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参考人(
入沢恒君)
入沢でございます。
私、大学におりまして、専門は主に都市の土地利用計画に関する
都市計画の研究をいたしております。本日はそういった観点から、すなわち
都市計画の観点から居
住環境、この点に関しまして、本日の議題であります
日影によります
中高層建築物の
規制に関して若干の
参考意見を述べてみたいと考えております。
実は私、
昭和四十七年に
建築審議会
日照基準専門委員会がつくられまして、四十八年の八月には「
日照確保のための
建築規制基準についての中間報告」というのが
専門委員会で出されておりますが、その主査をいたしまして、私の
考え方はほぼその中に尽きておりますが、本日は若干私見を交えまして、その
考え方をさらに
説明したいと、こう考えております。
最初に、居
住環境、特に
日照が問題でありますが、この
日照を中心とした居
住環境、これと都市の土地利用計画の関係、これにつきまして若干述べてみたいと思います。
御承知のように、大都市は特に人口、企業が集中しまして、確かに居
住環境はだんだん悪化しておりますけれども、特にこの居
住環境の悪化という問題は土地の問題に非常に関連しております。緑がないとか、
日照が足りないとか言いますが、すべてこれは単に
中高層建築物だけでありませんで、むしろあいた土地がないと、こういった点でだんだんと自然
環境といいますか、自然的な
環境が悪化しているという現象でございます。そのために良好な市街地の
環境をつくる。特に
日照を中心とした
住環境、こういった点を考えますと、やはり建物の
周辺に空地を十分とる。そのための
建築規制、さらに土地利用の
規制、その点の強化は当然必要でございます。今日の都市におきます土地利用計画上の最大の問題は、いま申しましたように人口がどんどん増加する、それによりまして住宅の需要が増加する。さらに、住宅におきましても住宅水準、特に住宅の規模が拡大いたしますれば
建築の容積はだんだん増してまいります。これと
日照を含めました居
住環境との調和をどうするかという点が非常に大きな問題になっております。
このように考えてみますと、
日照にかかわります居
住環境と申しましても、実はこの
日照の量というのは有限でございます。無限のように考えますけれども、われわれの住んでおります地上に降り注ぎます
日照の量というのは土地の面積とイコールでございます。比例します。この点、
日照を一方では非常に要求する
住民の声が多いわけでありますが、一方ではなるべく限られました土地にたくさんの人が住みたい、住宅需要がふえますれば、どうしてもそこにバランスといいますか
調整が必要でございます。ただ、よく考えてみますと、平面的に考えますとそうでございますが、ここで建物を立体化して考えますと、
日照の量に建物の水直面といいますか、窓の面におきます
日照時間で考えますと、ある一定の
日照時間を確保する条件のもとにおきましては、建物を高層化すれば、すなわち戸数をふやせば、ある限度まで可能でございます。
ただ問題は、階数を三階にしましたからといって同じような
日照条件のもとでは戸数は三倍にふえない。階数の増加に対しましては戸数の増加率がだんだん逓減してまいります。そういった問題はございますけれども、ある程度建物を中高層化すれば、水平の土地に降り注ぎます
日照の量は、立体化によりまして、ある程度同じ条件を満足しながら住宅の戸数とか建物のボリュームをふやすということができます。結局のところ、
日照環境、この土地の面積とは非常に密接な関係がございまして、都市におきまして十分なる
日照条件を確保すると考えますと、根本的には大都市問題でよく言われますように、人口を抑制するかまたは住宅の建設を抑制するかと、それによりまして
過密化を防ぐということになりますけれども、これが過去の経緯から見ましても事実上むずかしい問題でございます。
それでは二番目に、建物を立体化しませんで平面的にどんどん市街地を拡大すればどうかという問題になりますけれども、これは御承知のように遠距離通勤とか
公共施設の効率が非常に悪くなる、こういったような問題を生じております。こうしますと、特に大都市におきまして人口は密集する、住宅建設の需要が非常に高いという場合におきましては、ある程度
地域を定めまして建物の中高層化、こういった点は必要ではなかろうかと考えております。ただ、この場合に問題になりますのは、
日照時間をどの程度確保して建物の中高層化をするかという点になろうかと思います。これにつきましては後に回して、次にいわゆる
