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説明員(石原一彦君) ただいまの
お答えを申し上げる前提といたしまして、程田所長と管区との間の交渉をやや詳細に申し上げなければならないと思います。
程田所長は、塚田
委員御指摘のように、
最初の電話が七月二十三日ありましたときに断りました。しかしながら、この程田所長に対する鬼頭判事補からの電話は、当初から身分帳を見せてくれという話があったのではないのであります。ただ終戦直後の政治犯収容者の書類を
調査のため伺うということでありました。で、そのためにいま御指摘のようにお断りを申し上げたのでありますが、そこで翌日恐らく鬼頭判事補は矯正管区に電話をした模様であります。その電話を受けましたのが森律夫と申します第二部長でございます。現在、森部長につきましては再度
調査中でございまして、まだその言葉のやりとりの詳しい点をそのまま申し上げる
段階には至っておりませんが、森部長に対する話でも身分帳を見たい、あるいは宮本顕治氏について
調査したいという言葉は出ていないのであります。
で、通常、刑務所を参観されますときになかなか現地が御承知しないというような場合には、管区のお口添えを願うというケースが非常に多くございます。これは一般の学者の方でございましても、また
国会議員の方でございましても、あるというぐあいに私は承っております。そういうことで、管区で電話を受けたのでございますが、管区の森部長が程田所長に言いましたことは、鬼頭判事補がそちらに行くだろうから、その話をよく聞いて、許せるものなら許してやれというふうな電話の
内容であったわけであります。と申しますのは、身分帳初めいろいろな事柄につきまして刑務所長の
判断並びに裁量の
範囲はきわめて多いのであります。それに対して管区から
指揮命令の
関係でいたすものではございません。しかのみならず網走は、私は
国会でも申し上げたのでございますが、まあ観光刑務所といいますか、多くの方が実に行かれる。しかもこれは四十八年の七月で夏でございますが、夏の参観者はきわめて多いのであります。そういうこともございまして所長に電話したということでありまして、私自身も
国会答弁で管区の口添えという言葉を使いました。使いましたが、それは身分帳をそのまま見せる、見せてやれという趣旨の口添えではなかったと現在までの
調査結果では出ておるわけでございます。
それからなお、身分帳につきまして御指摘のように、松川
事件におきまして提出命令が出ましたのに対しまして、
法務省といたしましてはこれに反対であるという意見を表明いたしました。それは、すでに御承知だと思いますが、身分帳の中には、診断書その他受刑者あるいは未決勾留者の身体状況についてのものが入っていることの以外に、通常ならば検閲を許されない書信というものもいわば検閲をするわけでございますが、その
内容を書いたものも入っております。それから、一般の方が面会に行かれたときに面接されたその話の
内容も入っているわけでございまして、身分帳そのものをそのまま裁判所に出すという
意味での提出命令は、受けられないということであったのであります。しかしながら、松川
事件におきましてもその後事項を特定いたしまして、検証という形をとって、松川
事件の被告の一部の方の診断書につきましては、裁判所にお見せしているのであります。
それから、さらに申し上げますと、身分帳には、全部が秘匿すべき事項ではございませんで、秘匿すべき事項とそうでない事項があるのであります。すなわち身分帳の表紙には、いつどういう罪名で入所したか、勾留中でございますれば、いかなる勾留更新決定その他があったか、それからどういう
理由で釈放されたかという形式的な事項がございます。この事項につきましては、裁判所あるいは
検察庁、あるいは警察等から
捜査事項照会というような文書が参りますと、それに従って御回答申し上げている
内容でございます。現に鬼頭判事補が
最初に知らしてくれと言ったのは罪名あるいは入所年月日等でございまして、通常の文書の照会がありますれば
お答え申し上げる
内容であったのでそれを
説明した。
ところが、その所長が
説明したときにはメモにとらずに、後にメモにとらしてくれと、こういう話であった。そこで、所長は忙しいので、当時の南部という庶務課長にいま
説明したことをメモにしてくれということで、別室に案内した。ところが、南部庶務課長が電話等で中座したすきに、ほかの分も見、かつ写真を撮ったというのが事実でございまして、私どもも先般の
国会におきまして、衆参両院におきまして何らかのプレッシャーといいますか、圧力が矯正管区にあったのではないかということから、その点は慎重かつ徹底的に調べましたが、そのような事実はないと私は断言できます。