、戦争賛美の趣旨で示すというようなことは、もうこの天皇御在位とは全く関係がないことですが、先の場合でもあり得べからざることでございますから、これはどういうふうにいたすべきか、よほど慎重な配慮が必要である、かような意味において文化庁でも考えているということでございます。
  50. 白木義一郎

    白木義一郎君 出すべきであるか、こういうような考え方ですか、出さなければならないというようなお考えでしょうか。当然いま文部大臣が言われたように、戦争を礼賛するんだ、もう一回やるんだ、というようなタイトルをつけてできるはずもありませんし、またそれほど単純な方はいらっしゃらないと思うんですがね。ですから、もしおやりになるならば、あくまでも戦争は二度とすまじという決意を徹底するためにされるならば、それに付随してたとえば悲惨なうめき声だとか、爆撃で国民が、東京じゅうがめちゃくちゃになったとかというようなことを中心に、またこういうこれらの絵は、当時の絵かきがやむを得ず書かされたのだ、軍部の命令によっていやいや書いたのもいっぱいあるんだと、そのかいた画家が、そこに自分の声明でもつけて出すなりというようなところまでいきませんと、大変心配なことになると思うんです。ですから、この絵を一般に展覧したい、しなければならない、すべきである、という考えはどこから出てきているのかということをお伺いしたいわけです。
  51. 柳川覺治

    政府委員(柳川覺治君) 美術館が収蔵いたしておりまするのはできる限り公開展示をするというたてまえをとって館の設立を図ってきておるわけでございますが、この戦争絵画につきましては、返還された際にも、公開を望む声も一部の関係者からあったわけでございますが、四十五年以来、まず修復をする、補修をするということで今日まで公開の措置はとってきておりません。その後慎重な扱いをしてきたわけでございますが、まあ文化の面から美術館といたしまして収蔵するものが何らかの形で展示をするということは館の職務でもございますので、そういうたてまえから言えば、この収蔵しているものをどのような形でか公開をしていくということを検討する課題というように私ども承知しておるわけでございまして、そういう面で今後これをどのような形で展示するかという問題については、大臣の御答弁ございましたので、慎重に配慮のもとに検討を続けさせていただきたいと考えております。
  52. 白木義一郎

    白木義一郎君 それでは、次は問題を移しまして、労働省に伺いますが、いよいよ来春の大学卒業予定者の就職試験の時期が到来しております。ことしも不況の影響を受けて学生たちは厳しい就職戦線を迎えております。それまではジーパンに長髪スタイル、そういう学生が、この時期に至って一斉に髪の毛をそろえて、背広に着かえて会社へ訪問に行ったと、若者にとってはそのような切実な時期に入ってきております。  そこで、最初に就職問題に関してお伺いをしたいと思いますが、来年の大学卒業見込みの分で、私立大学系と国立大学系の内訳並びに本年の求人状況を昨年に比較してお述べ願いたいと思います。
  53. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 来年三月の卒業見込み者の数につきましては私の方からお答えをいたします。四年制大学につきましては、国立大学が六万六千、公立大学が一万、私立大学が二十六万七千、計三十四万三千と推計をいたしております。なお、短期大学は国立が三千、公立が八千、私立短大が十五万、計十六万一千。合わせまして五十万四千というのが来春の卒業見込みと推計をいたしております。
  54. 白木義一郎

    白木義一郎君 求人状況、昨年と比較して……。
  55. 望月三郎

    説明員(望月三郎君) 求人状況につきまして、九月三十日現在で調べた数字がございますが、これは上場株式の一部、二部の二百社につきまして私ども調査を実施したわけでございますが、今春から比べましてやはり採用の増という傾向が出ておりまして、昨年度との対比では増加するというのが五一・五%ということでございまして、昨年の半分がふえておるということになっておりまして、採用者数から見ましても二三%増ということでございます。また中堅企業だとかあるいは中小企業におきましても、この際大学業者を採用しようという意欲が相当出ておりまして、昨年と比べますとやや明るい見通しだというように感じております。
  56. 白木義一郎

    白木義一郎君 いずれにいたしましても、いま局長から御報告がありましたように、短大合わせて五十万名も卒業生が社会へ旅立っていくわけですが、この一日から会社訪問が始まったばかりだというのに、最近じわじわと指定校制が復活して、そして大企業の中にも指定校以外の大学生を門前払いにするというケースが目立ち始めております。ところが、去る八月に文部大臣は前長谷川労働大臣とこの就職問題について懇談をされた。その際、形式的な理由で就職希望者を締め出すのはまことに遺憾だと、指定校制の廃止の必要性を強調をされたと、このように言われております。その際の懇談の内容についてお聞かせ願えればと思います。
  57. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 去る八月に長谷川前労働大臣と懇談の機会を持ちまして、私と労働大臣二人だけではなく、関係の者も両省から出たわけでございます。で、その際、合意をいたしましたことは、文部省といたしましては、それ以前からこの指定校制度というような方法をとるということは妥当でないということを、すでに企業界に対して要望をいたしているわけでございますので、これについて労働省のまず御理解を得て協力をお願いしたわけでございます。といいますのは、企業に対して直接指導する立場にあるのは労働省でございますから、労働省においてもそのような角度から考えていただきたいと。これに対して、労働大臣以下労働省もそういう方法で企業に対して指導をしていこうという点で全く見解の一致を見た。それが大要でございます。
  58. 白木義一郎

    白木義一郎君 学歴偏重社会の是正を強く天下に提唱されている文部大臣としては当然なことだと思います。  この指定学校制が、新しく社会へ飛び出そうとする青年たちを非常に傷つけている。具体的なこともお述べするわけですが、それまでもなく文部大臣はよく、認識をされて、そのように労働大臣と懇談をされた。これはまた当然のことだろうと思いますが、しかし現実は一向、政府の要望が企業に反映していない。残念な悪影響が今回の会社訪問のスタートのときからうかがわれている。こうなりますと、四頭立ての馬車論を提唱されている文部大臣意向がなかなか現在の企業にも反映されてない、というような残念な状況で進んでいるわけでございます。したがいまして、これは企業に対する考え方もいろいろございますけれども、やはり文部大臣としてこれらの前途ある青年たちに気持ちよく社会へ進ませたいという、しかもあわせて学歴偏重の是正をしたい、あるいは一流大学病を取り除きたいという意欲満々な大臣ですから、何とかひとつ企業に働きかけてこの弊害をとめていただきたいというのが私どもの希望であります。したがいまして、これが御承知のとおりの企業でございますから、ちょっとやそっとのことで、そろばんはちょっとわきに置いて、自分たちの後から続く者のために少しは苦労しようじゃないか、というようなあれはなかなか期待するのも、現況では無理だと思います。が、しかしその壁を何とか打ち破っていかなければならない、またやるべきであるというのがわれわれ先輩の立場だろうと思いますので、あえてさらに繰り返し、あるいは労働省と打ち合わせを十分にしてこの指定校制の打破に強い力を発揮していただきたい、これは私たちのお願いであります。何かそれに対して腹案、あるいは意中をお持ちでしたら、あるいは今後に対してさらに二回三回と追い打ちをかけて、これを先制したいというお考えがあるかどうか、お聞かせ願いたいと思います。
  59. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) これは、実は労働省と懇談をし、あるいはその前に文部省として企業界に要望いたしました前から、企業界の中で経済同友会には私も参りまして、経済同友会御自身でひとつ調査をしていただきたいということで、昨年の春調査をお願いいたしまして同友会でも調査をされたわけでございます。その結果、事務系と技術系では若干違いがございますが、事務系の方ですというと一三%ですか、それから技術系の方が一九%、そういう指定校がある。同友会の方でもやはりこういう問題を考えていこうと、結果が出た後に言っておられるわけでございます。したがって、引き続きわれわれは努力をいたしてまいりたい。また文部行政の上から、やはり国、公、私の大学の格差がいろんな意味でありますと、この指定校制というものが残りやすいですから、そちらの方も努力をいたしまして、大学改革の過程でこの格差、いわゆる格差というものをなくして、たとえば私立も優秀なものを、だんだん大学をつくり上げていくように助成をする、そういうことをあわせて行っていきたい。指定校制の問題については繰り返し、これは就職の問題でございますから、やはり労働省の協力を得まして企業界で考えていただくようにわれわれも努力を重ねていきたいと、こう考えております。
  60. 白木義一郎

    白木義一郎君 労働省の方のお考えを伺わしていただきたいと思います。
  61. 望月三郎

    説明員(望月三郎君) ただいま文部大臣から御答弁がございましたとおりでございまして、文部省と極力協力をいたしまして、機会あるごとに指定校制の問題につきまして企業側の理解を深めていきたいと、こう思っております。現に、私ども、そういうケースをことしになって二、三聞きましたので、それで私どもは、その企業を呼んで、必ず、まだ選考開始は十一月一日からであるから、必ずこの大学学生を受け付けをやって試験に参加さしてもらいたい、という具体的な御注意を申し上げたというのもございます。
  62. 白木義一郎

    白木義一郎君 なかなか難問題だと思いますが、ぜひともひとつ強力な推進指導をお願いしたいと思います。あわせてと言っては怒られるかもしれませんが、この中にも、この就職問題についても女子学生の大きな悩みも含まれている、このように御理解願ってお願いをしたいと思います。  次は、学校開放の件でお尋ねをしますが、文部省では本年六月から七月にかけて、学校体育施設開放に関する通達全国大学から全部お出しになっております。これは私が本年の五月に当委員会で大臣に対して、スポーツ体育の振興の立場から、この学校施設、運動場等の開放をただしたところ、お約束をいただき、さっそくこのように異例な、なんと言うと皮肉になりますけれども、直ちに全国に対して文部大臣通達を出された。私としては非常に喜んでいるような次第でございますが、そこで、この通達全国に出されてから、わずか四ヵ月程度でございますが、この間の進捗状況をある程度つかんでおられたら御説明を願いたいと思います。
  63. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) これは、先生に御質疑をいただいたのは五月、そして次官通達を出しましたのが六月でございます。重要な問題の御指摘でございましたので、そういう方向に踏み切ったわけでございますが、さて踏み切ります場合に、やはりもう一つの問題点は、開放いたしますと、その利用についてだれが、どういうふうに責任を持つかという問題もやはり出てくる。そういうことで、その問題にも取り組んでおりますが、開放の進捗状況あるいは基本的な情報については体育局長から御答弁いたします。
  64. 安養寺重夫

    政府委員安養寺重夫君) この六月の末に次官通知を各都道府県教育委員会に出しまして、学校体育施設の開放の事業を県並びに関係の方面にいろいろと周知徹底しておきまして、この事業が将来にかけて大いに推進されるようにという協力方の依頼をいたしたわけでございます。七月に入りまして一各国立大学、高等専門学校あるいは公私立大学、公私立の高等専門学校等々にも関係局長名で同じ趣旨通知を差し出したわけでございます。ちょうど時期が五十一年度の関係補助金の交付の時期でもございましたので、本年度体育施設開放の管理指導員の手当の交付をいたしましたり、あるいは学校体育施設を開放するに必要な施設のいろいろの構築をしなければなりません、その補助金の交付の事業をいたしたりしておりまして、具体的にいろいろな形でそれぞれの学校でこのような事業が進んでおるというように実態を把握いたしておるわけでございます。並びに、ちょうど同じような時期に五十年度社会体育施設、学校施設等の悉皆調査をいたしまして、その発表も御参考までにいたしたわけでございますが、それによりますと、従来に比べますと学校が定期的に一般に開放するというような傾向が相当に進んでおるというように私ども考えておるわけでございます。
  65. 白木義一郎

    白木義一郎君 そこで、大変意欲的に進められているわけですが、私も通達等を拝見して喜んだような次第ですが、今度は学校の方の立場に立ってこれを見てみますと、非常に大臣が積極性を持ったそのあらわれが通達にはっきりと出ている。これが地方自治体の方では非常にショックを受けているような面が出てきております。ということは、この通達の中でクラブハウスを一つ建設をしなさいとか、あるいは更衣室あるいは便所あるいはナイターの設備あるいはさく等の設置を、文部省としては努力目標として掲げられたと思うんですが、これを受け取った方では、こんなことまでやらなくちゃならないのか金がないのに、やれ、やれと言ったって、さんざんむずかしい手続を踏んだ上で金は三分の一程度しか国からは出ないじゃないかと、こんなことを一体市の当局はやろうとするのかどうなのか、あるいは市当局も今度は市民も逆にそういう受け取り方をしているところがあちらこちらに見られるわけであります。で、大臣が考えられたような方向へ進みかねているというのが現状じゃないかと思います。それで、これはもう地方自治体の財政逼迫の折から、通達をちゃんと普通に目を通せばわかるわけですが、財政逼迫の折から本庁からこう言ってきた、だからこうしなければならない、そんな金があるか、というような受けとめ方をするわけです、行政の末端と言うとあれですが、現場では。そこで、当局もこの辺の事情をよくよく理解をした上でこの問題を推進していただきたい。  具体的に示して、こういう方向でやれば住民もこれに参加できるじゃないかというような、具体的な打ち出しをしてあげないと、立場が逆ですから、そういう受けとめ方を現実にしてしまうわけです。その点文部省も今後これを推進していくためによりより現実に即した推進の指導をすべきじゃないかと、このように心配しておるんですが、局長さん、そういう点でひとつ今後お願いしたいんですがね、いかがでしょうか。
  66. 安養寺重夫

    政府委員安養寺重夫君) 学校開放につきましては、在来これが希望されておるにもかかわらず、実際やるとなるといろいろむずかしい問題がございました。今回の次官通知は、そういう点について、私の口から言うと大変恐縮ですが、きわめて明快なる方向を打ち出したということで、おかげさまでそういう方向でみんなでやろうではないかという機運が盛り上がっていることは確かでございます。実際しかし、現地に行ってまいりますと、私も幾つか見たわけですが、夜間開放して、照明が明るくて隣近所迷惑して眠れないとか、人が集まっていろいろ大きな声を出し、喚声を上げるということで邪魔であるとか、いろんな局部的な御批判なり反対もこれはないことはございません。しかし、これはみんなで市民の日常スポーツに場所を開放していただくという趣意でございますので、地域それぞれの御工夫をいただきましてこの事業を進めてまいりたいと思っておりますが、御指摘のように、フェンスをつくりましたり、クラブハウスをつくりましたり、あるいは照明をつけましたりするのは学校側の希望でもございますし、また使う人が気持ちよく使っていただく方便でもございますので、これは欠かせないことだと思いまして、通達には多少前向きにそういう事業を行っていただきたいと、国もそれに応じて予算獲得に努力してまいっておりまして、そのめども立てたいというような念願からでもございます。御指摘の点につきましては、今後も重々関係者の御協力を願えるように無理のない方向で、しかし前進をしていきたいと思っております。
  67. 白木義一郎

    白木義一郎君 いまおっしゃったようにまことに前向きなんです。ところが、先ほども申し上げたとおり、現実は前向きをびっくりして受けとめているところが金のないところにあるわけです。いま局長が言われた設備をして現実に開放されて地域住民もそれを利用してやっている、そのためにいろいろな弊害も出てきている。明る過ぎるというのは、これは消しゃいいわけですよ。ところが、これからやろうと思っていると、非常に文部省は意欲的だが、便所をまた新たにつくらなくちゃならない、更衣室になると今度はシャワーまでつけなきやならないんじゃないのかというようなところへ、貧すればどんするで、貧乏なところはそれ心配するわけです。その点をひとつ今後の指導、推進に当たって現状をよく理解をしていただきたい。ですから、あのナポレオンも、いい報告をうのみにして、ついに彼は負けちゃったわけです。ですから、むしろ悪い報告を主体にして事を運ばないと、せっかくこうやって皆さんが努力して進めてくだすった前向きの問題も、そういう点にごつごつしたところも出ているという現況をひとつ含んで今後努力を願いたい。  そこで、そういうわけですから、文部大臣、この点について、大変恐縮ですが、まあいろいろな立場もおありでしょう、また大蔵省とのいろんなこともあってつらいお立場でしょうけれども、この問題についての財源の獲得ということについて抱負をひとつお述べになっていただきたいと思います。
  68. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 先般白木議員から、箕面のサルを貴重だから指定をいたしましたら、サルがふえ過ぎて乱暴したと、これは注意しなければいけませんという御指摘をいただき、今度は学校開放を威勢よくやったんですけども、少しブレーキをかけなきゃいけないと。この学校開放の通達が少し直球のような感じがございますから、しかるべくカーブをつけるとか、ブレーキをかけるということが必要なんだろうと思います。ただ、私どもといたしましては、方向はやっぱりこの方向であると。そして文部省としては、先ほど体育局長が申し上げましたように、でき得る限り財源を確保すべく予算を編成いたしていくということでございます。確かに御指摘のように、非常にそのことによって何かナイターの設備をつくらないといけないというふうに、しゃくし定規にとってしまうところが出てまいってきているということですと困りますから、こうしたことにつきましては、一種の到達目標でございますし、十分行政上配慮をいたしまして、実は通達の中には書いてはあるんです、その地域の事情もよく考えてくださいと。そういうところをよくなお、われわれとして徹底をいたしますように努力をいたしたいと思っております。
  69. 白木義一郎

    白木義一郎君 ちょっと訂正をしておいていただきたいと思いますけれども、何だか私がブレーキをかけたようなあれが記録に残りますと、私は外国へでも逃亡しなきゃならぬことになりますので。私はブレーキをかけろとは決して申し上げてない。ますますスピードボールは投げ続けていただきたい。ただし、単調なスピードボールでは必ずねらい打ちされる、そこで、タイミングを心得てやっていただきたい、こういうことでございますから。  次に、自閉症の児童教育ということについてお尋ねやらお願いやらをしておきたいと思います。  最初に厚生省にお尋ねしますが、このように混乱した時代的背景の影響から自閉症という名前児童が最近非常にふえてきております。厚生省からの報告によりますと、昭和四十五年当時は約三千人から五千人程度の児童がいた。しかし、これは六年も前のことですから、もう相当数がふえている、増加する一方ではないか。このように心配をするわけですが、現況はどの程度掌握をしていらっしゃいますか。
  70. 山内豊徳