日照権という問題でございます。
日照権はまだ法的にははっきりと認めておりませんけれども、実はしばしば言われております
日照権といいますのは、私の考えでは土地の私権に基づく
日照権ではなかろうかと考えております。確かに万人共有する
日照権と申しますと、だれでも
日照は必要でございますけれども、現在盛んに議論されておりますのは、土地を持っている方、家を持っている方の
日照権でございます。ただ、先ほど申しましたように、
日照の量ははっきり申しまして土地に比例して有限でございます。これをいかにバランスよく多くの人々に分かち与えるかという点が非常に大事でございます。土地の問題でもそうでございまして、限られた土地をいかに多くの人々に分かち与えるか、そのために
建築の
規制等を通じまして土地の利用の
規制がだんだん強化される傾向にございます。これが世界各国の都市の実情でもございますし、わが国もだんだんと土地の利用の
規制が強化されておりますが、
日照の問題もやはり同じでございまして、無限にわれわれは
日照を享受することはできません。個人の所有権にかかわります土地の上に降り注ぐ
日照というのは、私の考えでは絶対的な
日照権ではございませんで、当然
制限を受ける
日照権ではなかろうか、こう考えております。このように考えますと、一見矛盾したことを言いますようでございますが、一方におきまして
日照確保をしようとすれば、他方におきましてある程度
日照は
制限されざるを得ない。また、
制限という言葉が悪ければ限度がございます。
次に、
日照確保のためにそれならばどうしたらいいかということでございますが、結論としまして、今回のように
公法としまして
建築の集団
規制によってこれを確保するのが一番適当ではなかろうか、こう考えております。確かに
日照紛争はいわゆる相
隣関係、私権対私権の問題でございますけれども、私の考えます
日照という問題は都市の居
住環境、単なる隣同士の私権対私権の争いではございませんで、都市全般の居
住環境をいかにすればいいか、この
日照を通じて考えたい、こう考えております。今日の都市の
環境悪化を考えますと、単に個人間の
日照紛争があると否とにかかわらず、ひとつ
日照を代表的な
環境の指標としまして、居
住環境の確保が集団的に都市全般の
環境を考えるという点から必要があろうと考えております。
日照の確保は先ほど申しましたように空地の確保につながります。このように考えますと、
日照の問題は、結局は都市全般の居
住環境の確保、さらにそのためには集団的に、または
地域的に
建築の形態
規制を通じまして土地利用の
規制を行うということが必要でありまして、当然これは
公法に係る問題で、現在ございます
建築基準法の改正というのが最も適当ではなかろうか、こう考えた次第でございます。現在、
日照に関する確かに
法律制度はほとんどございません。そのために地方の
自治体におきましては、いわゆる
要綱行政といいますか
中高層建築指導要綱、そういったようなものによりまして
行政指導が行われております。確かにその点考えますと、
法制化の必要がないではないかとしばしばこれまでも論争がございました。しかし、私の考えますこれまでの
地方自治体の
要綱を見てまいりますと、若干の矛盾点がございます。一番大きな点は、土地の所有権に係る問題を単なる
要綱でそれが果たして可能であるかどうか、これが非常に問題でございます。財産権に係る問題を単なる
要綱でそれを
規制できるかどうか、これはやはり疑問ではなかろうかと考えております。
次に、しばしば出ます問題は
同意の問題でございます。多くの
要綱を見ますと
同意制がうたってございますけれども、私権対私権におきまして一方的
同意というのはやはりまずいんではなかろうか。一方の救済措置がないという点が問題でございますし、また
同意の場合も判断
基準がはっきりしてない。多分にやはり
住民と申しますのは感情的な問題も入りまして、場合によっては非常に過酷な条件を出しまして
同意をするといったことがございまして、先ほどございましたが、金によって
解決するという問題ありますけれども、先に金を要求しまして
同意するといった傾向がなきにしもあらずでございます。そういった点で、むしろ金を要求しました結果、それによりまして
同意の結果、居
住環境が逆に非常に悪くなると、こういった例もしばしば見られる例でございます。
以上が
考え方の前提でございますが、次に細部の技術的な問題に入ってまいります。
一番最初に、
日照量は、よく言われますが、われわれは
日照時間でとらえております。簡単なために
日照量を
日照時間でとらえますけれども、どの程度あればいいか。またこれを、当然個人差とか
