○戸
叶武君 きょうは
外務大臣がお
かぜを引いているので
委員長がいたわってくれと言うので、なるたけ
答弁は短くて結構ですから、耳の方は非常に発達しているようですから、どうぞ私
たちの
考え方をやはり耳に受けとめてもらいたいと思うのです。
私は、
文化人類学の
立場から
人間の顔というものに非常に
興味を持っていますが、その中で最近は耳の研究に全力を注いでおります。やはり
聖徳太子の像をかくのにしても、耳を非常に美しくふくらみのある形でかくとこれが
聖徳太子ということになるのですが、やはり耳が貧弱だと一国の
政治を指導するのには物足りない。だから「聡明」の「聡」も「耳」ですが、
外務大臣の耳を見ると、なかなかいいかっこうのようですから、聞く耳は持っているのだと思います。
きのう実は
請願の問題で多少、内輪のことは発表しちゃいけませんことが礼儀かもしれませんが、非常に食い違いがある点を、理事なり
委員の中での
議論は差し控えますが、
外交防衛の問題は一国の運命にかかわる問題ですから、それを含めて、やはり
外務大臣の、
外交権を持っているところの
政府の
外務大臣の
役割りというのは非常に重大だと思いますから、
外交権はおれが持っているから勝手だというのでなくて、せめて聞く耳だけはやはり持ってもらいたいと思うのです。それは
請願の問題でも、
請願権というのは
主権者である
国民にあるんです。何でもいいからという非
常識なものまで
国会に持ち運んではいけませんけれ
ども、
国民の
世論形成の中において、
少数派であってもまともな
請願というものは受けとめるだけの寛容さがやはり
国会にもあり、また
外交防衛、特に
外交の問題で責任を持つ内閣にもなければいけないと思うのです。
私は
イギリスで少しばかり勉強していたときに、
イギリスの学者が言うガバナビリティですか、とにかく
統治能力というのはどこにあるかというと、自由を尊重することだ。それから聞く耳を持つことだ。それからやはり
常識的であって非常にプラクティカルに物を処理していく
能力を持つことだ。特に
英帝国といわれたときにいろいろな無理がありましたけれ
ども、
イギリスが
世界帝国を形成したときにおいても、この聞く耳を持につだけの
雅量はいつも持ったのです。聞いただけで物を実行しないじゃないかという批判はありますけれ
ども、インドの
革命家が
——私も二十二年ほど前に約四ヵ月ほとんど全土を歩きまして、いろんな
演説会や集会に招かれましたが、
司会者が一時間、閉会の辞が一時間、客は二十分か三十分ぐらいしかやれないのは、
イギリスの
統治下における
イギリスの
統治方式というものは、支配しているんだから支配されている連中の言うことを一応聞くだけで、聞くだけでも心が晴れる思いがするんだから、それだけはやろうという
雅量があったんですけれ
ども、このごろの自民党並びに
政府はそういう聞く耳を持たないで、ややもすれば全体主義的な
能率を上げるんだという形において
強権政治の
方向へ、ファシズムの
方向へ向かっているんで、それを
能率と考えるのは、
行政官の有能な人ばかり集まって、
あと法律分野の秀才という
——この間変な男が
裁判官からも出ましたが、ああいう
自分が頭がいいと錯覚しているんだからどうにもならないこういう
エリート、大衆が愚であるから
エリートが前衛党的な
役割りで引っ張っていくんだ。このばかげた右と左からの全体主義に包囲されている
日本において
——アメリカも
大統領選に
国民が
興味を余り持たないのは、あんなずうずうしい悪いやつばかりを
大統領にしちゃしょうがないという気持ち。
日本だってそれが底辺にある。それが
政治からひとつ
国民を遊離させている原因だ。もっと私
たちはこの
機会に、本当にわれわれは
外交防衛の問題でこんな
政府と野党とかけ離れた
状態じゃなくて、腹を割って、そしてこの
祖国日本をどうやって守り抜くか。それだけじゃなくて、
日本だけのエゴイズムじゃなく、
アメリカなりあるいは
ソ連なり
中国なり、それぞれの
権謀術策がはなやかに
展開されています。しかし、東洋的な
哲学というのは、
権謀術策の徒は
権謀術策によって倒れる。光明に背面なし。明るい光を求めることが
政治の要諦であるということは、
政治から宗教までおしなべて本当はあったはずなんです。それが
政治権力と結ぶと
政治も
イデオロギーも、あるいは
科学の名において、特に
社会科学などという名を使って一個の
イデオロギー的な独断が横行する
傾きもあるんです。
この程度にしますが、とにかく
小坂さんは円転滑脱な人で明るい方にかけては人後に落ちない方でしょうが、ひとつ
かぜを引いたのを
機会に若干沈黙を守って、そうして本当に
権謀術策の小細工の
政治じゃなくて、
イデオロギーや
民族や
国境が違っても
世界の
人々の心を打つような
真心と
愛情を持った、思いやりを持った
外交政策を
展開していかないと大変なことが私は起きると思うんです。この三年間に
世界がひっくり返るようなことが私は起きてくると思うんです。
朝鮮だって容易じゃないです。
朝鮮に火がついたならば、ベトナムよりもイスラエルよりも、あるいは東ドイツと西ドイツの
関係よりも非常に厳しい私は問題が発生するんじゃないかと思うんです。
そこで、
知識人の
人たちが、いま隣の
朝鮮半島のことを非常に心配しております。そしてこれらの人が
国際の平和と繁栄のために
インドシナ地域における平和と
民族の
統一が達成されたその上に立って、
朝鮮民族の
統一の
悲願というものもやはり達成させてやらなければならない。このことは一九四五年以来の
南北分断と厳しく対立する
一つの
考え方であるが、
朝鮮民族にとってはいろんな
相互不信感があるにしても、やはり
アジアにおいて南北
朝鮮の
平和的統一というものができるならば、
アジアにおける
一つの
安定勢力というものが、ここに
モデル地域が曲がりなりにでもでき上がってくるんだと思います。抽象的な観念ではなくて、やはり
国連においてもこの問題をとらえて、昨年の第三十回
国連総会でその趣旨を
内容とする
決議案が採択されたのであります。私
たち全部挙げてこれを歓迎したじゃないですか。歓迎してもそれが実らないところに今日の
政治、
外交の貧困があるんです。これをどういうふうに実らせるか、そういう
外交の
方向づけに対して、一言でも二言でもいいから、簡単に御回答を願います。