    説明員(山内豊徳君) 従来まで、先生指摘のように三千人から五千人ぐらいのお子さんが該当するのではないかという説明をしておりましたが、実はこれはその時点でも、具体的に申しますとアメリカの、御存じと思いますが、カナーという学者の考えました、児童の人口に対する率を使って推計したわけでございます。その当時は、国勢調査等によりますと、児童の数も現在よりは少ない時代でございましたのでそのような数字になったわけでございますが、もし現在の時点でそういった方法で推計いたしますと、十八歳未満の児童人口が約三千万近うございますものですから、やはり六千人ぐらいという表現になるんじゃないかと思いますが、これは五年前三千人−五千人であったものがふえてそうなったというよりも、現在の児童人口に合わせて推計をした結果であるというふうに御理解をいただきたいと思います。  で、厚生省として具体的に、じかに自閉症児童に関する数字としまして把握しておりますのは、率直に申しますと、文部省でつかんでいらっしゃるよりは実はあいまいな点がございまして、一つは、全国各地に、自閉症を持つ親の会という形の組織がございます。そういった団体の会員数を調べてみますと、まだそういう会のないところもございますので全国数と言えないかもしれませんが、二千数百人という会員が報告されております。それからもう一つ数字は、全国百五十二カ所の児童相談所があるわけでございますが、そこで大体一年間に千九百件ぐらいの相談を受けております。これは二度いらっしゃる方、三度いらっしゃる方もございますので、千九百人がおいでになったとは言えないわけでございますが、そういった数字から見まして、私ども、その学者の説を用いて十八歳未満の人口に掛けて当時五年前で三千人から五千人ぐらい。現在強いて言えば六千人ぐらいという数字はそう大きく狂ってないんじゃないかというふうに考えておるわけでございます。
  71. 白木義一郎

    白木義一郎君 大変これは、現実を掌握するということは非常にむずかしい問題であるということはわれわれもよく心得ております。  そこで、文部省の方では、これらの自閉症の児童に対してどのような教育並びに対策をお持ちであるか、御説明を願いたいと思います。
  72. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) ただいまお話がございましたように、自閉症の子供さんの数それ自体もなかなかつかみにくいというような現実があるわけでございますが、文部省では、これを一種の情緒障害児童のカテゴリーに入れて特別な教育をするという観点から、軽いお子さんは普通の学級で教育をしていただきますが、特殊学級を設けてそこで自閉症児教育をするという観点で昭和四十六年から年次計画を立てまして、この自閉症の子供を対象にする特殊学級の増設ということで四十六年から五十年までの間に四百三十ほどの特殊学級をつくりましてそこで教育をしているということでございます。ただ、この自閉症自体がそもそも一種の精神的な病気なのか、あるいは性格的な気質の片寄りといいますか、そういうものかというような点についてもまだ医学的にも十分究明されてないように私ども聞いておるわけでございまして、そういう点から、これに対応する先生の現職教育研修といいますか、そういう点を十分やらないといけないんじゃないかということで、資料、手引き書のたぐいをつくったり、現職教育をそのためにやったりいたしておりますが、同時に、教育的、医学的側面からこの問題を究明してもらうというために、久里浜にございます特殊教育研究所、あすこにおいてその研究をしていただくということでやっておるわけでございます。
  73. 白木義一郎

    白木義一郎君 大臣、いま説明がありましたとおり、この問題についてはまことにつかみようもない、あるいは焦点もなかなか定まらないような問題で、当面の方々も非常に苦心をされていると思いますが、現況ではそういうことです。この自閉症という問題非常にむずかしいと思うんですが、現在、この国会におきましても軽度な自閉症の患者が出てきて、もう毎日国民が迷惑している。こういうようなことから、非常につかまえどころのないような問題ですが、そこで、具体的な例を述べてお尋ねをしたいと思いますが、大阪の枚方市というところに府立の中宮病院というのがございます。そこには現在十二、三人の情緒障害児が大阪府下から入院しております。これらの子供たちは、御承知のように二年あるいは三年以上入院していかなければならない、完治できない長期療養の患者です。これらの子供たちを、より早く治す方法は、そこの病院から学校へ通学して、そしてほかの子供たちの中で暮らさしていくことが一番いいと、こういうことに現在ではなっております。ところが、ここに住民票とあるいは越境入学、こういうような問題が出てきておりますが、この問題、こういう状態の越境入学等は法律的にはどういうふうにとらえているでしょうか、御説明願いたいと思います。
  74. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 越境入学という問題は、法律あるいは規則の面からとらえますれば、それ自体よりも、現実に架空の理由をつくって学区内に住所があるがごとき設定をして学校へ入るということでございますから。それ自体は、事由のいかんにかかわらず制度上は認められない、こういうことになろうかと思います。
  75. 白木義一郎

    白木義一郎君 こういう、いま申し上げたような場合でも、越境入学はできない。そういうことはないと思います。手続を踏めばその病院から、家はこっちにあるけれども、そこに入院して、そこの近所の学校に通うということは法律的にも可能なわけです。ところが、それが現状としてはできないわけです。なぜかというと、近所の学校からは、そういう子供は困る、越境入学になるじゃないか、あるいはまためんどう見る人がいないんだと。それからさらに知能障害児のために設けられた養護学校へ行っても、それはちょっと、自閉症はうちの対象じゃないんだ、というようなことで、この子供たち教育に恵まれる機会から締め出されているわけです。そこで、これは児童教育権にかかわる大問題であるというようなことになるわけですが、それで病院では、これではかわいそうだということで、病院の自発的な姿勢で、この子供たち教育をしようじゃないかといって、病室を改造して、数学とかあるいは国語の勉強を教えている。しかし、その教える先生が、病院の中の学校を、教室をつくった。ところが、先生がいないもんですから、こっそり心ある先生を頼んで、学校が終わってからそこへ来てもらって勉強をしてもらっている。その結果、ほとんどものを言わなかった子供が、ぽつりぽつりとものを言うようになって、そして先生からマルをつけてもらったものを看護婦さんに見せて、そして喜び始めた。そこの先生たちは不器用な動作表情で意思をあらわそうとする子供たちを見ながら、子供にとってはこの学習が毎日の食糧みたいなものなんだ、というようなことをはっきりと認めております。で、厚生省では全国で三カ所の施設を持っておりますが、本年度の予算面はまことに御承知のとおり、微々たるものです。そこで、この病院では、そういう病院の中に学校を一応つくってやってきているんですが、その予算はたった五十五万円、この五十五万円という額はこの病院の非常勤事務職員の一人分だ。それで教室は鉄格子のある病室を改造したり、教科書もなかったり、先生を呼んでくるにもなかなか困難だと、こういう実情です。  それで、ぜひともひとつこの点は文部省教育の面から、あるいは治療の面は厚生省で、よくよく連携、打ち合わせをとっていただいて——これらのまだまだ潜在した子供たちがたくさんいるはずです。これらの子供たち教育権を均等に受けられるようにしていかなければならないと思いますので、ぜひともすみからすみまで大臣、大変なことはお察しいたしますけれども、みずから買って出た立場でございますから、これもひとつ前向きの決意をお示しになって、厚生省と十分連携をとりながら、これらの予算的措置あるいは教育の充実について  これについて決意をお答えいただければ大変結構だと思います。
  76. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) ただいま御指摘になったようなケースが、われわれの知らないところで幾つかあるだろうということは想像されるわけでございます。いまおっしゃいました点につきましては、私どもとしましては、大阪府、市の方にも早速照会いたしまして、よく事情を調べ、かつ厚生省の方とも連絡いたしましてひとつ何とかうまく解決できる方法で努力をしてみたいと、かように思います。
  77. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま初中局長が申し上げましたような方向で、これは前向きに取り組んでまいりたいと思います。
  78. 白木義一郎