地域差ございますが、
基準をつくっていいかどうかと、こういった問題がしばしば議論になります。われわれは一日に
日照時間がどの程度あればいいかという点は非常にむずかしい問題でございます。現在の自然科学ではなかなかこれはつかみがたい。一番関係ありますのはわれわれの健康でございますけれども、われわれが一日に何時間日に当たればいいかと言いますと、これははっきりした根拠はございません。医学的に言いますと、十数分でもいいといった説がございます。また、一年じゅうを考えますと、特に冬季において、冬至の日において何時間ということはなかなか医学的には決めがたい問題でございます。また、経済的にも
日照は暖房費とか採光の問題とかいいましていろいろございますけれども、これも実はなかなか決めがたい問題でございます。採光、暖房といいますとほかにも代替するものがございますので、果たしてそれが適当かどうかなかなか決めがたいわけでございます。
むしろこの
日照の問題はきわめて心理的効果といいますか、そういった点で非常にわが国民の
生活になじんでいる。むしろこれを重視すべきではなかろうかと考えますけれども、先ほど申しましたように、われわれが都市に
生活する限りはお互いの建物によりまして干渉を受けまして、そこには無限の
日照時間というのはあり得ない。冬至におきましても一日八時間日が当たっておりますけれども、そのうち何時間にするかというのは、なかなかそれを全部八時間要求するわけにはまいらないわけであります。これはやはり日常のわれわれの過去の
生活習慣、また現在享受しております居
住環境、さらに今後の土地の利用度、そういったもろもろの点を総合的に勘案して
日照時間の
基準は決めるべきではなかろうかと、こう考えております。もちろんこの場合におきまして、過去方方の
地方自治体が
日照時間の
基準を決めておられますが、こういった点は十分に
参考になると考えております。また、こういった
日照時間の
基準は非常に個人差があります。また、
地域差がありますが、それを決めるのが適当かどうかという問題でございますが、先ほど申しましたように、たとえわれわれが
同意する、しないにしましても、何かここに判断の
基準が必要でございます。全く
基準がありませんで、個人差でこういった
日照基準のよし悪しを申しましてもなかなか結論がつかないとすれば、ある程度
市民、
住民のコンセンサスといいますか、現在、
日照を享受している
現状、そういったものを踏まえまして
日照時間の
基準を決める、コンセンサスのもとに決めるということが必要ではなかろうかと考えております。
次に、私どもの考えましたこの
日影規制によります中高層
建築の
規制方法でございます。これまでも
地方自治体におきます
日照関係の
規制基準を見てまいりますと、大半が
日照時間確保方式と申しますが、先に
日照時間
——たとえば冬至におきまして一日に四時間とか、そういったような決め方でございますが、これをやりますといろいろ難点がございます。たとえて申しますと、先に家を建てた方が勝ちといいますか、後に建てますほど、先に建てました住宅の
日照時間を確保するために建てがたくなる。単なる一戸だけならいいんですけれども、だんだんとたくさんの建物が建ちますと、
最後の建物は絶対に建たないと、いわゆる複合
日影といいますか、たくさんの建物を重ねられますと非常に大きな
日影部分を生じます。そうしますと、一軒目が建つ場合はまだいいですが、二軒、三軒となりますと、三軒目、四軒日あたりは絶対に建たなくなる、こういった現象がございます。
それから計画的な住宅団地のような場合には、最初から計画的に建物の配置をいたします。そのためには
日照時間方式はいいんでございますが、現実の市街地におきましては敷地は非常に大小ばらばらでございます。また、住宅の配置もその敷地内に任意にやっております。こういった場合に
日照時間確保方式は、先ほど申しましたように先に建てていたところが勝ちである、こういった非常な矛盾、不公平を生じております。この点からむしろ家を建てる場合には自分の建物の
日影を
規制する、
周辺に与える
日影を
規制する方が至当ではなかろうか。さらに、こういった点からも
日照時間確保方式よりも
日影規制方式の方がより合理的である。決して最善ではございませんが、よりすぐれている、合理的である、こういった考えから
日影規制方式をわれわれは考えたわけでございます。さらに、この
日影規制方式では、先ほど申しました数棟の建物の
日影が重なり合って及ぼす影響、いわゆる複合
日影、こういった点もある程度
解決できると考えております。この辺におきましても、