    白木義一郎君 最後に、最近、大臣も御承知のとおりに、学校先生子供たちに、非常にけしからぬことをする先生がふえてきた。これはまあ、笑い話で済むようなことではあるようですが、国の将来を考えると、私は大問題だと。もう一度師弟の道を崩した場合には、どんな行政をしょうが、どんな設備をしょうが、この教育はめちゃくちゃになってしまう。現在の非常に混乱した世情というもの、私どもは、この師匠と弟子という関係が非常に乱れてしまったという点を私どもは最も憂えておるわけです。その親が子供の将来を憂えて、子供の将来に大きな影響を及ぼす少年時代に、学校先生に預ければりっぱな子になってくれるだろうと思って学校へ通わしていたところが、その学校先生が、あちらこちらで、けしからぬことをしておるということでございますので、私は警察の方から状況を、報告を受けましたが、全くけしからぬのであります。そこで、このけしからぬ先生が、これはまあ何件かあるわけですが、これは氷山の一角だと思います。そこで、このけしからぬ先生の動向をどの程度文部省が掌握して、そうしてどういう強力な指導をしているか、これは予算あるいは行政指導、あるいは指導要綱と、子供に対してのいろいろな目は向けられておりますが、一番肝心な、最も尊敬しなければならない先生の面が何だか大きく崩れているような心配をします。この間の災害等もアリの一穴といって、堤防のすみの方に小さな水が吹き出ている、それが堤防破壊のもとになっているのだというようなことに、ちょうどこのことは当てはまると思うのです。こういうことは文部大臣、この時点において、学校先生のものの考え方をはっきりとあるいは日教組の代表とも真剣に相談をして、そうして二度とこのような不祥事、あるいは潜在している問題も消えてしまうというような、真剣な対策が私は必要じゃないかと思います。  で、その点時間がなくて残念なんです。文部省の掌握している問題をお尋ねしたいと思いましたが、残念ですが時間がございませんので、ぜひひとつ早急に文部大臣、この重大な問題、これを放置しておいて、いかに予算がどうだ、余裕のある教育がどうだとか、審議会でこういっているからとかいっても、一生子供たちの思い出に残る先生がこれをあっちこっちでやっていては……。また、これ問題柄、浮き彫りにされてこないわけです。現在、報告によっても警察では、はっきりと捜査をし調書をとっていながら告訴する父兄がないのでそのままになっている。こういう状況でございますので、もし文部省でつかんでおられたらお知らせ願いたいと思いますし、最後に、文部大臣の真剣なひとつこれに対する対応策、決意をぜひとも国民の前に示していただきたい。
  79. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 昭和五十年度に、公立学校教員のわいせつ行為及び暴力行為というものが事実ございました。これは処分件数からでございますが、わいせつ行為につきましては懲戒処分合計が六、それ以下の訓告が七、暴力行為については懲戒処分十、訓告等が二十九でございます。わいせつ行為は非常にひどいものについては免職、これが四件、停職が二件。暴力行為につきましては、減給が三件、戒告が七件でございます。これは御指摘のようにまことに憂慮すべきことであります。  他方、ただ、わが国の先生方の名誉のために申しておきたいことは、また身を挺して子供たちの命を守るというようなことをやっておられる先生方もあり、そうした方々に対して私たちは大変敬意を表しているわけですが、しかし、他方にこういう人々がおるということはきわめて遺憾なことでありますので、いまのような処分も行われておりますが、なお、そしてそのことは私どももこの席でも報告さしていただきたいわけですが、さらに将来に向けましてやはり先生方に使命感を持ってお仕事をしていただくというように、いろいろな機会を通しまして努力し、また教育委員会等においても特に注意をしていただくように私たちとして全力を挙げたいと考えております。
  80. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 私は、きょう久しぶりに九十分の質問時間をちょうだいしましたので、五点について御質問を申し上げたいと思います。  初めに、教育課程改善に関して御質問を申し上げますが、今回文部省教育課程審議会が中間のまとめを発表されました。私どもは、ゆとりのある教育課程を目指した中間まとめの趣旨には大変賛成をするものであります。しかし、問題は、今後のことについて、今後、この中間まとめを受けた答申が出され、それに基づく学習指導要領がつくられ、そうして最後に学習指導要領に基づいて教科書が作製されるということになると思いますが、従来のいきさつを見ますと、答申で幾らよいことを言われても、学習指導要領は抽象的な表現にとどまりますから、教科書がそれをカバーするために、懇切丁寧な説明をするために教科書がそれだけ分厚くなっております。先生がそれを消化しようとするために、答申の趣旨とは逆に詰め込み教育に陥ってきたというのがいままでの例でございます。特に今回の場合は授業時間で一割、中身で二、三割削減が提案されておりますので、教科書が例年のように分厚くなった場合には従来よりも授業時間が削減された分だけ詰め込み教育が強化されるということになりかねません。そうすると、また塾が繁盛するということになるわけでございます。  そこで文部省にお伺いをいたしますが、教育課程審議会の中間まとめの趣旨を生かしながらゆとりある教育課程を実現するためには、教科書ができるまで十分この趣旨を生かすことが必要だと思います。この点で文部省はどのような措置を講じられるおつもりかお伺いをしたい。
  81. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 御指摘のように、教育課程審議会の新しい教育課程、これが指導要領になり教科書になり、それが昭和五十五年以降でございますのと、またそれが変わってみたところで教育が変わらないという側面があるというのはまさにそのとおりであろうと思います。そこで、われわれとしてどうしてこれに対処すべきか。まず、そういうふうに運んでいきます前に昭和五十三年度において移行措置というものを行おうとしていることが第一点でございます。  第二点といたしましては、いわゆる研究指定校というものが本年度は千三百、明年度はさらにふえる予定でございますが、こういう研究指定校というところで現行教育課程に基づいてやるわけでございますが、それでもやはり相当創意工夫を持って活発に動いていくようにしていく。  そこで、第三点といたしまして、われわれが、この教育課程を審議会で審議していただきましてまとめをいただいて通読をいたしますと、実は教師に期待しているところが非常に大きいわけでございます。そこで、新教育課程が目標としているところは何か、ということを総括いたしまして先般発表いたしまして、間もなく文部広報でも発表されるはずでございますが、五つ目標があるわけですが、その五つの目標全部に入らないといたしますが、そのうちの一つは、新教育課程が目標としているような先生、それは何であるかと言うと、教育愛と創意工夫によって教育を行う先生方、これを目標としているということを考えましたので、その点を掲げているわけでございます。したがいまして、そうした考え方に基づいて初中局においてもいろいろな研修の方法等考えておりますから、確かに教科書だけ変われば変わるという考え方はかえって現状を混乱させることもありますので、何とかしてこの教育課程指導要領、そして教科書という段階を踏んでいくそのプロセスにおいて、いまの教育愛と創意工夫を持つ先生方というものの活動をどのようにして盛んにしていくか、この点に力を注ぎたいと思っているわけでございます。
  82. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 大変教師に期待するところ大だということで教育愛と創意工夫の問題が出てまいりましたが、私もこの点について御質問を申し上げてみたいと思うわけですが、教育課程幾ら変えても子供を指導するのは教師でございますから、しかし今日教師に対して、子供をどのような人間に育てるかということ、そういったような指導理念が示されておりません。これでは教育課程改善がなされても、教師に心のよりどころがなくては、テクニックだけではその効果が期待できないと思うわけでございます。そこで文部大臣は、教師に対して教育指導理念を明確に提示することが大事なことだと思います。いまおっしゃいました教育愛と創意工夫と大変いい言葉で表現はされましたけれども、いま私が申し上げましたような指導理念を明確に提示する、こういうことが大事だと思いますが、その点はいかがでございますか。
  83. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) その五つの目標というものの中のいま教師の項を申しましたが、他の四つは、一つ学校生活のあり方。学校生活のあり方は、ゆとりがあって、しかも充実した学校生活という目標でございます。他の三つは、すべて教育の目標とすべきことであります。第一は基礎、基本となることをしっかり教え込む教育、これは先生方に目標にしていただきます。  第二に、みずから考え、みずから行動して、そして、適性、能力、さらに、連帯性というものを重んじるような人間になるようにすること。  第三点といたしまして、この子供たちは当然二十一世紀に活動する人でありますから、二十一世紀の世界に生きる日本人としてふさわしい者になるということを目標とすること。この三つを掲げているわけでございます。
  84. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 落ちこぼれの子供をなくすようにと幾ら教育課程改善がなされても、現在のように生徒一人一人の個性や能力の差を無視した画一的な教育が今後もなされるのであれば、やっぱりその効果は半減すると思います。したがって、今日の画一的な教育は生徒一人一人の個性、能力の違いを尊重しながら、生徒一人一人の個性と能力を伸ばしていく教育に改める必要があると思います。いま大臣が大変りっぱな御答弁をくだすったわけですけれども、この点を大臣はどのようにお考えになっていらっしゃいますか。  それから、人権は平等でも能力は平等ではございません。だからといって、能力主義が万能だとは思いません。同時に、平等主義も万能だとは思わないわけですが、要はいまおっしゃったように、二十一世紀に生きる、わが国の未来を背負う子供教育でございますから、いまの教育を改めようとするならばどのように改めていかなければならないか、この点について大臣の御見解を伺いたいと思います。
  85. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) これは画一的な教育ということになりますと、非常に伸びる人も伸びにくい、他方、落ちこぼれという者も出てくるということでございますから、最終的にはそれぞれの子供先生方が教えるということでなければならないわけですが、ただ、これを観念的な目標として掲げましてもなかなか実際にそうばならない。そこでまあ、私ども考えておりますことは、先ほど申し上げました研究指定校ですが、この研究指定校というのが千以上あるわけですけれども、これはいろんな種類の研究がございますから、これについての情報を交換していく。とりわけその中に指導要領によりませんで、必ずしもよらないでやっていくというところが本年度二十校、明年度は四十五校概算要求いたしております。こういうところが成果をあげました成果というものを他に伝えていくということも大事であろうかと思っております。  また、教育課程審議会のまとめの中には、いわゆる自由裁量時間というものがあるわけでございまして、この自由裁量時間というところで集団的な活動であるとか、体育であるとか、そういうものを校長が、とは書かず、学校において工夫することと、こうなっております。ということは、やはり責任は校長先生が負われるのだと思いますけれども、やはり学校を挙げて自由裁量という場で考えよということでありますから、やはりここのところが具体的にどのようにできるか。ただ、これは先ほど申し上げましたように、かなり先でございますから、五十二年度から私はやはり研究指定校の進め方、そういうふうなものが大事であると同時に、繰り返しになりますが、教師の現職教育、これも初中局長に計画がございますから必要ですと申し上げますが、それと、さらに教員養成というところがやはり今後の改善を要するところでございまして、何と申しましてもそういう意味で教員が養成を受け、さらに現場に入っていった後で、まさに自分の力で考え、そしてそれぞれの子供に対応できるようにしていかなければならない。さように考えますと、一挙にすべて満足すべき状況にするということは非常にむずかしいことですが、他方いたすべきことばできることから多角的に養成、現職教育、研究指定校、そうしたすべての面にわたって画一的な教育ということでなく、子供一人一人を教える教育というものを強化すべく具体的に努力をいたしたいと考えております。
  86. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 教育課程改善幾らなされましても、現在の苛酷な入学試験制度入試制度が改まるのでなければ、学校幾らゆとりのあるものになってもその分だけ学習塾がまた繁盛するということになって、子供にとって何ら望ましいものではありません。したがって、今日の入試制度改善は早急に実施しなければならないと思います。  そこで、私は次の提案をしたいと思います。  その第一は、高校入試制度についてであります。現在高校の進学率は全国平均で九二%を超え、高校に進学しない者は経済的理由や身体的理由によって進学したくてもそれができない生徒に限られている状況でございます。いわば高校進学は国民がすべて望むところとなっていると思います。したがって、私は、このような状況を踏まえて、高校はもはや国民の基礎教育機関として位置づけ、これを義務教育として、高校入試はこれに伴って撤廃すべきである、こう思います。この点について大臣はどのようにお考えになっておられますか。また、大臣として高校入試の改善のための御見解がおありでございましたらお聞かせをいただきたい。
  87. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 問題は、これは三つぐらいの部門に分かれると思います。現在高校が九二%普及をしておりますから、したがいまして、これを義務教育というものに移行すれば高校の入試というものはなくなるだろうという考え方は成立するようでありますが、必ずしも成立しないのではないかと私は思うのでございます。なぜかなれば、高校の先に大学に入るという問題があり、大学をまた義務制にするということはあり得ないわけでございますから、やはり大学に進学しやすい高校というものが目立ってくることになりますので、したがって、高校義務化という形で直ちにいわゆる中学から高校への入試の問題が解消するというふうには考えません。そこで、私たちがいま手がけておりまして、ぜがひでも実現させたいと思っておりますのは、大学の入試の改善でございます。これが昭和五十四年度をめどとしてということで国立大学協会でもお考えいただいております段階でございますから、問題はこの大学入試制度というものが五十四年から発足いたします場合に、その中身がどうなっていくかということであろうかと思います。御案内のように、この中身は共通一次テストというのは教科に当たるペーパーテストでございますが、さらに二次テストというものがどういうふうになっていくかということによって相当変わってくるわけでございます。二次テストについては、これは必要ですと大学局長から御報告申し上げますが、これも国立大学協会でいろいろ検討してきておられまして、たとえば実技を生かすとか、あるいはエッセーのようなものを重んじるということを検討するということになっておりますので、こうした考え方というものが世論にも支えられて実現してまいりますというと、高等学校での勉強の仕方もおのずから変わらざるを得ないことになってくるわけでございます。さて、高等学校での勉強の仕方が変わってまいりますとおのずから中学での勉強の仕方も変わってこざるを得ない。それを五十四年というところに置いておりますから、私は、この二次の姿がはっきりしてまいりますと、来年ぐらいから高校生の勉強の仕方が変わってくるということを希望をいたしておりますが、あるいは実現し得るのではないかと考えているわけでございます。  さて、そうした方向に進んでまいりますというと、今度は、いわゆる高校入学に当たっていままで以上にやはり正常な中等教育が行われていたかどうかということについての調査書というものを活用することができるようになるのではないであろうか。現在でも調査書を活用はいたしておりますが、学力検査というものがありますのと、これがまたいわゆる偏差値テストなどによって火に油を注ぐようなことになってきておりますのですが、しかし、いま申し上げましたような変化が起こってまいりますと、私は、中学から高校への選抜方法というものも、調査書それから学力検査というものを併用しながら選抜方法が従来と変わって来得る。この方向、しかし何といってもその根源は、いわば水源地のようなところは大学入試でございますから、ここのところが固まってまいりますのは、詳細、大学局長から申し上げますが、この年度内の問題でございますので、それが結局は中高の教育内容を決め、そしてまた中学から高校への選抜のあり方というものも左右をしてくる、かように考えているわけでございます。
  88. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 いま、問題は大学入試のところにある、こういうお話でございましたんで、この大学入試制度改善にも私どもはいろんな考え方を持っているわけですが、大学入試制度の改革について今度は質問移していきたいと思います。  今日の大学入試制度が、高校以下の教育を受験のための教育へと大きくゆがめてきていることは事実ですね。それから、お友だち、友人でもライバル視するというように、子供たちに人間不信感を植えつけている元凶になっていることもまた事実でございます。この原因には、学歴社会と呼ばれる社会的風潮が存在することなど多くの根強い背景がありますが、まず、その点で今日の大学入試制度のあり方をどのように大臣がお考えになっていらっしゃるか、今後どのように改めていかれますか。このお答えによって私は、次に民社党の考え方を申し上げてみたいと思います。
  89. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私は、就任以来四頭立ての馬車ということを言っているわけですが、いまの受験体制というものの激化に伴いまして創造力のある伸び伸びとした日本人というのが育ちにくい。そこで、その一つは、学歴社会というものに変化が起きることである。これについては先ほど白木議員からも御指摘がございましたが、繰り返しやはり社会に要望してその変化を促す必要があるというのが第一点でございます。あとの三つは、やはり大学間の格差というものが相当厳しくできておりますから、この格差を是正していく。そして第三点といたしましては、教育課程。それからその新しい教育課程方向に沿った新しい教育が展開されていく。そして第四番目に、大学の入試というものを変えていくという、この四つのことが連動いたしませんと、とてもわが国の受験体制は変わらないというのが私の当初からの考えでございます。そういう中で、現段階におきまして大体三つのものが、つまり、学歴社会の方は一応社会のことでございますが、文部省が直接担当いたしております三つのものは、いわば出そろって動き出したということでございます。  そこで、そのうちの大学入試について申し上げますと、これは従来とは違って国立大学協会を中心にそこで自主的にお考えいただくということでございますが、幸いにいままで研究調査も積まれて、八十三校挙げてこれを実施する方向にいわば自主的にお決めいただいているわけでございます。その内容につきましては、一次のほかに二次をどうしていくか、これも研究調査を重ねる過程においてだんだんに議論されているところでございますが、さて、わが国の大学入試制度ということに相なりますと、国立大学八十三校というのは、いわば千校、千の大学のうちの十分の一以下でございますから、あと公立、私立の問題が残るわけでございます。そこで、公立大学協会におきましては、ある段階において、国立大学でいま考えている入試テスト改善、これに参加したいということを要望しておられますから、時期を見て国立大学とそれから公立大学との連携のために文部省としてばあっせんの努力をいたすべきであると思っております。最後に、何といっても数の多い私学でございますが、ここに三つの団体がございますけれども、現段階においては団体として入ってみようという御決定にはまだ至っていないわけでございます。しかし、有力な私学の中にひとつ十分に考慮したいということを発言しておられるところもございますので、これはその次の課題として、つまり国公立問題というものが解決した次の段階の問題として私どもとして考慮をいたしていく。まあ大学入試の改革のやり方といたしましては、そういう方法でそれぞれ国立、公立そして私立の自主的な参加というものを文部省がいわばお世話をするという姿で広めていくことが妥当ではなかろうか、かように考えているわけでございます。
  90. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 私どもは、大学の入試は、大学以前の教育において何を学んだかが正しく評価されるとともに、それは単なる知識の修得のみではなくて、適性とかあるいは傾向性及び勉学の意思を含んだ総合評価でなければならないと思います。したがって、今日のようにごく短時間のペーパーテストによって大学の定員を選抜するだけの入試制度は根本的に改める必要があると思うわけでございます。  そこで、私は、今日の大学入試制度を次のように改めたらよいのではないか、このように考えております。  その第一は、大学関係者及び高校教育関係者の代表で構成する大学入学資格審査委員会、こういうものを設けることが第一でございます。  それから第二に、各高校の校長は、大学へ進学を希望する生徒の成績証明書、修了証明書、担任教師の生徒観察記録及び生徒の希望等の書類を入学資格審査委員会に提出させること。  第三番目には、高校時代の生徒の成績評価は、各学校教師の質及び教師の成績評価の仕方によって左右されますので、それを調整する目的で入学資格審査委員会が全国的な共通テストを実施することです。  そして第四番目に、入学資格審査委員会は、高校時代の評価とこの共通テストの結果を考慮し、各生徒の進むべき進路を決定することとすること。  第五番目に、審査の基準は高校時代の成績に最も重点を置いたものとし、高校時代の成績が中以上の者であればだれでも入学できるようにすること。  そのかわり、第六番目に、大学入学後は、各年次において、単位ごとにその単位を修得しているかどうかについて厳しい試験を行うものとして、それ以上の単位を修得するにはこの試験に合格しなければならないということでございます。  そして最後に、このような大学入試制度の改革と相まって、大学における卒業制度は廃止をし、単位を修得した後、あるいは単位未修得者であっても一たん大学を離れて社会に出た後、また学習意欲に応じて大学に帰ってくることができるような制度に改めることだと思います。  大臣は、この民社党のいま申し上げました構想についてどのようにお考えになられるのでしょうか。
  91. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) いま承りましたことは、それこそ民社党の案として書類をいただいてなお十分勉強させていただきたいという気持ちがいたしますが、承った限りにおきまして、私は、非常に賛成をする点が多いのでございます。で、考え方としまして、大体私ども考えておりますのと考え方が類似な点が多いと思います。多少違っている点もあろうかと思います。いわゆる資格審査委員会というのが文部省の従来の能研とか進適というふうな形と違って、専門家によって設けられるということですが、これに当たりますものが、いまの国大協の大体三百人ぐらいの教授方が参加して問題をつくっておられるわけですが、まあ、そこでやっておられる。それから、高校の成績が反映されるということが大事であるということと、高校先生方の意見も大事であるということで共通一次の後で高校の成績をそれぞれの大学調査書を審査していただくという方向があるわけでございます。次に、この共通一次で出てまいります問題というものを高校先生方に評価していただくという形で高校が参加することに相なりますので、いわば高校というものが教育的に完成していく、それを大学が受けるという限りにおいては、そのあたりまで非常に先生考え方と類似なように思います。  類似でない点を申しますと、そこで大学に入った人間が、入るはやさしく出るはむずかしいというふうな形で厳重な単位の評価を行うということでございますが、それにつきましては、私は方向として結構だと思います。現在特別に単位の互換制というふうなものについては政策的に進めておりますが、その考え方というものはまだ私どもの間で熟していない点でございますので、参考にさせていただきたい。  さらに、学校を途中でやめてまた学校に戻ってくるというような方向でございますが、いわゆるサンドイッチ教育といわれる方向が今後望ましいのではないか。これは私どもも賛成でございます。新設されます技術科学大学などでは実習を半年やるということに相なりますので、社会に出るというところまではまいりませんけれども、そうしう方向がございますのと、さらに、新設されます、特殊法人に相なりますが、放送大学におきましては、学位のためのコースだけではなくて、学位を取らないで自習するおよそ四つの領域がございまして、そこで勉強をするということに相なりまして、しかもその単位というものをほかの大学で活用することができるという考え方を実現していく考えでおりますので、それを十分に生かしてまいりますというと、ただいま御指摘のような、大学勉強社会との活動をサンドイッチのようにさせるということもでき得るのではなかろうか。  したがいまして、御指摘の点非常に同感するところが多いのでございますが、具体的に先生方の民社党のお考えというものを政策の上に具現をいたしてまいりますためには、実はもう少し文書も拝見させていただいて勉強をさせていただく必要がある、かように考える次第でございます。
  92. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 大変ありがとうございました。私どもは、この大学制度の問題については、松下正寿先生がおられたときからずいぶんみんなで練りに練った案でございますので、また書きつけを持ってお伺いをしたいと思います。  そこで、いま共通テストお話が出てまいりましたけれども、国立大学全国共通テストですね、実施されるめどはいつごろでございましょうか。
  93. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 国立大学協会は、ことしの六月の総会で、共通一次試験の実施が大学入試の改善に資するという点について一致をした意向のお取りまとめをなさいました。その具体的な実施問題につきましては、ことしの十一月の総会で協議をし方向を固めるというそういう段階にきております。その国大協のことしの秋の総会を待たなければなりませんけれども、恐らくはいままでの御検討の結果からしても前向きの姿勢が示されるものと期待をしておりますので、それを踏まえまして、五十四年春の入学者選抜からの実施を目途として昭和五十二年度の概算要求で所要の経費を要求をしていく、そういう段階でございます。
  94. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 いま、五十四年とおっしゃったわけですね。——それで、いま永井文部大臣からお話をいただきましたが、私どもは、やっぱり全国共通テストの実施に当たっては私立大学を含めるべきではないか、こういうふうに実は考えているわけですが、いま、有力な私学も考慮したいと、こういうことでございましたので、これについて大学局の方でも検討されていらっしゃるんでしょうか、どうでしょうか。
  95. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) もとより、共通入試は国立だけではなくて国公私を通ずるものとして実施をするというのが私たちの最終的な願いでございます。公立大学の方は、先ほど大臣からも申し上げましたように、すでに積極的に参加の御要望がございます。私立大学の方は関係の団体が三つございますので、それぞれの団体に対して国大協の従来の研究の成果、状況等も御説明をし、それぞれの団体において共通入試の問題について積極的に御検討を賜るようにお願いをしているところでございます。で、今後とも関係者による協議を積極的に進めてまいりたいというふうに考えております。
  96. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 全国共通テストを実施するとしても、各大学が現在と同じようなテストを実施したんでは共通テストを実施する意味がありません、受験者にいま以上の負担をかえってかけることになると思いますので。全国共通テストの実施と各大学が行うテストの間にこの点はどのように考慮されておられますか、どうですか。
  97. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、一次試験との関連で各大学が行います二次試験のあり方というのが非常に重要になります。それぞれ大学、学部の目的、特色あるいは専門分野等に応じまして適切に行われる必要があるわけでございます。国大協の方でもこの点を非常に重要視をいたしておりまして、共通入試に関する報告書において二次試験のガイドラインが示されております。それによりますと、まず第一に、共通一次試験に課されていない必要科目に限って二次試験を行う。ただし、一次試験と同じ科目の出題を行う必要がある場合もあろうから、そういった場合には単なる知識のテストではなくてたとえば技術力、考察力、表現力などをテストする論文形式に限るような配慮をすることが必要であるという点が一つでございます。それからさらに、受験生等の負担増にならないように、科目の数、出題量をできるだけ少なくすること。それから三番目に、可能な場合には面接を加えて実施することも考えられること。また学部、学科によっては実技、面接によってだけ行うということも十分考えられる。さらに出題の内容についても十分高等学校教育課程に即したものとするような配慮をする必要がある、というような点がガイドラインとして示されております。
  98. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 この十日と十一日の二日間に、国立大の共通テストの第一次模擬テストというのが実施されましたね。国語の問題に専門家が出した解答例が新聞に載っておりましたが、これがばらばらという珍現象が起きております。大臣はこのような現象をもたらした原因はどこにあるとお考えになられますか。また、このように専門家自身が正しいのかどうかもわからないような難問を出すのでは入試改善にはなりません。全国共通テストを実施するにはこのような現象が起きないように配慮すべきである、このように考えますが、いかがでございますか。
  99. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 今回の十月十日、十一日、これの国語の問題について相当議論が新聞に報道されたことは私も十分承知をいたしております。で、国大協では、この受験生の解答結果の分析をいたしまして、関係の専門委員会で検討をいま始めているところでございます。で、問題は、現代国語の解釈に関するものでございまして、人によって意見の食い違いが生じやすい性格のものでございますが、国大協のこの実地研究はどうして行われたかというと、コンピューターを使うわけですが、コンピューターを使って、コンピューターで処理ができる問題の可能な範囲、その限界はどこであるかというところから問題をつくったわけですが、その上で適切妥当な試験問題を作成するための調査研究でございましたので、今回のようなやはり一つの問題を生じたものだと思います。そこで、国大協はやはりコンピューターによる処理、これをやっていく上で大体どの程度までの問題をつくり得るのかという角度が一層はっきりしてまいりますから、そういう意味で模擬テストといいますのは、最終的なテストが行われますまでの研究、実験と申しましょうか、そういう性格を持っておりますので、最終的なところでは今回新聞で問題になりましたようなことに相なるのではなく、むしろそうでない、コンピューター処理の可能な限界内において最も望ましいような問題はどうか、何かということを明らかにした問題が出てくるようになるものと考えている次第でございます。
  100. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 次に進みますが、現在、職業高校を卒業した生徒はその教育課程の編成の特殊性から、普通高校の卒業に比べて大学入試においてきわめて不利な立場に置かれております。職業高校の卒業生に対しては、同系列の学部への推薦入学制の採用とか、あるいは試験科目に職業高校のための科目を入れるなどという、そういう措置が必要であろうと思いますが、どう考えていらっしゃいますか。
  101. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 御指摘のように、職業高校の卒業生の場合には、普通高校に比較をいたしまして、大学進学に不利であるという点がございます。このために、従来から社会と数学と理科の各教科につきまして、代替科目として職業に関する科目等を出題できるということにいたしておりまして、職業高校卒業の志願者に対して便宜を図っていたわけでございますが、さらに五十一年度からこの考え方を一歩前進させまして、大学の学部の目的、特色あるいは専門分野等から見まして適当と考えられる場合には、国語、社会、数学、理科、外国話、その五教科のそれぞれについて、その一部にかえて、職業に関する教科を出題することが望ましいということを各大学に示し、出題を奨励をしておるわけでございます。さらに四十二年度の入学者選抜から入学定員の一部につきましていわゆる推薦入学の方法をとることができるということにいたしております。主として農学部あるいは水産学部でございますけれども、一部の大学の学部で職業高校業者を対象といたしまして推薦入学を実施をいたしております。すぐれた卒業生を選抜して効果を上げておりますので、そういった方向をさらに進めたいというふうに考えております。
  102. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 この条件は、高専の生徒が大学三年に編入する場合も同じであると思いますが、高専の卒業生が大学に編入する場合の条件はどのようなものでございますか。また、それを改善するとしたらその改善策はどのようなものでしょうか。
  103. 佐野文一郎

    政府委員佐野文一郎君) 高専の卒業生は、御指摘のように、大学にいま編入学をされるわけですが、いまどういう形で編入学をするかというのは、これは大学の側に任されております、原則的には。したがって、高専の方で取得をいたしました単位を大学の方で評価をしまして、二年次に入れたりあるいは三年次に入れたりしているわけでございます。私たちは、できるだけ大学の方で高専における学業の成果というものを正しく評価をして三年次に入れてほしいということを考えているわけでございます。これを推進いたしますためには、やはり国立大学の工学部に特別の編入学定員を設けるというような措置をする必要がございます。従来からそういった特別な枠を幾つかの大学に設けているわけでございますが、今年度は東京大学の工学部あるいは金沢大学工学部にもそれぞれ十名ずつの編入学の定員の措置等を行っております。こういうことによって編入学を円滑にしたい。さらに先般の国会で成立をさせていただきました国立学校設置法の一部改正によりまして、技術科学大学が誕生いたします、これは高専の卒業生を大量に受け入れるということができますので、そういった点でも編入学は改善をされていくと思います。
  104. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 それでは次の問題に移りたいと思います。  次は、教頭の、教員定数の枠外配置について伺いたいと思います。  初めに、第七十二国会で学校教育法の一部改正法案、いわゆる教頭職の法制化法案が衆議院を通過する際に、教頭職を管理職専任として、それを補うため教頭の数だけ教員の定数を拡大する、こういう趣旨の修正案が民社党から提出されました。そして、その本法案が通過をしたという事実を大臣は御存じでございますね。大臣に就任をなさる際に、この問題についてどのような説明をお受けになられたでしょうか。
  105. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 枠外定員であるということについて報告を、ただいま御指摘のとおり受けました。     —————————————
  106. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) 委員異動について御報告いたします。  ただいま宮之原貞光君が委員辞任され、その補欠として久保亘君が選任されました。     —————————————
  107. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 文部省は、この趣旨に基づいて政令等で昭和五十年から四カ年計画で十二学級以上の規模を有する学校の教頭のみを専任させることとして、十二学級以上の学校が一万五千校で、そのうち教頭は一般教諭の授業時間の二分の一を担当していますから、七千五百名の教員定数の増員を図ることに決定をいたしております。これに基づいて五十年度は一千名、五十一年度は八百名の教員定数の増大を図ってきたわけでありますが、来年度は教頭の管理職専任に伴う教員定数を何人増加させる計画でございますか。
  108. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 来年の要求券を申し上げます前に、ちょっとただいまの御質問の中身で私どもの従来やっておりましたところを正確に申し上げたいと思います。  小中学校の教頭の定数につきましては、従来も小学校は六学級以上、中学校は三学級以上の学校について一校に二分の一の教頭定数を配置するということでやってまいったわけでございますが、ただいま御指摘がございましたように、四十九年にいわゆる教頭法案の審議の過程におきまして教頭の職務が明確になった際に、当然その枠を拡大すべきではないかということがございまして、前文部大臣も、その方向考えます、こういうお答えをされたわけでございます。そこで、まあそれによりまして五十年度からやっておりますのは、さしあたっては小中学校とも十八学級以上の学校について教頭を配置するということにいたしますとその所要数が約四千八百名ほどになるわけでございます。そこで、五十年から五カ年計画で毎年千名程度を補充していきたいということで始めたわけでございますが、五十一年度は財政上の都合その他もありまして、一般の教員につきましても本来定数増すべきところを五十二年度に繰り延べをしておるというような事情もあって八百名としたわけでございます。そして、来年の要求といたしましては、五十年同様に千名を獲得したいということで要求をいたしておる、こういうことでございます。
  109. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 それは六学級以上というのは、これは中学校ですか、小学校……
  110. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 小学校でございます。
  111. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 それで、三学級は。
  112. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 中学……
  113. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 中学、ああそうですか、わかりました。で、一千名を目標にしているわけですね。  じゃ、その次にまいりますが、予算上の定数増とは異なって実数増はそれ以下となっておるように聞いておりますが、このままで果たして文部省が計画しているように四年間で七千五百人の教員の定数増ができるのかどうか、この点はいかがですか。
  114. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) ただいま申しましたように、単一年度をとりますと、まあ五十年度が千名、五十一年度が八百名ということでございますので、   〔委員長退席、理事久保田藤麿君着席〕 これを各県に配分いたしますと、県の規模等によって違いますけれども、まあ二十名程度になるわけでございます。そして、特に一応の目安としては、目安といいますか、計画としては、やはり学級の多い学校から配分していくということになりますと、多くの学級をかかえている学校というのはまあ過密都市等に多いわけでございますから、それで必ずしもその配分が十分いかないというような印象を受けられる県もあろうかと思いますけれども、総数といたしましては、先ほど申しましたように、一千名、八百名というものは確実に配分しておるわけでございますから、五年間の計画がこのとおり実現いたしますれば先ほど申しましたとおりになるのだ、こういうふうに私ども考えております。
  115. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 学校教育法の修正の趣旨は、全学校の教頭数約三万人ですか、この三万人の分だけ教員の定数を拡大することにあったはずでございますね。文部省は現在進めているその四カ年計画が終わった後、つまり半分終わった後、どのようにして教員定数の拡大を図っていくおつもりでございますか。あるいはその計画は立っているのかどうか、伺いたいと思います。
  116. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 教員の配置の改善を図るという趣旨文部省は大体五カ年を一区切りにして改善を図っておりまして、現在は昭和四十九年から五十三年までの五カ年を一区切りにしてやっておるわけでございます。それで、いまの教頭法の問題は、たまたまこれが年次計画が発足いたしました後に起きた問題なものですから現在の五カ年計画には法律上は載っかっていないと、こういうことでございます。そこで、いま申しましたように、さしあたって五千名というものを実際の予算措置としてふやしていきたいということでございまして、それはあくまでも当面の目標でございます。したがいまして、五十四年以降は、次の五カ年の年次計画を立てて、教頭のみならず全教員の配置につきまして検討をしてみたいというふうに考えておるわけでございまして、ただいま具体的腹案はございませんが、考え方はそういうことでございます。
  117. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 先ほど教頭の別枠の先生ですね、これを大きい学校に先に配分をする、こういうふうなお答えでございましたけれども、現実の教育現場においては、むしろ過疎地域などの小規模学校ほど教頭の職務が多忙をきわめて、教員の増員を最も必要としているのはそういうところではなかろうかと思います。で、文部省が今後の教員定数の拡大計画を立てる場合にこの面を考慮すべきであると思いますが、この点はどうなんでしょうか。
  118. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 教頭の問題はいま申し上げたような考え方でやっておりますけれども、ただいまの進行中の五カ年の年次計画における教員の定数配置という問題は、主としてその過疎地の小規模小中学校改善あるいは複式学級の改善というようなことをねらいといたしてやっておるわけでございまして、御指摘のような点につきましては十分配慮してまいりたい、かように思っております。
  119. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 それでは次に、教頭職の給与についてお伺いをします。  教頭職を一等級に位置づけることは、また教育の経験の豊かな教員を一等級に位置づけることは、昨年の教員給与にかかわる一般職の職員給与の一部改正に関する法律案に対しての附帯決議で明らかにされておりますね。そこで、文部省に伺うわけですが、全国の教頭の中で一等級になっている者の割合はどれくらいあるのでしょうか。また、一般教員の中で一等級に位置づけられている者は何名ぐらいいるんでしょうか。
  120. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 教頭法の制定に伴いまして教員の給与表も特一等級というものができたわけでございます。そこで、それができます際に人事院の示されました考え方というものは、将来は校長は全部特一等級、教頭は一等級ということを目ざすわけでございますが、差しあたって教頭の四分の三程度のものを一等級に昇格させるという方針で国でも実施することとしたわけでございますが、それに対応いたしまして、各都道府県委員会にそのような措置を指導していきまして、現在のところでは、実施しておりまする県を見ますと、平均して小中高等学校ともに約七二%の教頭さんが一等級になっておるということでございますから、ほぼ指導どおりにいっておるわけでございます。
  121. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 その教職経験の豊かな教員、これの数はどれくらいですが、一等級になっている。   〔理事久保田藤麿君退席、委員長着席〕
  122. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 一般教員の一等級の格づけというのは限られておる県だけで実施をしておるわけでございますが、現在のところの数といたしましては、小中学校合わせまして全国で約三百名程度です。
  123. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 いまお伺いをいたしましたように、教頭職を一等級に格づけている県がいま四分の三ぐらいあると、こういうことでございましたが、これらの県において一等級に格づけされている教員の数はどうも五〇%にも満たない状況だというふうに聞いておるわけですが、たとえ地方の財政事情があるとしても、教頭は一等級として全国的に一本化する必要があるのではないかと思います。この点をどのように考えていらっしゃるか。また、このような実情の中で文部省は教頭職の一等級を全国的に一本化するためにどのような措置を講じられるおつもりでございますか。
  124. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) ただいま申しました四分の三というのは、それぞれの県における教頭さんのうち四分の三、つまり七五%程度の人を一等級にするようにと、こういうことでございます。そこで、もっと少ないんじゃないかという御指摘でございますが、私どもが調べましたところでは、まだそういう措置を全然していないところが東京都ほか三つございます。これは財政事情その他によるものだと思いますが、したがいまして、これにつきましては国の基準にならって早期にひとつやってほしいということはかねがね要望しておるところでございます。そしてやっております四十四の県につきまして、先ほど七二・七%というふうに、七二%強だというふうに申し上げたわけでありますが、それはもし何でしたら数字を申し上げてもよろしいんですけれども、確実にやっておると思います。
  125. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 ああそうですか。それはいずれ聞かしていただきます。  で、また教職経験の豊かな教員の給与を一等級にするということについての措置はどのように考えていらっしゃいましょうか。
  126. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) そこで、ことしの三月に人事院が出されました第三次の給与改善の一環として、いま申しましたように、それまでは教頭の四分の三が一等級、校長の半分が特一等級ということで来たわけでございますけれども、第三次改善として教頭は全部一等級、校長は全部特一等級ということにしたいということになっておるわけでございますが、この第三次改善はいま法案自体がまだ審議尽くされておりませんので実施に至っておりませんが、もしこれが実施されますとそういうことでさかのぼって本年度から全教頭が一等級、全校長が特一等級ということになるわけでございまして、そのことは、それを前提として、それで一般の先生の中でも非常に優秀な成果をあげ、経験年数長い方は一等級にしようと、こういう含みを持っておるわけでございます。したがいまして、全部の校長、教頭が特一等級、一等級に格づけされるというのが前提になるわけでございます。
  127. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 わかりました。  それではその次に、校長の採用試験についてお伺いをしたいと思います。現在全国の三分の二の都道府県においては校長を採用するための試験を実施しております。その試験は八月の筆記試験と翌年一月から二月にかけての面接試験の二度にわたって行われているようであります。大臣は、このような校長採用試験実施の意義についてどのように考えていらっしゃいますか。
  128. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 校長採用試験は、やはり校長という重要な職につかれる方々でありますから、管理運営それから教育指導に当たっていくのに適切な方であるということから採用試験というものが行われてしかるべきものと考えております。
  129. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 私どもは、校長の人事に公平を期する、こういう趣旨から、校長試験の実施については一定の意義を認めております。しかし、校長試験の特色として、他の公務員上級職試験と異なって、筆記試験に合格しても面接試験に不合格であれば筆記試験の合格も無効とされて毎年筆記試験を受けなければなりません。これでは校長試験を受ける人は試験勉強ばかりに追われて、学校の仕事どころではありません。学校の職務をそっちのけにして試験勉強にのみ専念する人だけが校長試験に合格をするということになりかねませんので、この点について実情をどのように大臣は把握していらっしゃるか、どのようにこの点についてはお考えになっていらっしゃいますか、お伺いをしたいと思います。
  130. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 現在各都道府県の校長選考のやり方について見ますと、筆記試験と面接を実施しているというのが三十九県ございます。それから面接のみでやっているところが四県、それから昇任試験を全くやらないところが一県ということでございまして、やはり一定の職につくわけでございますから十分、その選考をして適格者を昇任させるということは私は必要だと思います。ただその場合に、任命権者としましては日ごろそういう学校先生方の実績というものを十分承知していただいて、日常の教育活動からしてこの人は十分校長になれる人だというような評価が当然あってしかるべきだというふうに私は考えるわけでございます。したがいまして、おっしゃるように形式——形式的と申しますか、筆記試験を非常に重視してその試験にもうもっぱら依存するというようなことはやっぱりよろしくないんじゃないかというふうに考えます。
  131. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 そこで私は、公務員の上級職試験の場合と同じように、校長試験の場合も筆記試験に合格した場合は、たとえ面接試験に不合格であっても、筆記試験の合格の効力は三年ないし四年間は有効として面接試験のみを受ければよいようにすべきだと思いますが、この点についてはどうお考えになっていらっしゃいますか。もしも私の見解に賛成であるとするならば、地方の教育委員会に対して今後どのような指導をされていくおつもりでございましょうか、お伺いをいたします。
  132. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま初中局長が御答弁申し上げましたように、やはり試験勉強に追われるという先生が校長になるということであってはなりませんので、ただいま御提案の件につきましては私ども十分検討させていただきたいと考えます。
  133. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 それでは、私の用意した質問はこれで終わるわけですけれども、時間が少しありますので先ほどの局長の数字をちょっとお聞かせいただけたら幸せだと思います。
  134. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) 小学校につきましては実施をいたしております四十四県の教頭の総数が一万九千七百十五名でございます。そのうち一等級に昇格をいたしておりますのが一万四千三百二十六名でございまして、比率にいたしますと七二・七%になります。それから中学校は九千四十五名のうち六千五百十七名、ですから比率にいたしまして七二・一%、それから高等学校が四千七十三名中二千九百四十名でございますから七二・二%でございます。
  135. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 それでは突然の質問でございますけれども、この間、ある坊さんとお話をしておりましたらこういう話をされたんです。これはまあ比喩だと思いますけれども、日中貿易はもはや完了をしました。で、日本からは愛国心と正直と勤勉を輸入しました、中国がですね。日本からは愛国心と正直と勤勉を輸入しました、日本へは汚職とマージャンとギャンブルを輸出しました。こういう話がありまして、私は大変これおもしろい比喩だなと思いながら、一体こういう話を文部大臣はどう受けとめられるかしらと、一遍懇談をしてみたいと思っておりましたんで、時間がありますのでちょっとお答えをいただきたいと思います。
  136. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) かつて中国はアヘンの国であったわけですが、いま実はアメリカ合衆国にそういう患者が相当ふえているということもあって、まあ歴史は皮肉なものと思いますが、わが国に対して申しますれば確かに汚職、マージャン——もう一つ何でしたか。
  137. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 ギャンブル。
  138. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ギャンブル——なるほど。そういうものは非常に盛んになったと思いますが、まあ私は、中国がわが国に輸出したんではなく、これはわが国が過去の戦後の歴史の発展の中でやはりそこに陥ったと考えることが妥当であろうと思います。したがいまして、別に中国人は輸出をしようと思ったわけではなかったでしょうから、私たちがそういう落とし穴に落ちてきているのではないか。そこでまた中国の方がいろいろ愛国心と勤勉ですか、ありますのも、日本から受け入れたというよりは中国の自力更生でございましょうし、やはり今後の日本といたしましては、われわれの努力によってどこから輸入をいたしませんでも、自力更生をいたしまして、そしてしっかりした国にしなければならない、かように思っております。
  139. 中沢伊登子