日照時間方式よりも
日影規制方式の方がより合理的ではなかろうか、こう考えて提案したわけでございます。
次に、しばしば問題になりますのは
規制対象
地域の問題でございます。修正案を見てまいりますと、いわゆる
商業地域、工業
地域、こういった
地域は
規制対象
地域から除外されておりますが、しばしばこれが問題になります。
商業地域でなぜ
規制対象から外したかと申すわけでございますけれども、これは物事の判断が逆ではなかろうかと。私は土地利用計画の専門でございますので申しますと、
商業地域の
指定の仕方がまずいんじゃなかろうかと、こう考えております。または工業
地域の
指定の仕方が問題ではないか、まずいんではなかろうかと、こう考えております。現実見ますと、非常に各都市とも
商業地域の面積が必要以上に大きい。また、それによりまして
容積率の
指定も非常に高いわけでございます。
商業地域を
指定しますと、最低の容積でも四〇〇%ということでございますが、私が現実に
商業地域を見てまいりますと、なぜこういうところを
商業地域にしたのかと、近隣
商業地域でもいいではないか、または住居
地域でもいいではないかと、こういったところがむしろ
住民の要望によりまして
商業地域に
指定されている、こういった
現状でございます。むしろ今後
商業地域の
指定は非常に商業の専用化といいますか、そういった
方向に向かうべきではなかろうか、こう考えております。
時間がありませんので、
最後に、さらに若干補足いたしますと、
規制対象
地域を今後
指定する場合におきましては、いま申しましたように、あわせまして
用途地域制の再検討、さらに
容積率の再検討ということをぜひ行う必要があるんではなかろうかと考えております。はっきり申しまして
容積率二〇〇%以上では
日照は確保できません。
容積率三〇〇%、四〇〇%
指定しながら、一方では十分
日照時間を要求するのは非常な矛盾でございます。ですから、
日照時間を十分に確保したければ
容積率をせめて二〇〇%、さらによければ一五〇%以下に下げる、こういったことが必要ではなかろうかと考えますと、先ほどもお話がございましたように、この
規制方式だけでは
日照問題は十分に
解決されません。でありますから、そのように
容積率の低下、さらに現在ございます
高度地区の
制度の再検討、より厳しい高度
制限をかける、さらに必要に応じましては、
住民が非常に
日照時間を要求すれば、やはりこれも現在ございます
建築協定、こういったものを十分活用すれば、この
規制方式だけでは不十分な
日照問題を補うことができるんではなかろうかと、こう考えております。
それと、もう一点申しますと、既存の土地、建物に関する
日照問題が盛んに言われておりますけれども、残された大きな問題は、
東京におきましては
住民の約四分の一が住んでおります木造賃貸アパートの問題がございます。むしろこのあたりに問題があるんではなかろうか。日の当たりません住宅がずいぶんだくさん木造賃貸アパートにはございます。ですから、今回の
法改正によりまして、こういった一般の土地に対する
日照問題も必要でございますけれども、住宅そのものにいかに
日照、日当たりをよくするか、このためには今後住居法または住宅法のような
法律を制定しまして、住宅の
基準といいますか、その点の制定がなければ完全なる
日照問題の
解決にはならないかと考えております。と同時に、住宅だけではありません。敷地の問題でもそうでございます。非常に少さな敷地におきまして敷地いっぱいに住宅建てれば、これは当然日が当たらないのはあたりまえであります。そこで
日照権を主張しましても、これは
周辺の
方々に迷惑を与えるということでございまして、住宅のある程度最低
基準を決めると同時に、敷地の最小
基準もやはり決める必要があるんではなかろうか、こう考えております。これは今後の検討課題でございます。
いま申しましたように、今回の私どもが考えました
日影規制方式、決してこれでは
日照問題すべてを
解決するわけではございません。ただ、過去にございます
日照基準確保方式とか、そういった点よりはより合理的であろう、それからこれを補うためには
都市計画上、
用途地域の再検討、
容積率の再検討、さらに今回の
法律改正におきましてありますように、第二種住居専用
地域におきまして最低の
指定容積率が四〇%を、さらに二〇%、一〇%というように下げておりますけれども、第二種住居専用
地域だけでありませんで、近隣
商業地域または準工業
地域の
指定容積率もやはり下がる必要があるんではなかろうか、こう考えております。
簡単でございますが、以上でございます。