    中沢伊登子君 どうもありがとうございました。時間が残りましたけれども……。
  140. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) 暫時休憩いたします。   午後三時四十五分休憩      —————・—————    午後三時四十九分開会
  141. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き質疑を行います。質疑のある方は順次御発言願います。
  142. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 私は、文化庁長官立場を守ってあなたが見えるまで質問を保留しておったんですから……。  昨年の、昨年ではないですね、昭和四十五年になっていますね、六十五国会におきまして著作権法が審議されたときに附帯決議をつけましたね。御存じでしょう。そこには、その著作権思想の普及に努力する、ということが第一項にあります。それから第三項ですね、最も重要なのは。「写真の著作権の保護期間の問題、映画の著作権の帰属問題、レコードによる音楽の演奏権の及ぶ範囲、応用美術の保護問題、著作隣接権の保護期間の延長及び実演家の人格権の保護問題等について、早急に検討を加え、速やかに制度改善を図ること。」それが第三項ですね。それから第五項には、「著作権者の立場を十分尊重した運用を行なうこと。」と、こういう附帯決議がついておるわけですね。この附帯決議に対してその後あなたの方ではどういう処理をしていらっしゃるか、どういうふうな作業をして、どういうふうに進んでおるかということをまずお伺いしたい。
  143. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 先般の著作権法の制定に当たりまして、参議院の文教委員会におきまして五点について決議をいただいたわけでございますが、そのうちの第一点の、「著作権思想の普及に努力する」という点につきましては、現在文化庁におきましていろいろな事業を行っておりますが、一般の社会人を対象といたしまする著作権の講習会を開催いたしますとか、あるいは専門職員といたしまして図書館の職員を対象とする図書館職員のための著作権の実務講習会を開催いたしますとか、また都道府県の事務担当者を対象にいたしまして、事務担当者講習会を開催いたしますとか、こうした三つの講習会を事業として行いまして、それぞれ著作権の直接の担当者あるいは著作権事務の担当者に対する研修を行い、あわせて国民各層の著作権に対する関心を高めるように努力をいたしておるわけでございますが、これらの講習会に対する参加者もおかげさまで年々増加をいたしまして、大変活発な質疑応答等も行われておるわけでございます。同時に、この講習会の開催とあわせまして、著作権課におきまして、著作権関係の法令を集めた法令集を作成いたしますとか、あるいは著作権法をわかりやすく解説をいたしましたハンドブックを作成をいたしまして関係の方面に頒布をいたしますとか、そういった努力をいろいろ重ねておるわけでございます。  それから第三点の、時代の進展に伴う著作権の利用形態が大変複雑になっておるわけでございますが、そうした点の具体的な問題として、ただいま御指摘がございましたように、著作権や著作隣接権、映画、レコードその他の問題があるわけでございますが、これは非常に包括的な問題でもあり、かつ一つ一つをとってみましても大変困難な課題でございます。したがいまして、著作権審議会におきましては、御承知かとも思いますが、コンピューターのプログラミングの問題でございますとか、ビデオの問題でございますとか、あるいは複写、複製の問題でございますとか、そういう当面の問題を中心にいたしまして小委員会を設けていろいろな論議を重ねておりまして、ビデオあるいは複写、複製の問題につきましてはすでに小委員会から報告どもいただいておるわけでございますが、その他の問題につきましては、これはただ単に理論的な検討を進めるということだけではなくて、実際界における実務の処理の問題も非常に大きな問題でございますので、そこら辺の動き等を見ながら著作権課におきましていろいろ検討を加える。同時に、こうした問題につきましては国際的な動きもあるわけでございますので、そうした動向等も見定めながら検討を進めていきたい、また、検討を進めておるというような状況でございます。  最後に、五番目といたしまして、著作権者の立場が十分尊重される法の運用を図れという点でございますが、そもそも著作権法と申しますのは、これは著作者の権利を保護し、擁護するということが法律の基本でございますから、当然そのことを踏まえて全体の理論を組み立てなければならないと思いますが、一方、著作権というものは公共的に用いられて初めてその存在の理由を発揮するという点もございますので、その辺のところとの調整を図りながら、著作者の権利の擁護ということを基本にしながらもその調整に留意しながらいろいろな問題の対処に当たっておるということでございます。  ただいま申し上げましたビデオの問題にいたしましても、コンピューターの問題にいたしましても、複写、複製の問題にいたしましても、すべて基本的にそういう立場で各般の検討を進めておるわけでございます。
  144. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そのコンピューターや、複写の問題は、ぼくはまだ質問していない、これから質問するわけなんだが、きのう課長さんが見えたからその話はしておきましたが……。この第三項の写真の著作権の保護期間の問題では、われわれは、ほかの著作権と同じように、著作者と同じように、死後五十年をあのとき要求したわけですね。しかし、それに対する検討はまだされてない。どういうふうな方向でそれが検討されておるかということをまあ聞いときましょう。これ、時間がないんだから余り言葉数を多くしないで、簡潔に答弁してもらいたい、ぼくも簡潔に質問しますから。  それから映画の著作権の帰属問題ですね、これなんかでも、まあいろいろありますがね、そういう権利について附帯決議の精神をどういうふうにして検討して、どういう方向で検討しておるか。われわれの要求が実現するような方向で行っておるのか、どういうことになっておるかということを簡単に答えてください。
  145. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 先ほど申し上げましたように、著作権審議会における具体的なかなり詰めた検討は複写、複製とか、あるいはビデオ、コンピュータープログラムの問題などについて行ってきたわけでございますが、映画の問題、あるいは写真の著作権の問題につきましては、まだ具体的な検討をする段階には至っておりませんが、御承知のとおり、その後、先般、新法を制定していただきましたときにすでにいろいろ問題があった、その問題の基本的な点が今日なお必ずしもこういう方向で解決をするという方向が出ていないわけでございまして、事務的に著作権課の内部においていろいろな検討をしておる。まだ審議会等に諮りまして論議をまとめるという段階までには至っていないわけでございます。つまり、基本的に非常にむずかしい問題でございますから、すぐには具体的な方向を出しかねておるということでございます。
  146. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 あなたは先ほど、この著作権法というものは著作権者の利益を守るのが主眼だと、こういうことですね、第一義的なものは。それを本当に第一義的として、主眼として考えるならばこんなに——もうこれ、法律できてから七年になっているのですよ。七年間何を考えておるかということをぼくは質問したいぐらいですよ。そんなにかかるわけがないですよ。著作権者の権利を守るならすぐ回答が出そうなものじゃないですか。だから、それはね、いろいろ考えておりましてね、というのはあなたたちいつも使う手かもしらぬけど、それはぼくは受け取れないね。怠慢だと言わざるを得ないと思うんですよ、そういうやり方はね。そうじやないですよ。できるだけ早く、人の権利を守る法律だから、できるだけ早く結論を出すというふうに努力してもらいたい。努力してくれますか。これからまだ七年もかかってはどうにもならなくなっちゃうんですよ、これ。どうでしょう。
  147. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 十分研究、検討さしていただきたいと思いますが、ただ、この著作権法は文部省の他の法律と違いまして、民法などと類似した性格がございまして、人の私権に関することを内容にした法律でございます。単純な行政法とは御承知のとおり内容が違うわけでございますので、民法の改正がそうたびたびは行われませんように、きわめてやはり基本的な安定した法体系であるというのが、著作権法の本質的な性格であろうと思います。したがいまして、やはりこの改正ということになりますと、事実相当時間もかかりますし、慎重な配慮も必要だということでございますが、ただいま申し上げましたように十分研究、検討をさせていただきたいと思います。
  148. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それだけむずかしい問題だから、あの際にちゃんと解決しておくべきだというのがぼくらの意見だったわけですよ。ところが、とやかく言って、この解決をおくらしてしまって、そしていまになって、むずかしいんだから、まだまだ時間がかかるという答弁じゃ困るんで、できるだけ早くそれを解決するように努力してもらいたいということを注文しておきます。  それから、これはもう具体的な問題ですが、二次的著作物というのは一体どういうのが入るのか。編曲とか、変形とか、いろいろなことが起こってくるんですが、絵や写真の場合にはどういうものが二次的著作物の中に入るのか、ちょっと聞かしてください。これはもう実際の問題です。
  149. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) お答え申し上げます。  二次的著作物につきましては、著作権法の第二条にその定義がございまして、著作物を翻訳したり、編曲したり、あるいは変形したり、映画化したり、そういった形で翻案することによって創作した著作物をいう、という説明がございます。
  150. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 ぼくは具体的に質問しているんだが、そうすると、編曲とか、クラシックの音楽をジャズ化するというようなことも、これも二次的著作物に入るんですか。どうなんですか。
  151. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) おっしゃるとおりに原曲、たとえばクラシックをジャズに編曲する、そうした場合には、ジャズに編曲をした物は、この法律にいう二次的著作物に該当するものと考えております。
  152. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それじゃ、絵や写真の場合はどういうことですか。どういうものが二次的著作物に入るのか。
  153. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) 絵画とか写真の場合につきましては、どういうものが二次的著作物に該当するかということは、実際問題として非常にむずかしい問題だと思います。一般的に申し上げますれば、たとえばある絵画を第三者が鑑賞しまして、自分が鑑賞した絵画から一種の感動を得まして、その自分が見た絵画を基本にした別個の絵をかくという場合には、場合によりましては、そうしてつくりました絵画は、二次的著作物に該当する場合があり得るというふうに考えております。
  154. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 二次的著作物をつくる場合、原著作者との関係は一体どういうふうになるんですか。
  155. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) おっしゃいますような場合につきましては、最初に作品をつくりました人に翻訳権とか、翻案権という権利がございまして、したがいまして、その原作品から二次的著作物をつくる場合には、原作者の許諾を得ることが必要でございます。
  156. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 許諾だね。
  157. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) はい。
  158. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それじゃ、許諾があればどのように改変、編曲など、変更しても構わないということなのか、どうなんですか。
  159. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) 許諾があれば、どのようにその実質的な内容を変更してもいいかどうかという点につきましては、著作権法に同一性保持権という権利が保障されておりまして、この同一性保持権の侵害に当たるような変形あるいは改造とか、そういうことを無断でしますことはこの同一性保持権の侵害に当たります。
  160. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 同意を得なくても改変してもよいというような場合があるんですかどうですか。
  161. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) その改変につきましてその原作品の作者の許諾を得ておれば、その範囲内におきまして改変をすることは別に権利侵害には当たらないと思います。
  162. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 わかりました。そうすると、その二次的著作物をつくる場合は、原著作者の許諾を得るということが前提ですね。第一の前提ですね。そうですが、そこをはっきりしましよう。
  163. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) おっしゃるとおりでございます。
  164. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そうですね。——それじゃ、その許諾を得ないで二次的作品をつくる、またそれを発表した場合は著作権法違反じゃないですか。どうですか。
  165. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) おっしゃるとおりに、そういう場合には権利の侵害に当たります。
  166. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 その場合は著作権法違反だということですね。  最近、あなたももう知っているだろうと思うんだが、この合成写真の問題が起こって、白川義員さんという方ですね、山岳の写真家ですが、こういう写真を発表されました。皆さんちょっと見といてください。こういう写真ですね。   〔写真を示す〕 ところが、この写真を改変して天野正之という方がこういう写真をつくられた。これはいまのあなたの御意見ならば、明らかに著作権法違反だと言わなきゃならぬわけですね、どうですか。そこをはっきりしてくださいよ。
  167. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) いまお話のございました写真につきましては、現在裁判所において係属審理中でございます。したがいまして、そういう現在係争中の事件につきまして行政庁の立場から見解を申し上げるということは差し控えたいというふうに考えています。
  168. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 この著作権法をつくったときに、行政府も立法府も共同してこの著作権法というものはつくったんです。その著作権法の精神をあなたは先ほど述べたわけです。そういうことは許諾なくしてやったのは著作権法違反だという、こう言っている。これは許諾を得ずしてやっているわけです。それならば明らかに著作権法違反じゃないですか。ぼくはこれを見たとき、立法府の一員、ぼくもこの著作権法の審議に立ち会った人間です。その一員として非常な怒りを感じたわけです、何をしているかと。そうして、これが裁判、仮に裁判で第一審ではこれが著作権法違反だという結論が出たんです。ところが、第二審へ行って、高裁へ行って著作権法に触れないという結論、ぼくは腹が立って仕方がないんです。ぼくも音楽の著作権者の一人ですから。そんなことが堂堂とまかり通るようになったら、これ写真だけの問題じゃないです。すべての著作権というものはゼロになってしまうんです。何のためにわれわれ苦労して著作権法をつくったか。政府当局といえども腹立たなきゃならぬと思うんですがね、これに対して。明らかなことじゃないですか、これ。あなた自分で、先ほど、それは間違っておりますと、著作権法違反ですと、そういうことがあれば、と言いながら、これを出すと、それは裁判にかかっておることだから意見述べられないなんて、そんな意気地のない官吏でどうするかね、行政官。もっと自信を持って行政やらなければだめだよ、ぼくらも確信を持ってやっているんだから。裁判官が間違っているなら、裁判官が間違っているということを、こういうことをはっきり行政府として述べたっていいじゃないか。言えないんですか。大臣どうですか、大臣の意見を聞きますよ、これは。明らかに著作権違反ですよ、これは。そんなこと許していいものじゃない。
  169. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 先ほど著作権課長から著作権法の原則について申し上げたわけでございます。原則は、第二次的な使用につきましても当然原著作者の許諾が必要であるということでございますが、ただ、具体的なケースにつきまして、しかも、現に御指摘のように東京地裁なり東京高裁なりで相反する判決が出ておりまして、現に最高裁に係属をしておるような具体的な事件につきまして、行政庁として具体的な結論を述べるということは、これはやはり三権分立の原則などから申しましても差し控えなければならないというふうに考えます。行政庁が当事者でございますれば、それに対する訴訟上の攻防ということは当然あり得ることでございますが、これは民間の当事者間の事件でございますから、これに行政庁が具体的な意見を述べて、しかも裁判所、最高裁に係属をしておるという事件について関与するということは、これはやはり差し控えるべきであろうと思います。しかし、著作権法の基本的な考え方が著作権課長の述べたとおりであるということは、これは私どもは明確なことだと考えております。
  170. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 じゃ、これは著作権法の精神から言えば、原則から言えば著作権法に触れるものだということははっきり言えるね、裁判の問題と切り離して、一般論として。
  171. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 具体的なお示しのケースについて法律上の判断を示せとおっしゃるならば、これはやはり遠慮しなければならないことだと思いますが、しかし、原著作物を原著作者に無断で使用した、しかも相当改変を加えているということでありますれば、それが著作権侵害ということは明確だと思います。
  172. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 わかりました。あなたの言おうとすることわかります。改変でも、これは著作権法には財産権と人格権とあるんですよ、御存じでしょう。改変も改変、これは人格権の侵害ですよ。これを写した白川さんという方は美しい山岳写真を撮ったわけです。これは何ですか。そこへどかんと大きなタイヤを持っていって据えて、これじゃ山岳写真が消えちまうんです、美しさがなくなるじゃないですか。これはこの写真家に対する大きな侮辱ですよ。これは人格権の侵害です。もちろんこの人は白川さんの許可を得ていません。財産権としての著作権料も払っていません。だから、著作権料——財産権も侵害し、人格権も侵害しているのがこれですよ。それはひどいじゃないですか。そんなことは立法府の一員として、自分らがせっかくつくった法律が侵害されているわけですね。そんなことを黙って見ておるわけにいかないですよ。仮にそれが裁判所が決定したことであろうと裁判官の不明だと思うんです、それでは。裁判官は著作権法を知らないんです、あの裁判は。一審の裁判官は検討したんでしょう。二審の裁判官、本当に著作権の何たるかを知らないんです。だから、そういう判決がくるんですよ。あなたたちだって、これを見たら著作権に抵触しているということはわかるでしょうが、口には出さなくても。どうですか、わかるでしょう。わからなくてはさっきのような発言できないですよ、あなたはぼくに対して。そういう明らかな原則論を述べ、ちゃんとしてるんだから、これが著作権法に触れているということはあなたたちもわかっているんだ。ただ、それがたまたま今日裁判にかかっておる事件であるから、自分たちとしては意見が述べられないというのがあなたたち立場だと思うんです。そうでしょう。大臣、そういうことを離れて、著作権法の原則から言ったらぼくは、本当に著作権違反だと思うんですよ、裁判はともかく。ぼくはそう思うんです。大臣、そう思いませんか。これを見て著作権違反だというふうに考えませんか。そこだけはっきり言ってください。それでないとこれからの日本の著作権というものがめちゃめちゃになってしまうおそれがあるんです。重大な問題です、これは。
  173. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まあ、私がここでこの問題について申し上げることはやはり、その絵ですね、個人的見解でなくなるんですね、そうでなくて、行政の責任者がこれについて見解を示すということになると。ところが、この裁判が係争中なわけですね。そうすると、三権分立の原則はやはり守らなければいけないということがありますので、個人的見解をいま述べよというふうに先生おっしゃいますけれども、ここでお話を申し上げるのは三権分立の原則に従わざるを得ないわけでございますので、これはやはり裁判所において決定をすべき事柄として進行しているものであるということをわれわれとして、やはり原則に従って尊重しなきゃならぬというケースであろうと思います。
  174. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 まあ、大臣もこの席上で文部大臣としての見解として著作権法違反だということは言いにくいと思いますよ。しかし、個人的にはもうぼくは、先ほど大臣の個人的な意見を聞いてありますから、ここでは述べませんけれども、これはもう明らかに違反。しかし、三権分立なんということはね、それは私たちも三権分立は守らなきゃならぬと思いますよ。それだけに立法府の権利も、立法府の立場も守ってもらいたいですね、これ。これを著作権違反じゃないという結論を裁判所が出すなら、三権分立だといいながら立法府の上に立った意見でね、立法府のは何にも尊重されないということになっちまうんですよ。だから、裁判所がそんな結論出すなら、立法府の立場もよく検討してもっと守ってもらいたい、それが三権分立というものだろうと、私はそう思っております。まあ、これはおきましょう、これ以上言ってもむだですから。それからその次にいきましょう。写真の問題はそこで終わります。それだけしかし、はっきり考えておいてくださいよ、今後のこともあるんだから。  引用につきまして。引用の範囲はどの程度まで許されるのかですね、いまのあの問題でもですね。引用が従であって、私は主であってはいけないと思うんですね。で、引用するからには自分の作品がなければならないということが著作権にあるんですね、その精神が。これ、果たしてあの写真にあるかどうかやね、引用の範囲を超えてるんじゃないかと思うんですね。それで、あの写真に自分の作品て何もないんじゃないですか、あれ。小説なら小説、だれかのものを引用する場合は、ある程度のものを書いて、そしてその中へだれだれがこういうことを言っているというふうに引用すること、これ引用ですよ。それはいいんですよ。しかし、あれば引用と言いがたいと私は思うんですが、どうですか、あれでも引用ですか。
  175. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) 引用につきましては一応著作権法に規定がございまして、正当な範囲の引用であればこれを自由にやってよろしいということになってますが、それで、この本件の場合におきましては、東京地裁の判断では正当な引用には当たらないという判断です。それから東京高裁の判断におきましては正当な引用であるという判断でございます。それで、この東京地裁並びに東京高裁の判断につきましてどう考えるかという点につきましては、いまも長官がおっしゃいましたように、その点につきましては発言を差し控えたいと存じます。
  176. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 一審の判決が正しいということも言えぬと、二審の判決が間違ってるとも言えないと、どっちともわからぬと、こういうことですね。それじゃ、行政府としては……。  それじゃね、もう一つ例を変えて言うならばね、ある人の絵に何かを勝手にかき加えるんですね、その場合、そのかき加えたものは全く別の作品になるのかどうか、どうですか。また、その勝手にかき加えたものを使用した場合、著作権侵害にならない……。
  177. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) 絵画の引用につきましては、一般的には、たとえば絵画の評論に関する文章の中にまあその論説を展開する必要上、その絵画を複製する。そしてその複製して引用した絵画について論ずるということはございます。しかしながら、絵画の中に絵画を引用するとか、あるいは写真の中に写真を引用するという例につきましては、これまで判例もございませんし、特に学説もはっきりしたものは出ておりません。したがいまして非常に判断がむずかしいと思いますけれども、まあ個々のケースに従いまして判断をするよりほかないというふうに考えております。
  178. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 行政府は判断を下さぬということですか、どういうことなんですか。判断をすべて裁判所に任してしまう、われわれは判断をしないということなんですか、行政府としては。
  179. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 著作権法につきましての行政府の立場でございますが、著作権法に基づきましてたとえば著作権使用料の裁定をするというような場合におきましては、これは具体的に関与するということがあるわけでございますけれども、しかしその他の場合におきまして、個々の具体的なケースにつきまして役所が意見を具体的に述べるということは、これはないわけでございます。一般的、抽象的な著作権法の解釈というものは、これは講習会その他でも述べておるわけでございますけれども、具体的に甲乙という当事者が著作権課に来られて、このケースはどうだと、こう言われましても、それはやはり当事者間で御納得のいくようなお話し合いをいただくということ以外にはないわけでございまして、その際、もちろん法律の一般的な解釈の仕方ということにつきましては意見を述べますけれども、具体的なケースについて裁定をする、何らかの結論を出すということは、これは行政庁としてはあり得ないことでございます。
  180. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それじゃ場所を変えて、あの写真を持ってきて、あんたの方に行って、これは著作権法違反だと思いますが、あなたお考えどうですかと、こう裁判の前に意見を求められたら、あなたはどういうふうにお答えになりますか。
  181. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) あの写真ということでのお尋ねでございますから、具体的なケースについてのお尋ねということになるわけでございますので、先ほど来申し上げておりますように、裁判にかかっておる事件でもございますので、意見を申し述べることは控えたいと思いますが、しかし、そういうような状態ではなくって、何か著作権問題について、こういう点についてはどうであろうかというお尋ねがあれば、それは担当者としてはこういう意見なり感想なりを持つということは、これは申し上げることはありますけれども、しかし、具体的に、さっき申し上げましたように甲乙両当事者間で争いがあるような場合に、そのことに役所が具体的に関与をいたしまして、どちらの見解が正しいんだというようなことを申し上げることは、これは役所としては適当でないことだと考えます。それは当事者間でお話し合いになってしかるべきことでありますし、もし話し合いがつかなければ今回のケースのように裁判所で決着をつけてもらうということ以外にはないわけでございます。
  182. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 だからぼくは、裁判をこっちにのけといて、裁判の前に、問題になる前に、これを持ってきた人が、仮にぼくがこの写真二つ持ってきて、これ著作権違反と違うかねと、こう言ったら、それはひどいですなと、それは著作権違反ですねと、あんたたち意見を述べると思うんです。大臣もさっきぼくがこれ見せたら、それはひどいですなと、こう言っているんだから、個人的意見としてね。たまたま裁判所にかかっているもんだからあなたたち自分意見を述べることを遠慮しているんだけれども、そうでなしに言えば、著作権違反だということは明らかなのである。それでなかったら著作権法を守るわれわれとしては、あなた、価値がなくなっちゃうんだね、つくった人間としても。だからこういうことはこれからもあるから、もしもそういう場合は、あんたたちも進んで意見を述べて、裁判にかかる前にやはり行政官の立場意見を述べて、こういうことのないようにぼくは努力していくべきだと、こう思いますよ。そうでしょう。その努力もしないんですか。それはするでしょう。
  183. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 事件になっておるのでお答えしにくいという面がもちろんあるわけでございますが、事件の前に御相談がありますればそれは御意見を申し上げると思います。しかし、それが当事者間の争いの対象になっておりますような場合には、それは当事者間でお話し合いをしていただく、話し合いがつかなければ裁判所で判決でもって決定をしてもらうということ以外にはないということを申し上げているわけでございます。
  184. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 当事者間で争いが起きた場合は、行政府としてそれに入って、両方におさまるように話をするというのはたてまえじゃないんですか。
  185. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) それは特別な規定がありました場合に関与するということでありまして、一般的に調定、あっせんをするという立場にはございません。
  186. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 まあ写真の問題は、あんたたちは心の中ではわかっておって、口に出して回答ができないということはよくわかりましたから、これであなたたちを苦しめることはよしますが、これからこういうことは往々にして起こると思うんですよ。だから、そのときははっきりとした態度を行政府としてもとって、こういう裁判になるまでいってごたごたしないでもいいように処理をしていくという方針でぼくは行政措置をしてもらいたいと、こう思うんですよ。いいですね。  それじゃ、その次にコピーの問題に移ってまいりたいと思います。  これたまたま写真だからですけれども、本当言ったらある一つの文学者が小説書きますね。その小説のラブシーンのところへ、とんでもないやつが出てきて、エロ文章を、エロ文学をその中へ挿入してしまう、そうしたらその作者はとても怒りますよ。それは黙ってませんよ。文学で言うならばそう。音楽でもそのとおりですよ。仮に私が本当に清純な気持ちで書いた音楽の中へ、まん中へとかっと変な卑しい音楽——音楽でも卑しい音楽ありますわ。その卑しい音楽をまん中へどかんと持ってきて、そしてその作者が——その作者って、そのどかんと卑しい音楽を持ち込んだ人が、自分の作品だといって発表したら、それはとてもがまんならないじゃないですか。これは例を、私は文学や音楽に入れるんですが、絵画でも何でも一緒。写真でもそのとおりですよ。あなたたち写真だからというふうに考えてもらっちゃ困るんですよ。写真でも、この写真を撮る作者は精根尽くして、そしてずっとながめて、そしてレンズを通してこの風景をながめて、そうしてここぞと思うときにシャッターをぱっと切るわけですよ。これは芸術ですよ。決してあやふやでやっている問題じゃないですよ。そうしてこういう美しい写真ができる。そこへもってきて、どかんと古タイヤか何か知らぬが、タイヤを持ってきて、これは写真を本当に汚すものだと思うんですよ。そういうことが著作権法に触れないというようなことでこれから堂々とやられたら、写真だけじゃなしに、絵画、音楽、あらゆる面にそういうことが、同じような状態が持ち込まれたら、これはとってもやり切れないです。だから、行政官としてももう少しはっきりとした見解を述べてもいいじゃないかと、永井文部大臣ならばそのぐらいのことをやってもらってもいいんじゃないかとぼくは思うんですがね、永井さん。こういうことはやるべきではないというぐらいの意見を述べてもらってもいいじゃないかと思うんですけれども
  187. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) いま私がちょっと失礼いたしました間に討論があったようですが、当然、文部省といいますか、文化庁でいろいろなそういうものについて見解を述べてしかるべきものと思います。たまたま、ただそれは裁判の係争中のときにどうするかというともう一つの原則の問題が出てくるということでございますから、そうでないケースの場合には当然文部省文化庁の意見というものを表明すべきものと思います。
  188. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そういう指導的な立場に立って、こういうことの不祥なことの起こらぬようにこれからやっていっていただきたい、よろしゅうございますね。それじゃそういうふうに今後頼みますよ。  それでコピーの問題いきましょう。  コピー問題に関しまして著作権審議会の報告が出されておりますね。この報告に関していろいろな声が上がっておるわけです。たとえば一々著作権料を払うのはめんどうだ、第一どこへ連絡していいかわからないなどから、研究者からは、一人で細々と研究している者にとっては大学の図書館をも利用できず、一般の書店では入手しにくい学術論文、絶版のものなどの場合、困ったことになる、こういう声が上がっています。で、データ類などの資料をコピーする場合は一体どうなのか、コピー料払わなきゃればならぬのか、どうなのかということなどの、そういう不安が利用者の側にあるわけですよ。これに対して文化庁はどういうふうにお考えになりますか。どうしようと思っていますか。
  189. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) ただいま御指摘のような問題があるわけでございまして、先般の著作権審議会の第四小委員会の答申もそのことに触れておるわけでございますが、ただ、この答申は今後の、つまり最終的な結論を述べたものではございませんで、中間的な議論の整理をいたしたものでございます。したがいまして、結論的にはその報告の中にも述べておりますように、著作権者や出版者による権利の集中的な処理方式考えるというような提案もあるわけでございまして、それを具体的にどういう形でまとめ上げていくかということは、すべて今後の課題になっておるわけでございます。したがいまして、私どもはそういう方向でさらに具体的な検討を進めたいということでございます。  それから、学者が私的な範囲におきまして論文のコピーを一部とるというようなことは、これは現行法でも認められておるわけでございますので、研究上大きな支障があるというふうには考えられないわけでございます。むしろいわゆるコピー屋とか、あるいはそういうことを大量に業務のために使用する、そういうコピーを規制しなければならないということでございまして、ただいま先生が御指摘になりましたような絶版になった書物あるいは専門書の一部を研究者がその利用のためにコピーをするという、そこまでの規制はこれは考えていないわけでございます。
  190. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 これはいま新聞にもたびたび報道されておりますが、非常にむずかしい問題で、実は著作権法ができたときに、こういうリコピーというような、こういうことを私たち考えることができなかったんですね、そのときなかったために。そのためにこれに対するわれわれの意見というものはあの法律の中には反映されていないわけなんですね。それでいま無法状態、使い得といいますか、もうそういう状態になっているんですね。それで私は著作権者の一人なんですね、音楽のですが。ですから、その著作権者の、著作権保有者の財産権、人格権を守らなきゃならぬという気持ちが非常に強くあるわけなんです。しかし、学究ですね、研究者などの声を聞くと、そうかといってその権利者の権利ばかり要求して、仮にまあ一冊買うと何千円とするような本、絶版の本があると、それを買うことは大変だし、金もかかれば買うこともできないというようなときに、図書館へ行って仮に一ページでも二ページでもその部分を、あるいは十ページなりコピーをして帰るということは、これは本当にまあ研究者には許されなきゃならぬ問題だと思うんですね。しかしそれじゃあ、その本をつくった人は、それでは本が売れなくなってしまうじゃないか、というまた別の角度からの問題が出ますね。これをどういうふうに調整するかということば非常にむずかしいことだと思うんですよ。これは行政官のあなた方が何かいい考えを出して、著作権者も利用者も両方が恵まれるような、両方が利益するような方法を考えていただきたい、こういうふうに私は思うんですがね。いまその作業にかかっていらっしゃるんですか、何かそういうめどがあるならばちょっとここで参考までに述べておいていただきたいと思うんですね。
  191. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 御指摘のように、このコピーの問題は大変むずかしい問題でございまして、特に学者が専門書を利用するというようなケースは、これは一般的にはないわけでございますけれども、しかし学者の立場から申しますと、学者は被害を受けると同時に加害をすることも非常に多いわけでございます。つまり、自分の物を使われますけれども、人の物もその方が使うというケースが非常に多いわけでございまして、そういう実態からしてその権利、つまり著作権というのはやはりその著作権者が権利主張をする、あくまでもその権利を主張するというところが出発点でなければならないわけでございますが、学者の場合は、つまり被害者が同時に加害者であるという立場にもありますために、権利主張が実際問題としてなかなか強く出てまいらないという実態がございます。  それからもう一つは諸外国の場合は、著作権が出版社に移転をしておるということがかなり多いようでございます。恐らく音楽著作権の場合もそうであろうと思いますが、日本の場合は、学者なりあるいは作曲家の個々の方が権利を留保されておるというケースが多いわけでございまして、何と申しますか、その著作権の利用に関する実態あるいは慣行というものが国によって非常に違うわけでございます。日本の場合は、いま申し上げましたように、個々の著作者が権利を留保しておる、しかも、その権利を留保しておる著作者が権利主張をなかなかなさらない、あるいはしょうと思っても実際上きわめて困難であるというような状況がわが国の実態でございます。そういうむずかしさが一つと、それから国際的に考えましても、この問題につきましてこれがもちろん最も有効であるという結論を出しておる国はいまだないわけでございまして、各国とも問題を模索をしておるという状況でございます。そういう状況でございますので、私どもも、そういう実態並びに国際的な状況を踏まえてさらに今後具体的に検討をしたいということでございまして、ただいま具体的に申し上げるような材料はまだ持ち合わせていないということでございます。ただ方向といたしましては、さっき申し上げましたように、集中的な処理方式というものを考えていかなければなるまいと思いますけれども、ただ、その著作権保有の状況が日本の場合には非常に特殊な形でございますので、それも言うべくしてそう簡単なことではないようにも思います。
  192. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 音楽の方でちょっと例を挙げますと、まあ、われわれ作曲しますね。そうすると楽譜出版社へ持っていくわけですね。それで楽譜出版社がそれを出版するんですね。それで向こうで値をつけて、そしてこちらが印税をもらうわけですね。反面、これがリコピーでどんどんやれていくと、一冊買うよりも、自分が歌いたい曲が十曲なり二十曲ある中に一曲あると、その場合、買うよりもリコピー撮った方が簡単だというんで声楽家はこれをリコピー撮る場合が起こってきますね。それで、その声楽家が、公衆の前で有料の音楽会で歌ってくれれば作曲家は今度は著作権料というものが、使用料というものが入るわけですね。これは金額の上で言ったら印税よりはこの方が多額に入るわけですね。だから、そういう面が音楽の場合はあるわけですね。しかし、本屋さんの方でいくと、自分がせっかく投資して出版した本が売れなくなってしまう、それでは。それは困るという声も出てくるんですね。声楽家の方じゃ一曲歌うために、その曲が欲しいために何千円という金をかけて買うてくるということもばからしいという気持ちも起こる。その間をどういうふうに処理したらいいものかということ。まあ、私もまた結論が実はないんですね、どうしたらいいかということは。だから、この席上で問題提起をして、それで行政府のあなたたちといろいろ検討していい方法を考えようじゃないかと。西独のことは、あなたいまちょっと触れたんだろうと思うんですよ、集中的な権利をどうのこうのというのは。そういうことも考えなきゃならぬと思うんですが——集中処理機構というものを提唱しておりますね。しかし、この団体の設立を一体どうするのかということもこれもはなはだやっかいな問題になってくるんですね。使用料の定価や配分を一体どうするのか。これは、NHKなんかで演奏をする場合、音楽などは音楽著作権協会が全部構えて、それをいろいろ金も取りに行けば配分もするということになっていますけれども、このリコピーの場合はどうするかということ。非常に、コインを入れるというと簡単にリコピーできるような機械が町じゅうにあふれているでしょう。あれ捕捉することがなかなかむずかしいだろうと思うんですね。これはどういうふうにやるかということは今後の検討の問題だと私思うんですが、ほっとくわけにはいかぬ問題だと、こういうふうに思っています。だから、大いに検討して早く結論をこれも出してみんなが利益するようにひとつ考えていっていただきたいと思うんです。これは注文です。  それから、コピーと同様ビデオテープの録音、録画ですね、これは機械がだんだん発達して普及も目覚ましい普及をいましておるわけですが、それに伴ってくる問題といたしまして、演奏家の権利をどう保護していくかという問題が起こってくるんですよね。第九十五条にはレコードの二次使用問題が定められておりますが、実演家に二次使用料を請求する権利が認められているのはどういう趣旨なのか、こういう点ですね、これはどういうふうに理解していらっしゃいますか。
  193. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) 商業用レコードの二次使用料の関係でございますけれども、この点につきましては著作権法に第九十五条に規定がございます。この九十五条におきまして、放送事業者並びに音楽有線放送事業者が商業用レコードを利用いたしまして、これを放送または音楽有線放送に利用した場合には一定の二次使用料を実演家に支払うという義務を課しております。  それで、この規定の趣旨といたしましては、第一番目に、元来この商業用レコードと申しますのは、各個人が市販のレコードを売っております店に行きまして、それを買って持って帰って個人的に楽しむということを想定してでき上がっております。そういうものを、本来個人的に使うことを想定してつくられましたレコードを放送事業者あるいは有線放送事業者が大量に使用する、しかもそれによって収益を上げるというようなことがございますと、これは本来予想しておりました通常の使用範囲を越える。したがいまして、その通常の使用範囲を越えて上げた収益につきまして一定のお金を実演家に払うという考え方でございます。  それから第二番目に、放送または有線放送事業によりまして——本来こういう放送や音楽有線放送におきましてそのレコードの利用がなければ、あるいは実際に演奏する機会があったかもしれない、そういう場合に、こういった放送や音楽有線放送によりまして実演の機会が奪われる。そういう奪われた機会に基づきます経済的な損失をカバーする、こういう点が第二番目の趣旨でございます。  以上の大体二点の趣旨で九十五条という規定ができ上がっているわけでございます。
  194. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 この演奏家のレコードの二次使用の問題、これの金の払い方も非常にぼくは足らぬと思っておりますよ。例を挙げますと、日本では五十年度で五千七百五十万円しか払われてないのですね。しかし、西独では十六億七千万円払われておるわけですね。だからその使用料は非常に低いということですね。だからこの点演奏家は非常に不満を持っているのです。  特に、こういう場合が起こるのですね。この間、浅草の松竹国際劇場で起こった問題ですが、ボックスで生の演奏をやると金がかかるというようなことで、松竹はオーケストラをテープに吹き込みまして、それで生演奏をやめてしまって、舞台でテープの音楽を流して、それで歌わしたり踊らしたりしたことがあるんですね。それでその間ストライキが起こりまして、演奏家は自分たちおっぽり出されることになりますから、それが認められれば。それで問題を起こしたことがあります。これはかつて宝塚でも起こったことがあるのです、私の在職中に。そのときも私たちは争いまして、やめさしました。というのは、これを芸術上から言ったら、非常にむちゃなことをやるわけです。舞台で歌ったり踊ったりする人たちは毎日毎日生理的現象が違ってくるわけですね。ところが、こっちの方は機械でしょう、テープで流すので。同じテンポで同じ条件でずうっといくわけです。舞台の方の上の人は、俳優は生理的現象によって違ってくるわけです。それをお構いなしにやる。コンダクターというものは、その踊り子の足なり顔を見て、そしてそれにちゃんと合わしてやるのが、これがコンダクターの任務なんです。責任なんですね。ところがそれを抜きにしちゃうから、とっても歌いにくい、踊りにくいという結果が起こるに決まっているのです。見ている人も不満になってくるわけですね。そこでこれは中止になりましたけれども、こういうことがこれからも起こると思うのです。その場合に、そういうテープやレコードを使っても、その演奏料を演奏した人に払うという、これをはっきりさしておかないと、私は商業主義、もうけ主義だけでいくというとそういう結果が生まれてくる。これもこれからの私は一つの問題だと思うのです。  そこで、音楽著作権協会におきましては、こういうことを演奏家の有利に解決するように、作曲家の有利になるようにというのでブランケット方式というものをいま要求していますよ。ところがなかなか、放送局は放送局で、こっちの放送局は承認しても、一つの放送局が言うこと聞かぬ。きのうも著作権協会の酒井理事長が私に電話をかけてきて、これは困ったことです、放送局は大体話はまとまっているが、一つだけ首を振らぬ、イエスを言わぬ、そのためにこれがどんどんおくれてますと、こういう意見が述べられておりました。だから、これもブランケット方式を促進するように文化庁として努力すべきだと私は思うのですが、どうですかその点は。これは生活問題ですよ。
  195. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 音楽著作物の放送使用につきまして、いわゆるブランケットライセンス方式をとるということは、これは原則的には権利者、使用者間におきまして了解がついておることでございますし、また私どももその方向が適当だというふうに考えておりますが、ただ、具体的にどういう額、あるいは比率にするかということになりますと、これは権利者と使用者の間で具体的に話がまとまらないわけでございます。これは先ほど来申し上げておりますように、これはいわば民事上の交渉事項でございますから、まず当事者でお話し合いを詰めていただくということが原則でございますので、それがどうしても納得のできる結果が出ないという場合に、文化庁があっせんに出る、こういうことでございまして、現段階は当事者間においてお話し合いを詰めていただておるという段階でございます。
  196. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それじゃ、その問題は文化庁の方に、当事者どちらかが文化庁の方にどうも話がむずかしいから、ひとつ話し合いに入ってください、と言っていけばあなたたちが応じると、こういうことですね。酒井君はそういうことを言ってましたよ。われわれは早く結論を出して、それで向こうが、先方が要求のまなかったら、文化庁に持っていこうと思ってますと、こういうことでした。その場合はひとつあなたたち努力してもらいたいということが一つ。  それからもう一つ、これは最後になるんですが、写真の使用料ですね、教科書に対する。その使用料は、文学や音楽を使う場合と比べると、写真の使用料が非常に安いということが、これは写真家協会の方から私のところへ来ているわけです。普通の音楽や文学の方は、文学は当初の六倍になっておる、それから音楽は四・五倍になっておる。ところが、写真の場合は当初の一・五倍にしかなってない、こういう差別待遇があるということですね。だから、これもひとつ考えてもらいたいというのが写真家協会の方からの意見です。この点もどうぞひとつ検討していただきたい。  それから最後に、コンピューターのプログラムの著作は著作権なのか特許権なのか、どうです。
  197. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) コンピューターのプログラムにつきましては、これはそのプログラムが創作性のあるものであれば、これは著作権法上の著作物に該当しまして、したがいまして、一定の範囲内におきまして著作権法によって保護を受けることができます。  それから、特許の関係でございますけれども、これも特許法の規定によりまして、むずかしい条件はあろうかと思いますけれども、その条件に合致すれば特許権による保護を受けることも可能であるというふうに考えられております。
  198. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 わかりました。それじゃ、昨年一年の著作権料は払いましたか、コンピューター使用に対する。
  199. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) 文化庁におきましては、そういう点に関しまする資料は持っておりませんので、そういった点に関しまする数字につきまして、いまここでお答え申し上げることはできません。
  200. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 即答できなければ、きょうはいいですが、昨年一年間でどの会社にどれだけの著作権料を払ったかということを報告してください。——できますか。
  201. 小山忠男

    説明員(小山忠男君) 関係方面に照会をいたしまして、可能な範囲で資料をつくりたいというふうに考えております。
  202. 有田一寿

    ○有田一寿君 最初に、文化政策について二点ほど提案させていただいて、それに付随して質問さしていただきたいと思いますが、一つは、学校建築を含む公共建築物を新たに設置する場合に、でき得べくんば芸術作品あるいは文化財等を必ずそこに設置する、もしくは展示するというようなことができれば、一般の芸術的な関心を高めたり文化財に対する認識を深める上に大変いいのではないかというのが提案でございます。もちろん、これはフランスだけがやっておるわけで、しかもフランスの場合は予算の一%だけでございますから、大した金額ではないけれども、これもしかし、アンドレ・マルローが文化相のときに法制化して、現今行われておるわけで、あの芸術的にはずいぶんと進んでおるフランスでさえ、あるいはフランスだからかもわかりませんが、そういう配慮をしている。したがって、日本でそういうことを考え、実行することが必要ではないのかと思うわけですが、これに関しては永井文部大臣あるいは文化庁長官でも結構ですが、どういうふうにお考えでしょうか。
  203. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 御質問の御趣旨につきましては、私ども大変傾聴すべき御意見だと受けとめております。ただ、これを具体化するということになりますと、建設省が所管をいたしておりまする建築基準の問題でございますとか、あるいはそれだけ美術的、芸術的な面にお金をかけるということでございますから、財政当局にもいろいろ御意見があろうかと思いますが、まあ、広い意味で建築も文化の中でございますし、芸術院会員の中には建築家もいらっしゃるわけでございますので、そういう点から考えまして、非常に傾聴すべき御意見だと考えます。
  204. 有田一寿

    ○有田一寿君 フランスでも法制化されておるのは学校建築物だけでありまして、でき得べくんば公共建築物にもこれを及ぼしたいということで、若干及び始めておるというふうに私は承知しております。もちろん予算のこと等ありましょうが、それに付随して予算のことをお聞きしますが、大学あるいはその他の学校の新しく建てる予算、この一%ということなんですが、その予算は幾らになっておりましょうか、たとえば今度の予算で結構ですが。
  205. 犬丸直

    政府委員(犬丸直君) 公立文教施設の今年度の予算総額は二千五百六十五億でございます、公立文教の施設だけで。そのほかに国立文教施設は千数百億だったと——いまちょっと数字を持っておりませんが。
  206. 有田一寿

    ○有田一寿君 わかりましたが、いまの犬丸局長の数字の中には公民館等も入っておるんでしょう。
  207. 犬丸直

    政府委員(犬丸直君) いまの公立文教施設の中には公民館等は入っておりません、学校だけでございます。ただし、これは補助金でございますから、二分の一あるいは三分の二の補助で出てまいりますから、実際に使われますのはこれの二倍になりますか、県の負担する部分がございます。
  208. 有田一寿

    ○有田一寿君 まあ五千億としても五十億ですね、一%ですから。いろいろ難点はあると思いますが、これは建設省にも伺ってみたんですが、建設省関係では別に難点はないと。ただ、あるとすれば大蔵省の予算の関係であろうと私は思うわけであります。まあしかし、こうやってフランス等で現実にそれを義務づけてやってるわけでございます。それで、書画、絵画、彫刻、彫像、あるいは五重の塔のミニチュアだとか、そういうもの等はやはり美術館に行けば見れるわけですけれども、それが学校建築あるいはでき得べくんば公共の建築物のしかるべき天井もしくはホールにそれが設置されるということであると、平素いろいろ親しむこともでき、認識を深めるわけでありますので、民間の建物にまでこれを及ぼせというわけではなく、でき得べくんば、まず学校建築から始めることができれば大変いいのではないか。ただ、難点が幾つかあるとは思いますが、現にフランス等でこれやっておるわけですから、フランスに行っていろんな面をひとつ検討していただけば、日本でもこれができる可能性はあるのではないかというふうに考えますが、その姿勢だけ伺っておきたいと思うんです。
  209. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 実は最近、アメリカの二百年記念の絵の展示が行われておりますが、それにも行ったんですが、私、非常に感銘いたしましたのは、各大学の美術館からの絵が非常に多いということです。それに参りますまで自覚をしておりませんでしたんですが、やはりずいぶん大学が美術館を持っているということでございます。で、いま有田議員の御指摘になったフランスの例でございますが、やはりそういう方向というものを目指してわが国もだんだん変わっていくように努力をいたすべきことであると考えます。まあ、それを事実実現いたしますにはいろいろ問題があろうと思いますが、方向として全くそうでなければならないと考えております。
  210. 有田一寿

    ○有田一寿君 いまのことは一つの提案でございますから、それで終わります。願わくはそういう方向に徐々に歩み出せたらいいなあという願いを添えまして終わります。  次に、やはり文化関係のことにこれもなりますが、いまたとえば、アメリカに日本の音楽家、舞踊家等が行って向こうで演奏する、これはもちろん有料で演奏するという場合にはユニオンに臨時加盟した形で臨時会費を必ず取られる。ところが、向こうの演奏家あるいは舞踊家が日本に来てかせいで帰るという場合には、そういうことはない。もちろん、聞くところによると、税金では、日本の演奏家の場合一〇%の源泉を取られるところを向こうは二〇%だということ、ただ、一〇%だけよけい取っているといいますけれども、それは国に入るものでありまして、私は、日本でもアメリカに行った場合そうやられておるのなら、日本もユニオンがここに一応できさえすれば、向こうから来た者には同様にフィフティ・フィフティでこれを取ることができる。そうして、それを養老年金だとかアーチスト会館だとか、そういうもので有効に使うことができるのではないか。だから、若干片手落ちではないかという気持ちがするわけです。これについてお伺いをしたいと思います。
  211. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) お尋ねの点は、芸術文化に非常に深い関係のある事柄でございますが、一方労働契約あるいは労働慣行という面からも非常に大きな問題を含んでいるように思います。したがいまして、結論的には私どもといたしましては十分検討をしてみたいということでございますが、諸外国におきましてもただいま有田先生が御指摘のような実際の扱いというものは必ずしも法律制度に基づいてそうなっておるということではないようでございまして、労働組合が非常に強いとか、あるいは劇場との労働契約の中にそういう事項が織り込まれておるとか、いろんな労働慣行がその実態としてあるようでございます。また、ユニオンに加盟をいたしまして入会金等を支払うわけでございますが、しかし、公演中に、たとえば、けがをしたとか、楽器が破損したとかいう場合には、またそのユニオンがそれを補償してくれるというような点もあるようでございます。でございますから、日本でそういう慣行を確立するということになりますと、まず実演家のユニオンをどういう形で結成をするか、あるいは劇場その他がこれにどう対応するかということもございますし、また仮に日本でそういうユニオンが結成されました場合に、果たして事故等が起こった場合に、それを補償するだけの力を持ち得るかどうかというような点も問題点としてあろうかと思いますが、ただ、外国と日本の間にそういう慣行上大きな開きがあるということは御指摘のとおり一つの問題であるというふうに考えますので、労働省あるいは実演家の団体あるいは劇場の関係者、そういう方々の意見も聞きながら十分検討さしていただきたいというふうに考えます。
  212. 有田一寿

    ○有田一寿君 いまので結構でございまして、これは別に行政官庁が直接手を下すべき問題ではありません。したがって、いま演奏家協会もしくは演奏家連盟等、それぞれ幾つかの団体がありますが、願わくはアドバイスでも与えて一つのユニオンというようなものがここでその人たちの手によってできれば、それが完全無欠なユニオンでなくてもアメリカに対してやはり日本のこれがユニオンであるということになれば、これに臨時加盟した形で会費でも払わなければ、かせぎほうだいにかせいで帰るということはできないということになるし、現にアメリカではそれをやっているわけですから。それは向こうの労働組合は職能別組合というようなことでユニオンも小さく、照明係だ、小道具係だ、みんなそれぞれ幾つもありますから、ちょっと労働風土というか慣行が違うことはよくわかりますけれども、現に片手落ちで、向こうに行ったときはみんな取られておるという厳然たる事実はあるわけでありまして、やはり急速にはむずかしいにしても、逐次これは五分五分の姿に直していく問題ではなかろうかと思いますので、おっしゃいましたようにひとつ労働省の方とも連絡をとっていただいて徐々にそういうふうな方向に句かうようにお考えを願えたらと思います。それは結構でございますので、これも私の要望として以上申し添えさしていただきます。  それから次に、これは義務教育段階の徳育の問題についてお尋ねをいたします。  全体主義国においては強大な権力を持っておるわけですから、学校出て社会に出た上でもそれぞれの国民の行動を規制することはできまずから、無理に小学校のときから一つ道徳教育を行う必要はないと私は思うのですが、それでさえソ連、中国では大変な徳育を行っている。自由主義国の場合はさらにさらにそれ以上に私は必要ではないかという感じを持っているわけでございまして、ソ連と中国における生徒守則というものを、これは一昨年でしたか国立教育研究所に頼んでそれぞれ訳しておったものはもらい、また訳してもらったわけでございますが、これを私もずっと読んでみていろいろ考えさせられたわけです。たとえばソ連の生徒守則、小学校一年から三年までのもの、これはたくさんありますけれども、二、三言ってみますと、「熱心に勉強しなさい。注意深く先生説明をきき、先生から与えられた課題は、一生懸命一人でやりとげ、授業中は立派に振舞いましょう。授業におくれてはいけません。」、「学校その他の公共財産、自分のもの、友達のものを大切にしましよう。植物や動物を保護しましょう。」、「日課を守りましょう。自由時間を有効に使いましょう。」それからまた「先生その他の学校の労働者、知人、友だちと会ったら挨拶しましょう。年寄りに道と席をゆずりましょう。道路交通規則を守りましょう。」それから次に「父母、兄姉のいうことをきき、家事を手伝いましょう。友達と仲よくし、小さな子どもの面倒をみましょう。」等九項目までこれはあるわけでございます。  それから中国における徳育、これも「五愛」、五つの愛がありますが、「祖国を愛し」、「人民を愛し」、「労働を愛し」、「科学を愛し」、「公共財産を愛護する」ということであります。そして小学生守則、これには似たようなことが書いてありますが、たとえば、「校長、教師を尊敬すること。授業のはじめと終わりには教師に礼をすること。校外で校長や教師に遇ったら、礼をすること。」、「友達と友愛団結し、互いに助け合うこと。」、「登校・下校のときに道草をくわない。危険の発生を防ぐこと。」。それから、「父母を敬愛すること。兄弟姉妹はいつくしみ合うこと。自分でできることは自分でして、父母の手助けをすること。」、「老人を尊敬すること。老人・子供・病人・行動困難な人に対しては、道を譲り、坐を譲り、できる限りの援助をすること。」。それから、次に、「他人に対しては礼儀正しくすること。他人を罵らない、喧嘩しないこと。公共の場所でさわがないこと。他人、の仕事、学習、睡眠を妨げないこと。」等、言えば切りがありませんが、そういうことで、いずれも小学校、中学校の徳育というものには大変な力を注いでおるということでございます。  で、日本では道徳教育といえばえてして軍国主義につながるということで道徳教育を排除しようといたしますが、これは共産主義国家であれ、あるいは右翼の国家であれ、あるいは自由主義国家であれ、いずれであっても、その以前に人間が共同体で生活しながら生きている限り必要な最低のモラル・ミニマムと申しますか、必要なエチケット、ルールというものがあると思うんです。したがって、その最低のルール、エチケットを小学校、中学校のときに教育することにおいては何ら遠慮することはない。その点はずいぶん私は欠けておるように思うわけでございまして、道徳教育といえば現場では排除されますけれども、それは道徳教育が余りに縦のみを強調するからついそういうふうになるわけでございまして、いまここで読み上げたような、これをこのまま日本に持ってきて、生徒守則として私はこれを使うようにしても私はいい、新たにつくらなくてもいいとさえ思うぐらいでございます。どうかひとつこの点に関して私もいろいろいままで道徳教育をやってこられた文部省のスケジュール等も承知しておりますけれども、結局は、わりに効果がないという実感でございます。ここら辺についてはどういうふうにお考えでしょうか。私は、この程度の生徒守則ならば法律で決めても私はいいんじゃないかとさえ思うんです。それは決めないでできればなおよろしいと思いますが、決めてもいいんじゃないかと。何もかもいま遠慮していますけれども、ちょっと遠慮が過ぎるのではないかという実感ですがいかがでしょうか。
  213. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私、実は中国のは前にちょっと読んだことがあるんですが、いまソ連のを読んでいただきまして非常にもっともであることが多いと思います。ただ、わが国の指導要領もひとつ各党の方お集まりのところで読ましていただきますが、わりに似ていることが実は書かれているわけでございます。有田委員御存じでしょうが、ほかの方々のためにも、また私自身のためにも読ましていただきますと、中学校の学習指導要領、「道徳」の内容でございますが、まず一は「生命を尊び、心身の健康の増進を図り、節度と調和のある生活をすることに努める。」。で、そこで、さらにそれを細かく分けまして、「自他の生命を尊重し、身体の健康とともに、精神の健康を図ること。」。さらに、「一時の衝動や卑俗な欲望に負けず、つとめて自制して堅実な生活を築いていこうとすること。」等々、読んでまいります。「身のまわりの整理整とんに意を用い、ものごとをきまりよく合理的に処理していくこと。」。こういうことが書かれておりまして、これは項目数で申しますと十三項目に分かれ、十三項目の中がまた細かく分かれて書かれているわけでございます。  問題は、要するに、そういう意味で人間が生きていく上でおっしゃいますようにミニマムな内容、道徳内容というものがなければ社会生活は成立しないわけでございますから、こうしたことは当然学校で教えていかなければならないわけであると私は考えております。で、これは、この点、今度の教育課程審議会の審議のまとめも強調しているところでございます。問題は、御指摘のように、どうもそこまで書いてあっても、遠慮がちというか、そういうことで徹底していないんではないかということがやはりあろうかと思います。私の見ますところでは、これは外国人もわりに認めるようですが、アメリカ合衆国の小中生に比べますとわが国の小中生の方が決まりを守っている。これは一般的にそういうふうに言われるというのでありますから、大変絶望的ということもないように思います。やはり、日本の場合に、学校で積極的にこれを教えるということが第一でございますが、他方、大事なことは子供にとって模範だと思うんです。ところが、社会生活の方にこうした道徳に反するようなことが横行しておりましたり、大人の生活がそれに反しているというようなことになりますと、何か子供にとって非常に偽善的に感じるということもやはりあろうかと思います。ですから、私は、子供に対して堂々とこういうことを教えると同時に、やはり文部省などであるいは社会全体の方と協力していかなければいけないことは社会教育という分野、これにおいても、やはりいろいろな決まりというものが守られていくということがありませんと、道徳的な教育というものはなかなか徹底しにくい。ほかにも問題はあろうかと思いますが、そのあたりに今日の日本道徳教育のむずかしさがあるように考えております。
  214. 有田一寿

    ○有田一寿君 わかりました。  民社党の中沢委員が、いままで長い間、社会環境の教育的整備ということを言い続けてこられたわけでございますが、わりに、いま大臣がおっしゃいましたように、教育を守り育てるよりも、むしろ教育を破壊するような環境の方が多いということで、やはり社会一般が黒いときに教育だけ白くなれと言ってもむずかしいことだと思います。したがって、いまおっしゃいましたように、これはすべての分野で同時発足するようなつもりでやらなければ、まあ鶏と卵のようなことで、どれが先だ、どれが後だという仕分けはできないだろうという気持ちでございます。いまの御答弁で結構でございます。  次に、高等学校の問題、これは小巻委員からも、中沢委員からも質疑があっておりましたから、もうダブることは私申し上げません。高等学校の問題は、現在、高校入学選抜は能力ある者を入学させるというたてまえで行われております。しかし、実態は希望した者の約九八%は入学していると思います。ただ、同世代人口の九二%が入っているということであります。全入かあるいは制限的な歯どめかということはずいぶん議論されておりますが、中学卒業の段階で社会に出るという意識がほとんどないわが国の社会情勢のもとでは全入の方向に進まざるを得ないのではないかという感じがいたします。昭和五十五年にどの程度の進学率になるだろうかということで、これはある調査ですけれども全国平均で九六・一%。県別で二、三挙げてみますと、多いのは香川県九八・八%、東京が九七・四%、長野が九八・三%。低い方で言ってみると岩手の九三・七%、沖繩の九四・五%というところぐらいであろう。これはもちろん五十五年の、いまからの推測計数ですから、若干の統計のとり方で差はありましょう。しかし大方こういうようなところであろうと思います。しからば昭和六十年にはどうなるだろうかということであります。現在四百三十五万ぐらいが高校生だと思いますが、六十年にはまあ五百二十万から五百四十万の数字であろうと。文部省でつくられた数字は、たしか五百四十万になっておったと思います。しかし、あれは各府県から報告さしてつくった数字ですから、若干割り引きしてもいい。しかし、それにして、これが果たして何%になるだろうか、五十五年の九六・一に比べてもちろん下がることはない、上がっているんじゃないかと思うんですよ。それをちょっと後で、管理局長で結構ですがお聞きしますが、さらに昭和七十年、いまから約二十年後の七十年にはどの程度になるであろうかという、これは全くの腰だめの数字になるかもわかりませんが、これをひとつお聞きしたいということ。  で、先ほど義務教育のことについての質疑に対して、文部大臣ばちょっと高校義務制ということは、それはちょっと考えられないというような意味の御答弁があってたようですが、私はそれもちょっとおかしいと思うんです。この昭和二十二年二月に出ました、学校教育局長が知事あてに出した通達があります。これは新しい学校制度をつくるに当たっての通達なんですが、この中にこう書いてあります。「高等学校は、中学校修了後更に学校教育を継続しようとする者を全部収容することを理想とする。」、「高等学校は、希望する者全部を収容するに足るように将来拡充して行くべきであり、その計画は、高等学校において修学を希望する者の数を調査する等合理的な基礎の上に立って行われるべきものである。希望者全部の入学できることが理想であるから、都道府県及び市町村等は高等学校の設置に対して努力してほしい。また、高等学校の設置は官立・公立・私立のいずれの場合もある。」そして最後にこう書いてありますね。「高等学校は義務制ではないが、将来は授業料を徴集せず、無償とすることが望ましい。」と書いてある。ただこのころの進学率はたしか四〇%ぐらいではなかったかと思いますから、これほど高度成長を経過して今日のように九二%になるということは、この段階では予想しなかったのかもわかりません。六〇%ぐらいを予想していたのかもわかりません。しかし、それはそれとして、現在もうここまできたわけですから、やはり全入を考えていくか、それともいや、歯どめをかけていくかと言えば、私はやっぱり全入の方向考えて諸施策をとっていくのでなければならないのではないかという感じがするわけです。それについてはどういうふうなお考えですか、先ほどの数字と一緒にお答えをいただきたいんです。
  215. 犬丸直

    政府委員(犬丸直君) 高校進学者の数字の推計でございますけれども、昭和六十年度まではいま有田先生のおっしゃいましたように、出生統計をもとにいたしまして、そして各県で推測いたしました数字があるわけでございます。  ちょっと念のため申し上げますと、私どもの推計では、現在五十年度で四百三十三万三千人でございますが、六十年度にはこれが五百四十八万三千人という一応の予測をしております。それで、その根拠には、出生統計に基づきましてその進学率を勘案するということでございます。進学率が御案内のとおり五十年度が九一・九%でございますが、これが逐次上昇して五十五年度には九五・七%でございます。それから先につきましては大体同じ率で、あと学年進行で伸びていくだろうと、そういう推計でございます。それで七十年度というお話でございますが、実はまだ腰だめという段階におきましても数字的なものを持っておりませんが、一つの要素として子供の生まれる率がどうなっていくだろうかという要素があろうかと思います。これは厚生省あたりの人口統計などでも将来の推計、現在の一家庭ごとの子供の率、これが同じに維持した場合、それからさらに上がる場合、下がる場合等いろいろな要素を考えて見ております。それから進学率につきましては九五・七%までいった段階で、これは二つの見方があろうと思います。だんだん一〇〇%に近づくに従って鈍化していくという考え方もありましょうし、あるいはもう高校へ行く者がごくマイノリティになってしまうということになりますと、もう全部入りたくなってくる、そこからまた急にむしろ上へ上がるんじゃないかという考え方もございます。それから高校教育というものに対する社会的な評価がどうなっていくかということで、むしろ高校へ行くよりは実務をつけた方がいい、あるいは各種学校、専修学校というようなものに行った方がいいという傾向——これは専修学校制度につきましては、これからまた私ども力を入れるつもりでございますけれども、むしろそちらの方へ行って、これがこのくらいでとまるかもしれない、いろいろな要素がございまして、実は腰だめという段階でもちょっと数字を持っておりませんが、いろんな可能性をこれから考えまして、予測をしてみたいと思っております。
  216. 有田一寿

    ○有田一寿君 各種学校に行く、専修学校に行く等、複線型の別なコースに行くということもありましょうが、それはそれとして教育を受けるということにおいては変わりはないということ、したがいまして率直に申し上げると、私は高校はまず全入を考える、それから無償、次に義務制という、こういう段階があろうと思うんです。したがって二十年後、七十年と言えば大体もう義務制六三三制もそこである程度見直され、改革されて一つ教育体系というものが樹立されているころではないかというふうにこれは私は思うわけなんですが、そこで、たとえば高校無償だとか義務制というと、えらいべらぼうな金がかかるように思われると思いますが、これは数字が違っておればこらえてください。私は、高校の教科書を無償にして全部やった場合幾らかかるかというと、百三十九億ぐらいですね、一年で。大したことないです。それから授業料を全部無料にした場合幾らだろうというと大体千二百億ですね。全部無償にしたとして千二百億。これは大きく狂わないと思うんです。五百万人として二千円を掛けていって、十二を掛ければその数字になります。で、もちろんそういう場合には特別学級をつくって、落ちこぼれる生徒を教育しなければなりませんから、教員定数の増がありましょう。その分を加味すればそれはもっと大きな数字になると思います。ただ、今度高校新増設で四十二億確保したわけですけれども、この四十二億の数字というものは、三分の一の補助です。しかも用地は別にして建物だけ。そうすると建物だけで百二十億は都道府県と一緒になってこれは出すわけですね。そうしてそれに対象にならないもの、県単でやっているものが大分あると思うんです。これをまずお聞きしたい。  それと、申し上げたいことだけ言っておきますと、この高校の生徒の数なんですが、なぜ私が義務制ということを申し上げるかという論拠なんです。これは振り返ってみますと、昭和四十年のこの第一次急増期、これは三十八年から四十年にかけての三年間ですが、これは一年に百八十万、それが五十年四百二十五万、五十五年これが四百七十二万、六十年五百十三万——これは固い数字を言っておりますから、先ほどで言えば五百四十八万という数字が出ました。六十八年は五百八十五万ということを推計した数字があるんです。しかし、これは根拠がないよと言われればそれまでですが、五百八十万、約六百万ですね。そうやってふえていきますが、四十年には五百七万人を収容した実績がすでにあるわけです。現在、いま四百三十四万とかおっしゃいましたね。ですから、まだ余っているわけです、現在高等学校の校舎は。それでいまは年平均八万人増ですね、だから急増ではない。それなのに大騒ぎをするというのは、これは昨年もここで議論になりましたが、東京あるいは中京、近畿、この三圏に集中して九つの都府県、これで五十八年までに高校生人口が二割から七割ふえる。五十五年までに四百数十校必要という数字が出ておりますが、そのうちの三分の二は全部この三圏に集中する。一校に六、七万平米の土地が必要だとすれば、これはもうまず絶対不可能だと私は思うんです。不可能だと思うんです、お金があっても。第一次急増期は年平均一四%の高度成長でありました。したがって公教育費の年平均一六%の伸びも国民所得に占める比率は〇.二五%の増加にしかすぎなかった。したがって公立高校の約百校増加したのに都道府県の行政費に占める教育費の比率はほとんど変わらなかった。ところが今度は違う。事業税、住民税の収入増で高度成長の恩恵に浴した大都市ほど税収の落ち込みが激しい。高校増設を賄うことはまずできないだろう。しかも、私学も一遍だまされたというか、第一次急増期に、いっぱいいっぱいつくって、その後空き家になった高校が大分現在ありますから、この失敗にこりて二度と乗らないだろう。したがって、私学の膨張を当てにすることもできない、こう思います。それとかてて加えて明治以来、これは大都市府県は富裕だった上に私学依存や学卒者が大都市に逆に流入してきました。今後は経済成長がなくてuターンが始まる、税収は伸びない、しかも高度成長期に流入した人口の子弟が、これがベビーブームの波と重なって高校に押し寄せますから、したがってここで根本的な対策をお聞きしたいんです。——ここで申し上げますから、これを批判していただきたい。  第一点高等学校の建物は四階から八階程度の高層建築物にするというのがまず一つ。  それから次は、過密地帯以外を選定する。これは寄宿舎制度と通学バスを加味する必要がある。  それから設置基準を改定をしてもらいたい。五人ぐらいの定員増を図っていく必要がある。余り理想的なことばかり言っておったら何もできないということ。  それから、私学の活用、これを本格的に考えていかなければ、私学では、空き家になりつつある私学ができている、有名私学は別ですけれども。そういう事情がある。  それから、各種学校、職業訓練施設の高校転換も考える必要があるかもわからない。  それから、二部制まではいま考えたくはありませんけれども、場合によっては考えなきゃならぬ。だから、これはどちらをとるか、二部制は教育的でないからいやだと言えば、進学率をある程度にとめて落としていくか、どちらをとるか。  それから、定時制、通信制課程をいまだめだからといってこれを捨てないということ。  以上そういうことが考えられるわけですが、これについて意見をお聞きしますが、ただ、四十二億を昨年大蔵省からもらったとき、その経緯から見て、大蔵財務当局としては、義務教育を文部当局が志向しているということであったらこの予算はつけない、先がこわいからと。しかしながら、完全に歯どめをかけていきますということを、全部文部大臣も示されたから、つい大蔵当局は乗ったわけですね。しかし乗った限りはすでに皮は破れたわけですから、今度は徹底的にこれを百億、二百億に伸ばしていかなければいけないだろうという、私はそういう感じがするわけでございます。そして最後には義務制に持っていく必要が必ずある。これはもういまのところ迷いに迷いですから、あちらからこう言われ、こちらからこう言われ、それかといって明確な答えはなかなか出ないというのが高等学校問題ではなかろうかというふうに私は思っております。先ほどの数字のことから、いまの高等学校全般に対する、どうやってこれを乗り切っていくかということをお示しをいただきたい。
  217. 犬丸直

    政府委員(犬丸直君) 初めに数字についてお答え申し上げます。  五十一年度、有田先生初め皆様方の大変なお骨折りによって初めて高校補助金がついたわけでございますが、四十億ばかりでございまして、その分につきましてはいま先生おっしゃいましたように約百十九億五千万円でございます。しかしながら、全体の地方で事業しております金額の総額を申し上げますと、五百六十九億一千七百万円でございます。それからただいまの補助の対象になりました分の百十九億五千万円を差し引きますと、残りの四百四十九億六千七百万円、これが県単独でやっている事業でございます。
  218. 有田一寿

    ○有田一寿君 いまの高等学校の問題ですが、これはもう語り尽くされたことのようでありながら、実際には毎年毎年父兄はみんな陳情してくる。これを制限をしていくという方針でいくのか、それとも全入でいくということでいくのか、ここの腹構えというものは私は大変大事だと思う。そう全入考えてみても現実には間に合いませんけれども、全入を考えるということになれば、また考え方に伴う諸施策というものがそこに出てくるだろう。ところが、高等学校の現在の教育は、ついていけない者もたくさんおるから徹底的に制限すべきだという議論が非常にいまやっぱり強い。私も一時そういう考えであったわけですけれども、しかし、九十数%まできておって、そして後をこれだけ落とす落とすと言っても、これはもう通用しないのではないか。そのことについて永井大臣の方の高等学校に対する考えをひとつお聞きをしておきたい。
  219. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 有田委員の御指摘の問題につきまして、高校について義務制それから全入制、希望する者を全部入れるようにする、の三つあると思います。現在その第三をとっているわけでございます。しかし、第三をとるといたしましても、先ほどから御指摘がございましたように、日本の三地域ですね、つまり東京並びにその周辺、それから中京地域、それから近畿と、ここに非常な高校の新増設が必要になってくるということは明らかな問題でございます。昨年度、先ほどから御指摘がありましたような御提案の中で、われわれが考えましたものも重なっていると思いますが申し上げますと、まず寄宿舎制度をつくってはどうかと、これについては実は知事の中から、革新系でございますけれども、大都市の知事の中から賛成の声も起こりました。しかし、具体化に至らなかった。それから高校が運動場、図書館等を利用する場合に、一つ高校が全部の施設を使うんではなくて、幾つかの高校が共同利用という政策も考えました。それから、先ほど管理局長から申し上げました各種学校が専修学校になっていく、これを、やはり高校と連携せしめるような学校体系にし得ないか、この問題も考えたわけでございます。御指摘の四階とか八階にする、このことは討議はいたしませんでしたが、しかし、大変やはり傾聴に値する御意見であると思います。そこで、私は今後に対処いたしてまいります上で必要なことは、この第三の立場をとるにしましても、つまり希望した人を入れる、それをとるにいたしましても、明らかにこの三つの地域においては大変な問題に直面することはもう明瞭でございますから、われわれとしては長期的な展望を持って具体的にこの問題をどう解決していくか、御提言のようなことをもう少し十分に詰めて、案の作成を急がなければならない、かように考えております。
  220. 有田一寿

    ○有田一寿君 これが最後になりますが、入試の問題、先ほど出ておりましたことなんですが、私の考えちょっと述べさせていただいて御批判をいただきたい。  入学試験には万能薬はない。ところが、今度の国大協の第一次共通学力テストその他によって入試はこうなるんだ、あるいはこうなるんだという幻想を余り抱かせ過ぎると大変なことになる。やはり入試というのは公平であるということ、それから偶然性が少ないということ等基本原則があるわけでして、問題がむずかしければまた偶然になりますが、やさし過ぎりゃまた偶然になる。いま十人のうち大学に四人入学している、六人が落ちているとすると、いま落ちる六人がいかにして上の四人と入れかわるか、食い込むかということを考えているわけですね。早う言うたらそういうことかとも思うんです。だから、いろいろ内申を重視するとか、そういう公平な手段は尽くしていきますが、いずれにしても、六人落ちるというのは現実の問題ですから、落ちる方が通ることはないわけでして、それがそうなったら世の中は大変不公平になる。したがって、努力をするけれども、ということで、私は、とめておかないと、いま新聞で、どんどん今度改善されてこうこうだということで、落ちる者が通るという幻想を抱いちゃ、大変なことだという感じが一つはするわけです。  それから、高校を義務制にすれば、これはまあ入学試験はなくなるわけです。そのときは学区制も厳しくなるから私は中学から高校に入るというそこのところはもう問題はなくなって、義務制ならもちろん問題はなくなってくる。  それで、高等学校の義務制の問題についてこういうことをいろいろ私は一案として考えておるんですが、これも御批判いただきたい。六・六・六・四・四という制度考えられる。これはずいぶんいろいろ案が出てます。出てますが、その二番目の六というのは三・三を一つにした六、したがって、三年中学段階でとりあえず修了証は出すからこれで義務教育は修了するわけですが、あと十数年後にはこれを義務教育に移す。そのときは全入ができているわけですから、移す。あとの一というのは大学にくっつくべきものですが、この一年というのは社会奉仕期間というものがそのうち六ヶ月だけ入る。あとの六ヶ月は足並みそろえて勉学できるための調整期間が六カ月入る。だから、これは入学試験で通った者についてそういうことをやるという案ですね。そしてあとの四は、いまの四ですが、小学校が六で中等学校が六で、高等専門学校というか、高等学校が四ないし五ですね、でいいんで、いまの大学院が大学になる。いまもう全部大学ですから、それこそ戦前の大学生の数といま大学の教授の数が同じだそうですけれども、そこまできているから、私は、一段階下げてもいいんじゃないか。ただし、これは大学の教授からずいぶん反対がありましょうから、恐らく実現はできないと思いますけれども、ものの考え方として入学試験を一つなくす、それから教科課程を六年間共通にすることによって非常に教育的には能率的になるということ、それから大学に入って勉学するためには、中国でいう下放のようなことになってはどうかと思いますけれども、それくらいのやはり勤労あるいは社会奉仕の期間があってしかるべきものではないかという感じがするわけでありまして、その中で高等学校制度というものはどうなるかということが考えられるべきで、ですから、十五年ないし二十年後を想定して、いや、義務制にはしないんだとかどうだとか、そういうことを言わずに、まず全入、無償義務制というこの方向だけは考えて、それを同時に六・三・三の学制改革と片目でにらみながら、やはり学校体系というものをつくり上げていく必要があるのではないかという意味で、高等学校制度一つのポイントになっているという感じがするわけであります。これは私の提案ですから、それに対しての御批判が多分あると思いますが、局長まで申し上げておったから恐らく批判があると思いますが、その批判だけお聞きして質問を終わります。
  221. 諸沢正道

    政府委員諸沢正道君) ただいまおっしゃったような案の、特に六・六の段階の問題ですけれども、確かに一つ考え方だろうと思うわけでございます。そして一貫教育という意味で非常にメリットがある面もございますけれども、ただ、私は中学一年から高校三年という年齢段階がかなり、個人の成長発達の過程でも多様化の一番するときだろうと思います。したがいまして、現在私立の中高等学校の一貫教育のように、ほぼ全校の子供の質と針路なりが決まって、同一方向にある場合はそれなりに非常に効果が上がる面もございますけれども、全般的に制度としておよそ中学と高等学校教育一つの施設でやるんだという場合には、それぞれの子供の能力、資質に対応したような教育内容の多様化ということをどういうふうに考えていくかという点について相当検討もし、準備をしてやらぬといかぬのじゃなかろうか、というような点がひとつ考えられると思います。
  222. 有田一寿

    ○有田一寿君 終わります。
  223. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) 木調査に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。
  224. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) この際、理事の補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い、本委員会の理事が一名欠員になっておりますので、ただいまから補欠選任を行いたいと思います。  理事の選任につきましては、先例により委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  225. 山崎竜男

    委員長山崎竜男君) 御異議ないと認めます。それでは理事に久保亘君を指名いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十六分散会